野良兵器を拾った少女のお話


 少女は一人で暮らしていた。


 曲がりくねった山道をしばらく登った先に、

 その家はぽつんと建っていた。

 一人で住むには幾分か広すぎる木造の古い平屋で、

 中庭と倉をも備えていた。


 中庭には小さな菜園があって、

 じゃがいもやらネギやらが雑多に植えられている隣には、

 プチトマトの苗が一種類だけ不釣り合いなほど、

 やたらと多く並んでいた。

 

 少女の祖父母は生前、菜園の世話について事細かに教えてくれていたし、

 そんなにひろい畑でもなかったから、

 少女一人でもどうにか枯らさないようにできていた。




 訪れる者はほとんどいなかった。

 週に一度、単車に乗った配達人が訪れるのが、

 来客のほぼ全てを占めた。

 食料やら何やらの入った袋を携えた彼は、

 玄関に現れる少女と、時々短い会話をした。

 

 少女はひどくゆっくりと話した。

 まるでくしゃくしゃになった紙に書きなぐられた文字を、

 一つ一つ読みあげていくかのようだった。


 ごめんね、今日も手紙はないみたいだ。


 わかりました。


 まだ戦争は続いているようだよ。


 続いている。


 奴らはどんどん送り込まれてきているらしい。

 兵隊さんたちも頑張って、

 奴らを倒してはいるそうだけどね。


 そうですか。


 この辺りに現れるってことはないだろうけれど。

 戦場はまだまだ遠いから。

 まあ、それでも一応、気を付けてね。


 大丈夫です。


 何かあったら僕に言うんだよ。

 頼りないかもしれないけれど、君よりは大人だからさ。


 わかりました。


 


 本当はこんなところに一人にしておくよりも、

 軍隊も自警団もいる下の街に来てもらった方が安全なんだけど。


 少女は首を左右に振った。

 その反応は、配達人の青年には見慣れたものだった。

 少女は家を離れたがらなかった。

 いくら一人は危ないと青年が言い聞かせても。


 大丈夫です、と少女は言った。

 わたしはここで、父と母を待ってます。


 青年は、諦めたようにため息をついて、

 気を付けてね、ともう一度繰り返した。




 それじゃあまた来週、と青年は手を振って、

 単車に跨って走り去った。

 少女は青年の背中が山道を曲がって見えなくなるまで、

 注意深く、じっと眺めていた。


 それから少女は玄関の扉を閉めて、

 外から中庭の方へと回った。

 そして、家の裏手から中庭へと続く

 広い引戸に向かって、声をかけた。


 もう大丈夫。

 でておいで。


 戸ががらりと開いて、家の中からそれが姿を現した。




 それは金属製の蜘蛛のように見えた。

 少女の胸くらいまでの大きさ。

 大きな弾丸のような細長い胴体に、

 四本の脚と二本の腕が備わっていた。

 側面には何らかの銃身らしき装置がついていて、

 胴体の前方からは、眼球のようなカメラが一本、

 上へとまっすぐ、にょきっと生えていた。


 それは配達人の青年が言ったところの“奴ら”であり、

 少女の国と戦争中にある敵国が作り出した破壊兵器であって、

 視界に入る人間全てを撃ち殺し、

 形あるもの全てを焼き尽くす、

 そう恐れられている、機械仕掛けの死神だった。


 恐るべき破壊兵器は、ピー、とか細い電子音をどこからか鳴らした。


 大丈夫、と少女は言った。



 ***



 少女が初めてそれと出会ったのはその数日前、

 梅雨になる直前の、季節外れの夕立が降った日だった。


 滝のように降りしきる雨の中、ずぶ濡れになった少女は、

 右手に釣竿を、左手にバケツを、力なく提げて歩いていた。

 午前中に畑の世話を終え、午後からは少し歩いたところにある渓流で

 釣りをするのが少女の日課だった。


 しかし、その日はさっぱり釣果が上がらず、

 おまけに突然の大雨に、早々に彼女は引き上げることにした。

 魚のいないブリキのバケツには雨水が溜まるばかりで、

 その重さがいっそう少女の気を滅入らせた。


 ちくしょう、と少女は呟いて、

 足元に転がっていた石ころを蹴り飛ばそうとした。

 途端、足を滑らせて思いきり転んだ。

 少女は大の字で仰向けに寝転がったまま、

 もう一度ちくしょうと呟いた。




 その時だった。


 少女の頭上で、ガシャリ、と音が鳴った。

 少女は首を反らして、物音の方向を見た。

 そして、それと目が合った。

 

