第28話:モテと非モテ(Lucky Star)

 エドナおばさんが経営しているアンティーク・ショップは、アップタウンの西側にあり、規模は小さいながらも、なかなか繁盛している。昔、ここで母が働いていたこともあり、小学生の頃は、よく足を運んだものだった。フランス革命時代の小物入れや、中国の纏足用の靴を眺めながら、外国の珍しい菓子とお茶でもてなされるのは、子供ながら悪い気分はしない。現在、おれが美術品に関わる仕事をしているのは、この頃の体験が大きく影響していると推測されるが、当時はそれらに価値を見いださず、もっぱらの目当ては漫画とゲーム。店の階上は叔母夫婦の住居で、従兄弟のビリー・ジョーは、マーベルのポスターだらけの部屋に住んでいた。おれより四つ下で、漫画の趣味が同じとあれば、仲良くならない理由はない。大人になってからは、めったに顔を会わせることはないが、昔は兄弟のような間柄だった。

 懐かしい記憶をたぐっているのは、久しぶりにエドナおばさんに会ったからだ。腰痛が悪化して手術をするというので、花を持って見舞いに行ったところ、叔母は自分のことよりも、ひとり息子のことを案じていた。

「うちのビリー・ジョーは、あんたと違ってしっかりしてないから。ひとりでちゃんとやっているか心配よ。よかったら連絡を取ってやってもらえないかしら?」

 叔母からの頼みだ。断わる理由はどこにもない。ビリー・ジョーのメールアドレスを教えてもらったが、せっかくなので会いに行ってみることにした。懐かしのアンティーク・ショップは昔とまるで替わらぬ佇まいで、タイムスリップしたかのような錯覚に捕われる。

 自動ではないドアを開くと、店の奥に男がひとり座っている。ヘッドホンをしていて、おれが来たことには気付いていないようだ。近くに行くと、ビクリと身体を振るわせ、「なんだ、おまえか」と言う。

「“なんだ”はないだろ。久しぶりに会った従兄弟に」

「会えて嬉しい。感動で泣きそうだ」ヘッドホンを外し、「再会の記念にそこのティアラを買わないか? 目玉商品で5万ドルだ」と押し売りをする。

「セールストークが下手だな。おまえが店を継いだら、三日でつぶれそうだ」

 おれの言葉にビリー・ジョーは短く笑い、「店を継ぐつもりはないけどな」と答えた。

 丸みをおびた顔と赤い髪。これはおれたちの母方の血だ。母と叔母は背が低く、ビリー・ジョーも同じく。母には悪いが、おれは親父に似ていてよかったと思う。叔母はおれに会うたび「身長が伸びた?」と聞くが、それはチビの息子を見慣れているからだろう。

「仕事を辞めたって聞いたけど?」

「お袋が腰を痛めて入院したからさ」

「それは知ってる。さっき見舞いに行ってきたところだ」

「元々、長く続ける職場でもなかったし、お袋はいずれ退院してくる。おれには古美術の知識はないし、就職までのアルバイトさ」

 叔母からビリー・ジョーの就職を世話してもらえないかとも頼まれたが、うちの会社が提示する条件は、彼の前職とまるでかぶってない。叔母は過保護で、この“就職までのアルバイト”にも、かなりいい時給を支払っていることだろう。

 ひとりっ子で、欲しがるものは何でも買い与えてもらっていたビリー・ジョー。おれの母親は妹の教育方針に、よく文句を言っていた。「あんなに甘やかしたら不良になるわ。もっとしっかり躾けなきゃ駄目」

 その言葉通り、じぶんの息子に対しては甘やかすことなく、厳しい躾を強いてきたように思う。だからこそおれはビリー・ジョーの部屋に入り浸り、“甘やかし”のおこぼれを与ることを好んだわけだ。

 運良くビリー・ジョーは不良にはならなかったが、叔母によると彼はメンタルが弱いとのことで、就職活動も遅々としているらしい。しかしビリー・ジョーは積極的に働かなくとも、親が何とかしてくれる環境にあるのだから、当然と言えば当然だ。

「何か希望の職種はあるのか?」

「特には」と、ビリー・ジョー。紅茶をテーブルに置き「砂糖は?」と訊く。「ひとつ」と頼むと、薔薇の形をした砂糖が出て来た。ティーカップはアンティークのシノワズリ。対して、彼はさっきまでパソコンで『ファミリー・ガイ』の動画を見ていて、シャツの襟はくたびれている。どう考えても、この店はこいつの就職先じゃない。

「好きなことを仕事にするのが一番だけどな。趣味とかないのか?」

「ときどき鳥を見に山に行ったりするよ。さえずる様子を写真や動画に納めたり」

「へえ、いいじゃないか。かわいい女の子とバードウォッチング。ワインとテントを持って行けば最高だ」

 するとビリー・ジョーは鼻で笑い、「“ただしイケメンに限る”だろ」と卑屈に言った。

「おまえ、ガールフレンドは?」

「いるわけない」

「最後に付き合ったのは?」

「いないよ」

「それってどういう意味だ?」

「意味なんかない。そのままだ」

 おれが考え込むと、ビリー・ジョーは衝撃的なことを口にした。

「おれは今まで誰とも付き合ったことがないんだ」

「誰とも?」

「誰ともだ」

「まさか……そんなことがあり得るのか?」

「おい! 失礼だろ!」

「ああ、ごめん。悪気はないんだ。ただ、あんまり……びっくりして」

 ビリー・ジョーはため息をつき、「おまえにおれの境遇が理解できないのも無理はないな」と言った。「おまえは見た目がいいし、仕事も充実してる。服はブランドもので、腕時計はロレックス。男の恋人がいるくせに、女にもモテるんだ。他人を羨んだことなんてないだろ?」

「おれだって、人を羨んだことぐらいあるさ」

「そうなのか」

「まあ、ここ数年はそんな気持ちになったことはないが」

 ビリー・ジョーは無言で席を立った。

「わかった、悪かったよ。冗談だ。拗ねるな」引き止め、再び座らせ、「おれだっておまえのことが羨ましかった時期もあるんだぜ?」と、おれは言った。「子供の頃、おまえはいつも流行のおもちゃを持ってて、その他にもおれが持ってないものを持ってた。優しい父親と、優しい母親だ」

「母親はいるだろ」

「“優しい”って言ったろ? 聞き逃したのか?」

「じゃあ今は立場が逆転したわけだ」

「逆転なんかしてない。おまえは今だって恵まれてる。おまえのことを誰よりも愛してる両親がいて、頭の上に屋根があって、素敵な彼女と、やりがいのある仕事を持つ可能性に恵まれてるんだ」

「子供の頃は確かに恵まれてると思ってたよ。それでも、おまえに差をつけられている部分があることは知ってた。女の子のことに関しては」

「女の子?」

「そうだ。女の子の同級生をおまえに会わせると、彼女たち、皆がこう言った。『うそぉ? ビリーの従兄弟なのぉ?』。それで一緒に遊ぶと、みんなおまえのことを好きになる。おれがいいと思った子、全員がだ。それってどんな気持ちかわかるか?」

「それは……知らなかったよ。悪かった」

「まったく気づいてなかったってのか? 女の子を交えて遊んだあと、おれは決まって不機嫌になってた。その理由に思い至らなかったと?」

「大好きな従兄弟を女に取られて、ヤキモチ焼いてるもんだとばかり」

「おまえ、どこまで自意識過剰なんだ!?」

「仕方ないだろ! おれはそういう境遇に育ってきたんだ!」

「そらみろ。だから言ってるんだ。おまえにはおれの境遇が理解できないって。挫折を体験したことのないおまえに何がわかるもんか」

「おれだって挫折くらい味わってる。画家になりたかったんだ」

「売れない画家よりも、今の企業に務めてる方が勝ちだろ。おまえ、相当もらってるだろうから」

 なんたる言い草。いつからこいつはこんなに根性が捻じ曲がったんだ? 

