第21話
日本人が書いているなら読めるだろう、と完全になめてかかっていた。何の話かと言えばカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』である。文法はそれほど難しくはないのだが語彙がとにかく込み入っていて、なんでこんなところに前置詞があるのかと首をかしげていたら句動詞だったという事が頻繁にある。これは英文を読みなれていなければ厳しいと思った。
美咲がヘンパイから借りて読んだ洋書について熱っぽく語るので自分も挑戦しようと思ったのだが。ヘンパイはなんでいきなりこんな本を貸してくれたのだろうと不思議だったが、図書館で借りた邦訳のあらすじを読んで納得した。主人公がどうやらクローンらしいのである。私がバイオロイドなんて話をしていたのを覚えていたらしい。
小説を中盤まで読み進めたところで、偶然見たテレビ番組でイシグロは日本語が話せない完全なネイティブ・スピーカーだと知って唖然とした。おとなしく『ブタのブーさん』を借りておけば良かったと後悔したけれど、もう後には引き返せない。
しかし邦訳と並行して読み進めて感じたのは、むしろ翻訳そのものの難しさだった。難しいというと語弊があるのかもしれないが、私が覚えた印象は、その問題は、主人公の独白という形式のこの物語が、単なる丁寧口調にしかなっていない事である。
先にも書いた通り、小説の主人公はおそらくクローンであり、長じてその世話役となった女性である。そしてこの物語が主人公の口から語られている設定であるのも既に書いた通りだ。つまり、主人公の口調が句動詞の使用などで柔らかく、あるいは丁重に書かれているのは、読者が普通の人間だという前提があるからではないか。クローンである語り手と人間である読者の間には明確な立場の差がある。だとすれば、丁寧な言葉遣いは時に皮肉に響く。冒頭に誇らしげにキャリアを語るのも搾取される側の矜持を表しているのかもしれなかった。主人公の幼少期の子供たちがお互いの距離を確かめるように直截的に、ときに辛辣に言葉を交わすのに比べて、大人への言葉遣いはやはり礼儀正しい。
原文だと主人公の語りの質によって登場人物の癇癪を起こす子供がいかにも浮いた存在という感じがするし、平易な邦訳で読んでも交換会というものが子供たちにとってどう特別なのかいまひとつ分からなかったけれど、英語では、大人になってみれば手にするものが取るに足らない、しかし一生懸命に作ったものが取引されているという事が分かっているだけに、より子供たちにとっては交換会が大切なものを見つける場所だという事が痛烈に感じられた。起伏のない邦訳はむしろ芝居がかって舞台設定の詰めの甘さが目立つのである。図らずも原著の粗を浮き立たせてしまっているようだった。
英語話者がこの本を読んでどのような感想を持つのかは分からないが、作者はこの文体ありきで小説を書いているようにも思われる。英国に住むアジア人の視点から、イギリスの階級社会を表しているのかもしれない。
ヘンパイが私にこの本を貸した理由が分かった気がする。「自分の言葉で語る」という事についてこれほど考えさせられたことはなかった。クローンの話だから、というだけではなく、書く事そのものについて教えてくれているようだった。
部室で私がそんな感想を述べると「順調に読み進めているようだね。」とヘンパイは言った。
「まあなんとか。でも賞を獲るような小説家の作品を読んで私の参考にできるとも思えないです。」
「身につくものは身につくし、そうでないものはそうではない。僕だって作品をものして評価されることは滅多にないんだ。とにかく読んで書いて学んでいくしかないよ。」
「そういえばヘンパイはどんなBLを書いてるんですか?」
「なんでBLだと決めつけるかな…。僕が書いているのは高尚な文学だよ。」
そう言うとヘンパイはソファから離れて書棚から雑誌を数冊取り出し、机の上に置いた。それは有名な文学賞の受賞作が掲載された文芸誌だった。
「もちろんその賞はまだ獲ってないよ。今は短編しか発表していないんだけど。大学に入ったら長編を書きたいと思っている。」
「もうデビューしてたんですか?すごいですね。」私はそう言って一冊の雑誌を開いた。宮本凛の名を探してページをめくり、しばしヘンパイの小説に没頭した。
作品は北海道を舞台にした五人家族の物語で、末娘の初恋を主軸として小気味良いテンポで書かれている。ヘンパイの普段の放埓な生活とは相いれない聡明な作品である。
よく考えてみれば、ヘンパイの嗜好が海外の純文学なのだから、作品を書くとなればこういう雑誌になるのかもしれなかった。もちろんこのような雑誌に掲載される小説のすべてが素晴らしいものではないのだろう。はっきり言って、なかにはどうでもいいものもある。しかし、ヘンパイの小説が高尚な文学かというとよく分からない。というより家族劇が高尚だという感覚が私にはなかった。あるいは「高尚な文学」という言葉はヘンパイの自分の作品に対する冗談、あるいは、ある種の諦めかもしれなかった。
書棚に収められている文芸部や北海道有志が発行する同人誌の私小説はとても美しいのだけれど、平均的でどれも同じに思えてしまう。日々の出来事を書き連ねて作品にするのは職人芸と言っていい。しかし、それをいかにもいわくありげに文学的に表現するのはあまりにも既存の価値観に阿っているようにも感じる。まだ何も書いていない私が言う台詞ではないけれど、一方で、私が何がしかの作品を書いた人間ならばこんな事を言えないのかもしれない。当たり前かも知れないが、現実世界を舞台にするにせよ、人の心に突き刺さる物語とするにはやはり虚構への転換が必要なのだ。
ヘンパイは私が雑誌を読んでいるあいだ、書棚から引き出した本を、何かを確かめるように読んでいた。
「ちなみに木崎さんはミステリ、津永さんはファンタジーを書いているよ。ふたりとも、夏休み中には書き上げると思う。」ヘンパイは窓辺に肘をついて外を眺める。
「え。そうなんですか?」ヘンパイの指導のおかげなのだろうか。
「むしろ気がかりなのは君と得能さんの作品だ。正直、他の子たちは原稿が間に合わなくても困る人はいないんだよ。でも君たちは違うだろ。」
「夏休み中も、部室に来て書いていいでしょうか。」
「もちろん。鍵は職員室にあるから先生に声をかけてくれれば貸してもらえるよ。」
じゃあ僕はこれで、と言ってヘンパイは帰宅した。
私はパソコンの前に座って、小説の核となるであろうキーワードを思いつくまま並べていった。
恋人
進化心理学
別離
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死…。
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