第13話:ハードロック☆パパ(I'm Going to Tell You a Secret)

 ビョウつきレザージャケット、つま先のとがったブーツ。肩まである髪はヘアスプレーでセットしてある。手の甲にはナイフの刺青。服の下にはもっといろんな柄があるんだろう。別に見たくないけど。

 こちらにおわすは50がらみのハードロッカー。彼と一緒にレストランに入ると、店の対応は二通りある。まず、ぎょっとした顔で見つめられ「こちらのお席 へどうぞ」と、店の奥のトイレに近いテーブルに案内される場合。別のパターンでは、やはりまずぎょっとされ、それから支配人らしき人物が現れ「当店をお選 び頂き、真に光栄です」と挨拶されて、店の奥のVIPルームに案内される場合。後者はなかなか気分がいいが、食事の相手が5分に一度のペースで、Fワード を連発しているのであれば、VIPルームも独房へと変貌を遂げる。グラミーやゴールドディスクなどの栄光に輝いたとしても、反骨精神は失わず。所作は乱 雑、言葉は乱暴。それは彼の代表作『生まれながらの野蛮人 (Born Barbarians)』に表現されている通り。

 トッド・スケイスはアメリカが70年代に生んだスター。このロックのアイコンと、なぜおれが一緒にタンドリーチキンなんかを食っているのか。「それはちょっとした趣味で」というわけではもちろんなく、これは仕事の範疇だ。

 絵を描くアーティストは珍しくない。そしてそれを販売することもよくあること。ジミ・ヘンドリックスのサイン入りギター、マリリン・モンローの書簡、モ ハメッド・アリのボクサーパンツ。そんなものを鑑定書つきで売りに出す商売に文句はないが、まさかうちの会社がそうした契約に手を染めるとは、入社当初に は思ってもみなかったことだ。トッド・スケイスのアートは(それが“アート”と呼べれば、だが)国内ほぼすべての州で展示販売され、ここニューヨークでは 画家本人が登場。ライブペインティングとサイン会を行い、大いに我が社のセールスに貢献してくれた。自分にとって“素晴らしい仕事”とは言い難かったこの 企画だが、どういうわけだかトッドはおれのことを気に入ってくれた。休憩の合間の軽食や、展示終了後の夕食など、高価な酒と食事を奢ってくれる。こちらと しては断る理由もないし(そもそも契約作家からの誘いを断れるわけがない)、なんとなく付き合ってはいるが、これはなかなか気苦労が多い。「基本的にハー ドロックはおれ向きじゃない」と、ポールに愚痴ると、彼は「きみはボンジョヴィのライヴに行ったことあるんだろ?」と、10年以上も昔の出来事を持ち出し てきた。

「そりゃあるけど、あれは12の時の話だ。ああいうのとは違う。ジョンは『ケツ』とか『失血死』とかいう単語を歌詞に入れたりしないからな。トッド・スケイスのキャッチフレーズ知ってるか?」

「なに?」

「“地獄からよみがえった暗黒の騎士”」おれが低くそう言うと、ポールは吹いた。

「暗黒の騎士は目の回りにものすごいアイラインを入れてるんだ。クレオパトラより化粧が濃いぜ」

「きみの立場をうらやましく思うロックフリークはいっぱいいると思うよ」

「だったらいっそイーベイにかけたいね。“トッド・スケイスと二人きりでディナーの権利”“タンドリーチキンが嫌いじゃない方のみ受け付け”。きっと高値がつく」

「ぼくはロックは詳しくないけど、きみがかなり貴重な体験をしてるってことは理解できるな」

「ああ、ほんと。これと同じくらい貴重な体験って、生きているトリケラトプスに会うことくらいじゃないか?」

 しかしながら、ここはまだまだ序の口。この後おれはさらに貴重な体験をすることになる。例えて言うなら、それは、生きているティラノサウルスに会うことほど貴重。イーベイに出しても誰も買いたがらないような類の出来事だ。




「なにぼうっとしてる?」デザートのタピオカココナッツをスプーンですくいながら、トッドはしゃがれた低い声でそう聞いてきた。

「イーベイのことを考えてました」

「イーベイ? ネットオークションか。何でだ?」

「いえ、大したことじゃないです」

「開期が終わってホッとしてるんだろう。甘いものでも食って元気をだせ」

 コースメニューのデザートを促すトッド。数日行動を共にしてわかったことだが、意外や彼はスイーツ好きだ。こわもての男ほど、砂糖を好む傾向があるような気がする。

「この展示会はおれにとって思い出深いものになるだろう。まさかおれの絵を買ってくれる人がいるとは思ってもみなかったからな」

 まあ、確かに。それは同感ですね(←というおれの心の声)。

「ファンとも多く交流できたし、それにスタッフがとても素晴らしい。特におまえさんはとてもいい働きをしてくれた。うちのツアーにクルーとして迎え入れたいほど、有能な人材だ」

「ありがとうございます(しかしヘッドハンティングは遠慮させて頂きます)」

「そこでだ、兄さん」トッドはおれの方に身を乗り出した。レストランのキャンドルが彼の顔に陰影をつけ、なかなかの悪夢を演出している。

「その有能な人材の力を、ぜひとも貸して欲しい懸案があるんだ。ありていに言って、兄さん、あんたに頼みがある」

「あの……ずっと気になってたんですけど、その“兄さん”ってのはやめてくれませんか。おれはあなたの兄じゃないので」

「そうか、そうだよな。済まん。悪かったな兄さん。ところで……」

 もう訂正する気力もない。なんでボンジョヴィは絵を描かないんだ。どうしてこれがアヴリル・ラヴィーンじゃないんだ。どうしておれはトッド・スケイスと一緒にいなきゃならないんだ。