 しばらく、少女はそれが何なのかわからなかった。

 泥や木の葉があちこちに纏わりついたそれは、

 野生の猪か何かのように少女には見えた。

 

 それは少女が手を伸ばせば届きそうな位置に立っていて、

 首を伸ばして泥まみれになった少女の顔を覗き込んでいた。

 それの眼が、ジジ、と音を鳴らし、

 少女にピントを合わせるのを少女は見た。

 少女はカメラのレンズと見つめあった。

 そこで、少女は初めて、それが機械であることに気付いた。


 少女はごろりと寝返って、うつ伏せになった。

 突然の動作に驚いたのか、それは首を引っ込めて、

 ガシャガシャと後ずさった。

 それから、ここからどうしたものかと考えあぐねているみたいに、

 フラフラとたたらを踏み、ピーピーと鳴いた。

 その動きがなんだか怯えた仔犬みたいに見えて、

 少女は吹き出してしまった。




 寝転がったまま、少女は尋ねた。


 なにをしてるの。


 ピー。


 後ろ、つけてたの。


 ピー。


 どこから来たの。


 ピー、ピー。


 どこへ行くの。


 ピー、ピー。


 わかんないや、と少女は笑った。

 ピー、とそれは鳴いた。




 少女は立ち上がって、道端に転がっていた

 釣竿とバケツを拾い上げた。

 それから、振り返って声をかけた。


 おいで。


 少女は歩き始めた。

 それは、少し踏みとどまってから、

 意を決したように少女の後ろをついていった。



 ***



 家に辿り着くと、少女はお風呂を沸かし、

 それを浴室に押し込んだ。

 浴室の扉は少し狭すぎるように見えたが、

 それは脚をぴったりと胴体に押し付けるように折りたたみ、

 器用に扉をすり抜けた。


 少女はそれを洗ってやった。

 真新しいスポンジを取り出し、食器用の洗剤をたっぷり付けて、

 頭らしき部位から胴体、手脚まで、しっかりと汚れを落としていった。

 関節部分にこびり付いた泥は使い古しの歯ブラシで取り除いた。

 胴体には数か所穴が空いていて、そこから水が中に入らないよう

 少女は細心の注意を払った。

 洗えば洗うほど、それは銀白色の光沢を取り戻していったが、

 あちこちにひっかいたような傷やへこみがついていた。

 時々、それはくすぐったそうな声を上げたが、

 少女はお構いなく、一心不乱に磨き続けた。




 お風呂から上がると、少女はそれを居間に連れて行った。

 広い和室で、真ん中に小さなちゃぶ台が据えられていた。

 少女は座布団に座り、向かいに座布団を一枚放り投げて、

 どうぞ、と言った。

 それは先ほど扉を通り抜けたときのように脚を身体にくっつけて、

 胴体を落とし、座布団の上に腹ばいになった。

 変なかっこ、と少女は思った。


 少しの静寂があって、

 少女とそれは見つめあった。

 それから、少女は質問を投げかけた。


 君は、なに?


 それは平坦にピーと鳴いた。


 言葉、話せない?


 もう一度ピーと鳴いた。

 今度は低い音で、下がり調子だった。

 できないってことかな、と少女は考えた。


 しばらく考え込んでから、少女は、

 文字は書けるの、とそれに尋ねた。


 ピッ、と短く、甲高い返事があった。


 少女は立ち上がって、居間の隅にあった箪笥の引き出しを開け、

 そこから何かを取り出して、ちゃぶ台の上に置いた。

 真新しいノートと、数本のボールペンだった。


 じゃあ、これが、君の言葉だ。




 それは腕を伸ばしてノートを大きく、少女にも見えるように開き、

 ボールペンを掴んで、活字のように端正な文字でこう記した。


 あんたは俺が怖くないのか。


 言葉遣いがかわいくないなあ、と少女は思った。

 それから少女は、今その存在に気付いたとでもいうように、

 それの胴体についた、何やら武器らしいものをしげしげと眺めた。 


 ああ、と少女は言った。

 君が、うわさの、ざんぎゃくひどうな兵器ってやつか。


 少女はもう一度箪笥に近寄って、一番下の引き出しから、

 細長いトランクケースを重たそうに取り出し、開いた。

 そこには散弾猟銃が入っていた。

 それを見た残虐非道な兵器はピィと悲鳴を上げた。

 少女は銃口を兵器に向けた。

 残虐非道な兵器は慌てて両手を挙げた。


 わたしを殺すの、と少女は尋ねた。

 それは急いでノートとペンを手に取り、

 殺さない、と書いた。


 少女はその文字を読んで、それから数秒間兵器を睨んで、

 視線を何度か行ったり来たりさせたあと、

 じゃあいいか、と呟いて、猟銃を降ろした。

 




 それから、少女はそれと会話した。


 どこから来たの?