 おれたちが睨み合っていると「取り込み中なら出直すけど……」と、か細い声が割って入った。若い女性で、髪をポニーテールにし、ジーンズにベージュのポロシャツを身につけている。この店の客層と違うことは一目見てわかった。

 ビリー・ジョーは立ち上がり、「いつ来たのか……気がつかなくて……」と言いよどむ。

 女性は「いいの。チラシを渡すのに、ちょっと寄っただけだから」と、おれとビリー・ジョーを交互に見た。

「ああ、紹介するよ。彼はディーン。同じベッドで寝たことがある仲で……」

「一緒に寝たのは子供の頃の話だろ」

「ジョークだ。オチを言う前にさえぎるな」不機嫌にビリー・ジョー。「せっかくスターを笑わせてやろうと思ったのに」

「スター?」

 ビリー・ジョーはおれを無視し、「チラシって?」と彼女に訊いた。

「次回の鑑賞会の日程が決まったのはメールで知らせたわよね? このチラシを見て。マイクが頑張って作ったの。素敵でしょ」

 ビリー・ジョーはしげしげとチラシを見つめ、「このアメリカウズラシギ、前回きみが撮ったやつだ」と言う。

「ええ、そう。よくわかったわね?」

「そりゃわかるさ。これはベストショットだよ。なかなか撮れるもんじゃない」

 二人はおれの存在など目に入らないかのように鳥の話をし、おれは手持ち無沙汰に、アンティークのカップを眺めている。えーと、これは江戸中期の古伊万里……日本のヌードル、“蕎麦”を入れるための器である、か……こんな小さなカップにどうやって蕎麦を入れるんだろう。

「それじゃあ、また。ディーン、邪魔してごめんなさいね」

 名前を呼ばれ、蕎麦から意識が離れた。

「いや、邪魔なんてとんでもない。またいつか……ええと……」

「スターよ」

「そうだった、スター。ビリー・ジョーはひとりぼっちで寂しがってるから、またいつでも遊びに来てやってくれ」

 彼女が出て行くと、ビリー・ジョーは「誰が寂しがってるって?」と、おれを小突いた。「余計なことを彼女に言うな」

「まったく、おまえの言うことを真に受けるんじゃなかったよ」

「何がだ?」

「いるんじゃないか。かわいいガールフレンドが」

「スターはガールフレンドじゃない。大学の頃の後輩で、今はバードウォッチング仲間だ」

「付き合ってないのか」

「ない」

「付き合えばいいのに」

「あのな」ビリー・ジョーは片手で頭をかき、「そう簡単に物事が運ぶと思うなよ」と、厳しく言った。

「女にとってルックスというのは極めて重要なことなんだ。おれがおまえとおんなじことをやっても、決して評価されることはない。“ただしイケメンに限る”。それがすべてさ」

「おまえをルックスで判断しない女の子もいるだろ」おれはマイクとやらが作ったチラシをビリー・ジョーの目の前にかざした。

「そうかもだけど、こっちの事情もある。おれは素晴らしくセクシーな女性と付き合いたいんだ。現実には難しいけど、望むだけならな」

「そりゃ、理想を持つのは構わないが……」

「スターはかわいいけど、いわゆるセクシーって感じじゃない」

「おまえ、言ってることが矛盾してるぞ。“ただしイケメンに限る”とか言っておきながら、自分だってルックスで人を判断してるじゃないか」

「矛盾してない。自分がそうだからこそ、わかるんだ。スターもおれも、自分がイケてないことを残念に思ってはいるが、それだからって不幸じゃないよ。まあ、とびきり幸福ってわけでもないが」

「じゃあイケメンであればとびきり幸福だと?」

「そうなんじゃないか? 少なくともおれにはそう見える」

「おい、それはあまりにも端的な物の見方だぞ。だいたいおまえにイケメンの苦労がわかるか? 少しでも皮膚がたるもうものなら、“意外としまってないのね”とか言われるんだ。ネクタイと靴が合ってないだけで、“顔はいいのにセンスは残念”とか、ちょっとでも優しさに欠ける振る舞いをすれば、“見た目に負けてる”って話にもなる。おまえは五百グラム体重が増えようが、ヒゲの剃り残しがあろうが、大目に見てもらえるが、おれには致命傷だ。シャツの裾が出てたレベルのミスですら、一生言われるんだぞ! そのプレッシャーがおまえにわかるか!?」

「ディーン……」ビリー・ジョーはしみじみとおれを見つめ、つぶやいた。「おまえは病気だ」それから腕を優しくポンポンと叩き、「でなくとも、自意識過剰だ」と続ける。「哀れな奴。おまえこそ山でゆっくり鳥でも見た方がいい」

 なんでおれが慰められきゃいけないんだと思っていると、ビリー・ジョーは「もちろんスターはいい子さ」と穏やかに言った。「セクシーガールじゃないけど、心はとびきりだよ。どこを探してもあんないい子はいやしない」

「それがわかってて、どうして彼女を好きにならない?」

「おまえは短絡思考だな。自分に置き換えて考えてみろよ。心がいい女の子すべてに恋愛感情を持てるか? たとえばおまえの同僚はどうだ? どうだ? その女たちと付き合えると思うか?」

 おれは実際に幾人かを思い返し、そして言った。

「いや、おれは付き合えるな」

「嘘つけ」

「今は恋人がいるからそういうことは考えないけど。でも付き合えると思う」

「誰でもいいってわけじゃないだろ?」

「“心はとびきり”“どこを探してもあんないい子はいやしない”、そういう子だったら付き合えるよ。きっと好きになれると思う」

「なんだそりゃ、おまえに話したのが間違いだったな。そんなに節操がないとは思わなかった」

「そっちの理想が高すぎるんだ」

「手近なところで妥協したくなくてね。それだったらひとりでいるほうがマシさ」

 この馬鹿はいったい何を言ってるんだ? スターが“妥協”だってのか? 彼女と付き合うなら、ひとりでいるほうがマシ? 信じられないくらい高飛車な奴だ。モテない奴は得てして選り好みが激しいというが、まさかそれが自分の従兄弟だとは。

「なんでおまえがここに来たかわかるよ」とビリー・ジョー。「おれのお袋に言われたんだろ? 仕事を世話してやってくれとか何とかさ。だったらお気にすることはない。だいたいおれたち、今まで連絡も取ってなかったんだし、同じベッドで寝たのは遥か昔の話だ」

 それはそうだが、今はもう事情を知ってしまった。こいつは働き盛りだってのに、仕事らしい仕事をしておらず、おまけに生まれてこのかた彼女がいないときた。もし知ってさえいれば、パーティやイベントに誘ったりしただろう。おれは長らく従兄弟の人生に関わっていなかった。自分の無関心さを恥ずかしく思う。

「仕事を紹介するのは無理だ」と、おれが言うと、ビリー・ジョーは「だろうな」と苦笑する。

「でも別の方面ならツテがないこともない」

「別の方面?」



 親愛なる従兄弟を連れてきたのは、ソーホーの裏通り。ともすれば見過ごしてしまいそうな小さな店だが、知る人ぞ知る有名なセレクトショップだ。

 そわつくビリー・ジョーを叱咤しながら、見繕った衣装を強引に着せる。白いシャツに濃いグレーのジャケットを合わせるだけで、ずいぶん男前が上がった。しかしビリー・ジョーは何が気に入らないのか、不服の面持ち。ジャケットのタグに視線をやり、わざとオーバーに目を回してみせる。