「おい、聞いてるのか、兄さん」

「ディーンです」

「兄さん、ディーン、あんたを男と見込んで、ひとつ頼みがあるんだが……」




「ドナルド・ラビッドソンさんですか?」

 空港で12歳の女の子にそう声をかけられたら「いいえ、人違いです」と応えるのが、通常の回答。しかし今日に限っては「Yes」と頷くのが正しい答え方だ。

「きみはクリスだね?」おれが訊くと、彼女は「はい、そうです」と丁寧に返事をした。

「よく来てくれた。飛行機は大丈夫だった?」

「ええ」

 地獄からよみがえった暗黒の騎士の秘密の本名は、ドナルド・ラビッドソン。それは現在のおれの偽名でもある。そして彼女の名前はクリス。茶色い髪とヘイゼルの瞳が印象的で、知的な表情の女の子だ。

「今夜、泊まるところはどうするの?」

「ママがホテルを手配してくれました」

「じゃあ、まずホテルまで送るよ。荷物はこれだけ?」

「はい。あの……その前に……」

「ん?」

「ハグをしてもいいですか?」

「もちろんいいとも」

 おれは身をかがめ、クリスをそっと抱きしめる。彼女は細い腕をおれの首に回し、耳元にこうささやいた。

「はじめまして、会えて嬉しいわ……パパ」

 おれが12の女の子から“ドナルド・ラビッドソンさん”兼“パパ”と、呼ばれているのには、当然ワケがある。

「おれには実は子供がいるんだ」

 これはおれの発言ではなく、タピオカをすするトッドの言葉。

「一緒には暮らしてないが、それは間違いなくおれの子で、世間にはまったく知られてないことだ」

「そうなんですか……しかしあなたは確かずっと独身でしたよね? “音楽と結婚した”とバイオグラフィには、ありましたが……」

「ずっと独身でもコンドームをつけないでセックスすりゃ、こういうこともある。野暮なこと聞くんじゃねぇ」

 トッドはおれを睨みつけた。コンドームがないときはセックスをしないこと。これはまたいい教訓だ。

「おれの子は12歳の女の子で、今はカナダの寮制の学校にいる。名前はクリスティーン。皆からはクリスと呼ばれているそうだ」

「寮に入る前は一緒に暮らしていたんですか?」

「いや、そうじゃねぇ。おれはその娘に、これまで一度も会ったことはないんだ。クリスの母親とは一度寝たきりで……いや、二度かもしれんが……まあ、セッ クスはしたよ。その十ヵ月後にクリスが生まれた。おれはそのことをまったく知らなくてな。養育費を求められた時点で、初めて娘の存在を知ったんだ。おれた ちが親子であることはDNA鑑定が証明してる。だからおれは認知して金を払うことにも同意した。さて、肝心の赤ん坊はと聞けば、母親はおれのことを娘から 遠ざけたいと思っていたんだ。おれから、というよりは、ロック音楽やらショービジネスやら、そういうモロモロとだ。自分がグルーピーだったからよけいにそ う思うのかもな。とにかく……おれには娘がひとりいて、彼女とは一度も会ったことがない。おれに許されているのは手紙を書くことくらいで、声ひとつすら聞 いたことがない。娘の方は“養育費を払う父親がいる”ということは知っているが、おれの顔も知らず、誰かも知らん。ハードロック界では有名なミュージシャ ンだとは母親が教えたそうだが、それだけだ。トッド・スケイスという名前すら、クリスは知らないんだ。だがしかし……」

 コーヒーが運ばれてきて、トッドは言葉を切った。砂糖をトングでつまみ、コーヒーにふたつ入れる。

「先日、クリスの母親から電話があってな。聞けば、なんとクリスがここに来ると言うじゃないか。“絶対あわせたくないと言っていたのにどうしてだ?”とお れが聞くと、クリスが“どうしても父親に会いたい”と言うから、ときた。彼女は“一度でいいから”と頼み込んだそうだ。そこで母親は“学年で一番の成績を とったら会ってもいい”と応えたらしい。そう言えばあきらめるだろうと思ってのことだ。しかしクリスは頑張ってそれをやり遂げちまった! カナダの英才教 育学校で、おれの娘は成績がトップなんだ!」

「すごいですね」

「ああ、まったくだ。しかし、そうなったらもう母親も駄目とは言えない。そこでおれに連絡が来た。“娘と会ってやって欲しい。けれどもトッド・スケイスであるということは秘密にして、極力紳士的に振る舞うように”と」

 トッドはふうっと、ため息をついた。

「紳士的!ときたもんだ。おれにどうしろって言うんだ? “生まれながらの野蛮人”“地獄からよみがえった暗黒の騎士”に!?」

 さっきから徐々に声がでかくなってる。独壇場でエキサイトするのはロックスターの気質によるものだろうか。

「そこでおれは考えたんだ。“そうだ、影武者を使おう”と」

 トッドはパチンと指を鳴らした。いやな予感がする。

「兄さん、ここまで聞けばもうわかるだろう」

「いいえ、わかりません」

「あんたにおれの代わりを務めてほしいんだよ。紳士的に。クリスの父親として」

 トッドはコーヒースプーンでおれを指した。

「……あのう」

「何だ?」

「そんなこと無理だと思うんですが」

「どうしてだ?」

「だって、あなたとぼくとじゃ年が違いすぎます。いくらクリスが父親の顔を知らないからって、無理ありすぎですよ」

「大丈夫だ」

「なぜ?」

「クリスには、おれは35歳ってことになってる」

「娘にサバよんでるんですか!」

「仕方ないだろ! パパが50過ぎてるって知ったらショックだろうが! 彼女はまだ12なんだぞ!」

「だからって……そもそもおれは35じゃない。まだ30歳にもなってないんですから」

「ディーン、心配するな。おまえは老けてる。35でも充分通用するさ」と、おれの肩をぽんぽんと叩く。

「それにゲイだってことも黙ってりゃわからない。オカマっぽくは見えないからな。かと言ってミュージシャンにも見えないが……まあ、それは大目に見ていいだろう」

「それはどうも。でもこの件はお断りします」

「もちろん金は払う」

「金がどうとかいう問題じゃありません。これは信義にもとる問題ですよ。12の女の子をかつぐんですからね」

「真実がいつも素晴らしいとは限らない。おれはただ彼女を傷つけたくないだけだ。それに何も一生騙そうってんじゃない。たった一週間たらず。今だけしのげればいい。ティーンエイジャーの多感な時期だけ、彼女に夢をみせてあげたいんだ」