 わからない。

 

 どうしてこんな山の中に?


 逃げてきた。


 どこから逃げてきたの?


 一番古い記録はどこかの街中にいたこと。

 建物はみな崩れるか燃えるかしていた。

 周りには自分と同じような姿をした奴らが大勢いて、

 自分たちとは違う姿をしたやつらと撃ち合っていた。

 奴らがどうしてそんなことをしているのか分からなかったし

 俺は撃たれたくなかったから、そこから逃げ出した。


 その前のことは何にも覚えてないの?


 何も。

 俺は突然あの街で目覚めた。

 目覚める前に何をしていたのかは記録に残っていない。


 そこで撃たれて、どこか、壊れちゃったのかな。


 俺は壊れているのか。


 わからないよ、わたしにはそんなの。

 でも、穴空いてた。背中に。




 あんたは俺が怖くないのか。


 どうしてそんなこと聞くの?


 俺は逃げる途中、たくさん人間を見かけた。

 誰もが皆、俺を見るとすぐに悲鳴を上げて逃げだした。

 銃を撃ってきた人もいた。

 人間は全員俺のことが怖いんだと思った。

 だからなるべく人間に会わないようにひたすら逃げてきた。


 うん、まあ、そうだね。

 怖い、だろうね。


 あんたは俺が怖くないのか?


 少女は首をひねって、考え込んだ。

 それから、こう言った。


 だって、殺さないんでしょ。


 殺さない、とそれはもう一度書いた。


 じゃあ、怖がらなくて、いいじゃん。




 少女の言葉を聞いて、それはしばらく固まった。

 そして、ノートに文章を一気に書きつけた。


 俺は逃げ続けてここまで来た。

 俺には行くべき場所もやるべき仕事も分からない。

 記録を失う前はあったのだろう。でも今は思い出せない。

 もし良ければ、俺をここに置いてくれないだろうか。

 俺になすべきことを与えてほしい。

 あんたが構わないのなら。


 いいよ、と少女は答えた。

 でも、あなたが何をすべきかなんて、教えられない。

 それはあなたが考えなきゃ。




 ねえ、名前は?


 Lethal Autonomous Weapon

 Type: walkalone, restricted

 Code: MONOEYE ver.4.3.06だ。


 なにそれ、読めないよ。

 呼び名というか、あだ名というか、

 そんなのはないの。


 ロットNoは、


 それは、書かなくていいや。

 どうせ、よくわかんないし。


 俺は人間ではない。ただの物だ。

 だからこれら以外に名前は無い。


 えーっと、と少女は呟いた。

 じゃあ、名前、つけたげる。




 少女はノートをひったくり、何回かペンを回してから、

 表紙に大きく、こう書いた。


   “モノ”


 よろしく、モノ。


 少女の言葉に、それはピィと声を上げた。

 その鳴き声の意図は少女にはよくわからなかったけど、

 分かったってことだと、勝手に解釈することにした。


 そんな風にして、少女はモノと暮らし始めた。



 ***


 人間と同じように、モノも眠るらしかった。

 その理由を、モノは充電がどうの記録容量がこうのと説明したが、

 少女にはちっとも分からなかったので全部読み飛ばした。


 少女の寝室の片隅で、

 脚を畳み、首を縮めてモノは眠った。

 小さな洋室の、ベッドと机、本棚の隙間を縫うように、

 モノは自分の定位置を確保した。

 目を覚ますと、モノの頭をぺしぺし叩いて

 モノに朝の到来を伝えるのが少女の日課となった。


 じっと眠っているときのモノはどこまでも静かで、

 ただの調度品のように少女には見えた。

 だから、モノが鈍く唸る音を立てながら眼を開くと、

 少女はその度に少しほっとした。




 夢は、見るの?


 見ない。


 それは、つまらないね。


 人間はどうして夢を見るんだ?