「おまえの言い分はわかった。“高い”って言いたいんだろ?」

「これはジャケットだけの値段なんだよな? 付属品に食器洗浄機がついてくるとか?」

「食器洗浄機がついてくるような服をわざわざおまえに着せると思うか? たまにはいい格好するのも悪くないだろ」

「ジャケットを着るのは友達の結婚式以来だからな。このクソ高い服は……ギャス…ギャスパー……タグも読めやしない!」

「ギャスパー・ユルケヴィッチ。デザイナーはフランス人だ」

「こんなの嫌だ。全然、おれに合ってない」

「最初は慣れないから恥ずかしく感じるだろうが、回数さえこなせば、それなりに馴染んでくる。どんな服も着こなすことが大事だ」

「こっちの靴は?」

「いいだろ。ダブルモンクストラップ」

「二人のお坊さん(モンク)が履いてた?」

「そうじゃなくて、ストラップがダブルだろ。“モンクストラップが二本”って意味だ」

「そもそもモンクストラップがわからない」

「わからなくてもいい。これを見てどう思う? 美しいと感じないか?」

「先端が長過ぎるな。まるでカヌーを履いてるみたいだ。固いし、歩きにくい」

「仕方ないだろ。いつものスポーツシューズじゃ、着てるもんと合わない」

「靴下は?」

「履かない」

「マジか。水虫になりそうだ」ビリー・ジョーはわざとらしく頭を抱え込み、「こんなところに連れてきて、どうしようってんだよ」と訴える。「おれは無職で金欠だって知ってるだろ?」

「今回はおれが払ってやる。過去二十年ぶんの誕生日プレゼントだと思え」

「なんだってこんなによくしてくれるんだ? 薄気味悪いったらない」

「感謝の言葉をどうも。別におまえによくしてやろうってんじゃない。デートするのにいつもの格好じゃ相手に失礼だからな」

 おれがビリー・ジョーに紹介するのは洒落たセレクトショップではなく、その先のこと。こいつの望みが“素晴らしくセクシーな女性”だというなら、それを体験させてやるまでだ。就職先の斡旋は無理でも、人脈には事欠かない。男に飢えたセクシーな女性は、いるところにはいるんだ。バードウォッチングと同じく、見つけにくいだけで。

 ビリー・ジョーのシャツの襟を直してやりながら、「初めてのデートに着古したGAPの服で出向くのは、一般常識としておかしいと思わないか?」と訊くと、「服で人を判断するような女は信用ならないよ」と、論点をすり変える。

「鳥だって雄の方が着飾ってるだろ。少しは自然に倣ったらどうだ?」

「鳥の雄が着飾るのは繁殖のためだ。おまえは繁殖目的でもないくせに、全シーズン着飾ってる。繁殖目的じゃなくて、繁殖行為が目的なんだ」

「おれがセックスのために服を選んでるって言うのか?」

「きっと一年中、繁殖期なんだろうよ」

「よくもそんな憎まれ口を叩けるもんだな。いいか、おれはおまえのために服を買ってやるんじゃない。デートする相手と、デート先のレストランのオーナーに失礼にあたらないよう、配慮してやってるまでだ」

 遠目で待機している店員を呼び、「このまま着て帰らせる」と言い、タグを取ってもらうよう頼んだ。

「かしこまりました。お支払いはカードでよろしいですか?」

「ああ」

「プレゼントですね。お優しい」

「あ? ああ、まあな」

「服の好みが違うと、贈り物には苦労します」ハンサムな男性店員は、軽く頭を振り「わたしのパートナーも、わたしが買ってあげた服は気に食わないと」と、困った顔をしてみせた。

「いや、あのさ、こいつはおれの“パートナー”じゃないんだ」

「おや、それは大変、失礼しました」

 ビリー・ジョーは遠慮も何もなく笑い出し、店員が去ると「ゲイに見られたのは初めてだ」と言った。

「そうか、おれは昔からゲイに見られてたけどな。ポールと付き合う前からだ」

 そう言うと、ビリー・ジョーはますます笑った。屈託のない笑顔は子供の頃から変わらない。今は卑屈になっているが、こいつは基本的に素直でいい奴だ。彼女がいないのは、本人にその気がないだけ。ビリー・ジョーにはチャンスさえあればいい。そうすりゃ、あとは自然にうまくいくものなんだ。



 アッパーウエストのアンティーク・ショップは、今日も順調に営業中。おれはダチョウの羽根のハタキでディスプレイの埃を払い、にわかオーナーを気取ってみる。服装は蝶ネクタイにウイングカラーのセミフォーマル。アイロンもかけていないシャツを着ていたビリー・ジョーとは差がありすぎだが、おれとしては老舗の店らしく、それなりに相応しいと思える格好をしたまでだ。まあ、お互い極端なのは認めよう。

 店番をしている間は、好きにしていいとのことだったので、在庫をあさって商品を並べ替えてみた。おれが気に入ったのは、日本の刀のツバだ。植物や動物がデザインされていて、使う用途はないが、見ているうちに欲しくなってきた。

 老後はこういう商売もいいなと考えていると、カランと音を立ててドアが開いた。今日、初めての客。それはビリー・ジョーの後輩のスターだった。

「こんにちは……ええと、確か……」

 彼女が失念の無礼を働かないよう、一生懸命、記憶をたぐっているところ、おれは紳士らしく、自ら「ディーンです」と名を名乗る。

「せっかく来てもらって申し訳ないけど、今日はビリー・ジョーは留守なんだ。代わりにおれが店番を」

 するとスターはあからさまにションボリした顔をしたが、言葉の上では「別にいいんです」と、気にしていないそぶりを見せた。

「彼と約束していたわけでもないし。たくさんクッキーを作ったから、お裾分けと思って寄っただけなので」

 そう言って、スターは持参したタッパーを開く。ブルーやピンクのアイシングがけのクッキー。見ているだけで心が踊るような愛らしさだ。

「すごいな。もしかしてプロとか?」

「仕事は書店員なの。お菓子作りはただの趣味で」

「へえ、書店ってどこの? 行ったことがあるかも」

「たぶんないと思う。植物とか生物の専門書を扱う店だから。よかったらディーンさんも召し上がってください」

 おれは星型のクッキーをつまみ上げ、「ありがとう、“スター”」と礼を述べる。

 彼女は照れ笑いをし「スターなんて、名前負けよね」と言った。「うちの両親がヒッピーだったものだから、こんなヘンテコな名前なの」

「ヘンテコじゃないさ。親からの愛情がこもった素敵な名前だ」

「そうね。センスはともかく、愛はこもってる。でもこの名前のせいでずいぶんイジメられたのよ。わたしの周りで皆が歌うの。“♪ティンクル、ティンクル、リトルスター……”。そのたびに、“もっとルックスに見合った地味な名前だったらよかったのに”って思ったものだったわ」

 スターもまたビリー・ジョーと同じ病にかかっている。それは“自分なんて少しも魅力的ではない”というやつだ。なんという馬鹿げた幻想だろう。スターはとてもかわいい。芸能人並みというわけではないが、愛らしいルックスをしているとおれは思う。

