第6話 それはどういう事ですか?
「君はもっと自分の周りを見たほうがいい。」とヘンパイは言った。
「目立つんだよ、君たちは。入学早々、いつもベタベタいちゃいちゃしているじゃないか。ましてや得能さんみたいな、誰もが好感を持つような可憐で非の打ちどころのない女性と…君みたいなやつが一緒だとね。」
はっきり言って、いまのこの人にだけは言われたくないセリフだった。ヘンパイはソファで上級生の文芸部員たちをはべらせ、木崎さんと津永さんを両手に抱えている。木崎さんなんかブラウスがはだけてブラが見えているではないか。
ヘンパイは津永さんの首筋に鼻をうずめる。静かな部室に津永さんの吐息が漏れ響く。淫らである。破廉恥である。美咲の目の毒だ。美咲も、あの日ここから逃げ出さなければどうなっていた事か。考えるだけで恐ろしい。
美咲の様子は、と私の横に座る美咲を見ると、顔を紅潮させて心の底から『そのテクニック参考にしてもいいですか!!』と思っていそうな目でヘンパイの様子を見ている。私が淡泊なのは自覚しているがちょっと傷つくよ。
「君が容姿や能力が高い女性を見ても嫉妬しないのは同性愛者だからだろ。チャンスがあればみんな自分のものになると思ってる。でもそうじゃない人もいるという事だよ。つまり異性愛者たちはね。」とヘンパイは続けて言った。
「それ、ご自分の姿を鏡で見て言ってもらえますか?」
「何を言ってるんだ?僕はもちろん、いつも鏡で自分をチェックしているよ!」
美咲は、離れたくない、という意思を表わすように指を絡めて私の手を握った。もちろん私は強く、強く握り返した。
美咲の担任の動きはまだ分からないが、まさか新山先生が私の両親に報告するなんて思いもよらなかった。生徒の創造性を育み自由を重んじる校風だったはずなのに、それはどこに行ってしまったのか。
私の両親、とくにママは、私たち兄妹に幼少の頃より靴ひもの結び方から家の手伝い、果ては学業成績まで『教えなくても怒鳴りつければ何とかなる』という方針をつらぬいていた。いわゆるネグレクトである。
ときには優しさをのぞかせても、些細な事で頭に血がのぼり手がつけられなくなる。自分の思い通りにならなければぶつぶつと何事かを言い出し、やがて私たちに人格攻撃を始め、しまいに金切り声をあげ発狂する。しかも外面がいいので始末が悪かった。
兄はいつも理不尽な理由で叱り続けられていて正常な感覚が麻痺していたし、反論すれば逆ギレされるからと押し黙って従っていたのがママの態度に拍車をかけていた。どこにも私たちの味方はいなかった。
兄が高校卒業に合わせて仕事を見つけて家を出たのも無理はなかった。ママは無能な兄を厄介払いできたと喜んでいたけれど、兄はむしろママを見捨てたのだと思う。
そんなママに美咲との関係を知られてどうなるか分かったものではなかった。知られてはならないと思っていた。
「私たちはどうすればいいでしょうか?」
「ん?ああ、たぶん大丈夫だと思うよ。すでに策は講じてあるから。」とただ焦るだけの私にヘンパイは言った。
「それはどういう事ですか?」と私が訊くと「期待されても困るが、新山先生に訊いてごらん。」とだけ答えてヘンパイは上級生のお尻を撫ではじめた。
私はひとり職員室に向かった。新山先生はパソコンで音楽の授業のプリントを書いている。
「あの、すみません。いま、いいですか?」と新山先生に話しかける。
「あ、千覚原さんちょうどいいところに来た。こないだはゴメンね。」とやけに明るく言われた。よほど機嫌が良いのだろう。
「手伝いのことなら平気です。あの、うちの家庭訪問についてなんですが…。」
「実はそのことなんだけどね…ゴメンね。私、二人のことを悪く考えていたみたいで。」と先生は頬を赤らめながら本当に申し訳なさそうに言う。こちらの方が恐縮してしまう。これはいったいどうなっているのか。
「えーと…?」
「執筆がんばってね!文芸部は高尚な文学を学ぶためのサンクチュアリですものね。」
と、新山先生はちょっと恥ずかしそうに、どこかで聞いたことがあるフレーズを口にした。
釈然としないまま、私は部室に戻り、ヘンパイに真相を尋ねた。
ヘンパイは言った。「何のことはないよ。君はもう文芸部員なんだ。だから新山先生には文化祭に向けて君が得能さんと共同で小説を書いていると説明したのさ。」
なお怪訝な目でヘンパイを見る私に、上級生のひとりが一枚のプリントを差し出した。
そのプリントは入部希望届だった。古文書のような達筆な字で私のクラスと名前、そして部活名の欄には『文芸部』と書かれている。生徒会の承認印も押されていた。日付は、というと、なんと4月11日である。今日よりも2週間も前ではないか。
やりやがった。
「今回の件がなかったらどうするつもりだったんですか?」と私はヘンパイに訊いた。
ヘンパイは言う。「どうもしないよ。ただ君は何も知らぬまま文芸部に登録され、卒業するときにアルバムで自分が丸く囲まれて幽霊部員として部の集合写真に載っているのを発見するのさ。当然ながら、僕も遥の卒業アルバムを開いてほくそ笑むがね。」
私が悔しさで歯ぎしりをしている隣で、美咲は”私の入部希望届”をのぞき込んで小さく歓声をあげる。
「ようこそ僕の文芸部へ。」と大きく手を広げてヘンパイは言った。
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