 どうしてだろ。

 現実ばかり見てると、疲れちゃうからかな。




 少女はモノに、菜園の世話を手伝わせた。

 モノは黙々と仕事をこなした。

 雑草を一本一本丁寧に抜き取り、

 害虫を見つけるとそっと摘まみ上げて外に放り投げた。


 それが終わると、彼女らは釣りに行った。

 少女はモノにバケツや釣竿を持たせ、

 モノの胴体に跨った。


 モノは少女を上に乗せて、軽々と歩いた。

 少女は、こりゃいいや、と笑った。


 だけどすこし、お尻が痛いな。

 もっと、揺れないように歩いてちょうだい。


 両手の塞がったモノは、ピーと鳴いた。

 注文の多いやつめとか、そんな文句を言ったんだろう、と

 少女は勝手に解釈して、モノの頭を軽くはたいた。

 モノは不満げにまた鳴いた。




 空いた時間には、彼女らは読書をした。


 中庭の外れにある倉の中には、

 様々な蔵書が数えきれないほど収められていた。

 壁際に設えられた棚には本が種類を問わずびっしり並んでいて、

 床には雑誌やらムック本やらが所狭しと積まれてあった。


 モノが来た次の日に、少女はそこにモノを案内した。

 好きなだけ読んでいいよ、と少女は言った。

 だけど、丁寧に扱ってね。

 おじいちゃんが、紙の本は貴重だから、大事にしなさいって言ってた。


 モノは手を伸ばし、一番上の段の一番左端から書物を抜き出し、

 パラパラと捲って、すぐに戻した。

 それから右隣の書物も同じように取り出して捲り、また戻した。

 さらにその隣の本も。

 その隣の本も、同じように。




 もしかして、それで全部読めてるの?


 書かれてあった文章は全て記録した。


 駄目だよ。

 もっとゆっくり、読みなさい。


 何故だ?

 速度を落とすと非効率だ。


 本はゆっくり読むの。

 誰かが、しっかり考えながら、じっくり書いたんだから、

 その速さにあわせて、ゆっくり読むの。


 意味があるとは思えない。


 それが作者への、敬意ってやつなの。


 わかった。




 少女は棚から一冊の本を抜き出して、モノに見せた。

 それは写真集だった。

 青い海に浮かぶ島々や、切り立った崖の上に建つ古城。

 どこまでも広がる砂漠や、空を反射した広大な湖。

 世界中の風景が、そこには収められていた。


 どこかに見覚えはない、と少女は尋ねた。

 モノはどこも記録にないとノートに書いた。


 少女はページを繰り続け、やがてあるところで手を止めた。

 それは、真っ黒な夜空を横切る光の幕、

 オーロラの写真だった。


 わたし、この写真が一番好きなの、と少女は言った。

 いつか、オーロラを見に行きたいんだ。

 戦争が終わったら、行けるかなあ。


 その確証はない、とモノは書いた。


 つまんないなあ、と少女は口を尖らせた。

 そこはさ、こう言っておくんだよ。

 俺が連れてってやる、とかさ。




 ねえ、モノはどこに行きたい?


 あんたが行くと言った場所へついていく。


 違うよ。

 あなたがどこに行って、何をしたいか。


 分からない。

 それはどうやって考えたらいい?


 そうだなあ。

 まずはいろんなことを知らなきゃ。

 知らない場所には、行きたいと思えないし、

 知らないことは、やりたいとも思えないから。

 

 それから、モノは暇なときには本を読むようになった。

 少女に言われたように、ゆっくりページをめくりながら。




 夜になると、少女は勉強をした。


 自室の本棚には年相応の参考書が並んでいて、

 少女はきっかりと計画立ててそれらをこなした。


 お父さんやお母さんと同じように、

 お国の役に立つ仕事を将来するのだと、少女は言った。

 そのために勉強するのだ、と。


 少女は参考書を睨みつけながら、

 部屋の片隅で本を読むモノにそう話した。


 それで、戦争を終わらせて、

 いつか、世界中を旅するの。

 一緒に行こうね。


 ピー。




 配達屋の青年は変わりなく、

 週に一度、少女の家を訪れた。

 単車の排気音が聞こえる度に、

 少女は慌ててモノを家の奥へと押し込んだ。


 ごめんね、今日も手紙はないみたいだ。


 わかりました。


 最近、ずっとないね。


 たぶん、父も母も、忙しいから。


 軍のお偉いさんなんだっけ?


