第14話:男の中の男(Express Yourself)
【男らしい】(形容詞)
定義 : 男であると思える様子。体格・気質や行動・態度などにおいて、男性が持つべきと考えられている特質を備えていること。
【マッチョ】(形容詞)
定義 : 男らしい様子。男らしさ。特に物理的な強さ、勇気、攻撃性。筋肉美を誇る男性。
北米版の英語辞典によると、“マッチョ”という単語には、“男らしい”という単語で説明がつけられている。(ちなみに“マッチョ”はスペイン語だそうだ)。しかし、おれとしては、このふたつを同じような意味で使うことは、まずないと言っていい。明確な定義づけはできないが、感覚として違いがあるのは皆も感じているはず。特にゲイの間では、前者は褒め言葉、後者は嫌味としての用途が多く、使用の際にはことさら注意が必要だ。
似ているようで違うこの言葉。字面で見れば一目瞭然だが、自分がこの定義のどちらを生きているかと問われれば、そこに明確さを持つのは、男としていささか難しいこと。自らの男性性のついて問いかけたい衝動にかられるのは、なにもローマンに説教されたときばかりではない。それは日常、たとえば午後のオフィスなんかでも得られる種類の問答だ。
「おおい、なんだこりゃ。いったい誰がこんなことを」
コピー機の前で大声を張り上げているのは同僚のジェドだ。彼はウチの会社では、かなり“マッチョ”な部類の男。今日も自分のナワバリを誇示するべく、社内パフォーマンスに余念がない。
おれは彼の背後からそっと近づき(正面から向かうと咬みつかれる恐れがあるため)、「どうしたの? 紙でも詰まった?」と、声をかける。
「コピーじゃない。ファックスだ」と、ジェド。「見ろ、この発送伝票。これは地下のだろ?」大量の用紙を手に、しかめっ面を作ってみせる。書面を覗き込むと、それは確かにうちの部所宛てではないようだ。先方が番号を間違えたらしい。
「ったく面倒くせえ。地下のやつらに取りに来いって言ってやるか」受話器を取るジェドに、おれは「いいよ」と声をかける。「おれが下に持っていく」
「甘やかすな」
「ちょうど外にコーヒーを買いに行こうと思ってたところだし」
「じゃあ、今後はこういうことがないようにって、地下のやつらに言っとけ」尊大に言って、紙の束をおれに手渡す。
彼が言っている“地下”というのは、このビルの地下一階のことだ。そこは倉庫になっていて、立体彫刻や絵画など、商品の保管室になっている。“地下のやつら”というのは、そこで作業している人たちのことで、彼らはおれたちのことを“上のやつら”と呼んでいる。同じ会社に勤務してはいるが、さきほどのジェドの態度が示す通り“地下のやつら”と“上のやつら”は、あまりいい友好関係を築けていない。ブルーカラー対ホワイトカラーの構図は、こんな身近なところにも存在していて、中でもジェドはまるっきりわかりやすいタイプの差別主義者だ。
保管庫は通年暗く、ひんやり冷たい空気が漂っていて、“上のやつら”は、あまり地下に降りたがらない。だからこそ、間違いファックスを「取りに来い!」という話にもなるのだが、それこそが“地下のやつら”の反目をあおる結果にもなっている。ジェドはそうしたことに気付かないのか、それともそんなことはどうでもいいのか、平気で“地下のやつら”にああした態度をとるが、おれにはそれは理解できない。どちらが偉いというわけでもないのだし、間違いファックスを届けることで、“上のやつら”の何かが下がるというわけでもない。意味なく戦いたがるのは意味のないマッチョさ。ジェンダー論を持ち出すまでもなく、社内は平和な方がいいに決まっている。
ダンガリーシャツに身を包んだ設営部の男性は、「わざわざ届けてくれて悪かったね」と、にこやかに礼を述べた。親しげに微笑んではいるが、椅子からは立たず「そこに置いといて」と、スチールのラックを指差す。
おれが書類受けにファックスを入れると、「ファックスを見つけたのが、きみでよかった」と、彼は言った。前髪は薄く、ぽっちゃりとした顔は人好きのする雰囲気だ。「これがもしアクロバットあたりに拾われたら、“上まで取りに来い!”って話になっただろうからな。手間がはぶけたよ」
「アクロバット?」
「ジェド・スミスのことさ。おれたちあいつを“アクロバット”と呼んでるんだ。似てるだろ、アクロバットリーダーの男に」
さらっと言う彼に、おれは声を立てて笑った。確かにジェドは、PDFソフトの起動時に登場するキャラクターによく似ている。
「ああ……それは最高だな。悪いけど笑える」
「ウケたぞ、ドン」彼が後方に向かってそう言うと、黒い口ヒゲの男が片手を挙げた。
「このアダ名は彼がつけたんだ。あいつ、命名の達人だよ」
「へえ、他にはどんなのが?」
「“賢者の石”ってのがあったな。最初は“ハリー・ポッター”って名前だったけど、そのうち“賢者の石”になって、今はただ“石”と呼ばれてる。三階の業務課の……」
