5.異変
「プッハー! 生き返ったわい!」
「……ソウデスカ」
着物姿で豪快にガブガブと缶コーラを飲み干す美少女を前に、大和は実にしらけた気分に襲われていた。最早そこに、先ほどまで感じてた「高貴な姫君」のイメージはない。
勿論、コーラは大和の金で買った物である。
「いやいや、助かったわ。連れとはぐれて道に迷った上に、財布も何も持っていなかったものでな。あちらこちら歩き回っている間に喉が渇いて渇いて、もう動けんところじゃった。礼を言うぞ……名は?」
「……八重垣大和」
「八重垣……大和? 何とも
何だか人の名前にケチ(?)を付けつつも、愛想よく手を差し出してくる少女――姫子を邪険にする訳にもいかず、大和はそっと握手を返した。
(ちっさい手……)
体格通りの小さく細く、そして白い手先はまさしく「白魚のよう」だった。家事仕事や運動などを僅かばかりでもやっていれば、ここまで綺麗な手は保てまい。
やはりどこぞのいい所のお嬢様なのか、などと思いつつ手を放そうとした大和だったが……何故か姫子の方が離してくれない。見ると、姫子は何やら興味深そうに大和の手を眺めていた。
「……えーと、七條さん?」
「む? ……っとこれは失敬。いやいや、見た目とは違って中々にゴツイ手をしているのう、と思ってな」
わずかに赤面して手をパッと放した所などは、年頃の少女らしく可愛らしい様子なのだが、既に彼女に対し「偉そうで変な口調のどこぞのお姫様」という身も蓋物ないイメージが固まりつつある大和には、最早ときめきも何も感じられなかった。
しかし同時に、嫌悪感や悪印象も無い。大和自身にも不思議なのだが、何故か姫子に対して親しみにも似た感情を既に抱いていた。
「あと、私の事は『姫』でよいぞ」
「……じゃあ、姫……さんはどこに向かう途中だったんだ?」
流石に「姫」と呼ぶのは難易度が高いので、苦肉の策で「さん」付けしてみたが、これはこれですわりが悪い。
「んー、少々説明が難しいんじゃが……すまんがとりあえず、駅前まで案内してくれんかの? あと、『さん』もいらんぞ」
目的地も分からないとはどういう事なのか? そもそも財布も持たずに見知らぬ土地までやってくるとは、何もかも「連れ」とやらに丸投げしていたのか? 「さん」を付けなかったらそのまんま「姫」と呼ぶ事になるが、それは流石に恥ずかし過ぎやしないか? 等と疑問に思いつつも、大和は駅前まで案内すべく彼女を伴い歩き始めた。
「――あと少し歩けば駅前じゃったとは……」
「まあ、あの辺りは何もないから、駅が近いとはあまり思わないよな、知らない人が見たら」
「私が道に迷うはずは、ないんじゃがな……」
いったい何を根拠にそんな自信満々だったのやらと呆れつつ、大和は先ほどから気になっていた事を聞いてみた。
「姫は、広島かどこかの出身?」
「いや、都内の出身じゃが……なんでじゃ?」
「ああ、いや何となく」
方言ではないという事で、姫子の特徴的過ぎる口調の謎は深まるばかりだったが、大和はそれ以上深く考えない事にした。
「――さて、そろそろ駅前だぞ」
駅前に着くと景色が一変した。
大きなビルこそ少ないものの、大手スーパーや家電量販店のいくつかが軒を連ね、利便性はなかなかのものだった。都心からもそう遠くないが、地元民の殆どはわざわざ都心まで足を延ばさず、この駅前で買い物を済ませる程だ。
ちなみに、「國丸デパート」は駅から少々離れた場所にある7階建て程度のビルだ。
「ところで、駅前まで来て、それからどうするんだ? 金も無いんじゃ電車も電話も使えないだろ」
「……いや、どうやらビンゴのようじゃ」
「はぁ?」
「――見よ」
すっと、姫子の白魚のような指が彼方を指す。そこには――。
「……煙? いや、あれは……火事、か?」
駅前の一角、やや高いビルのあちらこちらから黒い煙がもうもうと噴出しているのが見えた。大和にとっても、よく見覚えのある、そのビルから。
「くっそ! よりにもよって!」
たまらず大和は走り出した――燃えているのは、「國丸デパート」だった。「おい、ちょっと待たんか!」という姫子の声が聞こえたが、かまってなどはいられない。
自分でも驚くほどの速さで「國丸デパート」の前まで大和が辿り着くと、そこは既に混乱の渦の中にあった。
入り口から我先にと飛び出してくる人々、騒ぎを聞きつけた野次馬達、呆然と座り込みビルを見上げる者達……その中に、見覚えのある服装の一団がいた。昨日、薫子が着ていたのと同じ制服に身を包んだ数人の女性達だった。薫子の仕事仲間に違いない。
だがそこに、薫子の姿は……ない。
「すみません! 八重垣は、八重垣薫子は無事ですか!?」
思わず駆け寄り問いをぶつける大和に、女性達は怯えた表情を見せたが、大和の真剣な表情に少しだけ落ち着きを取り戻したのか、お互いに顔を見合わせると、やや年かさの女性が代表するかのように口を開いた。