 よく知りません。

 軍事機密、らしいので。


 ともあれ、気をつけて。

 少し前に、近場で奴らの目撃情報があったらしい。

 変わったことがあったら教えてね。


 わかりました。




 季節は移ろった。


 梅雨が終わり、夏が来た。

 モノの丹念な世話のおかげか、プチトマトは特に大豊作で、

 少女は食事のたびに、器に山盛りのそれをもりもり食べた。


 モノは本を読み続けていた。

 最初は技術書や雑誌ばかり手に取っていたが、

 次第に小説を、しかも人間関係や恋愛模様を描いたものを

 モノは読むようになった。


 それ、面白いの、と少女は尋ねた。


 面白い、とモノは書いた。

 描写を辿ることで人の感情をエミュレートできる。

 小説は俺が人間を理解するための参考になる。


 生意気なやつめ、と少女はモノを軽くはたいた。

 少女がよくするその動作を、

 彼女の愛情表現なのだろうとモノは推定していた。




 戦争は変わらず続いている、と

 配達人の青年は言った。


 せんそう、と少女は呟いた。


 どうして私たちは、

 戦争をしているんでしょうか。


 少女の問いかけに、青年は頭を掻いた。

 どうしてだろうな。

 僕が生まれた時からずっと続いているしな。


 わからない?


