第2話 略して
西暦2056年。地球温暖化による異常気象と幾度の宇宙人との星間戦争をへて、人類は再び平和を取り戻した。地球と惑星k-266、通称ガルブレイスとの間に交わされた講和条約により、両陣営が持つ各分野の技術が荒廃したそれぞれの惑星に投入された。科学技術の有効利用により、地球は奇跡的な復興を遂げ、さらなる技術革新により生物、とりわけ人間の生体機能の拡張が一般化し、人類は飛躍的な進化を果たした。
このような背景により、私たちバイオロイドは誕生したのである。私たちは聖地においてきわめて因習的な幼少期を過ごしたのち、北海道に位置するこの私立聖桜付属高等学校で芸術や科学技術を学び…。
「メイちゃん、何か考え事してるの?」と美咲は私に呼びかけた。ずっと箸の先を見つめながらSFチックな妄想をしていたのが恥ずかしくなって、あわててお茶を口に運んでむせかえった。
美咲と机を突き合わせて昼食をとっていた私は、ハンカチで口を押さえながら、窓からまだ雪の残る遠くの山を見た。
美咲が箸で小さくとったご飯をゆっくりとほおばる。明るい茶色の長い髪は緩やかにウェーブがかかり、頭の後ろで編み込まれている。アーモンド形の目にわずかにアイラインが引かれ、整った小さな顔は凛としてそれでいて頬が柔らかそうで、いかにもおしとやかなお嬢様といった感じである。濃紺のブレザーが良く映えていた。二,三日前に素っ裸で街を駆け抜けた娘にはとても思えない。事情を知らない誰かに見られていたら、音速の変態とされ通報を免れることはなかったろう。人通りの少ない時間帯で本当に良かった。
「メイちゃんはどの部活に入る?」食事を終えた美咲は弁当箱を片付けると、机からいろいろな部活のプリントを取り出した。
「私は帰宅部だよ。」
「美術部じゃないんだ?」
「美術はもういい…。」雑誌に載っているような作品をマネしたような人間が褒められて、誰にもないものを求める人間が認められない世界なんてどうでもいい。
美咲は私の心象を読み取るかのように「私はメイちゃんの絵、好きだよ。」と伏し目がちに微笑んだ。
私は自分の耳が熱くなるのを感じた。美咲は正しく私の理解者なのだ。絵を描いていた頃、作品がどうこうというよりも、ただ単に承認欲求に飢えているだけなのでは?と私は絶えず自問していた。理解されたいと願ったり、理解されないと悩んだりするのはなんだか恥ずかしい。それを見透かされるのはもっと恥ずかしいけれど。
「美咲は部活決めたの?」新生活に期待を膨らませている親友を目の前にして、帰宅部を勧めるほど私は野暮ではなかった。
「せっかく聖桜に入ったんだから音楽系に入りたいんだけど、ついていけないんじゃないかなって。茶道部がいいかな。あと文芸部とか。」
「あんなにひどい目にあったのに?」
「なんでああなったのか分からないよね。」と美咲は首をかしげて不思議そうな顔で言う。
いや、たぶんその先輩が変質者だからだと思うが…。
もう5限目が近いので、美咲にまた放課後、と言って席を立った。机と椅子を貸してくれた子にお礼を言って、自分のクラスに戻った。
授業が全部終わって美咲と待ち合わせ、美咲と私、そして美咲のクラスメイトたちとで部活見学に行った。吹奏楽部、合唱部、軽音楽部、ジャズ研究会、クラシック研究部、そして邦楽と古楽の同好会。音楽の部活だけでこれだけある。
やはりというべきか、どれも圧倒的にレベルが高い。みんな音楽をやりたくてこの学校を目指したのだろう。しかし新入生の見学中にあんまり技術の高さを見せつけるのもどうかと思った。ジャズ研に至ってはサックス奏者が目を血走らせながら左手で持ったトランペットを同時に吹き出して、美咲は怖気づいて教室に入る事すらできなかった。
「やっぱり、普通科の生徒は入っちゃいけないのかなあ。」と木崎葵と名乗った美咲のクラスメイトは言った。まあもっともな感想である。
