第20話

「『普通』っていうのは相対的あるいは恣意的に中庸な事だよ。例えばアメリカの人種別人口比はだいたい白人が60%、黒人が…。」


「そんな大それたことじゃなくて、私と明理にとっての『普通』って何?」


「だから、こう…。」私はまた両手で幾何学的に説明しようとした。


「相対的あるいは恣意的に中庸なのが『普通』なら、私は明理にご奉仕したい。それを私の『普通』にしたい。」


「そんなのは普通じゃない。いや、変態にとっては普通かもしれないけれど、遥は…。」


「私、変態なの。いつも明理に呼び捨てにされるたびゾクゾクしてるの。」


「じゃあ、宮本さんはさ…。」


「そうやって明理がたまに突き放してくれるのも好き。」


 もう頭がパンクしそうだ。

遥の話は完全に私の知力の限界を超えている。いつもクールな遥はどこへ行ったのだ?あれは世間の目を欺くための仮面だったのだろうか。そしてこれが遥のもう一つの顔…いや本性なのか。どちらも表でも裏でもないのかもしれないが。

 私はどうすればいいのだろう?


「あの、とりあえずお店を出ようか。それでちょっと頭を冷やそうよ。」


「どこまでもついて行きます。ご主人様。」遥は冗談めかしてそう言って、でも潤んだ瞳はじっとりとこちらを見ていた。


 ふたりきりになるのは得策でないような気がしたので、その後は、なるべく人通りの多い場所を選んでデパートで服なんかを見て歩いた。チラチラと遥の様子をうかがうと、遥はときおり私と目が合って、恥ずかしそうにはにかんで私の手を取り指を絡ませる。なんとも愛らしいと思った。これはまさに『デート』ではないか。


 もちろん遥ほどの美人から私の事が好きと言われれば舞い上がってしまうし、こういう関係なら悪くないかなと思わないでもないのだが、遥が恋人ではなくとも私のそばにいたいと願い、あるいは肉体的にはそれ以上の関係を望んでいるのは信じられなかった。


 ありさも同じ気持ちなんだよね、と遥は言う。つまり西井さんも遥のように、私を主人に仕立てるつもりなのだろうか。遥と西井さんのメイド姿が自然と頭に浮かんだ。確かに、二人に囲まれて学校生活を送るのは魅力的だが、私には可愛くて嫉妬深い美咲がいる。


「そういえば、さ来週お姉ちゃんの誕生日なんだけど家に来る?」

「ヘンパイにはお世話になっているし、私も行っていいならお伺いしようかな。美咲と。」と私が言うと、遥ははじけるような笑顔で「嬉しい!私が腕によりをかけて料理を作るよ!」と喜んでくれた。

 もしかするとヘンパイの彼氏も来るんだろうか。だとしたらちょっと楽しみだな。不純なしもべに囲まれているヘンパイが鞠躬如とする相手とは一体どんな人なのだろう。


「プレゼントを用意しないとね。遥はペンを買ったんだっけ?」

「うん。」

「私も文房具がいいかな。」

「じゃあ私がいいお店知ってるからついて来て!」と私の手首を掴んで遥が走り出した。普段の調子を取り戻したようでほっとした。夏のさなかに街を駆け回るのも体力を消耗するものだが、途中で出くわすカフェには目もくれず遥はスタスタと速足で歩き続けた。


「着いたよ。」と遥に言われて私たちは立ち止まった。が、あたりを見渡しても鉄骨のアパートと古びた印刷屋さん、そしてラブホテルがあるだけだ…ん、ラブホテル?


「休憩…しよ?」私の服の袖をつまんで遥が言った。私が振り向くと遥は恥ずかしそうにうつむいて目を逸らす。そして「女の子に恥をかかせるなんて最低なんだよ…?」と声を震わせる。

「私も、一応オンナなんだけど…。」

「あの印刷屋さん、革張りのノート売ってるんだよね。色々オーダーもできるよ。」

「あ、そうなんだ。」

「だから、ちょっとこっちで休憩を…。」

「しません。」だからって何だよ、もう。

「なんでダメなの?私が初めてじゃないから?」

「そんな話、今までしたことないでしょ。そんな妙なコダワリないよ。美咲だってたぶん違うし。」

「え、もしかして、明理は経験ないの?」遥の目が怪しく光った。「美咲とも一度もないの?」

 ちょっと痛いところを突かれて、私は「何だよ…。」とふくれた。

「そうなんだ。ふふ、じゃあ私が帝王学を教えてあげる。そして私たちの最高のご主人様に…。」

「だからならないって!」

 そのとき、遥はいきなり黙ったかと思うと今度は腕を組んで「明理はさ、ここまで来たんだから覚悟を決めるべきだと思うんだ。」と、大きな態度で私を諭そうとする。

 もう遥の事は放っておいて私は印刷屋さんに入って行った。ちょっと待ってよ、と遥が後ろから追って来る。

 屋内はいかにも町工場といった風情だが、木の丸い天板のテーブルの上には綺麗なデザインのノートが並べられている。入り口近くにレジを守る従業員の女性が座っていた。この部屋の奥にあるドアの向こうには事務所と印刷機があるのだろう。ノートを一冊手に取ってみると厚みのある表紙に触り心地の良い紙がしっかりと閉じられている。普段使っているものとは全く別物だった。罫線もインクが盛り上がっていて、つややかで美しい。これは自分用にも欲しくなる。小説のメモにでも使えば一流作家のような気分になれるだろう。


「どう、すごいでしょ。」と遥は得意げだ。

「普段使うのとは全然違うね。」

「でもページも多いから、その分ちょっと高いけどね。八百円くらい。」

「革張りっていうのはどれ?」と訊くと、遥はあれ、と言って壁の棚に立てかけてある数冊のノートを指さした。ああ、これも色味が上品で良いですね…!

「オプションでお好みの文字が押されたメタルプレートもつけられるんですよ。」と遥は営業の人のような口調になる。

 メタルプレートは格好いいけれど、自分の名前なんか彫ってあったりしたら、もらう側としては微妙かもしれない。かと言って何を彫ってもらえばいいのだろう。格言とか?


 革張りは魅力的だったが、やはり通常版のノートをプレゼント用と自分用に買った。レジの従業員さんが丁寧にクラフト紙の紙袋に入れてくれた。

 遥は心なしか嬉しそうに「気に入ってもらえて良かったよ。」と言った。


「いいお店を教えてくれてありがとう。」と私は遥に微笑んだ。

「借りは返してもらうからね。」と遥はウインクで応じる。私はちょっと困りながら「今度、ジュースでもおごるよ。」と言ったら、遥は「私、明理に虐げられたい。」と私を抱きしめて胸に顔をうずめた。


 ゴメン、そういうのはちょっと無理です。

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