一章 まだ肌寒い空の下 3
「ねえ稲葉ん、さっき唯が言ってた太一のプロレス特集も私の稲葉ん密着24時も、前に一回新聞の記事にしようとしてたよね。その時ってどうしたっけ?」
「どう……あぁ、確かに結構前に感じるがそういえばそんなこともあったな。その時だって太一はプロレス特集を載せたし、伊織は私にインタビューを受けさせてなかったか?というかお前ら、流石に前やった記事とかぶることはするんじゃないぞ」
「これって……アウト……だよな?」
稲葉以外の4人が一斉に頷いた。
「ねえ稲葉、よく聞いて。私の記憶では文化祭増刊号の企画会議で伊織と太一がその提案をした時、取り付く島もなく一蹴されて終わりだったの。だから、稲葉の言ってる事と私の記憶はずれてるわ」
「は?唯、お前は何を言ってるんだ?そんなことある訳……もしかして、お前らもそうなのか?お前らも私が言ってる事に覚えがないのか?」
そう言って稲葉は4人を見渡した。
少しだけ自分と桐山がずれているという可能性を考えていたが、全員が頷いた所を見てホッとする。
「あ、ちょっと待って。稲葉んの話を聞いてひょっとしたらと思ったんだけど、青木ってもしかして前からその髪の色でその髪型だったって事はある?」
「え?何言ってんの伊織ちゃん、今更聞かなくてもそうに……決まって……ないの?」
流石に青木も察したのか、喋るにつれて話し方が疑問形になっていた。
「なるほど。どうもお前たちと会話が噛み合わないと思ったらそういう事か。たくっ……また〈ふうせんかずら〉の野郎が何か仕掛けやがったな」
自分も被害を受けている側なのに、稲葉の理解の速さは流石としか言いようがない。
「やっぱりそう考えるのが自然だよな。稲葉がこんなに豹変したり、記憶違いしたりするとは思えないし。だが、今回は一体何が起こってるんだ?」
「安易な決めつけは逆効果になる……とはいえ、ある程度の仮説は幾つか立てておいた方が動きやすくなるかもな。クソッせっかく文研新聞のために集まったってのに」
一度深呼吸して稲葉はパイプ椅子へ座った。それに習って、唯と青木も腰を下ろす。
「あ、あのさ、稲葉っちゃんは早くも順応してるらしいけど、俺としては結構ショックが大きかったりして……もうちょっと落ち着く時間をもらえないかな?」
「……確かにお前の言い分は理解出来る。だが却下だ。今までの〈ふうせんかずら〉が起こした現象の傾向からして、少しでも対応が遅れれば取り返しのならない事態になる事が多い。というか、お前だって散々巻き込まれているんだからそろそろ順応しやがれ」
稲葉の切り替えの早さや、青木に対する扱いは全く変わっていないようだった。
「まずは被害報告からだな。取り敢えず発覚しているのは私の記憶のズレ。それと……私の性格と青木の髪型が、目に見えて変わったという事でいいのか?」
「性格が変わったって言ってもさ、ちょっと物腰が柔らかくなったってくらいだよ?私には〈ふうせんかずら〉が関わってるって程の事には見えないなぁ……」
「それもそうだが、楽観的に考えるには材料が足りなさすぎる。それに、徐々に状況が悪化していくのは何時も通りだろ。油断は厳禁だ。あと、重要な事は私と青木が言ってる事と、お前らの言ってる事が違ってるって方なんだぞ」
「二人の記憶と、俺達の記憶が食い違ってるって事だな?」
「そうだ太一。状況から見て記憶が変わったから、それに合わせて性格や外見が変わった可能性がある。もし万が一この仮説があっていれば……あいつがその気になれば、私達をどんな人間にも出来るって捉え方も出来なくはない」
「そ、それは流石に大袈裟なんじゃないか?催眠術でもあるまいし」
「だが言い切る事は出来ないだろ?例えば奴が文研部に関する記憶を全て消せば」
「ちょ、ちょっと稲葉?」
「……ただの例え話だから安心しろ。それに――〈ふうせんかずら〉は基本として、面白くなることを望んでるんだ。私達がバラバラになれば、毛ほどもつまらなくなる事が分からない程あいつも馬鹿じゃないだろ」
部室にはどことなく重い雰囲気が漂っていた。
稲葉はああ言ったものの、自分達はまだ〈ふうせんかずら〉に対して分かっていない事が多すぎる。
仮に奴が言う面白さが、自分達の思う面白さとすれ違いがあったなら。
その可能性が拭えない限り、その言葉に安心することは出来ない。
稲葉に対する信頼を持ってしても……〈ふうせんかずら〉を信用する事は出来ない。
「ねえ稲葉っちゃん、俺って前までどんな髪型だったの?」
その空気を破るように、青木は口を開いた。
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