「あのさ、きみ、ビリー・ジョーのこと、どう思う?」

「彼はいい人よ」

「うん、そう、そうなんだけど、つまりおれが言いたいのは、“もしあいつがきみと付き合いたい”って言ったらどうかって話さ」

 スターはくすりと笑い、「彼はそんなこと言わないわ」と否定する。

「どうして?」

「だってわたしはビリー・ジョーのタイプじゃないもの。彼って選り好みが激しいの。特別な美人としか付き合いたくないみたい」

 自分のことをブスだと信じている女性がたまにいるが、おれからすれば“一体なにを言ってるんだ?”という感じだ。スターは素直で親切で、クッキーを作らせたら完璧だ。そして──ここがポイントと思わないで欲しいが──ついでに言えば、胸も大きい。素敵な女の子が、自分のことを卑下したように言うのを聞くのは、まったくもって気分のいいものではなく、愚かなビリー・ジョーが、彼女の思い込みに拍車をかけてもいるのだろう。おれが奴の立場だったら、スターを抱きしめ、『きみは世界一、魅力的だ』と言ってやるものを。

「なんだ、ディーン。おまえ蝶ネクタイなんかして、これからパーティにでも行くのか?」

 バックヤードに続くドアから出て来たのはビリー・ジョーだ。先日、見繕ってやった服を着ているが、髪は乱れていて、着崩れもしている。時計を見ると、まだ夕方前。これからセクシーな女性とディナーに行く予定だったのだが……。

「どうしたんだ? ずいぶん早かったな。まさかうまくいかなかったのか?」

 おれの問いかけにビリー・ジョーが答えるより早く、スターが「もしかして就職活動を?」と彼に訊いた。ビリー・ジョーはおれを見、「まあそんなところだ」と、言葉を濁す。

「とにかく、店番を替わってくれて、ありがとう。もう帰っていいぞ」

 おれはほとんど追い出される格好で店を後にした。まったく訳が分からない。ガラス戸から店内を覗き込むと、ビリー・ジョーとスターが楽しげに会話をしている様子が伺えた。それは普通に恋人同士のようだったが、それでも彼らは互いを“ただの友達だ”と言ってきかないのだ。本当に、まったく訳が分からない。



 夜になってからビリー・ジョーに電話をした。

「いったい何が駄目だったんだ? エイミーはセクシーで美人だったろ?」

「確かに彼女は最高だけど」ビリー・ジョーはいったん肯定し、「でも初対面でやりたがるような女は嫌だ」と、言い切った。「会話も楽しめなかったし、本当に疲れたよ。せっかく紹介してもらって悪いけど、エイミーは例のカヌーみたいな靴と同じ。素敵だけど、おれには合わない」

「履き慣れたスニーカーの方がいいってことか」

「まあ、そうだ」

「だったらスターと付き合うんだな?」

「は? どうしてそういう話になる?」

「だって、おまえ……」

「おれは友達とは付き合わないことにしてるんだ。いい友達だった者同士が、調子に乗って付き合い出した途端、ひどいことになった例をいくつも見てるからな」

「そんな例は忘れろ! おまえの話はナンセンスだ! 世界に離婚があふれてるからって結婚しないとか、墜落するかもしれないから飛行機には乗らないとか言ってるのと同じだぞ!? スターはいい子だ! ちゃんと相手を見てやれ!」

「彼女はおれのタイプじゃないって言ったろ」

「タイプが何だ。おれだって男はタイプじゃなかったけど、その思い込みを捨てた途端に幸せになった」

「おい、ディーン。なんでおまえがしつこいかわかったぞ。スターはおまえのタイプなんだろ?」

「ああ、そうさ。彼女は奥ゆかしくてかわいらしい。はっきり言って嫌いじゃないね」

「そんなに言うならおまえが付き合えばいい」

 電話を切られた。なんたる幼稚さ。あの野郎、小学生から進化していないのか。

 だいたいタイプって何なんだ? おれの好みをあえてあげるとすれは、スターみたいな、いじらしくて優しい女の子がタイプだが、今まで付き合ってきたのは、気が強く、自立していて、ウーマン・リブの見本みたいな女性たちだ。それにポール。おれはこれまで、ブロンドで青い目のおにいちゃんが好みだったことなど一度もない。

 要するに、ビリー・ジョーの言い分はこうだ。『友達でいれば永遠にうまくやれるが、恋人になった途端、関係性がおかしくなる。恋人はいつか別れるが、親友はそうじゃない』

「そんなの意気地なしのたわごとだ。そう思わないか?」

 ビールを片手にポールに説明すると、彼は「つまりビリー・ジョーはスターのことが好きってこと?」と確認する。

「そうさ、もろちん。スターが“就職活動か”って訊いたとき、あいつは言葉を濁したんだ。もし彼女のことを何とも思っていないというのなら、潔く『セクシーな女とデートしてきたんだ』って言えたはずだ。しかし奴はそうしなかった。なぜか。理由は明白だ」

「スターはどうなの? ビリー・ジョーにアプローチはしないわけ?」

「あいつがそんなだから、スターも一定の距離を置いてるんだよ。それに彼女は自分のことを魅力に欠けると信じてるから、選り好みの激しいビリー・ジョーに対して積極的に出られない。お互い好き合ってるのにそんな態度なんて、どう考えてもおかしいだろ」

 しかしポールは同意せず、「人それぞれだと思うよ」と、肯定も否定もしなかった。「彼らには踏みきれない事情があるんだ」

「コンプレックスや何やらだろ。おれにだってそんなことぐらいわかる」

「いいや、わかってないね」ポールは身体の向きを変え、こちらを見た。「コンプレックスを想像することはできても、それを体験したことがなければ、真に理解することはできないよ。きみは恋愛で挫折したことがないだろ?」

「ビリー・ジョーと同じことを言うんだな。じゃあ、おれのやっていることは間違ってるってのか?」

「そうは言ってない。コンプレックスを理解しないきみだからこそ、彼らを応援することができるんだ。ぼくは無理だね。さっき言ったように、“彼らの踏みきれない事情”を考慮してしまうから。二人をが抱いている恐れを見てしまうと、強く押したりなんかとてもできない。本人が諦めようとしているなら、尚のことさ」

 ポールはそう言ったが、やっぱりおれにはわからない。コンプレックスがあったとしても、幸せを諦める理由にはならないはずだ。それに少なくともビリー・ジョーは、コンプレックスを克服しようとすらしてないじゃないか。まるで“イケメンであること”が、天の恵みであるかのように言って、自分の眉さえ整えようとしない。ファッションや食べ物に気を遣えば、ある程度、イケメンは作られるものだ。美人もまたしかり。ダイエットや化粧で何とでもなる。

 そもそもイケメンは天の恵みか? 実際なってみれば、苦労も多く、人が思うほど、いい思いをしているわけでもない。


【イケメンであることの10の不利益】by.ディーン・ケリー


1. ファッションに興味を持たざるを得ない

  たとえ衣類に興味がなくても。これはイケメンとして最低限の義務。


2. 不機嫌を許されない

  お高いと取られる。もっと酷い場合は『性格が悪い』とも。


3. 下ネタが似合わない

  まず引かれる。ワイルド系ならともかく、基本的にイケメンには品行方正さが望まれる。


4. 謙遜できない

  嫌味に聞こえるらしく、本気に受け取ってもらえない。


5. 外見の手入れを怠れない

  ミリ単位で注目されているため、わずかな失敗も拡大されて見られる。

  むだ毛、ぜい肉はもっての他。腹は六つに割れていることが理想とされている。


6. 怒ってはいけない

  ただ立っているだけで「なにポーズつけてるの?」と笑われたとしても、怒ってはいけない。

「イケメンのくせに短気なのね」と、謎の因縁をふっかけられるだけだ。


7. 変わった趣味を持てない

  爽やかなスポーツや、知的な読書などが、イケメンの趣味とされている。

  タトゥーを増やしたがったり、延々レゴを組み立てるなどは即刻中止すること。


8. 知的でなければいけない

  たとえ気に入りのテレビ番組が『ジャッカス』だとしても、それを話題にしてはいけない。

  さりとて、極端な政治論や宗教の話題は避ける。あくまでもスマートに、世界を見つめる視点が必要だ。

 

9. 性欲を隠さなくてはいけない

  やりたがっていることを悟られるのは、イケメンとしてもっとも悪いこと。

  セックスのことしか頭にないときでも、話題にしていいのはクロード・モネの描く光彩が、いかに印象派に影響を与えたか、ということのみ。


10. シンプルに妬まれる

  生きているだけで難癖をつけられ、憎まれる。こうなると、もう手の打ちようがない。

  どう頑張っても愛されないこともあるのだと理解し、広い心で人生を受け入れよう。


 ─────以上。(やってられるか!)