「ああ、誰のことかわかった。彼はうちの課でも“ポッター”で通ってるよ」おれがそう応えると、ブロンドで巻き毛の男が会話に参加した。「あいつ、映画が公開される前は何て呼ばれてたんだろうな?」
「もう忘れたよ」と、ぽっちゃりが応える。「きっと母親からもポッターって呼ばれてるんじゃないか?」
「今や誰も本名を思い出せない」
「上は入れ替わりも激しいからな。いちいち記憶してられないよ。あ、でもきみの名前は知ってるよ。ディーン・ケリー。そうだよな?」
ボールペンの先端を向けられ、おれはちょっとどきりとした。努めて平静を装い「ええ、そうです」と答える。
「ちなみにおれはチャック・ニコルズ。以後お見知りおきを」そう言って、片目をパチリとつぶる。「ファックスを届けてくれてありがとう、ディーン」
親しげに呼ばれたことに、おれは居心地の悪さを感じた。こっちは彼の名前を知らない。入社してからずいぶん経つというのに、おれはこの三人のうち、誰の名前も覚えてないんだ。やれやれ、おれももう少しジェドを“見習った”方がいいのかも。少なくともここにいる彼らは、“アクロバット”や、“ポッター”のことを知っていた。“上のやつら”が思っているほど、“地下のやつら”は、“上のやつら”に無関心じゃないのかもしれない。
コーヒーショップでカプチーノを買っていると、背後から「さっきはどうも」と肩を叩かれた。振り向くと、さっきの巻き毛の彼──ぽっちゃりでもヒゲでもない方。名前は不明──が立っている。
「どうも、奇遇だね」そうおれが言うと、彼は「そうでもないぜ」と笑って応えた。「きみのことはこの店でよく見かけた」
「よく?」
「わりとしょっちゅう」
「そんなにサボってるわけじゃないんだけどな」
「わかってる。きみはコーヒーを買ったらすぐに出てくからな」
そう言われ、おれは妙にドギマギした。見られてやましいことは何ひとつないが、こっちが彼の存在にまったく気がついていなかったことには、いくらか“やましい”に近い感覚を覚える。“わりとしょっちゅう”遭遇していたらしきおれたち。しかしおれはそのことをまったく知らなかった。つまりそれだけ彼に無関心だったということだ。同じ会社の同僚なのに。
彼はアメリカンコーヒーを三つ頼み、「なあ、ディーン」と言った。それはずいぶんと気さくな口ぶりだ。「きみって思ってたより普通だな。もっとずっととっつきにくいと思ってたよ」
そのコメントにおれは苦笑い。「よく言われる」と真実を答えた。
「チャックが“アクロバット”のアダ名をバラしたとき、おれは正直、やばいと思ったんだけど」
「やばい?」
「きみがジェド・スミスの同僚だって知ってたからな。“チャックのやつ、よけいなこと言いやがって!”とハラハラしてた。でもきみはそれを聞いても少しも怒らなかった。それどころか大笑いしたろ?」
「ああ」
「それで思った。“ああ、こいつは結構冗談が通じるみたいだぞ”って」
「冗談の種類にもよるけど、あれはウケた……ねえ、ごめん、名前を聞いていいかな?」失礼を承知で訊ねる。目の前の男の名前、おれは何時間経っても、絶対に思い出すことはできないだろう。
「おれはマイク・ハドソン。設営部には十年以上いるよ」
これまに何度か展示会場で顔を合わせている彼。十年前から同じ会社にいる仲間の名前を知らないでいるのは、よく考えたらおかしなことのように思えた。
ポールにそのことを話すと、彼は「ぼくはオフィスに勤務したことないからわからないけど」と前置き、「会社ってそういうものなの?」と質問をしてきた。
「どうだろうな。おれもここ以外のことはよくわからないから」
「ぼくの仕事だったらあり得ない話だ。お客さんの名前はみんなすぐに覚えるし、ましてや仲間のだったら尚のことだしね」
社員数で言えば、おれの会社はポールの店よりも、遥かに多い人数を抱えている。自分の仕事とあまり関係のない部所であれば、名前どころか顔だって知らない可能性があるのは否めない。ポールの職場はアットホームで、お互いの名前どころか、家族構成や飼っている犬の名前も把握しているのが当たり前。性癖についてもおおらかで、ゲイであることを隠す必要もない。うちの会社でもカムアウトしている人はいるが、社内の全員がそれに理解があるわけではないことも、おれはよく知っている。もっと個人的に知り合う機会さえあれば、「総務部のあいつはホモだってな」と陰口を叩くよりマシな関係が築けることだろう。しかしそんな機会や意欲があったという話は、残念ながらこれまで聞いたことがない。組織が繁栄し、巨大化することには、それなりの弊害もあるということ。たとえば、そう、“アクロバット”みたいな悪魔を生み出してしまうこととか……。
「もう、いーかげんにしろよ!」
今日もジェドは絶好調だ。コピー用紙を手にし、絶望的な顔で天を仰ぐ。「地下のやつら、コピー用紙をケチって、わざとこっちにファックスさせてるんじゃないのか?」その身振りの悲劇的なこと。シェイクスピア劇もびっくりだ。どんな大事件かと聞けば、ファックスが“また”送られてきたとのこと。それは大変、911に電話したほうがいいかな?
