一章 まだ肌寒い空の下 6


「えーまずは、授業中に何か異変や気づいたことはあるか?」

「特には無かったな」

「私も今の所は何も変わった事はなかったわ」

「右に同じです!稲葉隊長!」

「俺も髪の事は友達に何回か突っ込まれたけど、姉貴に無理やり染められたって言ったら納得してくれたよ。それ以外は新しいことはなかったかな」


 今日の授業を全て終え、時刻は放課後に入っていた。

 部室に集合した5人は稲葉の指揮の下、現象に対する対策会議を始める。


「しっかし今回は1日目とはいえ進行がえらく遅いな。私と青木の記憶は依然として戻らないし、他のメンツには変化がないようだし」

「何か〈ふうせんかずら〉側の都合か、それともたまたまなのか判断しづらいな」

「どちらにしろ私達のやることは変わらないけどな。さ、朝方出た『記憶変換』以外になにか仮説を思いついた奴は?」

 黒板の前に立ち、稲葉は議題を上げると、青木が弱々しく右手を上げた。


「うーん、自信を持ってこれだ!とは言えないんだけどさ、ひとつだけ」

「なんだ青木、言ってみろ」

「記憶を変えられてるって言ってもさ、まだ分かってるのって文化祭での出来事くらいじゃん?それくらいで稲葉っちゃんの性格が変わると思ると思えないんだよね。だって文研部で初めて顔合わせした時から、稲葉っちゃんは稲葉っちゃんだったじゃん?」


 青木の主張は確かに最もだった。

 今現在確認できている稲葉の記憶違いは、文化祭で発行した文献新聞の記事だけだ。

 故意に探せば他にも見つかる可能性はあるが、自然な形で発覚していないという事は、それ程大きな稲葉が言う『記憶変換』が起きていないんじゃないのだろうか?

 なのにも関わらず、稲葉の変化はそれに見合わない大きさだった。

 特に一度発言をする度に十回罵倒されてきた青木にとって、その稲葉の違和感は太一が感じる以上の物だったのだろう。


「なるほど。この部室に来た初日に青木に対して嫌悪感を抱いた事は、確かに私は覚えてるな」

「……それには触れないとして、だから俺は逆に考えたんだ。記憶が変わったから性格が変わったんじゃなくて、性格が変わったから記憶が変わったんじゃない?」

 自らの考えが否定されたのに関わらず、稲葉は嫌な顔一つせず頷いた。


「そうか。確かに『記憶変換』が有り得るのなら、『性格変換』だって有り得てしかるべきだな。アイツの前じゃあ、どちらも同じようなものだろうし。性格が変わったために、帳尻が合わなくなった出来事を無理矢理変えたとすれば、一応納得できなくもない」

「青木のくせに……無駄に的を射てるじゃない」

「でしょ!?でしょ!?しかし恐れおののけ!まだ俺の仮説には続きがあるんだぜ!」

「ダメだよ青木!そのセリフは完全に完膚なきまでにフラグだよ!逃れられぬカルマだよ!」

 永瀬が必死に裾を引っ張り止めようとする手を、青木は振りほどいた。


「止めないでくれ伊織ちゃん。理不尽にもある日突然イメチェンをさせられた今、俺の本来のキャラが薄れるのを阻止するためには、この道を進むしかないんだ」

「青木……」

「俺の本当の仮説とは!今回の現象が、俺の稲葉っちゃんが少しでも優しくなってくれるという願望を叶えてくれるというものなのです!」

「却下だな」

「即答!?」

 他人の意見に寛容になった稲葉をもってしても、考える暇さえ与えなかったか。


「まあ確かに青木個人のお願いを叶える物だったら、青木の髪型が変わったのは説明できないものね」

「な、なら、誰かが誰かに抱いたお願いが叶えられてるんじゃない?誰かが稲葉っちゃんに優しくなって欲しいと思ったのと同時に、誰かが俺の黒髪ストレートを見てみたいと思ったとか」

「どこのどいつがそんなしょっぱい願い事するんだ。ありえねえだろ」

「いや、でも万が一ってこともあるだろうし……」

「万に一つも億に一つも有り得ない。断言してやる。さ、次の仮説に行くぞ」

 やけに強引に会話を打ち切って、稲葉は軽く黒板を叩いた。

 若干不満そうな顔をしていながらも、青木は渋々それに従う。


「なあ稲葉、仮設って訳じゃないしついさっき授業中に気づいたことなんだが、今回の現象は違和感があるというか変じゃないか?」

「毎度毎度突拍子のない事ばっかやらされてるのに、今更何言ってんだ太一」

「そういうことじゃなくて、上手く説明出来ないんだが……」

「まだ〈ふうせんかずら〉の解説が無いから、イマイチ現状がつかめなくてそう思うだけだ。気にすんなよ」

「いや、そうじゃなくて」

「相談なら後で聞くから、今は本題に専念させろ」


 稲葉の目を見つめたまま、太一の喉は次の言葉を紡げなくなった。

 その瞬間、太一の胸の中に言いようのないモヤモヤがこみ上げる。

 表情も台詞も昨日までの稲葉とは違う。それは授業中に整理をつけていたはずなんだ。けれど、それだけじゃない。

 これと似た感覚を……自分は以前にも感じた様な。

「ねえ太一、太一?大丈夫?」

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