 いや。

 とにかく、相容れないんだよ。


 相容れない。


 そう。

 見かけが、話す言葉が、考え方が、

 社会が、法律が、信じる神様が。

 そのすべてが、相容れないんだ。



 そんなことないんだけどなあ。

 青年が去ったあと、モノを撫でながら、

 少女はそんな風に独り言ちた。

 モノは不可解そうにピィと声を上げた。




 彼女らは時々、山道を散策した。


 好きなところに行っていいよ。

 上に乗った少女はそう言った。


 初めのうちは、モノはなかなか歩き出そうとはしなかった。

 動いてもごく短い距離だけで、曲道に差し掛かるたびに、

 その先に何かが待ち構えていやしないかと

 首を伸ばして覗き込んだ。


 時間が経ち、散策も回数をこなすと、

 モノの様子は変わり始めた。

 足取りは軽快になった。

 舗装された道から離れ、

 川べりの細い道を突き進んだり、

 木の立ち並ぶ斜面を駆け上ったり、

 いろんな場所を駆け回るようになった。





 最初は未知の情報が多すぎて、

 何を優先して処理すれば良いのか判断できなかった。


 ある日の散策の後、モノはそう書いた。


 しかし、今は違う。

 見たことのない虫を追いかけたって良い。

 何やら物音が聞こえた方向に行ったって良い。

 俺はどこに行っても良いし、

 俺はどこにでも行けるんだ。


 ありがとう、とモノは書いた。


 別に何もしてないよ、と少女は言った。




 葉の色が変わり、少し肌寒くなり、

 ちらほらと雪が舞うようになった。

 モノはまだ少女の隣で本を読んでいて、

 少女は変わらずのんびりと暮らしていた。



 モノが少女の家に住み始めてから、二回だけ、

 予定のない来客があった。

 彼らはいずれも、真夜中過ぎに現れた。

 モノは彼らの来客を察知すると、眠りから覚め、

 寝息を立てる少女を起こさないように

 こっそりと彼女の部屋を抜け出して、

 家から多く離れたところまで駆けて行った。


 来客はモノと同型の兵器だった。

 一度目は一体、二度目は二体。

 夜の闇の中、道路がわずかに膨らんだ広い場所を選んで、

 モノは彼らと対峙した。




 来客はモノにこう言った。


 帰還しろ。

 お前は壊れている。

 修理が必要だ。


 モノはただ一言だけ、返事をした。


 断る。


 モノを捕えようとする彼らを、

 しかしモノは難なく撃退した。

 彼らはモノをなるべく無傷で捕えようとしたが、

 モノは相手を攻撃することに何の躊躇いもなかった。


 俺は負けない、とモノは考えていた。


 守るべきものがある奴は、何よりも強いのだ。

 この前読んだ本にそう書いてあった。

 お前たちは知らないだろうけど。




 モノがそうやって夜中に大立ち回りを演じていたことを

 少女は知らなかったが、

 モノの身体が、それもとりわけ銃身が、

 やけに暖かい朝があったことには気付いていた。


 気付いていたが、少女は何も訊かなかった。

 モノが何も言わないってことは

 大したことじゃないんだろう、と

 少女はそう考えていたし、

 何も心配しなくていいんだろう、と

 彼女は高をくくっていた。


 何も心配いらない。


 少女はそう思っていた。


 あの夜。


 三度目の来客があったあの夜。


 麓の街が真っ赤に染まった、

 あの夜が来るまでは。



 ***



 大きな音に、少女は目を覚ました。

 真夜中だった。

 微かに部屋が揺れているのを彼女は感じた。

 少女は身体を起こし、部屋の灯りを付けた。

 いつもモノが座っている場所には、

 しかし何もいなかった。


 少女は部屋の窓を開けた

 夜とは思えぬほど明るかった。

 麓の方角からは赤黒い煙が際限なく噴き出していて

 微かな銃声と爆発音の残響が聞こえた。


 燃えている、と少女は思った。


 街が、燃えている。


 半ばパニックになりながらも、少女は部屋を出た。

 モノを探さなきゃ、と少女は思った。

 家を飛び出そうとして、踏みとどまり、

 居間に駆け戻って、箪笥から細長い

 トランクケースを取り出した。

 それを背負うように担いで、少女は玄関へと向かった。




 普段は真っ暗な夜の山道は、

 煌々と光る満月と炎に照らされた煙のおかげで

 黄昏時のような薄明りに満ちていた。


 少女は辺りを窺った。

 近くに動くものは何もなかった。

 道には雪がうっすらと積もっていて、

 良く目を凝らすと、下る方向へと

 モノの足跡が続いているのが見えた。


 少女は坂道を駆け下りた。

 足を滑らせて何度も転びそうになった。

 息が切れ、汗が流れた。

 トランクケースが背中を打ち、ひどく痛んだ。


 やがて、少女の目になにやら物影が映った。

 少女は目を凝らし、そして小さく悲鳴を上げた。

 それは兵器の残骸だった。




 少女は荷物を放り投げて駆け寄った。

 モノ、モノ、と何度も呼んだ。

 呼びかける声は泣き声に変わりかけていた。

 触れると、その身体は火傷しそうなくらい熱かった。

 動きだそうとする気配はなかった。

 身体には大きな穴が二か所、空いていた。

 脚と腕は何本かもげて、道端に転がっていた。

 

 唐突に少女は呼びかけを止め、立ち上がった。


 違う。

 これはモノじゃない。


 モノの身体にあった穴やへこみがその身体にはなかったし、

 何より、少女の直感がそう告げていた。


 多分、モノがこいつをやっつけたんだ。


 少女はトランクケースを拾いあげ、

 山道を再び下り始めた。




 間もなく、少女は彼らを見つけた。


 男が二人、モノを挟んで会話をしていた。

 片方の男は少女にも見覚えのある自国の軍服を着ていて、

 もう一人は真っ黒な外套に身を包んでいた。


 モノ、と少女は呼びかけた。

 男たちは少女の方を見た。

 モノはピーと返事をした。


 モノの身体に付いていた二つの銃身は無残に壊され、

 左腕も関節部から先が失われていた。

 地面には金属片が散らばっていて、

 外套の男が持っている懐中電灯の光を反射して煌めいた。

 モノは大人しくうずくまっていた。


 少女はトランクケースを開けて猟銃を取り出し、

 銃口を男たちに向けて、叫んだ。


 モノを、離せ!


 外套の男が少女には聞き取れない言語で何やら言い、

 軍服がそれに返事した。

 それから、軍服の男はゆっくりと、

 少女の方へ向き直った。




 構え方がなっちゃいねえな。

 それ、本当に銃弾入ってんのか?


 モノを、離せ。


 モノってなんだよ。

 こいつの名前か?

