幕間1
引っ越し風景
「大和、もう積み込む荷物はない?」
夏彦の問いかけに、大和は車に積み込んだ荷物の数を確認する。
「えーと……ああ、今ので最後だ」
大和の御霊東高への転入が決まった翌日の土曜日の事。鳳邸は急きょ決まった大和の引っ越し作業の為に、朝から慌ただしい空気に包まれていたが、事情を聞きつけた夏彦と亜季の二人も手伝いに来てくれた為に、予定よりも早く車へ荷物を積み終わる事が出来ていた。
そもそも、大和の私物はそれほど多くない。本来ならば手伝いも必要なかったのだが、二人は「見送りも兼ねて」と手伝いを申し出てくれたのだ。
運搬用の車は七條家が用意してくれていた。沢山荷物を運べるように、と大きめのミニバンを準備してくれたのだが、精々段ボール八箱分程度しか荷物が無かったので、宝の持ち腐れとも言える。
ちなみに、運転手は昨日リムジンを運転していたあの初老の男性だった。「お抱え運転手」というやつらしい。
七條家から来てくれたのは運転手と車だけではない。姫子も「専属の引っ越しなのじゃから私が立ち会うのは当然」等と言って来てくれた……のだが、鳳邸内を物珍しく物色したり、せっかくまとめた大和の荷物の中身を改めようとしたり等、手伝いに来たというよりは冷やかしに来たと言った方が正しい状態だった。
だが、その姫子も今は――。
「あーん、作業終わっちゃったー! もっとお姫ちんとベタベタしたかったのにー。名残惜しいから今の内にスリスリしちゃうぞー」
「ひ、ひぃぃぃ! こら、止めんか! 止めんかー!」
亜季に捕獲され、愛玩動物の如く抱きかかえられていた。
小動物の如き雰囲気から普段はマスコット扱いされている亜季だったが、実は彼女自身が小動物や可愛らしいものをこよなく愛する性質であり、自分よりも小さいものを見付けるとこうやって全力で可愛がりにかかる癖があった。
どうやら姫子の持つ諸々の要素――見た目の愛らしさと口調・性格のギャップや同い年には珍しい亜季よりも小柄な体格――が亜季のツボに入ったらしく、出会って早々メロメロ状態であった。
それでも、最初の内はいかにも「お姫様」然とした姫子を遠巻きに眺めるだけだった亜季だが、作業の邪魔ばかりする姫子に頭を悩ませていた百合子が「全力でかまってよし」とゴーサインを出した為、今のような状況になってしまっていた。
「――あれはあれで中々そそる光景だね」
「夏彦、俺は時々お前が分からないよ……」
夏彦が時折見せる意外な嗜好にドン引きしつつ、彼とのこういったやりとりも今後は減っていくのだろうか、と大和は一抹の寂しさを感じていた。
幼い頃から一緒だった、大和と百合子、夏彦、亜季の四人。百合子に続いて、まさか自分もこんなに早く二人と別れる事になるとは、少し前までは考えもしなかった。
「時々は帰ってくるんでしょう? これからも、たまには四人で集まろうね」
大和の心中を見透かしたのか、夏彦はそんな言葉をかけてくれた。
そもそも、夏彦も普段は部活動で忙しい身の上だ。クラスが同じでなければ、大和との接点は今もよりももっと早く少なくなっていた事だろう。以前から自分達の関係の変化について思いを巡らせていたのかもしれない。
「……そうだな。師匠も『ここが君の家だから』って言ってくれたし、やっぱり俺の地元はこの街だしさ」
「だから帰ってくるよ」と口にし、大和は十数年暮らした鳳邸を改めて眺めた。
普通の住宅数軒分の広い敷地に、離れを持つ平屋建ての日本家屋と道場が並んで建つこの鳳邸。この広い屋敷にこれから功一郎と薫子の二人暮らしになるのかと考えると、少々後ろ髪を引かれる思いもあった……あったのだが――。
「見て見てやまとぉ~、似合う~?」
あまりにも能天気な薫子の声に、嫌な予感を抱きながらも大和が振り向くと、予想通り頭の痛くなるような恰好をした薫子の姿があった。
丈の長い黒のワンピースの上に純白のエプロンを纏い、頭の上にはフリルをあしらったカチューシャ、足元は編み上げの黒いブーツでかっちりと固めたその姿は――どこからどう見てもメイドだった。
「わぁ、薫子ちゃん可愛い~! あれ、お姫ちんの見立てなの?」
「ふふん、昨今の似非メイド服ではないぞ? 純大英帝国風をモデルとした古式ゆかしいメイド服じゃ! どうじゃ? 可愛かろう? 可愛かろう?」
その光景に「……どうしてこうなった」と一人ごちる大和だったが、それに答える者はいなかった。
事の発端はやはり昨日。薫子が景虎や姫子と何やら雑談していた折、薫子の今の仕事について話が及んだらしいのだが、薫子はあのデパート火災の影響で、一週間近く働けていなかった。名目上は療養期間となっていたが、実際にはどうやら違うらしい。