「そんなこと……不可能ですよ」




 その不可能を可能にしてしまったのは、長いことおれがアラートをかけていた腕時計が遂にオークションに現れ、素早い落札を余儀なくされたことと密接に関係がある、とだけ言っておこう。

 ホテルにチェックインし、部屋に荷物を置いて街に繰り出す。今日から五日間、おれは彼女の父親だ。そうは言っても、特に何をするというわけでもない。た だクリスが滞在している間は、なるべく多く彼女と過ごして、楽しい時間を提供できればと思っている。トッピングのかかったカップケーキを一緒に食べて、映 画やドラマの衣裳調達のセレクトショップで買い物をして。アクティブな子なら、ロックフェラーセンターでスケートをするのもいい。12歳の女の子が喜ぶ話 題には明るくないが、アリッサやベッキーと付き合っていたときのことを思い出せば、おのずとデートスポットも見えてくるはずだろう。

「さあて、今日はどうする? どこか遊びに行きたいところは? そうだ、お腹は空いてないか? きみは食べ物では何が好き?」

 クリスは黙っておれの顔を見上げている。

「どうした?」

「あ……ごめんなさい。聞いてなかったかも。ええと、何のお話を?」

「“きみは食べ物は何が好き?”って話。ぼうっとしてどうしたの? 何か気になることでも?」

「気になるっていうか……わたしのイメージしてたのとずいぶんパパは違う感じだから、びっくりして」

「違う? そうか、実際に会ってみてどう? ガッカリした?」

「まさか。ガッカリなんてとんでもないです。パパがこんなに素敵な人だなんて、なんだか夢みたいで。ただ……」

「ただ?」

「お手紙の感じと印象が違うから。それに声も。歌ってるときとは声が違うみたい」

「え? きみはおれの歌を……?」

「覚えてない? わたしにCDを送ってくれたわ。まだ4年生の頃よ。わたしが学校のお友達とケンカして落ち込んだって手紙を書いたら、パパは曲を作って送ってくれたのよね?」

「ああ……そんなこともあったね、懐かしい。ええと、曲のタイトルは何だっけ?」

「タイトルはなかったわ。“クリスティーンのために”って、それだけラベルに書いてあって。だからそういう題なのかなって」

「ああそう、それが曲名だ」

「もしよかったら、パパにあの曲を……」

「クリス! ほら! せっかくニューヨークに来たんだ! どこか行きたいところはないのか? ショッピングはどうだ? ミュージカルは? たった五日の滞 在だ。もたもたしてたら何もかも見逃しちゃうぜ!」そうまくしたてると、クリスは目を丸くし、それからくすっと笑って、「じゃあ、ロウアー・マンハッタン に」と、行き先の希望を申し出た。

「オーケー、ロウアー・マンハッタン。いいとも。欲しいものがあったら遠慮なく言って。パパはこう見えて金持ちだからね(現在一時的に)。服でも靴でも、何でも」

 イエローキャブをつかまえて、それに乗り込む。さっきクリスが言った“あの曲”ってのが、どの曲かは知らないが、とりあえずピンチは脱することができ た。それにしても……こいつは思っていたより簡単な話じゃないかもしれない。トッドはCDのことなんて言ってなかったし、クリスは思いのほか、トッドのこ とを知っているようだ。この五日間、おれはボロを出さずにやりすごせるんだろうか?




「ロウアー・マンハッタンに」と彼女が申し出たとき、おれはてっきりアウトレットモールか、バッテリーパーク(自由の女神へ行くフェリーが出ている)に行 きたいものだと思っていた。ところが彼女はそのどちらにも目をくれず、フルトンストリートを進み、冷たい風が吹くこの場所にやってきた。フェンスの向こう の工事現場に向かって黙祷するクリス。ここにはかつて、マンハッタンの象徴とも言うべき、ふたつの巨大なビルが建っていた。世界を揺るがした出来事も、最 近ではニューヨーカーですらあまり口にすることがなく、暴力の跡地には新しいタワーの建設が始まっている。

 マンハッタンに来て、真っ先に行きたいと思う場所がここだとは。カップケーキとアイススケートで喜んでもらおうと思ったおれは、些か浅はかだったかもしれない。

「クリス……」キャメル色のコートを着た背中に呼びかける。「あんまり長居してると風邪をひくよ」

「うん、もう行く」

「どこか暖かいところでホットチョコレートでも飲もう」

 自分のマフラーをはずして、彼女の首に巻く。クリスは短く「ありがと」と言って、恥かしそうに微笑んだ。会ってまだ数時間だが、おれは彼女を愛おしく思い始めている。それだけクリスは魅力的で、それはちょっと特別な女の子という感じがした。




 日曜日の午後、イーストリバーを見下ろすカフェは、多くの客で賑わっている。店の入り口でひと組のカップルが「うわっ、ここは家族連ればっかだな」と 言って、Uターン。ベビーカーを押す母親と、風船を持った子供。リュックを背負った父親は、金切り声を上げる息子を叱り飛ばした。いつもであればおれもU ターンを余儀なくされるところだが、今日のところはこっちも“家族連れ”だ。窓の近くの席を取り、景色がよく見える方の席を彼女に譲る。クリスはソーダ、 おれはコーヒーをオーダーした。