「茶道部に行ってみる?」と同じく美咲のクラスメイトである津永エリが美咲に問いかけた。
「そうだね。でも文芸部の部室が近いから寄ってみようよ。」
「やっぱり行くの?」と私。
「一応、一応ね。木崎さんが入部しようか迷ってるんだって。」
このあいだ美咲と一緒に見学に行ったのは木崎さんだったのか。止めたほうがいいのでは?と美咲に言ったら、みんなで行けば大丈夫だよと諭された。
いいだろう、私も美咲を襲った変質者の先輩が見たくなってきた。一体どんなヤツが私の可愛い美咲に手をかけたのか。意を決して私たちは文芸部を目指した。
文芸部の部室は図書館に併設されている資料室の隣にあった。
失礼します見学に来ました、と私たちは小声であいさつした。どうぞ、という声が聞こえたので中に入る。
部屋は思っていたより広い。中央に置かれた年代物のスチール製の事務机と椅子は建て替え前の備品の流用だろう。机の上にはパソコンが置かれている。新しい校舎なのにやけに埃っぽいのは、書棚をはみ出して床に積まれた古書のせいだろうか。部員が三名、それぞれに本を読んだりタブレットを操作したりしている。件のソファには誰もいない。
「美咲を襲った先輩は?」と私は小声で美咲に話しかけた。
「今日はいないみたい。」
やれやれ。美咲の言葉を聞いて、こわばった肩から力が抜けるのを感じた。
私は書棚に並ぶ本に目を向けた。クロード・ギベール、ダレン・シェーンバーグ、ビル・バロー、ジャック・リュネ…同性愛者の作家の本ばっかりだ。ローランド・ヒッグスやスージー・ダビッドソンの評論もある。
待てよ。
もしや…。
文ゲイ部なんてダジャレではないだろうな…?
そのとき、僕に会いに来たのかい?子猫ちゃん!と背後から芝居がかった声が聞こえた。振り向くと、腕を組んだ女性がドアにもたれかかっていた。
身長は170センチを超えているのではなかろうか。私も背は高い方だが、相手の顔を見上げる感じになる。巻き毛のボブカットを片耳にかけ、化粧慣れした作り物のような顔立ちに目元のほくろがアクセントになっている。緑がかった吸い込まれそうなほどの深い瞳から視線をそらそうとすると、細身のからだのわりに形の良い彼女の胸がいやでも目に入った。
美咲の顔を見て、コイツか?と目で問うと、美咲はこくりとうなずいた。
「今日はお友達を連れてきてくれたんだね子猫ちゃん!皆さん、文芸部にようこそ!」と変質者の先輩、略してヘンパイは両手を広げて歓迎のムードを醸し出した。
なんなんだこの人…。
絡みづらいにも程があるが、目の前にいるコイツは美咲の貞操を狙った憎き変質者である。私ですらおっぱいくらいしか揉んだコトないのに…!!
「何しに来たんだこのヤロウ!」と私は思わず口走った。訪ねてきたのはこちらの方だが、何せ目の前にいるコイツは(以下略)。
「おやおや、喧嘩腰は止めたまえ。ここは高尚な文学を学ぶためのサンクチュアリなんだから。」と言いながらヘンパイはつかつかと美咲に歩み寄り、両手で包み込むように美咲の顔に触れて、おのれの口を近づけた。
それを見た私は何事かを叫んだのだろう。言い知れぬ嫉妬心がからだの中をかけめぐり、私の自制心を失わせた。私は美咲の腕をつかんでヘンパイから引き剥がす。そして美咲の小さな肩を抱き寄せ、本能的に自分の唇を美咲のそれに合わせた。
部室にいた人々から、ああっという声が口々に上がる。視線が私たちに集中しているが、もう止めることはできない。ヘンパイは肩を縮ませて再び腕を組むと、口笛を吹いて微笑んだ。
なすがままになって目を閉じる美咲と、顔を赤らめ茫然とする周囲をよそに、私はため息をつきつつ、とろけるような感触を味わった。
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