「じゃあ、おれが下に持って行くよ」書類をジェドから取り上げようとすると、彼はそれを押しとどめた。
「もう行くな、ディーン。おれたちはナメられてる。ここで示しをつけないと」言って、受話器をとり、内線を鳴らす。「すぐに上がって来い」と、居丈高に命令するジェド。それは聞いていて気分のいいものではない。
地下からやってきたのは口ヒゲの男だ。彼はアダ名つけの名人。たしかドンとかいう名前だったと思う。
ジェドは「こっちだって暇じゃないんだぞ」と、ファックスの束を彼に突き出した。頭ひとつぶん背が高いドンを見上げ、ぶつぶつと口の中で文句を言っっている。彼はどうやら、とてつもなくストレスが溜まっているらしい。とばっちりの被弾を受けたドンに、おれは“ごめん”と目で合図。すると彼もまた表情だけで“気にするな”と返してきた。
会社という組織が嫌になるのはこういうときだ。弱者と強者。それは役職というわかりやすいラベルにより、単純に階層分けされている。ジェドのような単細胞は確かに嫌われてもいるが、それでも社会的には認められている。スーツを着た馬鹿と、着ていない馬鹿では、着ている馬鹿の方が、一枚(一着?)うわてというわけだ。
ドンは“気にするな”と言ったが(正確には言ったわけじゃない。そう見えたんだ)、おれは同僚の阿呆さ加減を申し訳なく思う。これだから“上のやつら”は悪印象なんだ。
外にコーヒーを買いに行くついで、おれは地下に降りてみた。ドンを見つけ、さきほどの“アクロバット”の態度について少し詫びる。すると彼は「別にいいさ」と、本当にどうでもよさげな顔で言い、「でも、きみはそんなことでわざわざここに?」と、聞いてきた。
「わざわざって言うか……なんとなく気になって」
「そうか、親切だな」
おれが親切になったのは昨日からだ。以前だったら、これくらいのことは気にも留めなかったはず。わざわざ地下に来てみたのは、昨日ポールに「会社ってそういうものなの?」と聞かれたからだ。“会社ってそういうもの”かどうかはわからないが、“ディーンって奴はそういうもの”では、おそらくない。つまりそれは、“おれ自身がどういう態度を人に取りたいと思うかどうか”ということだ。組織の巨大さを自身のものと勘違いし、いち個人としてのありかたを忘れてしまった成れの果てがジェドだ。おれはああはなりたくない。しかしそうなる可能性の芽は間違いなくあったと思う。すでに築かれた仲間意識というのは楽なもの。『敵はあっちだ! エイエイオー!』。仮想の敵は男たちの団結を強くする。巨大になりすぎた組織にまつわる弊害。それをのさばらせないためには、個々が意識的になっていくしかないのだと、おれは“アクロバット”に教えられているのだ。
上のフロアに戻ろうとしたとき、倉庫の奥から人の話し声が聞こえてきた。
「……だからさ、絵に傷があったのはおれたちのせいじゃないってあれほど言ってるのに。最初の額装に問題があったんだろ?」
「そりゃ、おれもそう思うけどさ。運んでるうちに破損って話なら保険の種類が違うからそういう理由にしたんだろ」
「おれたちの名誉は金に換算できないぞ……あれ、ディーン?」
にぎやかに愚痴りながら登場したのはチャックとマイクだ。
「最近よく会うな。今日はどした?」とマイク。おれが答えるより早く、ドンが説明をかって出た。「上に間違いファックスがまた届いた」
「あれ? また?」
「先方にちゃんと言ったのか?」
「ああ。むこうにはメールしといたんだけど」
「メールじゃ駄目だろ」ドンはあきれ顔を見せた。
「それでディーンはここに? ファックスを届けにきてくれたのか?」
「彼はファックスじゃなくて、謝罪を届けにきたんだ」
「なんだ? それってどういう意味?」
ドンはさきほどまでの顛末──アクロバットが怒鳴ったところから──を説明。話を聞き終えたマイクとチャックは、同時に「へーっ」と言って、おれを見た。
「上の人間にも親切な奴っているんだな」と、チャック。居留地のネイティブ・アメリカンが、“いい白人”に出会ったときのようなコメントだ。
「なあ、だからディーンは見かけとは違うって言っただろ?」マイクは嬉しそうにチャックの肩を揉んだ。“って言っただろ?”ってことは、ここでおれの話題が出ていたってことか。この様子から察するに、どうやら悪い噂ではなさそうだ。
チャックは笑い、「イケメンでもいい奴はいるんだな」と言った。「『すべてのイケメンは死すべし』という信仰を、おれは今日限りで捨てることにするよ」そう言って、おれの手をしっかりと握る。
さっきのドンの説明が、感動的かつ、オーバーにつづられていたとはいえ、二人の反応は極端かつ、オーバーだ。それだけ“上のやつら”に偏見を抱いていたということだろう。
マイクは腕組みをし、「すべてのイケメンは死すべし? どんな宗教だそれは」とチャックに聞いた。
「いいだろ。おまえも改宗するか?」
「いや、おれはまだ死にたくないから」
「なにが?」
「イケメンとしては命の危険を感じる」
「なんだそういうことか。安心しろ、おまえは一万とんで二百五十パーセント大丈夫だ」
「どこからその数字が出たんだよ!」
デスクに腰掛けて笑いあう彼ら。マイクの台詞を借りるとすれば“ああ、こいつらは結構冗談が通じるみたいだぞ”。地下は思っていたより普通のところ。もっとずっととっつきにくいと思ってた。今はそう忙しい時期ではないからということを差し引いても、“上のやつら”と比べれば、ここの空気はずいぶんとリラックスしているように感じられる。
「そうだ、ドン。こないだの負け分、いま払っておくよ」チャックがポケットから財布を出した。
「いつでもいいのに」と、ドン。
「財布に金があるうちに渡しておかないと忘れるからな」
なんだろう、まさか会社で賭け事はないよな?