 スターの勤務する書店はニューヨーク大の近くにあった。この辺りは緑が多く、歩いていても気持ちがいい。店は専門書を扱うだけあって、重厚で落ち着いた雰囲気。用事もないのにふらりと入る感じではない。

 薄暗い店内で、スターは電話をしながらメモを取っていた。おれに気付くと、視線で挨拶をし、電話が終わると「何かお探し物ですか?」と訊く。

「ああ、熱帯の動植物に興味があってね……というのは嘘。きみに用があって来た」上着のポケットから封筒を出し、彼女に差し出す。

「招待状?」

「仲間うちのパーティだけど。よかったらぜひ」

 スターは微笑みながら眉を下げ、「誘ってくれてうれしいけど、わたし、パーティにふさわしい服は持ってないし。知らない人ばかり場所は苦手なの」と言う。

「おれがいるさ。それにビリー・ジョーも」

「彼もこのパーティに?」

「まだ返事はもらってないけどね。これから招待する。きみが先にイエスと言ってくれれば、奴も来やすいはずだ」

 スターはわずか考え「ドレスコードは?」と訊ねた。

「そんなのないよ。自分がお洒落だと思う格好でいいんだ」

「みんなはどんな格好を?」

「人それぞれかな。全身隙なくキメてる奴もいれば、Tシャツ、ジーンズ、スニーカーって奴もいる」

「そういうのが一番困るわ」

 おれの回答は彼女をさらに悩ませたようだ。助け舟にと「パーティの日にスタイリストが来るんだけど、もしよかったら任せてみるのはどう?」と提案してみる。「アパレル勤務している仲間が服をたくさん持ってくるんだ。販売目的だけど、年度落ちのアイテムだからかなり安価だし、気に入らなかったらレンタルだけでもいい。見てみるだけでも面白いと思うよ」

「ビリー・ジョーも来るかしら?」

「ああ、たぶんね」

 彼女の参加の目的は、あくまでビリー・ジョーにあるらしい。スターはドレスやお菓子で釣れるようなタイプの女の子ではない。

「ねえ、いつも髪をひとつ結びにしているのは何かのジンクス?」

「わたしの髪、こうしてないと広がっちゃうの。他のスタイルは望むべくもないわ」

「髪が広がらないシャンプーを使ってみるのは? 美容師に相談はしてみた?」

「そういうの、あまり詳しくなくて……」

「カットの仕方で解決できそうだけどな。このあたり、サイドをふんわりさせれば……」言いながら、スターの耳の上の髪を梳く。

「あの、ちょっと、ディーン……」

 動揺した彼女の声を聞き、おれはパッと手を離して「ごめん」と言った。

「何ていうか、その……馴れ馴れしくして申し訳ない」

「いえ、いいの。いいのよ、気にしないで」

 スターは顔を赤くしている。まいったな、相手がウブだとこっちも意識してしまう。まるで痴漢でもしたかのようだ。ちょっと髪に触っただけなのに。

 セクハラを働いたことは不参加の理由にならなかったらしく、スターはパーティにやってきた。ビリー・ジョーからは『行けたら行く』というシンプルな返信が来たので、電話をかけて確認を取った。まったく気乗りしないようだったが「スターをひとりにするのか?」と詰め寄ったところ、それならやむなしという感じで承諾を得ることができた。

 スターはいつも通り、髪をひっつめにしてやって来たが、服は多少ドレスアップしていて、シンプルなワンピースを身につけていた。光沢のない紺色は清楚で彼女に似合っていたが、地味な感じは否めない。おれは彼女を本日のスタイリスト、ポールとローマンに紹介し、会場で一番美しくしてくれと彼らに頼んだ。スターは「元がよくないから、それは難しいんじゃないかしら」と卑下したが、おれは不可能じゃないと思ってる。素顔でこれだけの可愛さなら、化粧をすれば絶対に映えるにはずだ。

「あなたのお友達ってみんな素敵なのね」とスターは言う。「ビリー・ジョーいわく、“イケてる奴の友達はみんなイケてる”ってことだけど、それは正しいって証明されたわ」

「きみもおれの友達だ」

「じゃあ、初めての“イケてない友達”かしら」

「そんな風に自分のことを言うもんじゃないよ。見た目なんていくらでも変えられる。現におれの友達には、生物学上は男なのに、外見的には女って奴がいっぱいいるんだ」

「そこまで変身したくないわ」

「それはわかってる。でも周囲をアッと言わせるくらいの魔法はいいだろ?」

「おまかせします。わたしはファッションのことはさっぱりだから」

「きみは正直で素晴らしいな。ビリー・ジョーもこれくらい素直だったらいいのに。あいつ、おれが服を選んでやっても、感謝どころか文句ばかり言って。昔はああじゃなかったのに、いつからあんなにひねくれたのかな?」

「彼がそういう態度をするのは、おそらくあなただからだわ。兄弟みたいに近い関係なわけだし、素直になるのが照れくさいのかも。現にわたしにはいつもとても優しくしてくれるんですよ。ひねくれた態度なんて、一度も」

 スターは本当に心が優しい。ビリー・ジョーのことをよく知っている上、おれの悪口から庇いもした。それにビリー・ジョーはスターに“いつもとても優しく”してるんだ。これが愛でなくて何だというのか。

 おれのこれまでの経験から言うと、自分の楽しみや、気に入っている習慣をあきらめなければいけない相手とは、ぜったいにうまくいくことはない。例えば自分が寝酒が好きだとして、ガールフレンドがそれを嫌がったとする。「健康によくない」とか何とか、説得の理由はいくらでもある。彼女から嫌われたくない一心で、男は寝酒を諦めることを選択。些細な習慣だし、大した問題じゃないと思えるはずだ。最初のうちは。

 肉食の習慣、マリファナ、ヘヴィメタル、エロサイトめぐり。彼女がやめて欲しいと思うことは、おおむね正しく、反論の余地なく諦めさせられることだろう。うまくやめられれば寿命が延びるが、そうでない場合は驚くほど大きなストレスを抱えるハメになる。ガールフレンドを喜ばせようとして、料理をしてやるとか、ショッピングに付き合うとか、髪を洗ってやるとかするのはいいが、そこに自分の喜びがなければ長続きしない。料理とショッピングが好きで、髪フェチであれば正しい行為だが、たいがいの男はそこまで完璧にできておらず、もしそういう奴がいたら間違いなくゲイだ。

 相手のためにしてやりたいことと、自分の楽しみとが、本当に一致しているのかを見極めるのは大事なことだ。パートナーの笑顔を見たいばっかりに、自分に無理を強いてしまうのはよくあること。ビリー・ジョーとスターはセンスも会話も趣味も合っている。それは何より得難い相手だ。

