第4話 やりたい事を言ってほしいの
放課後。
文芸部の部室で美咲は木崎さんや津永さんと楽しそうに最近読んだ本の話をしている。木崎さんはミステリ、津永さんはライトノベル全般が好きなようだ。知らない本ばかりで私はついていけない。一方、美咲が出す本の名前は圧倒的に児童文学が多い。高校生にしては趣味が幼いのではないかと心配である。
美咲はときおり私の方を見て、微笑む。
超くぁわいいんれすけど。
顔が緩むのを抑えられず、頭の中ですらまともな発音ができない。
私の表情を見て何を思ったのか、美咲は腕でおっぱいを寄せて、なまめかしい目で挑発してくる。
口元は妖しく笑みを浮かべている…つもりらしい。
いや、そういうんじゃないから…!
と思うも、やはり私の顔は素直に反応してしまっているのだろう。いったい、あんな仕草どこで覚えたのやら。
地元の中学で同じグループにいた美咲と私は、しかしいつも一緒にいたというわけではない。市立校から聖桜に入学するのは至難の業であった。私は塾の理数系コースに通っていたし、美咲には家庭教師がついていた。それぞれ部活にも入っていた。休日に他の友人とつるんで出かけたり、家でちょっと遊ぶくらいだったが、それでも同じ高校を志望していたこともあって、互いに励ましあっていた。将来や学校での悩みなど、けっこう深い話もしていたし、私にとってそういう話ができるのは美咲だけだった。
ただの友達と呼ぶのは相手に対して失礼だと感じるような、そういう意味での親友だった。
いままで美咲に彼氏がいたかどうかは分からない。
もともと自堕落な性格の私と、男たちの理想を描いたような美咲が付き合うなんて考えもしない事だった。私は仲間内ではオンナ好きで知られていたのに。
キスをした次の日、いつものように昼食を一緒にとろうと美咲の教室に行くと、美咲がお弁当を作って待っていてくれていた。とてもおいしかったけれど、自分のお弁当も食べなければママに怪しまれるので、悪いから作ってきてくれなくてもいいよ、と美咲に言った。美咲はとても悲しそうな顔をして、見ていて忍びなかった。
突発的なキスが恋愛関係を錯覚させるほど美咲は純粋なのである。もっとも、一番の原因は私が「美咲は私のもの」なんて言ってしまったからだろうが。
いつのまにか、美咲はソファで私の横に座っていた。
「また考え事してる。」
「ちょっと妄想してただけだよ。」と私はウソをついた。
「ねえ、付き合うってどうすればいいのかな?」と美咲は言う。
私は「いつもどおりでいいんじゃない。」と答えた。
「そうじゃなくて。」と美咲は言った。「二人でやりたい事を言ってほしいの。」
やりたい事をする、というのは高校に入ってからの私たちのテーマだった。
体育の授業が始まると間もなく、足の速さを見込まれた美咲と私は運動系の部活、とりわけ陸上部の猛烈な勧誘を受けた。推薦入学でなく一般入試組なので意外に思われたのだろうが、それは高校で特定の部活に入るつもりはなかったからだ。なので事情を話して丁重にお断りした。ちょっと気障なセリフだが「出来る事ではなく、やりたい事をしたいのです。」と答えたのだった。
「二人でヤリたい事ねえ…。」とヘンパイは言った。さきほど会議から帰って来て、壁にもたれかかってこちらを見ている。この人はいつもこんなけだるい格好をしていて、何を意識しているんだろうと疑問だったが、この人はもしかして腰が悪いのでは、と思うようになった。
「誤解を招くような言い方はやめてくれませんか。なんか妙なニュアンスを感じるんですけど。」
「ああ、そう。」と言うとヘンパイは私に小さく手招きした。耳を貸せということらしい。私たちは部室を出て、廊下で彼女の口に耳を寄せた。
「ばいおろいど。」とヘンパイは私の耳元でささやいた。
ぴくり、と私の頬がひきつった。寒気が背筋を通過する。
「何故それを…。」
「宮本遥は僕の妹だ。」
「……!」
「もちろん本物のね。」
本物、とわざわざ付け加えたのは「姉妹」が女性同士のカップルを表す隠語だからだろう。
からだから血の気が引いていく。
「表情を察するに、裏切られたって感じかね?それは違うよ。遥は君をとても買っているんだ。いや買っているという言い方は偉そうかな…感心というか尊敬というか。語彙が貧弱で申し訳ないけれど。」しばしの沈黙の後、ヘンパイは「文芸部に入らないか?」と私に訊いた。
「興味ないです。」
「得能さんも喜ぶと思うけれどなあ。」
「美咲をダシにするのはやめてください。」
「形にしなければただの妄想だよ?」とヘンパイはウインクした。
「いくら妄想を書き連ねたところで、ただの妄想であることには変わりがありません。」
「僕は君のその”妄想”を読んでみたいんだ。ビル・バローは『映画の観客は自分が観たい結末に金を払う』と言っている。誰かが求めるならば、それが君の価値になるという事だ。」
私は目を伏せて「それは多数決で価値が決まると言っているようなものじゃないですか。私は好きじゃないんです、そういうのは。」と言った。
ヘンパイの目が鋭く光る。
「違うよ、作り手が観客の事を考えなければいけないんだよ。誰が、あるいは何人がそれを求めるかなんて僕には分からない。そんなことはどうでもいい。一番の願いは”理解してほしい”ではなく”楽しんでほしい”だ。そうじゃないか?」
図星を突かれた、と思った。
これは美術の二の舞ではないか。作品を誤解されたままでは耐えられない。しかし、酷評される作品をこぶしをふりあげて擁護しても虚しさしか残らない。認められないという事は、ときに莫大なお金と人を巻き込む美術の証明でもある。仮にそれが歴史に残る芸術家の宿命だとしても、私の作品は後年評価されるような代物だろうか。
自分の才能を疑っているのは自分自身なのである。
明らかな理と書いて明理、などという大げさな名前を私は呪った。私が生まれた事に明らかな理由などあるだろうかと。
フラッシュバックしてきた嫌な思い出に溺れていると、ヘンパイは意味深長な言い方で「楽しいと思うんだよねえ。」と言って私の肩に肘を乗せた。「科学部にだって入るつもりはないんだろう。それは得能さんとの時間がほしいからじゃないのかい?」
私は何がしたいんだろう?
やりたい事をして幸せになれるだろうか。人に求められてこその幸せではないのか。
陸上、文学、そういうものにこそ私の居場所はあるのだろうか。
整理できない感情が頭の中に広がっていく。
ヘンパイと議論する私の後ろでは、美咲たちの明るい声が響いていた。
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