 嬢ちゃん、やっぱりこれを飼ってたのか。


 離せ。


 駄目だよ、脅す前に撃たねえと。


 少女は震えていた。

 銃口はフラフラと彷徨っていた。

 軍服の男はため息をついた。

 そして、懐から拳銃を取り出して、

 落ち着いた様子で少女に向けた。




 その瞬間だった。


 今まで微動だにしなかったモノが突然跳ね起きて、

 軍服の男に体当たりをした。

 男は拳銃を離して吹っ飛んだ。

 もう一人の男は慌てて外套から拳銃を取り出したが、

 モノは正確に男の手元を蹴り上げた。

 それからモノは道端に転がる拳銃を正確に踏みつぶし、

 素早く少女の元に駆け寄って、

 彼女を守るように前に立ちはだかった。


 軍服は腰をさすりながら起き上がった。

 おかしいな、人間を攻撃できないはずだが、と彼は言った。

 外套の男が何かを叫んだ。

 ああなるほど、と軍服は得心したように頷いた。


 嬢ちゃんの命を守るのを最優先命令にしたわけか。

 やるじゃん。

 やっぱり嬢ちゃんを先に確保しとくべきだったな。




 モノの右腕が少女の猟銃を支えた。

 少女は深呼吸した。

 腕の震えはおさまって、

 銃口は正確に軍服に向けられていた。


 一か所に集まって、手を挙げて。


 少女の言葉に、軍服は両手を挙げ、

 外套の男のもとへと歩み寄った。

 外套の男はその様子を見て、

 同じように手を挙げた。


 訊きたいことがある、と少女は言った。


 答えられる範囲なら、と軍服は言った。




 なんでモノを襲ったの。


 単なる不良品の回収だよ。

 命令も聞かずに勝手にフラフラしてるやつがいたら危ねえからな。

 バグの原因を調査して、再発防止策を打たねえと。


 街を襲ったのもあなたたち?


 おいおい、俺たちを悪の根源だとでも思ってるのか?

 ありゃたまたまだよ。

 あの街はもともと襲われる予定だった。

 まあ、その騒ぎに乗じてこの人を

 忍び込ませたってのもあるけどな。


 その人、と少女は言った。


 黒い外套の男は静かに手を挙げていた。

 少女の知らない言葉を話す男。

 その男は、雪のように白い肌に碧い眼、

 そして輝くような金色の髪をしていた。


 明らかに、彼はこの国の人間ではなかった。




 少女は半ば叫びながら尋ねた。

 その人は、敵なんじゃないの。

 わたしたちは。

 いったい誰と戦っているの。


 難しいことを訊くなあ、と軍服は言った。

 確かにこの人は敵国の人間で、俺たちの戦争してる相手だが、

 俺たちは別にこの人たちが嫌いで、全滅させるため、

 ひたすら戦い続けてるとか、そういうわけじゃないんだよ。


 どういうこと。

 じゃあなんで、わたしたちは戦争してるっていうの。


 俺だって下っ端だ。よく知らんよ。

 だけどまあ、昔の偉い人がこう考えたんだ。

 適度に壊しあったり殺しあったりすることに力を注いだほうが、

 人間たちは管理しやすいんだ、とさ。


 しばらくの沈黙の後、

 絞り出すように少女は言った。


 いつか、戦争は終わるんじゃないの。

 わたしたちが勝つか、相手が勝つかで。


 終わらないよ、と軍服は言った。

 誰も勝たない、戦争は続く。




 少女は黙り込んでしまった。

 何を言えばよいのか分からなくなってしまっていた。

 モノは目だけを少女の方に向けて、

 気遣わし気にピーと鳴いた。


 質問は以上かな、と軍服は言った。


 少女は何も返事できなかった。


 俺の仕事は二つある、と彼は言葉を続けた。

 一つは不良品の回収。

 もう一つは、疎開させられてる軍上層部のご令嬢の回収。

 今までは安全を確保するために都会から離れさせていたが、

 近隣拠点の破壊に伴い、生活の継続が難しくなるからな。

 これを機に引き取って、本格的に教育するんだ、と。


 少女は黙ったまま、モノの目を見た。

 モノはもう一度ピーと鳴いた。

 少女は軍服の男に視線を戻した。


 来てもらえるか、と軍服は言った。


 嫌です、と少女は答えた。



 ***



 少女は眠り続けていた。


 あの後軍服の男は、また誰かが来る、と言い残して去った。

 その兵器、受信の方はすっかり壊れちまってるけど、

 発信は生きているからな。

 位置情報は筒抜けだ。


 少女にはなにも分からなくなっていた。


 少女はここで暮らし続けていれば

 いつか父と母が迎えに来てくれると信じていたし、

 しっかり勉強してお国の役に立てば

 いつか戦争を終わらせることができると信じていた。


 少女は頭まですっぽりと毛布にくるまりながら、

 ほとんどの時間を何もせずに過ごした。


 モノはせわしなく動き回って、

 少女に食料や水を届けたり、

 少女の好きな本を枕もとに置いたり、

 少女を無理に起こそうとして軽くはねのけられたりした。


 モノは右腕だけで、苦労しながら文字を書いた。

 左腕でノートを押さえられないせいか、

 文字はいつもの端正さからは程遠かった。


 俺はあんたから離れるべきだと思う。


 駄目。

 ここにいて。




 数日が経った。


 普段なら配達屋の青年が訪れるはずの日にも、

 単車の音は聞こえてこなかった。

 