「あの、薫子ちゃん、一緒に逃げようとしたんだけど、誰も避難誘導する人がいなくてフロアが大混乱になって、自分から誘導を買って出て私達にも先に逃げるようにって……。それから、それから……お客さんの一人が『子供がいない』って言い出したのを聞いて『自分が探すからあなたは先に逃げなさい』って、どこかに……。そのお客さんね、妊婦さんだったの。だから薫子ちゃん、自分の方が身軽だからって」
「……その後は?」
女性は静かに首を振った。
「――嘘、だろ?」
頭の中が、目の前が真っ白になる。
呆然と「國丸デパート」を見上げる大和の耳に、周囲の「スプリンクラーも火災警報器も動いてなかった」「消防はまだか」「消防は他所でも大きな火事があったらしくて遅れるってよ」「うわやべーこれ何人か死ぬんじゃない」等といった様々な声が、雑音のように響き渡る。
そして、それら雑音に混じって聞こえる僅かな振動音――大和の携帯電話が鳴っていた。もしやと思い大和が画面を確認すると、着信元は薫子の携帯電話だった。
「――もしもし!」
『……ああ、やまと? 良かった、通じて……』
「今どこだ!? まだデパートの中なのか!? こっちは今デパートの前にいる!」
『……ごめんね、私、ドジっちゃった……。迷子の子をね、見つけて一緒に逃げようとしたんだけど、途中でコケちゃって、足、痛めたみたい。迷子の子は他の逃げ遅れの人に任せたけど、無事に逃げられたかな――』
「馬鹿! 自分の心配しろ! 何階のどの辺りだ!? すぐに助けを――」
『駄目だよ、やまと。消防車も救急車も、まだ一台も着いてないんでしょ? どこにいるか知ったら大和、自分で来ちゃうもの……おかーさん、ぜーんぶお見通しなんだから』
「――くっ!」
こんな時位もっと鈍くなれよ、と叫びたかった。薫子の言う通り、まだ消防車の一台も来る気配が無い。いざとなれば自分が、と大和が思っていたのは事実だ。
だが、噴出す黒煙や炎の量、逃げ出した人々の様子を見ればよく分かる――今からビルの中に入るのは、自殺行為以外の何物でもない。通り沿いの入り口には既に黒煙が充満している、他の入り口や通用口も同様だろう。
『だいじょーぶ、とりあえず火はまだ遠いみたいだから。煙も、あと少しは……ゴホッ!』
「おい!」
『大丈夫だいじょーぶ! 救急隊が着いたらすぐに来てもらえるように……大和、このまま、電話、切らないで』
「……分かった」
――強がりだ。絶対に強がりだ。大和には分かっていた。電話を切らないでと言ったのも、きっともう薫子が諦め始めているからだ。でも、自分の力ではどうしようもない。
薫子を、たった一人の肉親を助ける事が出来ない。
(神様!)
生まれて初めて大和が真剣に神に祈った、その時だった。
「――助けたいか?」
気が付くと、姫子が目の前に立っていた。
「――え」
「助けたいか? と聞いた。中に、助けたい人がおるのだろう? もしお主が望むのならば、私は与える事が出来る――お主に、力を」
突然の、そして意外な言葉。燃えさかるビルの中、どこにいるとも分からない人間を救う力、それを目の前の少女が与えてくれるという。
普通に考えれば、それは質の悪い冗談にしか聞こえない……なのだが、姫子の眼差しは真剣そのものだった。
「助けたい」
気付けば、大和はそう答えていた。真っ直ぐに、姫子の目を見て。
「――引き換えにお主の人生を私に捧げる事になる、と言っても?」
「……構わない。本当に助ける力をくれるのなら、一生を掛けて恩返しでもなんでもする」
大和は感じていた、姫子の言葉に、眼差しに「真実」を。冗談でもなんでもなく、彼女ならば自分に母親を助ける為の「何か」を与えてくれる。理由は自分でも分からないが、何故かそう信じられた。
「ふむ、よかろう。では、ちこう寄れ。ケータイはそのままでよいから」
「我が意を得たり」と言ったような不敵な笑みを浮かべながら、姫子が手招きをする。それに従って一歩踏み出すと、今度は「少しかがめ」と言った手振りをした。どうやら頭の位置を合わせろという事らしい。
二人の身長差は頭一つ分以上。必然、大和は大きく屈む事になった。思ったより顔が近かったからか、姫子が少し赤面する。
「……コホン。では、時間も無いからさっさと始めるぞ」
言うが早いか、姫子が何やら懐から取り出す。
それはソプラノリコーダーよりも少し短い位の長さの、袋状の何かだった。姫子の着物と似たような花柄があしらわれ、見るからに高そうな代物に見える。
口を縛っていた紐をシュルシュルと解くや否や、姫子がそこから抜き放ったのは――どこからどう見ても懐剣だった。
「ちょっ」
「いいから、じっとしておれ」
シュッと、姫子が懐剣を鞘から引き抜く。刃渡りはたいして長くはないものの、小柄な姫子が持っていると不思議な迫力があった。
その刃先を、姫子が自分の右親指にそっと押し当て――白魚のような指先に、ぷっくりと血が浮き上がる。そしてそのまま、その親指を――血を大和の額に押し当て、静かに囁くように「契約の言葉」を
「汝、八重垣大和! 我が始祖の
――瞬間、大和の世界が広がった。
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