「なに? スポーツくじ?」おれが口を挟むと、ドンが答える。
「ポーカーさ」
ポーカー。トランプゲームか。
「金曜の夜はいつもポーカーだ」ドンは金を受け取り、「これは先週、チャックが負けた分」と、札をひらりとしまい込む。
「ディーンはポーカーは?」と、マイク。
「得意かどうか……やったことないからな」おれがそう答えると、チャックが叫んだ。「ポーカーをやったことないって? まじかよ?!」彼の顔はにっこにこ。とても嬉しそうだ。
「ルールは知ってるけど、賭け事はあんまり」
「好きじゃない?」
「っていうか、よくわからないな」
「じゃあどうだ、試しにやってみないか?」ドンがそう提案すると、チャックは「なに言ってんだよドン」と軽い笑い声をたてた。「彼はおれたちみたいな“ダサい子”とはつきあわないって!」言って、くまのプーさんのように腹を突き出す。自虐と嫌味が混ざったコメントに、おれは思わず「そんなことないよ」と反論(まあ、少しはダサいとは思ってるけどさ)。「ポーカーは今晩? どこに行けばいいって?」
「やった! カモん、カモちゃん〜♪」
「チャック!」犬を叱る要領で、ドンが大声を出した。「この馬鹿のことは気にするな。ポーカー会場はおれのうちだ。川むこうだから、車で連れていくことになるけど。それでもよければ」
「うん、お願いするよ」
かくしておれは、彼らの仲間になった。このときはまるで意識していなかったけど、関係性の始まりなんて大概そんなもんだ。
丸テーブルを囲み、カードを切る。外国のビールを飲みながら、くだけた会話。しかしお互いの顔色を盗み見ることは決して忘れない。これで肩つりに拳銃があればハードボイルドの世界だが、おれたちは至って普通の小市民。イカサマもなけりゃ、負けてピストルを抜くこともない。賭ける金額は小銭程度だ。
おれが首尾よくチップを集めると、ドンは「ほんとうに初めてなのか?」と怪訝に言った。
マイクも頷き、「そうだな、ディーンはけっこう強い」と同意。「ルールもちゃんと知ってたし」
「子供の頃はたまにやったんだ。姉貴とその友達と。弟の小遣いでマニュキアを買おうって算段だから、彼女たち、そりゃあ真剣だったね。それ以来、賭け事とは縁遠いんだ」
「無情なギャンブラーに身ぐるみはがされたってわけか」
「つらい過去だな……二枚くれ」
「おれは降りる」マイクはカードを伏せて置いた。
「また降りるのかよ」
「賢人は馬鹿をやらない」
「臆病者もな」そう言ってドンは葉巻を口にくわえ、ライターをばちんと鳴らして開けた。自分の葉巻に火をつけ、そのついでにおれのタバコにも点火してくれる。
おれは煙を吐きながら、皆の顔を見て言った。「全員が吸うなんて珍しい」
喫煙者は肩身が狭いマンハッタン。未だ火と煙を愛する者がこの部屋に四人(全員だ!)もいるとは驚愕の事実だ。
「喫煙所はおれたちのたまり場さ」と、マイク。「きみは見ないな」
「あそこでは吸ったことないんだ」
「おれたちはいつも喫煙所にいるぜ。今度来てみるといい」ドンはビールをプシュッと開けた。
おれたちの手にはビールとタバコ。女は抜きで、会話は進む。煙が充満する部屋には、男性ホルモンも過多に充満中。数日前まで名前も知らなかった彼らだが、こうして一緒にいるうち、段々それぞれの性質も掴めてきた。
おれの右隣に座っているのは、メンバー内で唯一の既婚者であるチャック。性格はひょうきんで、体型はふんわりというか、ぽっちゃり。子供向けの映画には必ずひとりいる、キャンディバーをムシャムシャやっているようなタイプだ。
左隣、口ヒゲのドンはアダ名つけの名人。性格はクールで、言葉は辛辣。おれも以前は妙なアダ名をつけられていたんじゃないかと思うが、彼の眼差しは妙に鋭く、真相はとても聞けやしない。
向かい側の席は、設営部に十年以上いるというマイク。ブロンドの巻き毛はとても豊かで、ハゲの心配は永遠になさそう。どこの政党も支持しないという彼はノンポリで、強いて言えば分がいい方につくとのこと。争いごとは嫌いみたいだ。
まるで漫画の世界に飛び込んだようなキャラクターたち(まあ、いつものメンバーもそうとう濃いが)。彼らといると普段は耳にしないような言葉が急に飛び出し、こっちがリアクションに困ることもしばしば。たとえばゲイにまつわるキツイ冗談。これにはいささか閉口だ。以前だったら笑えたのかもしれないが、今のおれには少しも愉快とは思えない。皆に悪意がないのはわかっているが、ディーン・ケリーの中に存在する“ゲイな部分”には、確実に傷がついている。とはいえ、それはさほどの大きさではない。フロントガラスにへばりついて死んだ羽虫ていどで、不快感としちゃ小さなものだ。
時計の表示が0時に近づいたところで、おれはソファから上着を取った。
「おれ、そろそろ帰るよ」
するとチャックは両手を広げ、「ディーン、冗談だろ」と目をむいて見せた。「勝負はまだまだ、これからじゃないか」
「どうせ明日は休みなんだ。朝までいろよ」と、ドン。視線はカードから逸らさない。
「チャックは奥さんが待ってるんだろ? こんなに遅くなって平気なのか?」ジャケットに腕を通しながらおれが訊くと、チャックは「今帰ったら、女房まだ起きてるからな」と言う。
「葉巻のにおいをプンプンさせて帰ったら、ベッドに入れてもらえないとか?」
「そりゃいいな。葉巻食って帰るか」チャックはチップをテーブルに置いた。
「きみの彼女はそうなのか? ベッドに入れてもらえない?」カードを見つめながらドンが聞く。
「そういうわけじゃないけど……」襟元を直しながら、言いよどむ。“彼女が”じゃなく、おれは自分が臭うのが嫌なんだ。服はクリーニングに出したいし、シャワーも浴びたい。しかしそれを説明するのは控えたい。なんとなく。