薫子の登録していた派遣会社は、最近経営が悪化していたという。取引先企業からの依頼も減り、何だかんだと理由を付けて登録スタッフに仕事を紹介しない事が多くなっていたらしく、薫子も火災の件を機会にその標的にされてしまったらしい。
薫子は基本、働き者であり能力も決して低くはないのだが、何故か仕事運に恵まれておらず、今までもこういった事がままあった。
その話を聞いた景虎と姫子は顔を見合わせ、「天啓かもしれん」等と言いながら薫子にある仕事を紹介した。その仕事とは――。
「お姫ちんお付きのメイドさんかー。いいなー、私も薫子ちゃんに一から十までお世話されたいなー」
相変わらず姫子を抱きかかえながら、羨むように呟く亜季。その言葉通り、薫子が紹介された仕事というのは、姫子付きのメイド――というか侍女であった。
これから大和も入居する御霊東高の学生寮、そのC棟は姫子が以前言ったように「お付きの者」が同居できるよう考慮された造りになっている。その為、今でも裕福な家庭の子女は、実家から使用人を連れてきて一緒に住まわせている例が多いらしく、姫子も侍女を一人伴っていたらしい。
だが、つい先日、その侍女が体調を崩して急に辞めてしまったのだという。生活能力ゼロの姫子の面倒を百合子だけで見られる訳もなく、新しい侍女を雇う事は急務であった。
しかし、姫子の身分を考えるとそれなりに信用の出来る人材でなければならない。加えて、姫子のあの性格を柔軟に受け止められかつ、姫子自身も信頼を寄せられるような人物でなければならない。
そういった人材は中々おらず、新しい侍女探しは難航していたのだが、そんな時に失職寸前の薫子が現れた。景虎にとってはかつての養女であり、会ったばかりの姫子も物怖じしない薫子をすぐに気に入っていた。加えて、これから姫子の専属となる大和の母親でもある。景虎と姫子にとって、正に渡りに船な人材だった。薫子も二人の申し出を快諾し、大和と一緒に引っ越す事になった。
――余談だが、姫子の居室が3LDKだと聞いていた大和は、もしや母親と二人部屋になるのではないかと危惧したが、どうやら姫子が今寝室に使っている部屋は室内に女中用の小部屋が備え付けられているという特殊なものらしく、薫子はそこに寝泊まりする事になった。
期せずして薫子との「同居」が続く事になり、母親を置いて家を出る事を少しだけ気にしていた大和はある種の安堵を感じていたのだが、そうなってくるとまた別の気がかりが出てきてしまった。
薫子まで鳳邸を出るとなると、功一郎はたった一人、あの広い屋敷で暮らす事になってしまう。男やもめの功一郎にそれは少々酷なのでは? と案じる大和だったが、それも意外な形で杞憂に終わる事となった。
実は功一郎は、御霊東高に剣術指導の特別講師として招かれているのだという。すぐの話ではないらしいが、少なくとも夏が本格的になる前には正式に決まるという。道場の事もある為、毎日という訳にはならないらしいが、週の半分ほどは御霊東高のある鎌倉で過ごす事になるという。
学生寮にほど近い単身者向けの職員寮に部屋も用意してもらう予定との事で、「何だか学生時代を思い出すねぇ」とは本人の談(功一郎も御霊東高のOBである)。
「新しい世界へ飛び込む」と肩ひじを張っていた大和にとってみれば、「気付いたら殆どの身内が付いてきていた」という何とも脱力する状況である。どうやら自分が「親離れ」するのはまだ先のようだ、等と思いながらも、同時に心強さも大和は感じていた。
「皆、お茶が入ったわ。道場の方へどうぞ」
荷物の積み込みが終わったのを見計らって、百合子がお茶を用意してくれたらしい。何だか彼女らしからぬひよこマークの可愛らしいエプロンを着けているが、大和の記憶が確かならばあれは亜季が贈ったものだった。
「御茶菓子はあるかの?」
ようやく亜季の手から逃れた姫子が、いち早く道場の方へと駆けだしていく。その後を亜季が「あ~ん、お姫ちん待って~」等と言いながら追いかける。その様子に苦笑しながら、大和達も道場の方へと向かった。
功一郎は既に道場にいるようだ。家族と幼馴染達に、姫子を加えた「お茶会」はいつになく賑やかなものになるだろう。
「またいつかこの面々で――」初夏の気配近付く青空に向け、大和はそう願わずにいられなかった。
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