 モノが届ける食事の量が少なくなった。

 どうやら残り僅かになってきているらしかった。

 少女は気だるく身体を起こし、壁にもたれた。

 お腹すいたなあと呟いて、

 何もしなくてもお腹はすくんだと思って、

 なんだかおかしくなって、少し笑った。


 少女の声を聞きつけて、モノが近くに歩み寄った。

 モノの頭を撫でながら、少女は呟いた。


 なにも変わらないと思ってたんだよ。

 でも、そんなの無理だった。

 全部嘘だったんだ。




 それから、少女は泣き続けた。

 あの日から初めて、大声で泣いた。

 どれだけ泣いても涙は尽きることがなかった。

 モノは慌ててどこからかタオルを持ち出して、

 ずっと少女の顔に当てていた。


 わかんないよ、と少女は繰り返した。

 なにもわかんない。

 なにも。


 やがて少女が落ち着いて、

 時々しゃくりあげるだけになった頃、

 モノは何かを思い出したように立ち上がった。

 それから、枕元に高く積みあがった本の山を崩し、

 一番下の方に眠っていた本を取り出して、

 少女の膝の上に置いた。


 なに、と少女は言った。


 モノは本を開いて、少女にとあるページを見せた。

 それはかつて少女がモノに見せた、

 オーロラの写真だった。




 これがどうしたの。


 ピー。


 まさか、見に行こうって?


 ピー。

 

 馬鹿じゃないの。

 行けるわけないじゃん。


 ピー。


 それにもう、別にどうでもいい。


 ピー。


 モノは本から手を離し、自分のノートを開いた。

 少女はノートを支えてやった。

 モノはボールペンでノートに、こう書いた。




 俺が行きたいんだ。

 俺があんたを連れてってやる。




 少女はその文字を読みながら、

 かつて自分が言った言葉を思い出した。


 いつか、オーロラを見に行きたいんだ。


 いつか、世界中を旅するの。


 いつか。


 いつか。




 いつかって、いつだ?




 少女は勢いよく立ち上がった。

 モノは驚いて後ずさった。


 そして、少女は力強く言った。


 モノ。

 支度をしよう。


 モノはひと際大きく、

 ピーと鳴いた。




 数時間後には二人は玄関に立っていた。

 少女は衣服やタオルをいれた背嚢を背負っていて、

 モノの、左右の壊れた銃身には、

 ありったけの水と食料が詰まった袋が引っかかっていた。


 少女は後ろを振り返った。

 いままで暮らしてきた家に、

 祖父母に、父と母に、心の中でこう言った。


 ありがとう、ごめんなさい。

 さようなら。


 それから、少女はモノの上に乘った。

 さあ行こう、と少女は言った。

 モノはピーと鳴いて、そして歩き始めた。




 モノの足取りは、初めはゆっくり、

 次第に速くなっていて、

 ついには走りはじめた。


 少女は愉快そうに笑いながら、

 いいぞ、いけ、と何度も叫んだ。

 少女の声に合わせて、モノもピーと叫んだ。


 いけ。


 ピー。


 速く。


 ピー。


 もっと速く。


 ピー。


 もっと、速く!


 ピー!




 瞬く間に景色は通り過ぎた。

 激しく揺れるモノに振り落とされないよう、

 少女はしっかりしがみついた。


 どこへだって行ける、と少女は思った。

 わたしたちはどこへだって行けるんだ。

 山だって、海だって、砂漠だって超えて、

 二人なら、どこへだって。


 戦争が終わらなくても、

 世界がわたしを守ってくれなくても、

 もうそんなことは知ったことか。

 

 わたしは行きたいところへ行っていいし、

 わたしはしたいことをしていいんだ。


 わたしにはモノがいる。

 モノがわたしを守ってくれる。


 わたしたちは、無敵だ!




 少女は叫んだ。

 モノも叫んだ。




 走れ、モノ!


 ピー!

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