ドンはぶかーっと煙を吐き、「誰に遠慮することもないだろ」と言い放つ。「“これがおれの匂いだ!”って、堂々としていればいい」
いや、これは“おれの匂い”じゃないんで。
「ドンは女に迎合しなさすぎなんだよ」と、マイク。「今どきそれじゃまずいだろ」
「葉巻がおれのフレグランスなんだ」
「意地っぱりめ。ディーンを見ろよ。いつも何やらイイ匂いさせてるぞ。最近の流行りはこういう男なんだ」
「イイ匂いねぇ……」意味ありげに微笑むドン。「背後に立ったら、女と間違えたりして」
おっとと……嫌な矛先がやって来たぞ。
「いいんじゃないの、好みは人それぞれだし」マイクはおれの肩をポンと叩いた。「ディーン、おれも帰るわ。一緒に出よ」
タクシーを捕まえられる通りまで歩く道すがら、マイクは突然、何の前振りもなく「きみってあんまり男と付き合ったことないだろ」と言ってきた。
「え? え? 男と?」今現在“彼氏”のいるおれにこの質問。何をどう言えばいいのか、面食らっていると、マイクは「ほらそれだ」と笑った。「そのリアクション、さっきも何度か見たよ。きみは時々おれたちの会話について来れてなかっただろ?」ニヤリとするマイク。確かに、彼の指摘は間違いではない。
「ずっときみといて思ったね、“こいつは男慣れしてないな”って。おれの学生時代にさ、きみみたいな奴ってやっぱりひとりくらいいたんだよ。女とばっかりうまくやってて、男とはあまり馬が合わない。そういう奴は卒業後、ゲイバーとかに勤めたりしてたけどさ。ああ、変な意味じゃないぜ。気を悪くしないでくれよ」先回りして弁護するマイク。ゲイバーの部分はともかくとして、彼の言わんとすることはよくわかる。実際、おれは学生時代、あまり仲良くできる男友達というのがいなかった。フットボールやガレージロックに興味のあるティーンエイジャーの中で、おれは美術やファッションの本を読んでいたのだから、当然馬など合うわけもない。それでもおれのことを“オカマ野郎”と罵倒する者がいなかったのは、おれが女にもてたからだ。もしもディーンをいじめたら、そいつは女子から嫌われる。学生時代に喧嘩を売られることがなかったのは幸いだが、コミュニケーションを積極的にとってこようという男子生徒は、やっぱりそう多くもなかった。
「なあ、マイク。きみはおれのことをとっつきにくいって言ってたけど、実はこっちも同じように思ってたんだ」
「おれが?」と、自分の胸を指すマイク。
「いや、きみたちが」
「おれたちがとっつきにくいって? なんでまた?」
「だっていつも固まって一緒にいるし、“上のやつら”のことは避けてた」
「別に避けてるなんてことは……」
「おれのこと、コーヒーショップで“しょっちゅう”見かけても、きみは声もかけてくれなかったしね」先手を打ってそう言うと、彼は「そりゃまあな、ちょっとは避けてたかも」と否認を翻した。「でもこっちの気持ちもわかってもらいたいね。きみは女子社員にモテモテだし、いつもかっこいいスーツを着てるだろ? 表舞台の課とは違って、会場設営部は地味なやつらばかり。怖じ気づくのも仕方ないってものさ」マイクはひょいとクビをすくめた。
“地下のやつら”が、“上のやつら”に引け目を感じていただって? それはずいぶん意外なことだ。会場設営部はいつも『あっちはあっち、こっちはこっち』という態度を貫いていたし、いい意味でも悪い意味でも、“上のやつら”を気にしているそぶりは何ひとつ見られなかった。しかし今のマイクの言い方からするに、これは本当に正直な本音なのだろう。
「そんなふうに思ってたなんて、ちっとも知らなかった」おれがそう言うと、彼は「だろうなぁ」と、納得したように頷いた。
「それに……おれが女子社員にモテモテだって? それもちっとも知らなかったよ」
「はは、知らぬは本人ばかりなり、か? チャックなんかあんまり羨ましいもんだから、女子社員がきみを褒めるたびに、“ディーンはゲイだ”って説明して回ってるよ」
「………………それもちっとも知らなかった」
「まあまあ、今度からチャックも改めるだろ。きみがおれらの仲間になったんだからな」
“仲間”───その言葉には微妙に違和感があるが、ボーイズ・クラブにはそうした連帯感が必要なのだろう。タバコに火をつけ合う。朝まで一緒にいたがる。同じ酒を酌み交わす。仲間だと宣言する……。どちらかと言うと、こういうセンスの方が、本物のゲイよりも、ずっと“ホモっぽい”ような気がするが……まあ、彼らがゲイってことは、まず七割方あり得ない。むこうもおれのこと『ゲイってことは、まず七割方あり得ない』と思っているかもしれないが……。
おれの推測した彼らの“ノンホモセクシャル・パーセンテージ”が、七割から八割に変わったのは翌週のこと。チャックから「今夜は女のエネルギーを浴びてリフレッシュしよう!」という提案を切り出された瞬間のことだった。
「いいストリップバーを知ってるんだ」そう言って、とびきりの笑顔を浮かべるチャック。
思わずおれは「ストリップバー?」と、聞き返す。
「酒とツマミがとびきり安い店なんだよ。ちょっとした穴場だ」
「だって……チャックには奥さんがいるじゃないか」
「そうさ」しれっとしてチャック。「だから行くんだ」“当たり前だろう”と言わんばかりの態度。実に堂々としているため、突っ込みどころがわからない。
「ディーンがいたら、おれたちもちょっとはイケてるグループに見えるかもね」そのチャックの言葉に、ドンは「そうだなぁ」と頷いて「おまえがタバコでも買いに出てる間は」と付け加えた。
「モテ系メンズはこういうとき何着てくんだ?」マイクが聞くので、おれは正直に「わからない」と答えた。「ストリップバーなんて行ったことないから」
