3.悲劇の女神 Ange ・Fearon (アンジェ・フィアロン)

 「イヤー危機一髪って言うのかな」

 霧﨑は、少し遊びかけた様にアンジェに向かっていった。だが、彼女は目のあたりにした光景をまだ双幅しているかのように、両手で肩をつかみ、かすかに震えていた。

 しかも、その姿はあの時のまま、薄いTシャツと下着だけの姿だった。

 その姿を見て、霧﨑は話しかけるのを止めた。

 「今は、そっとしておこう」

 今、彼が出来ることはそれしかない様に思えたから。

 

 霧﨑は、ハンドルを握りしめスピードを上げた。

 

 ランドローバーは、一般道からハイウエーに入る。

 二時間位の後、霧﨑はハイウエーを降り車を止めた。

 そこは、郊外のスーパーマーケットだった。

 広大な広さの駐車場には、沢山の車が駐車してあった。

 その駐車している車の台数が物語る様に、そのスーパーマーケットには沢山の買い物客が来ていた。

 霧﨑は、アンジェを車に残し、一人、店内へと向かった。

 アンジェは、その様子を助手席から黙って見ていた。

 霧﨑の姿が、人の波に隠れ、店内に入るまで。

 アンジェは、その時思った。

 今が、逃げ出すチャンスだと。

 彼は、アンジェを拘束をしていない。むろん車のドアはロックもされていない。アンジェは自由に動くことが出来た。

 そして、ドアに手を架けた。

 その時、車の後ろを大きなカートを押しながら通り過ぎる家族連れをサイドミラー越しに見た。その家族は、大きな体のお父さんがカートを押し、その横に優しそうなお母さんがいて、アンジェと同い年くらいの女の子が楽しそうに、母親の手を握りあるいていた。

 ふと、アンジェは自分も、あの家族と同じように両親と買い物をしている風景を思い描いた。だが、彼女の描いた家族には、傍にいるはずの両親の姿は無かった。

 今、ここを出れば、確実に警察に保護してもらうことが出来る。でも、そのあとの行先も彼女は解っていた。

 アンジェは、ドアから手を離した。

 「ま、命までは取らないみたいだから、いいかぁ」

 そう、自分に言い聞かせ、後部座席にある毛布を取り目を閉じた。

 三十分もした頃、運転席側のドアを「こんこん」とたたく音がして、アンジェは目を覚ました。

 その方を、かすんだ目で見ると、霧﨑が紙袋を三つ抱えて、ドアを開けようとする姿が写った。

 霧﨑は助手席にいるアンジェを見て

 「ほう、逃げなったんだ」

 そう言って、運転席に座った。

 そして再び

 「逃げようと思えば逃げられたのに、ま、いいかぁ」

 呆れたような彼の態度にアンジェは少し苛立ちを感じた。

 何て自分本位の考えをする人だろうと!

 「まずは、腹ごしらえだ。腹減ったろう、ほれ」

 霧﨑は、持っていた紙袋の一つをアンジェに渡した。

 それは、ハンバーガーとポテト、コーラのセットだった。

 アンジェはそれを見て、「ぎゅうぅ」と腹を鳴らした。

 「腹減ってたんだろ。冷めない内に、さ、さ、食べろ」

 そして、彼も袋からバーガーを取り出し被りついた。

 「ん、意外といけるぞ。まーソースがちょっと濃いがな」

 霧﨑は顎にソースを付けて、アンジェの方に顔を向けた。

 それを見たアンジェは、「クスッ」と笑った。

 指を霧﨑の顎の方に指して、アンジェもバーガーを大きな口を開いて頬張った。

 それを見ていた霧﨑もアンジェの口を指さした。

 彼女は、はっとして、手の甲で口を拭いた。

 拭いた手には、べっとりとソースとケチャップが付いていた。その顔にも、ソースとケチャップが口元に広がっていた。

 霧﨑はその顔を見て、大声で笑った。

 アンジェは少しむくれた。でも霧﨑の屈託のない笑い声につられるように、始めはクスッとし、そのあと徐々に笑いだした。しまいには、おなかに手をやり、苦しがる程に笑い転げた。

 「ようやく、緊張がほくれたみたいだな」

 霧﨑は、アンジェを見て

 「緊張を解くには、少しの静寂と満腹感、それとちょっとしたキッカケだ」

 「あんたって、お医者さんなの」

 アンジェは、うっすら涙をためた目を霧﨑に向けて訊いた。

 「いいや、俺はロボット屋だ」

 「はぁ、玩具屋おもちゃやの間違いじゃなくて」

 霧﨑はそれを訊いて呆気にとられ

 「はは、確かにな、おっきな玩具おもちゃを作ってるよ」

 アンジェはそれ訊いて

 「ああ、私って本当に運のない人生だわ」

 アンジェは落胆した。

 「こんな訳のわかんない人に捕ら《と》われるんだもの」

 今度は少し怒ったような表情だった。

 「ところで、アンジェちゃんだったよな」

 霧﨑は話を変えた

 「そうよ、でもその名前は孤児院にいた時、便利上付けられた名前よ。本当の名前は解らないわ」

 上を見上げて、アンジェは静かに語った。

 「私ね、あのサーカスに行く前、小さな孤児院にいたの。雪の降る晩にね、その孤児院の入口に捨てられてたんだって。籠の中に、Fearon (フィアロン)て書かれたメモとね。

