第19話
土曜日、午前9時。遥はすでに待ち合わせ場所のデパート前に来ていた。
白のカットソー、黒のインナー、ジーンズの短パン、そしてスニーカー。肩には小さなリュックをかけている。いつもの遥らしい格好である。
「ゴメン待った?」
「ううん全然。」と笑いながら遥は答える。これもいつもと同じだ。
どこで遊ぼうか、と学校で話し合ったら、明理が行きたいところにしよう、と言われたので映画を観る事にした。夏だからホラーが良いかなと思ったのだけれど、遥は文芸作品が視たいというので狸小路のミニシアターへ向かった。ラインナップはソビエト時代のSFと台湾の恋愛映画である。私が興味をひかれたのは圧倒的にソビエトのSFだったが、ここでも遥と意見が分かれた。
遥は「デートならこっちが良いな。」と台湾映画を指さす。『デート』とわざわざ言うあたりに込められた意味を感じずにおれない。台湾映画は監督が『ORZガール』と同じなので面白いだろうとは思うが、よく分からないあらすじ、明らかにチープな特撮、そして客を呼ぶ気のなさそうな地味なキャスティング、と16ミリフィルム画質のソビエトSFのポスターはすでに私の心を鷲掴みにしていた。しかし今日は遥とのデートなのである。私にとってソビエトSFとは、面白いかどうかという以前にひとりでこっそり観るものなのだ。
よく考えたら、美咲とはまともにデートなんてしていない。みんなで集まるか、ふたりで勉強するかの二択である。それでも絆を感じる事ができるのは、やはり相手が他の誰でもなく美咲だからなのだと思う。それが私にとっての恋愛のかたちなのだろう。
ソビエトに後ろ髪ひかれる思いだったけれど、私たちは台湾映画の劇場に入った。
幻想的でちょっとシュールな映画の展開に心ならずも唸ったが、隣に座って私に手を重ねる遥が気になって仕方なかった。こういう作品にありがちなエッチなシーンでは遥は手を握ったまま私の肩にもたれ掛かって来た。心臓の鼓動まで伝わってくるようでとても緊張する。汗ばんだ互いの手がぬめり、絡み合う。遥の表情を見る事は出来ない。映画の登場人物に自分自身を投影しているのかもしれなかった。スクリーンの向こう側では、主人公たちがマフィアに追われる絶望的な局面で、女が男の無事を願い海に身を投げた。男は一丁の銃だけを持ってマフィアたちへ戦いを挑む。そして復讐を遂げた数年後、男の孤独を表す都会の喧騒のカットにモノローグが重なり、このまま終演かと思われたその刹那、彼女の存在を暗示する影が映し出される。暗転とスタッフロールが続くが、シネコンとは違って席を立つ不届きな観客はそこにはいなかった。
映画の余韻に浸りつつ、私たちは個人営業のハンバーガー屋でゴハンを食べた。併設のカフェへ行かなかったのは遥が涙を乾かしたかったからだと思う。私たちはテーブルをはさんで対面する形で席に着いた。
「好き。」と遥は突然、口を開いた。
「あ、うん…。」
「明理はもっと積極的なんだと思ってたよ。」
「そんな風に見えるかな。自分では淡泊な方だと思う。」
「いつも女の子のからだ見てるでしょ。」
「…その点に関しては何も言えません。」
「私がリードできればいいと思ったんだけど。でも、明理にとって私はやっぱり違うんだね。」と遥はちょっととげとげしく言った。
「そんな…。」何と声をかけたらいいのか分からない。
「明理と美咲を別れさせたいわけじゃないんだ。私は明理が好き。ただそれだけなの。」
「うん。」
「私たちみたいに話が合うの、珍しいと思うんだ。科学とかそういう話よくしてたじでしょ?頼ってくれてるのがなんとなく分かって嬉しかったしさ。」遥の声は徐々に小さくなっていった。「だから、何でもするからそばにいさせて欲しい…いさせて欲しいです。」
「うん?」だんだん話が見えなくなってきた。
「どんな命令にも従います。私のご主人様…。」
息を飲みながら、遥はそう言って小さなリュックの中から何か細長いものを取り出すと、テーブルの下から手渡してきた。私は持たされたものを引き寄せて腿の上で確認した。そこにあったのは、なんと犬の首輪だった。
うわ…。
「て、手錠の方が良かったかな?」と遥は頬を赤らめる。
そういう問題じゃねえ…!
「遥は自主性とか自尊心とか、そういうものがある人だと思ってたんだけど。」困惑を隠しきれず、叱責するように私は口走ってしまった。
「明理の事を考えただけでもうダメなの。私、明理にめちゃくちゃにされたい。」
遥は私の膝を引き寄せると、自分の腰を浮かせて股で挟んだ。
なにこれエロい。
いや、こんなところで欲望に負けている場合ではないのだ。色ボケしている親友を救うのも天に課せられた私の務めではないのか。しかし、冷静になれと遥に言ってどうにかなるわけではないのは分かりきっている。私はとりあえず話を合わせることにした。
「遥の気持ちは分かったよ。うん。大丈夫、何かあったら遥に頼むから!えーと、これからもよろしくね!」私は出来うる限りの笑顔を作って手を差し出し、遥に握手を促した。
「よろしくお願いします。催された際にはお手間を取らせないように致しますので。」と遥は恍惚の表情で私の指を口に含む。
ダメだった…!
どうしよう?いや、ちょっと待てよ。
遥はヘンパイに妙な事を吹き込まれたのではないか?そういえば、いつもメイドの格好をしている先輩がいるじゃないか。
「ねえ、もしかしてヘンパイに何か言われたの?そういう事しろって。」
「お姉ちゃんには相談してないよ。それに、お姉ちゃんは彼氏といるときは大体こんな感じだよ?」と私の指を咥えたままで遥は答える。まわりのお客さんに見られたくないので慌てて指を引っこ抜いた。
「え。」
「お姉ちゃんは全ての自意識を捨てて、恋人に『ご奉仕させて下さい』ってお願いするの。『完全に愛する人のモノになるのが至高の快楽であり僕の哲学だ』って。」
「それは分からなくもないというか、むしろとてもよく分かるのだけれど、親友の遥にそんな事して欲しくないんだよね。」
「そうなの?じゃあどうすれば…。」
「今まで通り、普通に。」私はジェスチャーを交えて可能な限り抽象的かつ的確に『普通』を表現した。
「普通…。」遥は口寂しそうに下唇をはんだ。
「そう、普通。」
「でも明理、『普通』って何?」
めんどくせえ…。
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