「なんだよ!」チャックが叫ぶ。「ポーカーだけじゃなく、ストリップバーも初心者なのか?!」
ピーッ! ホイッスル! 2ポイント先取! 彼はやたら嬉しそうな表情をしている。
マイクは頭を振り「マジかよディーン」と言い、続けてドンも「やれやれ、青春時代は何して遊んでたんだ?」と、あきれ顔。なんだろ、ストリップバーに行ったことないって、そんなひどいことなんだろうか。
おれはちょっとムッとし、「行くのは構わないけど」と突っけんどんに承諾した。「その前に一度、家に戻って荷物を置いてきてもいいかな。週末は家で仕事するつもりだったから、データをどうしても今日中に持ち帰りたいんだ」
「持ち帰りで仕事か。やっぱり“上”は大変だな。いいよ、おれたちは近くで軽く時間をつぶしてから行く。後で合流しよう」
大急ぎで自宅に戻り、書類の入ったカバンをベッドに放る。さて、ストリップバーには何を着ていったらいいんだろう? よれよれのボウリングシャツとバミューダパンツ? ……わざと変な格好することもないか。
クローゼットからシンプルなシャツとパンツを選び出し、廊下に出たところでポールとばったり。
「出かけるの?」
「あ、ええと。うん」
ポールはくすっと笑い「“あ、ええと”って何?」と、おれの挙動を指摘した。それから一番聞いてほしくない質問をひとつ。
「どこ行くの?」
“出かけるの?”“どこ行くの?”。どちらもシンプル極まりない、Wで始まるクエスチョンだが、今日に限っては答えにくい。
「ちょっと飲みに。こないだの同僚と」
「そう、遅くなる?」
「ああ、先に寝ててくれて構わないよ」
それじゃ、と素早く出ようとしたところで、不意にドンの言葉がフラッシュバックした。『誰に遠慮することもないだろ。堂々としていればいい』───。
遠慮? おれは何か遠慮してるのか? 今の態度は堂々としてない? ……そうかもしれない。コソコソ出ていこうなんて、男らしいとは言えない気がする。それによく考えたら、隠すことでもないか。別に浮気しに行くわけじゃなし。ストリップバーくらい誰でも行ってる。(おれは初めてだけど)。
改めて“どこに行くか”を正しく伝えたところ、ポールは「ストリップバー?」と、怪訝な顔をした。「女の?」
不信感のある声に尋ねられ、おれは「えーと……たぶん」と、あいまいに返答。このあたりはあまり男らしくはない。
すわ、怒鳴られるかと思いきや、意外にも彼は「そっ、行ってらっしゃい」と言っただけだった。
「……いいのか?」
「仕事の付き合いなんでしょ?」
「ん、まあそうだけど……」歯切れの悪いおれに、ポールはすまし顔で言う。「きみのことだから、どうせすぐ飽きるに決まってるよ」
「飽きなかったら?」
「ひっぱたいて目を覚まさせる」
「……すぐ飽きるよう努力するよ」
「行ってらっしゃい、これは魔除けだ」と、おれの額にキスをする。
恋人を笑顔でストリップバーに送り出すなんて、彼は素晴らしく広い心の持ち主だ。あわてず騒がず、冷静沈着。もしかしたらおれの知っている人間では、彼が誰より男らしいと言えるかも。葉巻もカードもやらないが、今夜のポールはずいぶんと男っぽく見えた。
赤、青、紫の順に替わる舞台照明。スピーカーから割れた音が鳴り響く中、女性たちはステージから挑発的な視線を投げかけ、少しでも多くのチップを得ようと努力をする。チャックはとても上手に指笛を吹いたが、思ったとおり、おれはここでは性的な興奮を得ることはできなかった。女の子たちが魅力的じゃないというわけではない。ただなんというか、おれはどうしても、彼女たちの人生の背景に思いを巡らせてしまうのだ。若く美しい女性たち。それが好きでもない男たちに裸を見せているのは金のためだ。どういう理由があるのかは知らないが、そこには間違いなく彼女たちの生活がかかってる。小さな子供がいるかもしれないし、年老いた親を養っているのかも。そこを考えるとゴキゲンに酔っぱらうことは難しいし、ましてや口笛を吹く気にはどうにもなれない。こんなことを思われるより、普通に楽しんでくれた方がダンサーにとっては嬉しいんだろうが……おれはどうも駄目だ。セックスを売り物にした産業は、もともとあまり得意じゃない。それにしても、ここまで楽しめないとは思ってもみなかった。もしかしたらポールの魔除けが効いているのかもしれない。
「なぁ、おまえはどの女がよかった?」
「おれはカーリーヘアが一番だった」
「てゆうか、二番目に出てきた女!」
「あれはないよな! 乳輪でかすぎ! 胸の形は悪くないのに」
「あの巨乳? あれは偽だろ?」
「シリコンじゃないじゃない女なんて、あそこにはいないよ」
「そうかぁ?」
「貧乳はストリップバーで働けない」
「谷間でチップを挟めなきゃ意味ないからな」
「ペーパークリップかよ?!」
「爆乳の使い道って他にあるか?」
「デスクに乗せてペーパーウェイトにする」
「だからうちの社長秘書は乳デカイんだ!」
店を出た途端、ショーの感想を一気にまくしたてる彼ら。男がおしゃべりじゃないなんて、いったい誰が言ったんだろう? おれはといえば皆から一歩離れ、外の空気は気持ちがいいな、なんてことを考えている。
「ディーン、さっきから静かだな?」マイクがおれに話しかける。「きみはどの女がいいと思った?」
「みんなきれいだったよ」おれがそう言うと、ドンは「“みんなきれい”か」と、こだまのように言葉を返した。「なあ、ディーン、ああいうところでは、誰かひとりお気に入りを決めた方が遊び易いってもんだぜ? そもそもきみは全員にチップをやり過ぎなんだよ。目当ての子をひとりかふたりくらいに決めないと、チップで破産しちまうぞ」
