第3話 君こそ、この部にふさわしい
「超伝導体は宇宙エレベーターの駆動に使えるだろうか?」と私はクラスメイトの宮本遥に聞いてみた。遥ちゃんは「太陽光の熱をどう処理するかじゃない?太陽光パネルなんかで遮断したとして、機体の温度上昇をどこまで抑えられるか。」と答えた。
休み時間には二人でなんとなくこんな話をしている。もちろん日常の些細な出来事を話して盛り上がる方が多いのだけど。
私のオタクっぽい想像に付き合ってくれる子がいて本当に良かった。クラスメイトたちと恋愛や芸能人の話題に花を咲かせる中で、ふと思いつきを話せば受け止めてくれる遥ちゃんは貴重な存在である。私が変なことを言っても遥ちゃんがその場の空気をなごませてくれる。おかげでクラスで孤立せずに済んでいた。
しかし、そんな何という事もないような会話の場面でも、美咲は見るのが耐えられないらしい。ずっとふくれっ面で私を睨んでいる。ああ。
あれからというもの、美咲はずっと恋人気分で、私はすっかり尻に敷かれている。授業中のケータイ使用は厳重注意を受けるのに、美咲はおかまいなしにメールを送ってくる。困るんだよなあ、などと心の中でつぶやきつつ、よだれを垂らさんばかりにニヤニヤしながら教師の目を盗んで返信を書く私がいた。
「ひょんな事から」の『ひょん』って何だろう?と以前は思っていたが、私と美咲のキスがまさにそれだったのではなかろうか。人目もはばからず舌を這わせ、互いの吐息をかよわせあう至福。恍惚。背徳感。文芸部の部室に突如現れた二人だけの花園といったところだった。
ヘンパイは気障ったらしい笑みを浮かべながら「その辺りで止めておきたまえ。乙女には刺激が強すぎるよ。」と木崎さんや津永さんを見やり、次に他の文学部員に目配せした。部員たちは顔を見合わせてクスクスと笑った。私たちは名残惜しげに唇を離した。美咲は夢から覚めるようにゆっくりと目を開き、うっとりと私を見つめている。互いが互いを求めあっているのが分かった。
私はヘンパイの方を向いて「美咲は私のものです。」と言った。自分の言葉に自分自身が驚いたのはいうまでもない。美咲は口を結び、胸元で自分の両手をかたく握った。
「そうだったのか。失礼したね、得能さん。」と美咲の方を見てヘンパイは言った。得能というのは美咲の苗字である。
「何で美咲をあんな目に合わせたんですか?服を脱がせて素っ裸にして…。」言葉を荒げることはなかったが、改めてヘンパイの正面に立ち、毅然とした態度で私は対峙した。
木崎さんと津永さんは私の言葉を聞いて、手で口を押さえ息を飲んだ。そして二人は心配そうに美咲の様子をうかがい、次にヘンパイの顔を見た。ヘンパイは余裕を持った表情を崩さぬまま書棚に歩いて行くと、一冊の本を取り出した。
「これを読んでみると良い。」とその本を私に手渡す。表紙には『コソ泥奇譚』と書かれている。著者はジャック・リュネ。
「これはもう読みました。」と私は言った。そして、半分まではね、と心の中で付け足した。読み始めてすぐにめくるめく詩情とマゾヒズムに圧倒されたが、いくらページをめくっても終わらない。文章を目で追うごとに著者が織りなす諧謔の妙に立ち止まってしまい、読み飛ばすこともできずにいつしか本は机の端に追いやられてしまった。
「君こそ、この部にふさわしい。」とヘンパイは言った。
「何をおっしゃっているのか分かりません。」
「そのままの意味さ!君はここに来るべくして来たんだ。運命だよ!」と目をキラキラさせて私の手を握る。私たちを黙って見ていた文芸部員たちも、ヘンパイの声に同調するようにうなずいている。
はああ?という声を出したかどうかは覚えていない。高尚な文学などといっても、この女ただの腐女子なのではないか。BLと同性愛をテーマにした文学は違うと思う…レズビアンがゲイの手記に共感するというのは分からないでもないけれど。
ヘンパイの手を振りほどいて私はこぶしで額を支えた。
明らかに何かがおかしい。自分自身が置かれている状況に混乱していた。美咲の方を向くと、美咲は感動的な映画を観ているかのように涙をハンカチでぬぐいつつ、鼻をぐずりながらこちらを見ている。
いや、違うから!
運命って言葉にだまされちゃダメだから!!
木崎さんと津永さんはといえば、半泣きになっている私を見て、肩を寄せ合いよかった、よかったね、と話しているではないか。完全に勘違いされている…。
「まあ考えておきたまえ。」と言ってヘンパイは颯爽と部室を出た。
そのあとなんだかんだとうやむやになり、茶道部に行くこともなく私たちの部活見学は終了となった。
何も釈然としない。
ただぼんやりと食事をとり、美咲とのキスを思い出していた。その感触と匂い、甘さ。人生で初めてのキスの相手が美咲だなんて信じられない。
ようやく自我を取り戻し、なぜ美咲を裸にしたのか、という問いを誤魔化されていたことに気付いたのはシャワーを浴びていたときだった。
「感情のおもむくままに行動したまでさ!」と頭の中でヘンパイは答えた。
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