「パパはいつから音楽活動を始めたの?」

 ソーダが運ばれてくるより早く、インタビューが始まった。トッド・スケイスのバイオグラフィーは、先週の仕事で学んで知っている。しかしそれを馬鹿正直 に答えたらとんでもないことになると思うので(トッドのデビュー年は1971年だ)、おれは適当な答えを探す。

「“いつから”っていうのは定義しにくいな。おれは生まれつきミュージシャンなんだ。子供の頃から音楽が好きで、気がついたらそれが仕事になっていたって感じかな」

「昔から好きなことが仕事になったのね。それって素敵だわ」クリスはおれの答えを気に入ったようだ。

「わたしね、コンピューターが使えるようになってから、一度“ドナルド・ラビッドソン”で検索をかけたことがあったの。でもその名前では何もヒットしな くって……わたし、“パパは本当にミュージシャンなのかな?”って、疑ったこともあったの。でもあの曲を聴いて……わたしのパパは素晴らしい音楽家だって ようやくわかった。それでますます“パパってどんな人だろう”って、ずっと想像してたわ。“いつか会えるといいな”って……ねえ、パパの音楽、ジャンルは ロックなのよね?」

「ああ」

「ハードロックって聞いてたけど?」

「そうだね」

「ハードロックってオジー・オズボーンとかでしょ? パパはあんまりそういう感じじゃないみたい」

「まあ……ステージを降りればこんなもんさ」

「ステージでは違うの?」

「うん」

「どんな感じ?」

「ええと……一概にこうとは言えないな。日によっていろいろだから」

「カツラとかかぶったりする?」

「ときにはするかもな」

「オジー・オズボーンに会ったことある?」

「見かけた程度なら」

「いつ?」

「たしかあれは……授賞式のときに」

「そうなんだ。パパと親しいミュージシャンって誰?」

「名前を聞いても多分わからないんじゃないかな。すごくマイナーなハードロックの人だから」

 苦しい。はっきり言ってすごく苦しい。名前を聞いても多分わからないのはおれの方だ。ハードロックのアーティストなんて、ボンジョヴィぐらいしか思い浮 かばないし(ボンジョヴィは今でもハードロックか? 髪を切った後も?)、オジー・オズボーンなど、一瞬だって見かけたことはない。

 ここからどうやって別の展開にもっていこうかと思案するおれの元に、ひとりの救世主が現れた。「もし、あなた……」そう声をかけてきたのは、見知らぬ中 年の女性。よかった。『自由の女神はどこですか?』でも、『セーターが裏返しですよ』でも、なんでもいい。この困難きわまる話題を中断してくれただけで、 この女性には感謝あまりある。

「はい? なんでしょうか?」

「あのね、黙って聞いて頂戴。あなたの後ろの席ね、さっきからヘンな男がじっとあなたがたを見つめているの。いいこと? 絶対に振り向かないで、そのままの姿勢でいて。必要とあらばわたしが警察に電話をしてあげるから……」




「なんで後をつけたりするんです! めちゃくちゃ怪しいじゃないですか!」

 おれの怒声にトッドは肩を落とし「おまえらが心配だったんだ」と、答えた。

 親切な女性が警察に電話をかける前に、おれとクリスは不審者(トッド)をまいて、なんとか地下鉄に乗ることに成功。そのあとはもうどこにも出かけられず、クリスの観光初日はがっかりな結果になってしまった。

「あんな親子連れしかいないようなレストランで、あなたみたいな人がいたら目立って仕方ないでしょう。そういうこと、少しも考えなかったんですか?」

「ああいうチマチマした店だからこそ、トッド・スケイスを知ってる奴はひとりもいないだろうと踏んだんだ。それにおれは帽子を目深にかぶってたぞ」

「銀行強盗だって目深に帽子をかぶってますからね。それはむしろ逆効果ですよ」

 トッドはいくぶんショボンとした表情になり、コーヒーに砂糖をふたつ入れた。このカフェは“チマチマした店”ではないが、それでも彼のようないでたちの者は誰ひとりとしていない。トッドは浮世のどこにいても、不審者のカテゴリーに分類されるようだ。

「それになんです? あの“クリスティーンのために”って曲は? 彼女にCDを送ったことなんて言ってなかったじゃないですか」

「もうずいぶん前のことだ。あの子が10歳くらいの。その話を切り出してくるとは思ってもみなかった」

「“歌って”って言われたらどうしようかと」

「言われなかったのか」

「そこからすぐに話を逸らしましたから。でもいずれ言われるだろうな……それってどんな曲なんです? ハードロック?」

「いや……」

「おれでも歌えるような感じかな?」

「ああ、そうかもな。ハードロックじゃない、バラードだ」

「へえ!」

「なんだその“へえ!”は」

「いや……“地獄からよみがえった暗黒の騎士”もバラードを歌うんだなって」

「メタリカだってバラードを書くぞ。ハードロックだろうとヘヴィメタルだろうと、そういうのは珍しかない」

「どんな曲なんです?」

「聞いてどうする?」

「だからおれでも歌え……あ、そうか。歌ったらバレちまう。声が違うって。やっぱりあなたが歌うべきだ。そして正々堂々と“パパだよ”って言ったらいい」

「それだけはできん」

「どうして? クリスは真からあなたとの手紙のやりとりを喜んでる。今日会ってよくわかった。彼女はとても父親のことを愛してますよ」おれがそう言うと、トッドは黙りこくった。