だから私は、Ange ・Fearon (アンジェ・フィアロン)そう言っているわ」

 霧﨑はアンジェの顔を見ながら訊いていた。

 「で、どうしてあのサーカスに」

 「ある日突然、あの団長が孤児院にやって来て、私を連れ出したの。何も言わずに。そして無理やりブランコをやらされたわ。多分、売られたんだと思うわ」

 「うられた?」

 「ええ、あの孤児院の園長、他にいろいろやってたみたいだから」

 霧﨑も、シートに背中を当てフロントガラスに映り出される空を眺めていた。そして一言呟いた。

 「裏社会か」

 アンジェはその言葉を聞いて、きょとんとしていたが、霧﨑の顔をちらっと見て

 「そういえば、あんたの名前訊いていなかったわね。本当は、男性の方から名乗るもんじゃない」

 彼女は、食べきったバーガーセットの殻を足元に置き口をナプキンで拭きながら

 「それに、この恰好何とかならない」

 と、霧﨑に問いかけた。

 「ズウズウゥ」

 コーラをストローで吹切ると彼は、少し大きめの紙袋をアンジェに渡し

 「俺は、霧﨑裕也きりさきゆうや 日本人だ。こっちには野暮用があって来ている」

 アンジェは、霧﨑が渡した紙袋を覗き見ると

 「ああ、そいつは、日本で言うジャージだ。解るかなぁ、体操なんかする時に着る奴だ」

 それは、縦に白の二重のラインが上下に入った赤のごく普通のジャージだった。

 「解ってるわよ。それにしてもダサいジャージねぇ、もっといいのなかったの。あんたのセンス疑うわ」

 アンジェは、ぶつぶつと文句を言いながら、束ねている髪の毛を解いた。

 そのブロンズの長い髪は、彼女の腰の辺りまで滑り落ち、日の光がそのつややかな髪をシルバーに思わせるように反射させていた。

 そして、その赤のジャージを着ると、霧﨑の方を意識して


 「それじゃ、本題に入るとするかぁ」


 そう呟き

 「ねぇ、あんた、これから私を如何したい訳? 本当に私の体が目的なの」

 アンジェは、フロントガラスを見つめて霧﨑に問いた。

 「ん、どうしてそう問う?」

 霧﨑は、不思議そうに彼女を見つめた。

 「だってあんた、今までの男たちとは違う感じがするんだもん」

 「違う感じねぇ。でもお前の体を求めているのには変わりが無いがな」

 アンジェは、「フゥ」と息をして

 「それじゃ、早く此処を出ましょ。近くにモーテルの一つくらいはあるでしょう。シャワーくらいは浴びさせてよね。それとも、まさかここで、この汗臭い体のままがいいなんて言わないわよね」

 霧﨑はそれを聴いて大笑いをした。

 「ははは、お前の体が目的だと言ってもそう言う訳じゃない」

 アンジェはそれを聴いて、霧﨑から身を離し、ドアに手を架けた。

 「まさか、私の体を切り刻もうとでも考えているの」

 霧﨑は真剣な表情でアンジェを見て

 「俺はそんなことはしない。俺はある目的があって、お前をあのサーカスから連れ出した。少々強引だったが、あれでは致し方あるまいが………」

 アンジェは霧﨑のその真剣な表情に飲み込まれながらも、警戒心を解き放さなかった。

 「で、あんたのその目的って?」

 「今は詳しいことは言えない。だが俺は、お前のその能力に賭けてみたんだ。あの空中ブランコを見てな」

 アンジェは少し下に頭を下げ、目線を自分の靴に向けた。手をドアから離して。

 そして霧﨑は話を続けた

 「これから、お前が行く所は、この世界から切り離された所だ。そこで、お前にある事をしてもらいたい。その為に俺は、この一か月の間、アメリカ全土を渡り歩いた。その人材を探すためにな」

 「それが、私って言うの」

 アンジェは顔を上げ、霧﨑の方を見て言い放った。

 霧﨑はさらに真剣な目をして、アンジェの目を見た。あの時、アンジェに注いだ真剣で、そして優しい瞳を

 「そうだ。今、全てを信じろと言われても、それは無理な事だと言うのは解っている。でも、それでも、俺を信じて来てほしい」

 アンジェはまた下を向き、考えた

 霧﨑は、その姿をただ見つめていた。

 突如、霧﨑の脳にウーラが呼びかけた。

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