 おれは出産を迎える父親のような気持ちで、スターを待った。控え室のドアが開き、ローマンが「今日一番の自信作よ」と言って彼女を連れ出した瞬間は、まるでおとぎ話のよう。予想よりもずっと美しい彼女がそこにいた。もしこれがおれのガールフレンドだったら、即座にプロポーズするべきと思える出来映えだ。

「すごい、最高に奇麗だ」

 スターは恥ずかしそうに微笑み「ありがとう」と言って、「ポールとローマンのおかげね」と二人を見た。

「ドレスはあたしが選んだの」とローマン。「我ながら天才的よね」彼は自画自賛したが、おれのポールは「モデルがいいから、すごく楽しかったよ」と、スターの素質を褒めそやす。

 ドレスの色は上品なヌードカラー。小さなスパンコールがちりばめられていて、華やかだが少女らしい清潔感もある。髪はコテでカールされ、片側にまとめて垂らしたスタイル。これはポールの手によるものだとわかった。彼はアシンメトリーを好む傾向にあるのだ。あとはビリー・ジョーが来れば完璧。即座にプロポーズとまではいかないだろうが、何らかの進展は見込めるに違いない。



 よかれと思ってやったことが裏目に出るのは、そう珍しいことではない。“画策”というのは、よほどの知力と、正しい意図がなければ成功しないものだ。おれの場合、意図は正しかったと思うが、残念ながら読みが甘かったらしい。ビリー・ジョーはパーティに来なかった。当日、何度も電話をしたが、留守電になっていて繋がらず、スターはそれでも楽しそうにしていたので、一応は安心したが、約束をすっぽかしたビリー・ジョーには腹の虫が治まらなかった。

 翌日になっても奴が電話に出ようとしないので、直接、店に押し掛けてみると、ビリー・ジョーはしれっとした顔で、「パーティには行ったよ」と答えた。

「おまえ、よくもそんな……」

 おれは呆れて言葉を失った。そう広くもないパーティ会場で、お互いを見逃すわけはない。こいつはおれに怒られるのが嫌で、こんな見え透いた嘘をついているのか。

 おれの憤慨を察知し、ビリー・ジョーは落ち着いた声で「嘘じゃない」と言った。「本当に行ったんだ。おまえに買ってもらった服を着てさ」

「だったらなぜ会わなかった? まさか“すれ違ってました”なんて言うんじゃないだろうな」

「すぐに帰ったんだよ。おれは場違いだってわかったから」

「場違いだって? そんな理由で帰った? スターが来てるのに? 声をかけもせずに帰った理由が“場違いだから”?」

 ビリー・ジョーは組んだ足をぶらぶらさせ、教師に叱られている不良のような顔で、床を見つめている。

「そうかよ。だったら惜しかったな。もしおまえがスターを見ていたら、帰る気は失せただろうに。彼女、すごく美しかった。あの会場で誰より目立って…」

「見たよ」

「なに?」

「スターが男といるのを見た」ビリー・ジョーは視線をおれから外したまま、「とても楽しそうだった」とつぶやいた。

 ははあ、そうか。こいつはそれで臆病風に吹かれたんだ。美しく変身したスターの前に出て行くのが怖くなった。しかも彼女は男と一緒。現実を突きつけられ、逃げるように帰ったってわけだ。

 おれは強引にビリー・ジョーの顔を覗き込み、「おい、これでわかったか?」と強く言う。「うかうかしてたら、スターは別な誰かとくっついちまう。おまえは“友達とは付き合わないことにしてる”なんて呑気なことを言ってるが、“友達でいる”ってことは、こういうことなんだ。彼女に男ができても温かく見守り、結婚したら笑って“おめでとう”って言ってやらなきゃならない」

「そうだな。そうするよ。おれが“おめでとう”と言っていたと伝えてくれ」

「ちょっと待て。諦めるのが早すぎる」

「おまえがそう言ったんだ」

「パーティで男といるのを見たからって何だ? 今は18世紀じゃないんだぞ」

「スターはそいつにさわられても笑ってた。遠目から見てもハンサムだとわかったし、おれの出番はないと知ったよ」

「だから何だよ。そんなの関係ない」

「いや、ある。スターも結局イケメンが好きだったってことさ」ビリー・ジョーは顔の前で手を振り、「もういいんだ」と寂しそうに言った。

「よくないだろ」

「いいんだ」

「おまえはよくてもスターはよくない。彼女、知らない人ばかりの場所は苦手だって言ってたのに、それでもパーティに参加することを決めたんだ。おまえが来ると思ったから」

「だから行ったって言ってるだろ」

「中に入って挨拶もしなかったら、来なかったも同然だ。おれはともかく、彼女との約束を破ったことについては、このままじゃ済まされない。罪滅ぼしにスターにディナーでも奢ってやるんだな」

「おれは別に約束なんか…」

「言い訳は見苦しいぞ。男としてケジメをつけろ」

 “男”と“ケジメ”という単語はさすがに効果があったとみえ、ビリー・ジョーは「わかったよ」とつぶやいた。



「それでレストランを予約してあげたわけ? 彼らのデートために?」

 ポールはハサミを動かしながら、呆れたような声でそう言った。

「だって仕方ないだろ。あいつ、デートに向いたレストランなんて知らないだろうし、適当に予約して不味い店だったらスターがかわいそうだ」

 バスルームで髪を切られながら、おれはなぜだか言い訳めいた説明をポールにしていた。正直、どうして自分がこんなに従兄弟のために一生懸命になっているのかわからない。おれは元々お人好しじゃないし、ここまでしてやる義理はないはずなのに。

「きみ、身内にはすごく親身になるところがあるんだね。姪と甥にも優しいし、ビリー・ジョーにもここまで良くしてやって」

 身内だから? そうだろうか? これはそういうことなのか? 確かに姪と甥には優しくしているが、それは二人がまだ子供でかわいいからだ。ビリー・ジョーは少しもかわいくないばかりか、腹が立つことの方が多い。むしろおれはスターのことを応援したい。親切の理由とすれば、そっちの方が納得がいく。

「まあ、でもさすがに今回はうまく行くだろ。もともとお互い好き同士なんだ。キャンドルの明かりと最高のディナー。夜景の見える席を予約したし、これで駄目ならビリー・ジョーは救い様がない」

「うん、そういうロケーションは大事だ。そういえばぼくたち、しばらくロマンティックなディナーなんてやってないね」

「そうだな。じゃあ、今夜はどこか外で食べるか」

「いいね。新しいカップルにあやかって、ぼくたちもロマンティックな夜を過ごそう」

 恋人同士であることの幸せ。この喜びをビリー・ジョーとスターにも味わってほしい。それは素敵なレストランを紹介するのと同じくらいの気軽さで。自分が快いと思う事柄を人に勧めても構わないというのは、ポールから教わったことだ。おせっかいかどうかは相手が決めること。やってみなけりゃ、どうなるかは誰にもわからない。