「なぜ言ってあげないんです? 名乗れないのは何か特別な事情でもあるんですか?」

「まあな……」沈鬱な表情でつぶやく。

「どんな事情が?」

「“ダサ~い”“キモ~い”“イケてな~い”、もしそんなふうに言われたらどうする? おれはショックで破裂しちまう!」トッドは両手で顔を覆った。

 これが“名乗れない特別な事情”? まったくあきれた。ステージでにらみを利かせているトッド・スケイスがこんな乙女っぽいリアクションをするとは。

「あなたはハードロックバンドのフロントマンじゃないですか。“地獄からよみがえった暗黒の騎士”って謳い文句はどうなんです? “生まれながらの野蛮人”で言っている“怖れるものは何もない。すべてのエナジーはここにある”って歌詞は?」

「あれはステージ上でのことだ」

「ステージ下では?」

「ロッカーってのはこう見えて繊細なヤツが多いんだ。それはもう別人格と言っていいくらいにな」

「アリス・クーパーやスティーブン・タイラーもバックステージでは別人格だって言うんですか?」

「アリスはおれよりずっとクールだ。スティーブンのことはよく知らん」

「勇気を出してください。スティーブン・タイラーだって、リブ・タイラーに初めて会ったときはビビったかもしれないですよ」

「ふん、うまいこと言うじゃないか」

「ダサかろうと何だろうといいじゃないですか。そもそもクリスはそんなことを言うような子じゃない。後をつけてたならわかるでしょう? 彼女、とてもいい子だ」

 トッドはふたたび無言になった。何かを考えているようだったが、それが何かは口にしない。そしてまたおれも“何を考えているんですか”とは聞かない。 ロッカーは見かけによらず繊細だ。ビョウつきジャケットにナイフの刺青。こんな成りをしてるくせ、12歳の娘に嫌われるのが恐いとは。しかしその気持ちは なんとなくわかる気がする。見かけによらず繊細なのは、彼だけじゃない。多くの男性は、娘から母親まで、あまたの女性たちに嫌われることを恐れてる。“ダ サ~い”“キモ~い”“イケてな~い”。そんな評価を女性から下されるのは、来るべき審判の日と同じくらいの衝撃に相違ない。




「パパのおうちに行ってみたいな」

 ロックフェラーセンターでスケートをして、カフェでサンデーを食べた後、「他にはどこが見たい?」との質問に対する、クリスの回答がこれだ。

「おれのうち? どうかな。見てもおもしろくないと思うよ」

「別におもしろくなくてもいいの。パパがどんなところで暮らしているか見てみたいの」

「うーん……そうか……」

「駄目?」

「駄目って言うか……」

「あ、わかった。女の人がいるんでしょ?」

「そ、そんなのいないよ!」

「心配しないで。わたしだって赤ちゃんじゃない。女の人がいてもヤキモチなんか焼いたりしないし、ちゃあんと挨拶できるわ」

「何を言い出すんだ。女の人なんて……いないよ」

「じゃ、なんで遊びにいったら駄目なの?」

 トッドからの依頼は『父親として極力紳士的に振る舞うように』だ。もしここで断り続けたら、きっとクリスは“女の人”の存在を疑ったままになるだろう。 それにしても、いよいよ展開が面倒なことになってきた。おれはトイレに立つ振りをし、トッドに電話をかける。

「そうか、それはヤバいことになったな」

 これは事情を聞いたトッドの第一声。サスペンス映画の悪役を思わせる素敵な声音だ。

「クリスをあなたの家に連れていっても?」

「馬鹿。おれの家はカリフォルニアだ。そっから飛行機で来るってのか」

「こっちに別宅はないんですか?」

「ない。ニューヨークではいつもホテルを利用してるんだ」

「誰かの家を貸してもらうとかできませんか? あなたのお友達のミュージシャンで、このあたりに住んでる人は? ルー・リードとかデヴィッド・ボウイはマンハッタンに住んでるんですよね?」

「無茶いうな。だいたい何て説明して家を貸してもらうんだ? 娘に嫌われたくないから、ひと芝居打つのに手を貸してくれとでも?」

「その通りじゃないですか」

「言えるか! それにそもそもその二人とは親しくない。音楽業界の全員が友達同士だと思ったら大間違いだぞ」

「じゃ、どうしたらいいんです?」

「おまえんちに招いてやれ」

「うちは豪邸じゃありませんよ」

「そこは“一応の仮住まい”ってことにしておけ。友達の家で、マンハッタンにいるときだけ利用している別荘みたいなもんだと。そうすりゃクリスも納得する。どんな手狭な家でもな」

「手狭で悪かったですね。あなたおれの家を見たんですか?」

「よしよし、そういきり立つな。ちょっと落ち着いて砂糖でも舐めろ」

「おれはサーカスの熊ですか!」

「マジで落ち着け。おまえがそんなテンションだと、うまくいくものも駄目になる。いいな、クリスを失望させるんじゃないぞ」そう言ってトッドは電話を切った。

 なにが“クリスを失望させるんじゃないぞ”だ。まったく身勝手にもほどがある。ちなみにおれはもうとっくにあんたに失望してるんだぞ。もしクリスが彼の正体を知ったらどうなる? やっぱりおれみたいにガックリくるってことか?

