第7話 自信を分けてもらいたいです
恩人というべきなのだろうが謀られた印象しかない。しかしヘンパイの機転がなければ私たちは身の破滅を免れられなかっただろう。そういう意味では感謝するしかない。居場所のない人間というものはなんとも世知辛い。
ヘンパイは「とにかく文化祭までに小説を書きたまえ。部誌に作品が載れば君たちの仲を邪魔するものはいなくなるだろう。しかし、実績がなければまた同じことを繰り返す。」と私たちに忠告した。二人で小説を書くという目標ができたことに盛り上がりつつ、でも、美咲も私も、まだ半年も先のことだから、とあまり真剣に考えていなかった。
なにしろ二人の関係を阻むものがいったんは取り払われたのだから、濃密な時間を過ごすことになるのは必然だろう。美咲は発育が良いためなのか興味を覚えるととどまるところを知らなかった。ゴールデンウィーク中は二人きりでいろいろと勉強した。
現文、古文、英語、数学、物理、日本史…。
ええ、何もできません。何もできませんでしたよ。でも勉強の合間には、キスしてぎゅっと抱き合って、美咲のおっぱいを堪能するくらいのことはしたけれど。正直に言えばこうして頬を寄せ合っているだけで十分幸せだった。
ピンクが基調の美咲の部屋はいつもきれいに整頓されていて、本人の幼さとは裏腹に機能的にしつらえられていた。机の上にはノートパソコンが置かれ、本棚には児童文学や少女マンガが納められている。ぬいぐるみはほとんどない。壁の棚にちょっとグロテスクなキャラクターのフィギュアが並んでいるのが目を引くくらいである。むしろ私の部屋の方が少女趣味かもしれなかった。
「あれなんなの?」とタキシード姿のミイラを指さして尋ねると、美咲は「あれは『ナイトメア・オブ・ザ・ウェディング』のキッドだよ。隣のウェディングドレスの子と恋人同士なの。」と言った。どうやらアニメのキャラクターらしい。「メイちゃんに映画貸さなかったっけ?」と問われて思い出したが「たしかビデオカセットだったから観られなかったような…。」と答えた。
「いまから観ない?まだ時間ある?」と美咲は言った。私は部屋の時計を見た。まだ塾まで時間が空いていた。
「大丈夫。」
私たちはリビングに移動して『ナイトメア・オブ・ザ・ウェディング』を鑑賞することにした。
物語は主人公のキッドの死からはじまる。仇敵に命を奪われたキッドは墓場から目覚めて世界中をさまよう。キッドはパスカルという悪魔の欺きによって地獄へ落とされるが、そこで自分の名前を忘れた花嫁と出会い恋に落ちる。パスカルは花嫁を見染め求婚するが花嫁は断る。怒り狂ったパスカルは二人を別つためキッドを地獄の炎に突き落とそうとする。パスカルに追われたキッドと花嫁は堕天使アリスの手引きによって天国へと旅立つ。
映画はとても面白かった。映像はカラフルな色調で、場面展開もテンポが良くまったく飽きさせない。しかし、作品全体にもの悲しさがつきまとうのは、やはり登場人物がみな死者だからだろう。
死んでから結ばれているのだから二人の愛は永遠だ。作品中では明示されていないが、死後のキッドや花嫁は、生前の彼らの姿と対照なのだと思う。幸と不幸、恋愛と孤独、そして生と死。おそらく原作者か監督が何か意図を込めたに違いなかった。舞台背景がドイツ表現主義の影響を隠さないのは、ドイツ映画の『カリガリ博士』のオマージュだからではないか。
ジンジャエールを頂きながらそんなことを考えていると、美咲のお母さんが帰ってきた。
私は「おねえさん、おじゃましています。」といつものように挨拶した。
「あら、明理ちゃん久しぶり!学校は楽しい?」
「ああ、まあまあですね…美咲がいてくれてよかったです。」
「明理ちゃん変わらないね。ふふ。」
話しがいのない私との会話でも笑顔を絶やさないおばさまは聖母のようだった。キリスト教の家庭だからだろうか。私も改宗したいくらいだった。
夕食のお誘いを受けたけれど、塾の時間が迫っていたので心苦しいがお暇させて頂いた。
塾へ向かうあいだ、ずっと美咲との事を考えていた。私はキッドなのか、それともパスカルなのか。美咲は私といて幸せだろうか?
連休明けに私はそんな悩みをヘンパイに相談した。
「君は同性愛者である事にもっと誇りを持ちたまえ。たしかに同性との恋愛はまだ障害が多いかもしれない。でも、自分が彼女を幸せにするんだって思わないといけないよ。得能さんが君を好きでいてくれる限り、彼女を幸せに出来るのは君だけなんだから。」とヘンパイは答えた。
私はうつむいて、顔を手のひらで覆いながら「宮本さんの自信を分けてもらいたいです。」とつぶやいた。
「ヘンパイでいいよ。僕のことをそう呼んでいるのは知っているぜ。」
妹である遥と話しているとき、さんざんヘンパイヘンパイと言っているのだからバレないわけがない。いまは目を合わせることもできないけれど。
「すみません。」
「いや、いいんだ。僕だって悩んでいるんだよ。うちの娘たちはみんな受け身だろう。だから僕なりに気を遣ってああやっているんだ。僕は彼氏に甘えられるからいいようなものだけど…。」
「え?宮本さん彼氏いるんですか?」
「遥から聞いてないのか。」
全然知りませんでした、と私が首を振ると、ヘンパイは「僕は男の前では結構オンナなんだぜ?」と言ってウィンクした。たしかにヘンパイの美貌とからだならば、男性が寄って来ないわけがなかった。そしてバイセクシャルならばそれに応じることもあるのだろう。
「だから。」とヘンパイは言う。「君はつらいだろうね。僕でよければいつでも相談してくれよ。」
「ありがとうございます。」と私は深々と礼をした。
帰り道に遥に会った。ヘンパイ彼氏いるんだね、と私が声をかけると、遥は「お姉ちゃんはちょっと変わってるけど、あれで結構モテるからね。」と応じた。そして話題は変わって「こないだ西井さんと話してどうだった?」と聞いてきた。
「西井さん?素敵だよね。こないだ連絡先を交換したよ。」
「そうなんだ、良かった!私は理解ある方だと思うけど、もし何かあれば相談してね。」と遥は言った。ヘンパイと同じセリフだ。やはり姉妹は似るものなのかな、そんな事を考えていた私は遥の言葉の意味を何も分かっていなかった。
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