 キャンドルの明かりと最高のディナー。夜景の見える席をリザーブ。これで失敗するというのは、むしろ曲芸に近い離れ業だ。

 ビリー・ジョーは開口一番「駄目だった」と結論を言った。その顔の暗いこと。美しい中世のアンティークも、負のエネルギーをくらって何かの呪具に見えてくるほどだ。

 おれはシノワズリに薔薇の砂糖を入れながら、「買ってやった服を着ていったんだよな?」と確認。「まさか穴の開いたジーンズですべてをオシャカにしたんじゃないだろうな」

「ちゃんと着て行ったよ。靴下も履かなかった」

「彼女は何て?」

「“素敵ね”って言ってくれた」

「だろう?」

「“でもその靴はバードウォッチングには向かないわね。カヌーの代わりにするってのなら別だけど”って」

「揃ってカヌーを連想するとは、気が合うじゃないか。それで? スターはどんな服装を?」

「いつも通りさ」

「いつも通り?」

「ジーンズとギンガムチェックのシャツ。いつも通り。おれたち、すごくチグハグな格好でさ。彼女、いい店を予約しているなんて思わなかったそうだ。予約した店はジーンズは無理だろ。どこに入るべきか悩んだあげく、選んだのはインド料理店だ。インドのミュージカル映画がずっと流れてるところで、先日のパーティの話になった。おれは彼女の姿を見かけたことは黙ってて、でも“誰よりきれいだったと聞いたよ”と言った。褒めたつもりが、逆効果だったらしい。スターは“わたしの外見が変わったと聞いたからデートに誘ったの?”と詰め寄ってきた。実際そのとおりだったから何も言えなかったね」

「馬鹿をやったな。それで? 謝って仲直りを?」

「いや、だから、おれは何も言えなかったんだ。気まずいまま別れて、そのままさ」

「なんだって……? おい、今すぐ彼女に電話しろ。早く携帯を出せ」

「何でおまえが慌ててるんだ?」

「慌てもする。どれだけ悪い状況か把握してないのか?」

 ビリー・ジョーは不機嫌そうに「悪かったと思ってる」とだけ言い、携帯電話を出すそぶりはない。

「いいか、即、謝れば問題なしのことでも、相手が女の場合、時間が経つにつれて悪化する。これは金利と同じだ。一日経てば、食事を奢らなきゃならない。三日で花を。一週間でスカーフ。二週でハンドバッグ。半月で貴金属だ。そしてひと月も経ったなら、彼女の人生からおまえは消えてる。そういうものなんだよ」

「おまえ、どれだけひどい恋愛をしてきたんだよ?」

「おれの言ってることがオーバーだって思ってるんだな?」

「もういい、おれは潔くスターの人生から消えるよ。貴金属を買う金もないしな」

「今ならまだ花束で済む。いい店を紹介してやろうか?」

「いや、いい」

「もう一度、レストランを予約しろ。今度はセントラルパークが一望できる…」

「だからもういいって。おれはひとりで寂しく暮らす。誰からも好かれず、嫌われもせずの人生だ」

「なんだってそう後ろ向きなんだ? 言っちゃあ何だが、おまえみたいなヒネクレ者を愛してくれる女なんて、そうそういるもんじゃない。そういう意味ではスターは地球上唯一の女性だ。彼女を逃したら一生後悔することになるんだぞ?」

「うるさい! そんなことはわかってるよ! だからこそだ! おれが必死にあきらめようとしているのがわからないのか!?」

 ショーケースのガラスがビリビリ言うほどの大声で、ビリー・ジョーは怒鳴った。子供の頃だったら、この後に「ママー! ディーンがいじめるー!」と続くわけだが、幸いそこまでは後退しておらず、彼は声のトーンを落とし、「おれは最悪だ……」と自分を責める言葉を吐いた。

「スターにとっていい奴でありたいと思ってる。でもそれは難しい。おれは嫌な奴だ。見てくれも悪いが、中味はもっとだ」

「それを決めるのはおまえじゃなくて彼女だろ。スターはおまえのこと褒めてたぞ。おれがおまえの悪口を言ったら、“わたしにはいつもとても優しくしてくれる。ひねくれた態度なんて取ったことがない”って」

「そうなのか」

「ああ、彼女は間違いなくおまえに好意を抱いてるよ。それはおまえもなんだろ?」

 ビリー・ジョーは小声で「うん」と言った。今のは素直で、ずいぶんかわいらしい。

「とにかく今はスターに謝るのが先だ。恋愛うんぬん以前に、人としておまえの行為は褒められたもんじゃない。長年の友人に失礼な態度をとったんだからな」

 ショップのドアに『準備中』のカードを差し、おれたちはスターのいる書店に向かった。途中、ビリー・ジョーは「スターにおれの悪口を言ったのか?」と聞いてきたが、そこのところは無視し、「うまくいくといいな」と励ました。おれは心から従兄弟の幸せを願ってる。悪口は言ったが、それはまた別の話だ。



 書店は相変わらず薄暗く、客はいかめしい年寄りばかり。若い男と出会う機会はここにはなさそうだが、それはビリー・ジョーには朗報だ。しかし今日に限って、客層が変わったらしい。

 ビリー・ジョーは唖然とし、「信じられない……」とつぶやきを漏らす。「見ろよ。あいつだ。あいつがパーティのときに彼女を口説いてた男だよ」

 スターはブロンドの若い男と会話をしていた。おれは頷き、「確かにイケメンだな」と納得する。

「やっぱりだ。ちくしょう。スターはあいつのことが好きなんだ」

「まだわからないだろ。ここは本屋で彼は客だ」

「専門書の店だぞ? 普通の奴がおいそれと来るようなところじゃない」

「どうかな。ああ見えて植物学の博士かも」

「馬鹿言うな。よく見ろ。スターはとても楽しそうに喋ってる。ただの客って感じじゃない」

「おまえ、今日は何をしに来たんだ? これじゃパーティのときの二の舞だぞ」

「二人の間を邪魔しろってのか。おれはそこまで野暮じゃない」

「邪魔をしろって言ってんだよ。恋のライバルに気を遣う馬鹿がどこにいる?」

 書棚の影でゴチャゴチャ言っていると、他の客がやって来て、ブロンドのイケメンはキャッシャーから離れた。スターはレジを打ち始める。

「よし、おれがブロンド男を引き止めておく。その間におまえは彼女に謝罪して、改めてデートを申し込むんだ。わかったな」

「わかった」

 ミッション開始。おれは男に近づいて言葉をかけつつ、ビリー・ジョーとスターのやりとりを見守った。

 ビリー・ジョーは彼女に挨拶をした。スターもまた挨拶を返す。よしよし、いい滑り出しだ。

 そう思った次の瞬間、ビリー・ジョーが「もうきみの前には現れない」と言い放ったので、おれは頭からブリタニカ百科事典に突っ込みそうになった。

「さようなら、スター」

 おい! どうしてそうなるんだ!? デートに誘うどころか謝罪もなしで、いきなり離別宣言なんて、打ち合わせになかったぞ!