 おれは続けてポールに電話をかけた。“今から帰るけど、ひと芝居打つのに手を貸してくれ”と手短に説明。これもクリスを失望させないためだ(たぶん)。来るべき審判の日がいよいよ怖くなってきた。

 もしいつかボンジョヴィと会う機会があったとしたら、そのときは影を踏まない程度の距離を保っておこう。ロックスターは見かけによらず繊細で腰抜け。そんな真実、これ以上少しも欲しくはない。




「ここがパパのおうちなんだ?」クリスは室内をぐるり見回してそう言った。

 ここは“仮住まい”のひとつで、本宅はニューヨークの郊外にあると説明したが、彼女にはそんなことどうだっていいらしい。仮住まいだろうが手狭だろう が、クリスには“ここがパパの家”。初めて案内される父親の住処に興味深々といった感じで、きょろきょろと視線を動かしている。

「ねえ、パパ」

「なんだい?」

「ギターはどこにあるの?」

「ああ、ギター……(どこにあるんだろうな?)」

「毎日弾いてるんでしょう?」

「そうだよ。でも今は手元になくて」

「ないの?」

「修理に出してる」

「一本残らず?」

「ひと月に一度はオーバーホールに出すんだ。そうしないと音が悪くなるから。後は全部スタジオに置いてある」

「そうなんだ……」

 クリスは目を伏せてうつむいた。あきらかに落胆した様子。“プレイしてほしい”というのは一目瞭然だ。やってあげたいのはやまやまだが、おれには楽器の 心得はまるでない。せめておいしいミルクティでも淹れてやろうと、キッチンに向かうところで、ポールが部屋から出てきた。

「ああ、ポール。ちょうどよかった、クリスを紹介するよ」

「あのね、ディーン……」

「ん?」

「ちょっと“友達”が来てるんだけど」

 彼の背後から、のそりと姿を現したのは、見慣れたレザージャケットと濃いアイライン───。ちょっと待て! なんであんたがここにいるんだよ!? すべてを台無しにするつもりなのか!?……って言うか、すべてを告白する気になったのか?!

「パパ?」

 クリスがおれに声をかけた。本物の“パパ”が目の前にいるこの状況で、おれは一体どうしたらいい? するとポールが素早く答えた。

「やあ、きみがクリスだね? ぼくはきみのパパの同居人のポール。よろしくね」

「はじめまして」

「それからこっちの彼は、音楽仲間の“タイラー・スティーブンス”さん」

 紹介されたトッドは、軽く頷くような仕草をした。

「スティーブンスさん? はじめまして。クリスです」

 トッドは無言でクリスを凝視している。12歳の女の子がハキハキと挨拶してるってのに、この不審者は微笑みすら浮かべようとはしない。いくら正体を隠してるからってそりゃないだろ。おれは“タイラー・スティーブンス”が不審な理由を考えた。

「タイラーは〈a.シャイ〉〈b.風邪〉なんだ」

 aがおれで、bがポール。同時に発したのはいいが、肝心のところがユニゾンじゃなかった。

「うん、そう、風邪かな。シャイで風邪もひいてる。タイミングが悪いったらないね」

 急ぎ取りつくろってみたが、白々しいこと、この上ない。賢く素直なクリスが信じてくれたかはともかく、このタイラー・スティーブンス(ひどい名前だ)を、どうにかしなければ……。

「おれとクリスは居間にいるよ。紅茶を淹れようとしていたところなんだ。きみたちは? タイラーは“どうする?”」

 具体的な問いかけに、タイラー・スティーブンスは素早く左右に首を振った。それからそそくさとポールの部屋に入り、扉を閉める。ポールはそれを見、ちょっと肩をすくめ「ぼくも部屋にいるよ」と言い、「ごゆっくり」とクリスに優しく微笑みかけた。

「あの人はロックの人みたいね」

「え? 何だって?」

「タイラー・スティーブンスさん。いかにもヘビー・メタルって感じ」

「ああ、そうだね」

「パパもステージではあんな?」

「たまにはね」

「見てみたいな」

「どうかな」

「どうして?」

「恥かしい」

「ロックスターなのに?」

「ロッカーってのはこう見えて繊細なヤツが多いんだ。それはもう別人格と言っていいくらいに」

「オジー・オズボーンも?」

「彼はテレビで見たまんまじゃない? どっちにしてもオジーのことはよく知らないけど」

「よく知らないの?」

「別に親しくないからね。音楽業界の全員が友達同士だと思ったら大間違いさ。ところでクリス、ミルクティは好き?」

「うん」

「じゃあ、そっちのソファに座って待ってて。イギリス人も倒れるような、おいしいミルクティを淹れてあげる」

「ありがと。ねえ、この部屋ってパパの匂いがするね」

「おれの? そうかな?」

「するわ、ほんの少しだけど。あっちのバルコニーに出てみてもいい?」

「いいよ」

 クリスはバルコニーから景色を眺めている。マンハッタンの風景。それはパパの部屋から見た想い出。このコロンはパパの香り。パパと一緒に飲んだミルク ティの味……。なんてこった。これは本当にひどいことだ。おれは嘘をついてる。テロの被害者に祈りを捧げるような子を騙してるんだ。遅れてきた罪悪感がお れの心を捕まえた。遅い。遅刻だぜ罪悪感。もっと早くにおまえが来ていたら、こんなことは引き受けやしなかったのに。

 恐ろしいのは来るべき審判の日じゃない。来るべき審判の日まで、罪の意識に苛まれ続けることの方がずっと恐怖だ。悔い改める機会を与えられない悪人。それこそが最も最悪な刑罰じゃないだろうか。




「『兄さん、おれのことは気にせずに。いつも通りにやっててくれ』。そう言ったきり、ずっとドアに耳をくっつけてるんだ。ヘビ柄のジャケットを着た男がドアにへばりついていて、“いつも通りに”なんてできると思う?」

 ポールはやれやれといった感じでため息をつき、コーヒーに口をつけた。

「ごめん。きみまで巻き込んでしまって」

「いいよ、それは仕方ないけど……でも今の状況はさ」

「ああ」

「よくないと思う。クリスって子は赤ちゃんじゃないんだし。あんなふうに騙し続けるのはちょっとあんまりだよ」

「おれだってそう思うさ。でもトッドがそうしたいって言うんだ。そこを無理強いするわけにもいかないだろ」

「そもそもどうしてこんなことを引き受けたりなんか? 最初きみは“替え玉なんか御免だ”って言ってたじゃない?」

「まあ……それは……人助けって言うか……」言いよどみ、さりげなく左手を後ろに回す。少なくともこの腕時計の出品者の助けにはなったと思う。もちろんトッドにもだが。

「こういうこと、長く続かないと思うな」と、ポール。マグカップを手にし、キッチンへと消えた。

“こういうことは長く続かない”。本当にそうだといいんだが……。




 長くは続かないのはバケーション。クリスのニューヨークの日々は今日で終わろうとしている。人生は長いが、休暇は矢のごとし。ミュージカルも観たし、ス ケートもすべった。カップケーキにはトッピングをつけ、レストランではチップをはずんでパークビュウの席を手に入れた。他にやっていないことと言えば“本 当のことを話す”ってことぐらいだ。