「だってあんなに一生懸命踊ってるんだし。そもそも彼女たちの生活はチップで成り立ってるんだろ?」
「生活って……そんなこと考えてチップやってたのか?」ドンはまたしてもあきれ顔。そこへチャックがフォローに入った。「ま、ま、彼もそのうち慣れる。安心しろよディーン、おれがきっちり指導してやるからさ」
「気をつけろ。チャックに指導されたら服のセンスが悪くなるぞ」マイクの言葉に、チャックはすぐさま「子馬もようのネクタイしめた奴に言われたくないね」と、反論する。
「子馬は流行りだ」と、マイク。
「牧場ではな」
相変わらずの気さくな会話。それでもおれは笑えない。どうやら“女のエネルギーを浴びてリフレッシュ!”とはいかなかったようだ。
「よし、ディーン。先週の負けを取り戻すぞ」ドンがおれの肩を抱いた。ポーカーゲームのお誘いだ。
「いや、今日はやめておくよ。ちょっと疲れた」
「そうか、まあいい。でも次の週末は野球だぞ。忘れるな」
「ああ、もちろんさ」
家に帰るとポールはまだ起きていた。おれのためにハーブティを淹れてくれ、「ストリップバーはどうだった?」と聞いてくる。おれは「思ったより疲れたな」と、低いテンションで素直に答えた。するとポールは満足そうにニンマリ。“やっぱりね”という顔をしてみせる。
「ポーカーにストリップ。次はどんなことにチャレンジするの?」と、ポール。
「週末は野球だ」
「急に健康的になったね」
「いや、やるんじゃない。見るんだ。メジャーリーグのチケットをマイクが手配してくれたから」
「ブーイングと野次の練習を?」
「いいや、それはしない。発声練習ならもっといい方法があるぜ」おれはポールの腕を引っ張り、彼の身体を抱き寄せた。
「疲れたって言ったくせに……」腕の中でポールがささやく。
「それとこれとは話が別だ」
「わかった。じゃあ、ぼくが朝まで叫ばせてあげる」
そう言う彼のキスはとても素敵で、ブーイングと野次の練習には到底なりそうもない。
ベーブ・ルースゆかりの球場は今日も満員。ホームチームを応援する人々の熱気は激しく、開始前にもかかわらず「ゴー!ヤンキース!」のかけ声が聞こえてくるほど。ニューヨークに生まれ育って、この空気が嫌いな少年はいないはず。おれが人生で初めて訪れた球場も、もちろんここだ。しかしそうとは知らないドンは、おれに向かって「ルールは知ってるよな?」なんて言ってのける。
「子供の頃にはプレイもしたよ。スコアブックのつけかただって知ってる」
「きみは野球よりバスケの方かと思った。ばかに背が高いし」
「ドンは子供の頃にどんなスポーツを?」
「おれはチェスだ。ロシアからの留学生を打ち負かしたこともある。運動は向いてなかったな」
手荷物検査を通過し、ゲートの入り口を探していると、マイクが「ちょっとディーン」と、呼び止める。
「あれ、おまえを呼んでるんじゃないの?」言われて振り向くと、妙に派手なグループが、おれに(たぶんおれに、だ)向かって手を振っている。
「ディーン! ハーロー!」
「お久しぶりー!」
「元気ぃー!?」
それはいつものパーティ狂のメンバー。モナとキャロリンとマリリンだ。
「何だあれは」と笑いだすドン。
「でかい声だな」とマイクが言う。
彼らが周囲の人々の注目を集めているのは、何も声のデカさだけに限ったことではない。かぶったベースボールキャップにはフリフリのお花。コスチュームのベースとなっているのはチームカラーのストライプだが、ぴったりしたブーツとミニスカートは野球とはまるで無関係。太ももには各自、好きな選手の名前がペイントされ、応援の気合いを物語っている。
三人はおれに駆け寄ると、嬉しそうな表情でしゃべりだした。
「まあ、ディーン。あなたもヤンキースのファンだったのね」
「こんなところで会うなんて、何だか妙な感じだわ」
「こちらの方たちはお友達かしら?」
おれが同僚を紹介しようとすると、ドンは突然「いや、こいつはすごい」と、大声を出した。「これだけ目立てば絶対にカメラに抜かれるだろうな」感心したように両手を広げ、「選手が萎えて負けなけりゃいいが」と皮肉を言う。
「相手チームに対するプレッシャーをかけるにはいいんじゃない?」そうマイクが返すと、チャックは「シアトルの奴らはオカマばっかりだから大喜びだよ」と言って笑った。
これはいつもの軽口だが、口さがない会話になれていないモナたちは、戸惑いの表情を浮かべている。
「ごめんよ、ガールズ。別に悪気はない」おれが詫びると、マリリンはパッと表情を明るくし、「あら、いいのよディーン」と手を振った。「わたしたち気にしてないわ」
「そうよ、慣れっこだもの」モナもにっこり笑みを作る。
「“ガールズ”ね……」と、ドンがつぶやく。「ところでディーン、きみの“ガール”は、どれなんだ?」
彼の言葉にどっとウケるマイクとチャック。「そうだな、せっかくだから紹介してくれよ!」
彼らのジョークに悪意はない。それでも人を傷つけることはできるだろう。おれを侮辱することについては、フロントガラスにへばりついた羽虫ていどのことだが、ガールズたちからすれば、これは羽虫どころではおさまらない。全人格を初対面の人間に否定されることが、どれほどのことか、この“ボーイズ”は、ちっともわかっちゃいないんだ。
おれはガールズとボーイズの間に立ちはだかり、「おれのガールフレンドはこの中にはいない」と宣言する。「いたとしてもきみたちには紹介しない」
「なんだって?」マイクが顔をしかめた。
「きみたちの差別的発言には、もううんざりだ」
「おいおい、そうマジになるなよ。ほんの冗談だろ?」ドンは笑顔だ。おれは少しも笑えない。
「冗談を言いたいのなら、もっとセンスを磨いて欲しいよ。少なくとも誰も傷つけなくて済むようなやつを」
