3.終末は始まりの序章 The end starts and the prologue.

 薄っすらとこの目に映るその白い天井の壁。

 僕はまた意識を失っていたんだ。またどれくらいの時間が流れ過ぎたんだろう。

 もう2年か? それとも十年か? もうどれくらいの年月が経とうとも僕にはもう関係のない事だ。

「目覚めましたか? ご気分はいかがでしょう」

 イーリスが僕に呼びかけた。

「問題はない。またどれくらいの時間を費やしたんだ」

「あなたが再度意識を閉じてからおよそ十二時間が経過しています」

 十二時間? 随分と短い……… もう隔離をする気はないんだろう

「七季所長がお呼びになられています。今すぐ行かれますか?」

 親父が……… いや、所長が僕を呼んでいる? 多分僕への処罰の告知だろう。親子であってもここでは他人以上の存在であり、ここの最高責任者だ。命に背くことは出来ない。

「分かった。これから向かう」

「了解いたしました。七季所長にはお伝えいたしておきます」

 ベッドから立ち上がった時、沈みこむような感覚とめまいが僕を襲った。取っ手に捕まり何とかその足を地にとどめる事が出来た。

 本当に何年ぶりに僕自分の足で立ったんだろう。そんな不思議な感覚が全身を駆け巡る。


 所長室の前で僕は名を告げる。

「七季雫です」

 スライドする壁は自動的にその通路の先を開いた。

 広い部屋の壁窓を立ちながら僕に背を向け、外の景色を眺めている人物。この部屋で会うのは初めてだった。無論この所長室に来ること自体初めてだ。

「……… 雫、お前が行った行為については分かってるいるな!」

 振り返りもせず外の景色を眺めたまま、所長は言う。

「はい……… 理解しています」

「そうか。本来ならその一命と引き換えになる事をお前は行った。この施設の重要規約をお前は破ったことになる。それに就いて理解しているというのか」

「はい」

 彼はしばらくの間沈黙を保った。

「……… お前は、2年間ゼプト・システムによりパージされその生態データをこちら側で管理した。その際、倉塚桜についての記憶を消去しようとしたが、お前の生態データにプロテクトが掛けられた。何故そのようにプロテクトが掛けられたのかは不明だ。だが、お前の生態データ及び意識データは別の個所からの干渉を受けている事は確かな事だ。本来ならばデリートされるべきデータであるが、我々ではもう手立ての出し様がなかったのが本音だ。多少記憶の混乱はあるだろう。しかし記憶は残っているはずだ。悪いことは言わん……… 早く忘れろ! 彼女の事を」

 僕は黙ってその声を訊いていた。そして

「僕は、僕は忘れる事は出来ません。決して倉塚桜という彼女ひとの事をこの僕の記憶から消す事は無い事です」

「ふっ、台本通りにはいかないと言う事か………」

 呟く様に彼は言う

「ならば………」

「ならば、僕を殺しますか? 所長!」

 振り返り、僕の顔を見つめる彼、所長の顔はこわばりを見せ、その目は物凄く冷たいものを感じさせた。

 この命を、今ここで奪われるのもそれも運命だろう。この現実の世界に戻った事により僕の悲しみはまた振り返る。

 だが今の僕は、ある使命を受けている。あの仮想世界サーバZEROで共に過ごした時間を、ユリカと共に得たこの世界の真実を……… 筋書きの決まったこの世界を、あの想いが願う様に導かねばならない。

「僕の命をここで閉ざしますか? 所長………」

 僕のその言葉に所長は何も返さなかった。

 そしてその重い口を開き彼は僕に告げた

「倉塚桜は死んだ。もう二度とお前の前には現れる事は無い」

「ああ、そうだよ。桜は死んだ。僕の目の前で……… でも本当の桜の願いは、彼女の歌声はまだ生きている。そして、その願いを消すわけにはいかないんだよ。彼女のその受け継がれた願いは消してはいけないんだよ……… 父さん」

 桜が受け継いだ遥か昔からの、人類が誕生する前からの願いを、消すわけにはいかない。それが僕の使命であり、そして僕がこの世界にこの命を受けた証なんだ。

「ふっ、受け継がれた想いと願い……… この世界が存在する前から受け継がれたあの想いと願いをお前は背負うというのか?」

 静かに彼の手に握られる銃口が僕に向けられる。

「お前は……… どこまで知っているというのだ!」

「僕は……… すべてを知ってしまったんだ。この世界が終末に向かっている事も、そしてすべてが初めから筋書き通りに流れている事を……… 僕は、ZEROの仮想世界であの創業者の科学者と出逢った。そしてユリカと共にこの世界の時間を旅し続けて来た。そう、桜は……… 桜は遥か幾千年もの昔から語り継がれてきた別世界の彼女ひとの願いを受け継いでいる事も………」

 一発の銃声が部屋に響いた。弾丸は僕の頭の横を空気を切る様に飛び放たれた。

「……… もういい。その先は話さなくてもいい」

「ごめん、父さん。もう後には戻れないんだ」

 その言葉の意味を悟ったかのように、ゆっくりとその持つ銃の腕を降ろし。

「すまん雫、俺がこんな事に関わってしまったばかりに、お前まで巻き込む結果を作ってしまった」

「いいんだ。僕はこの日本を離れるよ。アメリカの研究所に移籍する。母さんには栄転だとでも言っておくよ。父さんもうまく母さんに言っておいて……… 母さんを、あまり寂しくさせないでくれると僕も嬉しいよ」

「分かった。母さんには何とか上手く言っておくよ」

 僕らはもう後には戻れない。親子として、この人の子として……… そしてこの人を親として………

「それと、二つお願いがあります」

「なんだね………」

「ユリカが誕生した時、僕はある科学者を拘束しなければいけません。その事については何も関与しないでほしいんです」

「科学者を拘束? いったい誰を拘束しようとしているんだ」

「今はその名を告げる事は出来ません」

「そうか、それでもう一つの願いとは?」

「ユリカが誕生して一か月間、ユリカを僕の傍にいさせてください。その後僕はアメリカに向かいます」

「その理由も今は言えないのか?」

「ええ、多分その理由を話しても、ご理解してもらえないと思いますので………」

「ふっ、致し方あるまい。許可しよう」

「ありがとうございます。それでは………」

 僕が退室しようとした時

「……… 雫」父さんは僕を呼び留めた。

 その声は所長としてではなく僕の父親としての声だった。

「また……… 共に、出会えることを願おう」

「はい、また共に出会える事を……… さようなら、父さん」

 子はいずれ親から巣立つ。それがどんな形であるかは分からない。でも僕は今、僕の最愛なる親から巣だった。

 それは……… この世界の運命を懸けた巣立ちだった。


◇◇


「イーリス、今のこの会話を………」

「了解しております。七季所長。この会話はすでにデリートされています」

「……… 分かった。ありがとう」

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