 スターは驚いたようだが、務めて冷静に「どうしてそんなことを言うの?」と訊ねた。そこのところはおれもぜひ聞きたい。

「きみに幸せになって欲しいからさ」とビリー・ジョー。「おれがいたんじゃ、きみはいつまでたっても彼氏を作ろうとはしないだろ? きみにふさわしい男と幸せになってほしいと思ってる」

「それって、いつも言ってるイケメンがどうとかって話?」

「イケメン以前の問題だよ。おれはまともに女性と付き合ったことがない。きみとデートしても楽しませるどころか、不快感を与えてしまった。今は無職だし、取り柄と言えるところがひとつもない。きみには誰より幸せになってほしい。おれの存在のないところで……」

 ビリー・ジョーの告白を聞き、おれは無性に悲しくなった。これは愛に違いないが、種類で言ったら自己犠牲というやつだ。戦地に赴く兵士のように、ビリー・ジョーはスターを見つめている。

「きみの幸福のためなら何でもしたい。きみの幸せを笑って祝福できる男になりたいんだ」

 スターは目に涙を浮かべ、「そこまで私のことを考えてくれるのは、パパとママの他はあなただけね……」と声を詰まらせた。

「それはどうかな。あの男は異議を唱えそうだけど」

「あの男?」

「今ディーンといる奴さ。金髪のイケメン……」

「えっ? どういうこと?」

 スターは振り返り、書棚の影から様子を伺うおれと金髪のイケメンを見つけた。おれは手にした百科事典を棚に戻しながら、「やあ、スター」と間抜けな挨拶をする。

「ディーン?」

「彼氏を迎えに来たんだ。取り込み中ならこのまま帰るよ」そして金髪のイケメンの肩を抱き、ビリー・ジョーに言った。「紹介するよ。おれの彼氏のポール。おまえ、会うのは初めてだよな?」

 ビリー・ジョーは口をあんぐりとさせ、その顔のままスターを見た。彼女は「ポールにヘアメイクを教えてもらっていたの」と説明する。「セクシーガールになるのは無理だけど……でも少しでもきれいになれたらって……」言葉をフェードアウトさせ、気がついたように「今日はいつもの格好ね」と、ビリー・ジョーに言う。

「ああ、うん」

「その方が落ち着くわ。スーツも素敵だったけど」

 おれは苦笑いをし、「“その方が落ち着く”か」と、ひとりごちる。「まったく、おまえのために散財するんじゃなかったよ」

「もしかしてあの服…?」戸惑ったようにスター。

「うん、ディーンが誕生日プレゼントに買ってくれたんだ」

「そうだったの。失礼なこと言ってごめんなさい。あのジャケット、すごく素敵だったわ。その、私が言いたかったのは、服がよくないってことじゃなくて……」

「わかってるよ。いつものビリー・ジョーで充分、素敵ってことなんだろ?」おれが片目をつぶると、スターは顔を赤らめた。それは“ディーンのウインクって素敵”という意味ではなく、ビリー・ジョーへの思いを言い当てられたからだ。

「それで? ビリー・ジョー、おまえはどうするんだ? おれのポールに気兼ねしてスターの人生から去るって話なのか?」

 ポールは「ぼくはまったく意味がわからないんだけど……」とつぶやくと、「わたしもよ」とスターが同調した。

 おれはうやうやしく、「つまりだな」と咳払いをする。「ビリー・ジョーは、さきほどスターに愛の告白をした。長い台詞を要約すると、“こんなおれだけど、きみはそれでもいいのか? こんなおれを愛してくれるのか?”という意味だ」

「おい! おれはそんなことひと言も…!」

「黙れ。今はおまえの番じゃない。彼女が返事をする番だ」

 皆の視線がスターに集まる。

「わたし……」彼女は被りを振り、「だってビリー・ジョーはセクシーな女の子が好きなんだもの」と諦めたように言った。「わたしはダサいし……この前のデートだって、あなたはがっかりしてたでしょ? せめてスニーカーはやめるべきだったのかもしれないけど、でもいきなりヒールを履いて行く勇気もなかったし……」

「ちょっと待ってくれ。おれがいつきみのスニーカーに文句を言った? がっかりなんかしてない。勇気がないのはおれの方だ。おれがセクシーな女性が好きと公言してたのは、他人が怖かったからさ。理想をつり上げておけば、誰もおれに近づけない。人と親密になれば、別れるときに苦しくなる。きみとの間でそんなことは御免だ」

「じゃあ……別れなければいいってこと?」上目遣いにスターは言った。「わたし、ポールにヘアメイクを習っていたのは、きれいになりたかったからなの。あなたの理想とする女性に少しでも近づきたくて」

「スター……ごめん。おれは本当に……」

「いいの。何も言わないで」

 二人は見つめ合い、そして手を取り合った。

 やれやれ、なんてウブなんだ。こんな最高のエンディングで、手を取るだけとは。ディズニー映画でもキスくらいする。せめてハグとか。“愛してる”とか。しかし彼らには、そんなことは必要ないのだろう。気持ちが強く結びついていると知った後に、過度な表現は野暮というものかもしれない。

 なあ、ビリー・ジョー。スターはおまえにとって世界で唯一の女性だ。くたびれたスニーカーとシワだらけのシャツを着たおまえを“素敵”って言うのは、世界中どこを探しても彼女だけだ。大事にしろよ。



 おれとポールはハッピーエンドに満足して店を出た。ポールは嬉しそうに「本当によかった」と微笑み、「きみの努力が報われたね?」と言う。

「努力か。自分では努力したとは思っていなかったけど、言われてみればそうかもな」

「本当はぼくはこの手の策略は嫌いなんだ。“誰かと誰かをくっつけよう”みたいなのはね。でも今回協力するつもりになったのは、スターとビリー・ジョーに感情移入するところがあったから」

「感情移入?」

「似てると思うんだよね。ぼくたちの出だしと」

 スターは誰よりもビリー・ジョーの近くにいて、そっと見守るように相手を愛し続ける。ビリー・ジョーは関係性を壊したくなく、このままでいようとする。それは確かに、かつてのおれたちの姿とかぶるところがある。

 そうか、どうして自分がこんなにも彼らのことで一生懸命になっていたのか、その理由が今わかった。それはポールが言ったことと同じ。おれは無意識に彼らに感情移入していたんだ。うまくいって欲しいと思ったのは、自らを追体験していたから。わかってみれば単純な心理だ。

「ぼくは二人の気持ちがよくわかる」とポールは言う。「ぼく自身、コンプレックスを多く持っていて、そのせいできみへの気持ちを認めることにも時間がかかった。認めた後だって、アプローチはできなかったし、友達でいようと努力さえしたんだ」

「おれはきみへの気持ちに気付くまでに時間がかかったな。自分がゲイだったらすぐに気付いただろうが、そうじゃなかったもんだから、すごく遠回りを」

「じゃあ、いつ気付いたの?」

「きみに告白をしたろ。フランス語で。覚えてるか?」

「うん、もちろん」

「あの二秒前かな」

「うそ!」

「きみが言う通り、おれは恋愛ではコンプレックスは持ってない。だから好きと気付いた時点でアプローチする。もしきみが他の男と暮らし始めたらと思うと、いても立ってもいられなくなったんだ」

「そんなこと……ちっとも知らなかった……」

 ポールはおれの身体に両腕を回し、ぎゅっと力を込めて抱きついた。

「うれしい。ディーン。大好きだ」

「おれもきみを愛してる」

「早く家に帰って二人きりになりたい」

「なってどうする?」

「もちろん、決まってる。野暮なことは聞かないで」

 おれたちは出来立てホヤホヤのウブな二人とは違う。過度な表現を好み、それを体験することを好むカップルだ。

 傍から見て、おれたちはイケてる恋人同士だろうか? それは鑑賞者の観念による。ある者が見れば、ハンサムなゲイのカップルだが、同性愛を嫌悪する者が見れば、おれたちはウジ虫以下の存在だ。“イケてる”というのは、あまりにも主観的で、正確な判断の基準たりえない。自分にとって心地良い相手。それは目もくらむほど、魅力的に見えるもの。古い曲の歌詞にもある通り、『You are so beautiful…to me(私にとって、あなたはとても美しい)』。それは真理だと、おれは思う。

 愛する者から愛されなければ、モテようが、イケてようが虚しいだけ。“幸せ”という状態もまた主観的なもの。ビリー・ジョーとスター。ポールとディーン。この瞬間においての完璧なカップル。おれたちは勝手に幸せだと思い込んでいて、世間の評価は知ったことじゃない。


END

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