「ディーン、いったい何をそんなに怒ってる? おれたちが何したって言うんだ?」
「おれの友達を侮辱したじゃないか」
「だから何だ? そっちの奴は“気にしてない”と言ったんだぜ!?」
「おれは気にする。あんたが気にならないというのが不思議なくらいだ」
「なんだと? こっちが下手に出てるからって……」
「おい、やめろ」ノンポリのマイクが割って入った。「なんだかよくわかんないけど……どうも険悪だな。とても一緒に野球を観る雰囲気じゃない」
おれが黙りこくっていると、マリリンがそうっとシャツの袖を引っ張った。
「ね、ディーン、あたしたちこれから選手控え室に行くの。あなたも一緒に来ない?」
「バックヤードパス持ってないぜ?」
「あら、そんなのいいのよ。ちょっと弟を激励に行くだけだから」
「マリリンの本名はマイケル・ジョンソンよ」とモナ。「投手のケニー・ジョンソンのお兄さんなのよね」
「まじか」そう言ったのはチャックだが、おれもまったく同意見。
「ケニーがちっちゃかった頃は、あたしがキャッチボールの相手をしてたのよ」マリリンは得意げに胸を張った。
「この子ったら、今でもいい肩してるのよね」
「今や握ってるのは、別の玉ばっかりだけど」
「失礼ね!」
「固いバットも一緒にでしょ?」
「夜のホームラン王!」
「おげれつ!」
これもまたいつもの軽口だ。それでも不思議と嫌な感じはしなかった。
「行きましょ、ディーン」マリリンがおれの腕に腕をからめた。
「ボールにサインしてもらえるかな?」
「もちろん。他の選手のも頼めばもらえるわよ」
「だったら売店に寄らないとね。ボール、持って来てないでしょ?」
「ディーンは持ってるわよ。このなかで持ってないのはあたしだけ♪」
「そんなに玉抜き手術が自慢ってわけ?」
「嫌味よねぇ」
にぎやかに選手控え室に向かうおれたちの背後で、“ボーイズ”の声が聞こえた。
「おれもよかったら弟さんに……」
「よせ馬鹿っ! みっともない!」
彼らの姿がすっかり見えなくなったあたりで、マリリンはおれの腕を揺さぶり「ねぇ、ディーン」と、小さな声を出した。「さっきはありがとね。あいつらの前だから意地はって平気な振りしたけど、ほんとはわたし、とっても傷ついてたの」言って、身体をおれに寄りかからせる。「あんなふうに立ちはだかって、わたしたちを守ってくれる……それってなかなかできることじゃないと思う。泣いてしまいそうなくらい嬉しかったわ。ディーン、あなたは男の中の男よ」それから、ほんの少し背伸びをし、おれの唇に軽くキスをした。
「あらヤダっ! この子ったら、なにやってんの!」マリリンの所業を鋭く見咎めるキャロリン。するとマリリンは「いいの! 感謝のキスなんだから!」と言い、おれに抱きついた。
「じゃあたしも!」モナが後に続こうとすると、「あんたのはセクハラよ!」とマリリンが怒鳴る。
「なんであんたばっかり! あたしだってキスしたいわよ!」
「おやめっ! みっともない!」
「自分ばっかりずるいじゃないよ!」
やたら力強い“ガールズ”の強引な感謝。全員から機関銃のようなキス攻撃にあって、さっきのグループに戻りたくなったろうって? まあ、いつものおれならそう思ったかも。しかし今回だけは別、“チーム・マッチョ”に戻るくらいなら、ここで“感謝のセクハラ”に甘んじていたほうが全然マシだ。なべて世はこともなし。おれにとってはこっちが浮き世だ。
サインボールを天井に放り、落ちてきたところをキャッチ。また投げて、キャッチ。それを繰り返しながら、おれは言う。
「きみの予言通りだ」──ボールを投げる。
「なにが?」と訊くポール。
「すぐ飽きた」──キャッチ。ボールの縫い目を指でなぞり、「おれはもともと野郎っぽい奴とは馬が合わない」と説明。「少しは合わせた方がいいのかなって、今回思ったんたけど、なんだかまだ時期尚早だったみたいだ」
「いいんじゃない? 無理しなくても」
「煙にまみれてポーカーをするより、きみと家でゲームでもやっていたほうがずっといい。これが本音だな」
「きみがストリップ狂いにならなくてよかった」
「なるもんか。セックスをショーにするのはおれは好きじゃない。きみはそのことを知ってて、“行ってらっしゃい”って言ったんだろ?」
「まあ、そうかもね。さてと、じゃあやる?」
「やるって何を?」
「ゲーム。モノポリーのボードがどっかにしまってあると思うけど?」
ポールはホテルをいくつも建てて、鉄道会社を買い占めた。彼の手腕におれの計画は飲み込まれたが、そんなことは気にもならない。恋人に打ち負かされることの心地よさ。彼はとても頭がいい。そのことを知って、おれは嬉しいとさえ思う。
おれとポール。生物学的にはどちらも男。だったらこれ以上“男っぽく”することに、いったいどんな意味があるだろう? ポールの振るまいはいつも自然で、そこには素敵な男らしさが感じられる。マリリンは心ない言葉に傷ついていたが、それを気づかせまいと笑顔を見せた。繊細なハートと思いやりは母性的と言ってもいいだろう。ド派手な衣装は他人が見たら不自然に思うかもしれないが、彼女にとっては自然なことだ。なにが自分自身かは、本人にしかわからない。無理することなく、型にはまることなく、おれたちは居心地のよさを見つけ出していく。
おれはおれが気に入った空間にいて、そこには間違いなくポールの存在がある。居心地のいいソファと旨いコーヒー。ついでにモノポリーのひとつもあれば、だいたいハッピー。欲しいものはすべてこの家の中にある。探しに行く手間が省けたのは幸いなことだ。
END.
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