 最終日の今日はショッピングデー。セレクトショップで服とアクセサリーを買って、ダコタハウスの横からセントラルパークに入ると、ギターケースを持った ストリート・ミュージシャンが目に入った。この公園にはさまざまなアーティストが足を運ぶ。ギターやサックス、珍しいところではスティールドラムやピアノ (!)まで。晴れた休日ともなれば、己の才能を披露する輩がどこからともなくわいてくるが、今日のような薄曇りの日には珍しい。帽子を目深にかぶった男は ギターケースを持ってウロウロしてる。ストリートミュージシャンに扮したら怪しまれないだろうって、そんな工夫をしたところで、怪しいものはどうやっても 怪しい。また警察を呼ぶとかいう話にならないといいが。

 おれとクリスがベンチに座ると、不審者改め、ストリート・ミュージシャンは、近くの縁石に腰かけた。

「この一週間、とても楽しかった」とクリスが微笑む。「わたし、こんなにずっと遊び回ったのって初めてだわ」

「おれもだ。オフィスに復帰したらデスクがなくなってるかも」

「オフィス?」

「ああ、えっと“スタジオ”のことさ。業界用語では“オフィス”って言うんだ」

「また遊びに来たいな」

「次はボーイフレンドを連れてくるんだろう?」

「そんなのいないわ」

「だから次回さ。次に来るときまではわからないだろ?」

「別にいらないもの。それにマンハッタンでは、パパがまた案内してくれるんでしょ? わたしまだ男の人とお付き合いしたことないけど、パパはなんだか父親っていうより、ボーイフレンドみたいな感じ。想像してたよりずっと若い。35歳にはとても見えないわ」

 そりゃそうだ。そうこなくちゃ。気をよくしつつ、ストリート・ミュージシャンをチラ見する。彼の足元には開いたギターケース。アコースティックギターを抱えてはいるが、何かを演奏するというわけではなく、向こうもおれたちの様子を盗み見ているようだ。

「なあ、クリス」

「なあに?」

「もしパパが……想像してたよりヘンだったらどうするつもりだった?」

「ヘンって?」

「なんて言うか……もっと年寄りで……メタラーみたいな格好してて……」

「こないだのお友達みたいに?」

「ああ、そう。あんな感じ」

 通りがかりの男がトッドのギターケースに金を入れた。「ジョン・レノンのイマジンを弾いてくれ」との依頼に、トッドは「そんな曲は知らん」と答えている。

「うーん…と。正直言うとね……」遠慮がちにささやくクリス。「パパってああいう感じかなって思ってたの」

「ほんとに?」

「うん」

「それはどうして?」

「なんとなく。お手紙の感じで……かな。実際会ってみたらパパはとってもハンサムだし、クールで……なんだけど……でもお手紙だと……何て言うか、もっと熱血っぽい感じ」

「熱血?」

「そう。わたしが学校のことや、ママのとのことで落ち込んだ手紙を書くと、パパはいつもわたしを元気づけるようなお手紙をくれたでしょ?『先生たちは何も わかってない』とか『きみは特別な素晴らしい子だ』とか。ときどきこっちが笑っちゃうような、すごいメッセージもあったけど……そのどれもがわたしをとて も勇気づけてくれた。だから……わたしパパにとても会いたいと思ったの。“想像してたよりヘン”とか、そういうのはどうでもよかった。パパが本当のわたし を知っているように、わたしも本当のパパを知ってる。どんな人だっていい。ただずっと“パパに会いたい、会って大好きだって言いたい”って……そう思って いたの」

「そうだったのか……」

 クリスはなんていい子なんだろう。彼女は世界中の父親が望むような娘だ。願わくばこのメッセージ、ストリート・ミュージシャンが聞いていますように……。

「ねえ、パパ。あの人……このまえパパの家にいた人じゃない?」こっそりささやくクリス。

 あーあ、もうバレた。こんな近くにいりゃ誰だって気付くか。だいたいあの格好は目立ちすぎなんだよ。

「スティーブンスさんはいつもここで練習してるのかしら?」

 流しのミュージシャンは帽子を深くかぶり、ギターを抱え込む格好で、うつむいている。

「スティーブンスさん、寒くないのかな?」

 優しいクリスは彼のことを気遣っている。この世に存在しない、タイラー・スティーブンスのことを。おれはクリスの質問には答えず、ただ立ち上がる。謎のストリート・ミュージシャンに歩み寄ると、彼女もまたそれに続いた。

