第23話

 遥が作った料理は本格的でまさにお店の味である。料理好きの魂に火がついたのか、美咲は食材や調味料について遥に色々と質問している。遥は自慢するでもなくキッチンの棚から料理の本を持ってきて美咲に見せた。


 私はヘンパイにプレゼントを渡した。ヘンパイは包みを開けると顔をほころばせ「ありがとう。大切に使わせてもらうよ。」と言った。美咲は黒地に金字のロゴが書かれた小さな紙箱をヘンパイに手渡す。ヘンパイが箱を開けると中に入っていたのはピアスだった。

「これは君と僕の仲を暗示しているのかい?つまり、僕たちふたりを貫く運命の…。」ヘンパイが言い終わるのを待たず、私は「違います。」と即答した。

「僕は得能さんに訊いているんだが。」

「違います。」とまた私は答えた。私は極めて真剣だったが、私たちのやりとりを見て美咲も遥もクスクスと笑っていた。

 食事の後はみんなでさっさと片づけを済ませてトランプを始めた。私がルールを知っているのはババ抜きぐらいだったので、ゲームが大富豪に替わるとヘンパイと雑談をした。


 四時頃にチャイムの音が聞こえ、遥が玄関の扉を開けに行くとそこにはスーツを着た男性がいた。遥は「お久しぶりです、沢城さん。」と言って男性をリビングへと案内する。


 ヘンパイは「こちらがお付き合いさせていただいてる沢城さん。僕の編集者でもある。」と男性を紹介した。沢城さんはどうも、と私たちに頭を下げる。年齢は二十代後半といったところか。中肉中背で平凡な顔立ち、短い髪をジェルか何かで立たせている。申し訳ないが仕事が出来そうなビジネスマンには見えない。しかし、ヘンパイの話では沢城さんは博識だし指摘が的確で、送ってくれる資料がなければ書く事が出来ない小説もあったという。沢城さんはヘンパイと目を合わせ「凛はまだまだこれからだからと思って、手を尽くしてサポートしていたんだ」と言った。ヘンパイはそこに惚れてしまったのだ。やはり年齢が十歳も離れているようだが、むしろヘンパイにはちょうど良かったのかもしれない。

 沢城さんはヘンパイに付き添われてキッチンへと向かった。テーブルに着くとバケットをほおばりスープで流し込む。お世辞にも行儀が良いとは言えない振る舞いである。ヘンパイは頬を赤らめて沢城さんの隣にじっと座っている。窓から入る西日に横顔を照らされ、かすかに口を開けて沢城さんの手元を見つめるヘンパイは、なんだかとても綺麗だった。

 沢城さんがチキンソテーをナイフで切っているところでケータイが鳴り、電話に出ると力なく返事をしながら胸ポケットから手帳を取り出しメモを取る。電話を切ると、沢城さんは「明日、増刊号の会議に出ろって。」と悲しそうにヘンパイに言った。朝一なので今から帰らないと間に合わないらしい。「凛の誕生日のためにせっかく東京から来たのに…。」と肩を落とした。

 ヘンパイはグラスにジュースを注いで沢城さんに手渡すと「仕方がないよ。お仕事、頑張って来て下さいね。」と言った。沢城さんはジュースを飲んで一息つくと、重い足取りでヘンパイと腕を組んで玄関へと歩く。「沢城さん、これ持って行って下さい。」と遥がから揚げとチーズケーキを手早くランチボックスに入れて沢城さんに渡した。沢城さんは言葉少なに礼を言うと、ヘンパイと遥に見送られて車で草原の果てへと去って行った。


 リビングへ戻ったヘンパイに「忙しい人なんですね。」と私は言った。

「うん。なかなか会えなくてね…。」と呟くと、ヘンパイは深く息を吐く。

「遅くなったし、私たちも帰ろうか。」と私は美咲の方を見た。美咲は遥に負け続けていて、それでも何度も戦いを挑んでいる。私の声も届いていない。むしろ困っているのは遥の方だった。

 私は美咲の一番弱いところ…肩甲骨のあいだ…を人差し指でなぞった。美咲は小さく悲鳴を上げて振り向くが、今にも泣きそうなのは私が背中を触ったせいではないようだ。

 もう一度、帰ろうよ、と美咲に声を掛けると、遥は安堵したように仰向けになって手足を投げ出した。そして間もなく遥は起き上がり、じゃあ送っていくね、と車のキーをチャリンと鳴らした。

 遥にちゃんとした靴を履いてもらって、私たちは宮本家を出た。ヘンパイはちょっと名残り惜しそうに私たちを見送った。


 「木崎さんと須永さんは来なかったんだね。」と美咲は運転席の遥に尋ねた。そういえば、他の部員も来ていなかった。

 遥はバックミラーで私たちを見て「呼んでないんだ。お姉ちゃん、本当はこういう行事に他人を入れるのはあんまり好きじゃないの。だから、そういう事なんだよ。」と言った。

 来たときに見た門に車が到着すると、遥は私たちの方を向いて「私が送れるのはここまでなの。」と言った。

「うん、大丈夫。今日はありがとう。」

「遥ちゃんごちそうさまでした。」

「またいつでも来て。美咲、今度一緒に料理を作ろうね。」と言って、遥は車を降りた私たちに手を振った。


 私たちは遥に手を振り返しながら最寄りのバス停へ向かった。

道すがら自然とヘンパイの恋愛について美咲と語り合ったが、沢城さんに対して優しそうで素敵な人、という印象を持った美咲と違い、私が持った彼のイメージはがさつで地味な仕事が好きな地味な人、だった。しかし、会うためだけに東京と札幌を行ったり来たりするなんて私にはまだ想像できないわけで、海を隔てたヘンパイと沢城さんの信頼関係など所詮私の理解を超えているのだ。沢城さんのとなりにいる時のヘンパイは緊張しているようで、それでいて優雅で、普段とは違う自信が溢れていた。あんなヘンパイは初めて見た。

 願わくば私と美咲もそんな素敵なカップルになりたいと思う。

「離れて暮らしていても、メイちゃんは私の誕生日に来てくれる?」と美咲が訊く。

「もちろん。」と言ったのは、そう答える事が求められている気がしたからで、本音は自分でも分からない。それに、ヘンパイと沢城さんの関係について話していて感じたのは、美咲はやはり女は男と付き合ってこそ本物の恋愛だと思っているのではないかという事だ。不安に駆られながら、それでも美咲から離れられずにいる自分は何なのだろう。美咲は私の手を握ってまっすぐに歩き続ける。私は身を任せる事しか出来なかった。

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