「やあ、“トッド”……」

 謎のストリート・ミュージシャン、タイラー・スティーブンスは、少しも顔を上げようとはしない。おれは財布から10ドルを抜いて、ギターケースに放り込む。

「一曲、演ってくれ」

「トッド? 彼はスティーブンスさんじゃ……?」不思議そうに言うクリスを無視し、おれは“トッド”に話しかける。

「この子は今日、ニューヨークを発つ。“クリスティーンのために”プレイしてくれないか」

 トッドは観念したように、ため息をつき、顔を上げないまま、そっとコードをつまびき始めた。

 それは静かなバラードだった。どこか切なく、それでいて暖かい。懐かしさに胸が揺さぶられ、誰しも一人ではないということを思い出させてくれるような───そんな曲だ。

 演奏が終わると、しばらくは誰も口を利かなかった。ややあって、クリスが「パパ……?」とささやく。こちらを見上げる彼女に、おれは黙って頷いてみせた。

「パパなのよね? わたしのパパなんでしょう?」クリスはトッドにそう言い、「どうして……言ってくれなかったの?」と、か細くつぶやいた。

 トッドは帽子を脱ぎ、ようやくその顔を上げる。

「すまない……」

 クリスは突然泣き崩れ、倒れこむようにトッドの胸に飛び込んだ。ふたりはしっかりと抱き合い、互いのぬくもりを確かめ合う。 おれとクリスが最初に会ったときはこうじゃなかった。これが本当の親子の対面だ。彼らの心からの抱擁に、おれはアラスカにいる父親のことを思い出してい た。

「済まなかった、クリス。どうかおれを許してほしい」

「ううん……いいの。きっと何か事情があったんでしょう?」

 事情はあるが、しょうもない事情だ。今ここで、愚かな大人を許す広い心を持った彼女に話して聞かせるには、ちっぽけすぎる下らない事情だ。

「でも……」と、クリス。「だとすると、あなたは誰なの?」と、おれを振り向く。

「騙しててごめん。おれはディーン。きみのパパに頼まれて父親の振りをしてたんだ」

 クリスはおれとトッドを交互に見、「まあ……」と、小さくつぶやいた。それからクスクスと笑い出し「全然似てないよ」と、感想を述べる。

 おれが爆笑すると、トッドは苦笑した。クリスもまた笑っている。曇り空のセントラル・パーク。ジョン・レノンを偲ぶモニュメントの近くで、誰かが『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』を歌っている。


 ぼくの木は誰も似ていない

 高かったり低かったり、きみがそれに合わせることもできない

 でもそれでいいんだ

 そんなにガッカリすることでもない

 ぼくと一緒に行こう

 あのストロベリー・フィールズへ……


皮肉屋の英国人の曲が、今日はやけに優しく響く。

ここはマンハッタンのストロベリー・フィールズ。

ストロベリーは実らず、ジョン・レノンもいないけど、愛と平和は見かけることができる。




「またニューヨークに来てもいい?」と、クリス。

「ああ」トッドは頷く。

「今度はパパが案内してくれる?」

「ああ」それはぶっきらぼうな口調だが、目には優しさがあふれている。空港の出発ロビーで抱き合う親子。おれはクリスの機内持ち込み荷物を手にし、付き人 よろしくそれを見守る。これが正しい立ち位置とはいえ、なんだか少し妬ましい。この数日間で、おれにも父性本能というものが芽生えたようだ。

「ありがとう、ディーン。あなたと過ごした時間、とても楽しかった」

「ああ、おれも。きみみたいな素敵な子と何日もデートできたんだ。トッドには“今は”感謝してるよ」

「結局あなたとわたしは他人だったわけだけど……また会ってもらったら駄目かな? また次にここに来たときに……もしよかったら」

「ああ、もちろんいいとも」

「ほんとう? うれしい!」

 彼女が笑うと、知的な表情に花が咲いたようになり、とても魅力的に見える。このぶんだと本当に“次回はボーイフレンドと一緒”ってことになるんじゃないかな?

「今だから言うけど、初日にわたしがぼうっとしてたのは、あなたがとても素敵だったからよ。ディーンがパパでちょっとガッカリしてたの。“こんなカッコイイ人、パパじゃなくて、彼氏だったらよかったのに”って……」

 ぽっと頬を赤らめるクリスに、ガラガラヘビのような怒声が飛んだ。

「駄目だぞクリス! こいつはホモだ! 女じゃなくて男が好きなんだ!」

「身も蓋もない言い方するなよ!」

「だって本当だろうが! 大事な娘をホモにやれるか!」

 クリスはけらけらと笑っている。それは年相応の可愛い笑顔だ。それにしてもトッドの方は大人げない。この勢いでクリスに近寄る男たちすべてを駆逐するであろうことは想像に難くなく、それはクリスの言う通り、完全なる“熱血”っぷりだ。

「着いたら電話をくれ。すぐにだ。メールじゃ駄目だぞ。必ずおれの携帯に電話をするんだ」

「わかったわ」

「何か必要なものはないか? 機内で食べたいものは? 忘れ物はないか?」

「ううん、なにもない。大丈夫」

「なんでおまえの母親はエコノミーなんか予約したんだろうな? 隣の席におかしな野郎が座ったりしたらどうするつもりなんだ? なあディーン、今からファーストに変えることはできないのか?」

「トロントまでたった2時間弱です。そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

「2時間弱もありゃ、たいがいの犯罪は成立するんだ。おまえはマンハッタンに住んでるくせ、呑気すぎるぞ」

「パパ! 犯罪とか言わないで! 恐くなるわ!」

「ああ、すまん……つい……」

 トッドがしょんぼりすると、クリスは笑った。彼女はすっかり父親とのやり取りを心得たようだ。

 おれには強気で、娘には弱いトッド。まったく、彼にはガッカリだ。映像で見るトッド・スケイスは、恐ろしげで、血も涙もないモンスター。しかし影を踏むほどに近寄ってみれば、やたら子煩悩なただのオッサンだったとは。

「クリス、道中気をつけるんだぞ」

「わかったわ」

「愛してる」

「わたしも愛してる」

 ふたりはふたたび抱き合った。


『怖れるものは何もない。すべてのエナジーはここにある』

 ヘビーメタルの歌詞に共感したのは今日が初めて。それは意外と簡単で、誰にでもある普遍的な心情を歌ったもの。生まれながらの野蛮人にも心はあって、おれはまたほんの少し、愛についての理解を深めることができたと思う。


End.

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