1.悲劇の女神 Ange ・Fearon (アンジェ・フィアロン) 

 彼の姿は、どこかの映画で見たような考古学の教授のようないで立ちで、ランドローバーを乗り回していた。

 ある都市にたどり着いた霧﨑はビルの壁に無造作に張られているサーカスのポスターを目にした。

 そのポスターには、きらびやかな衣装を着た十五、七歳位の少女が、空中ブランコの取っ手に立ち、手を振っている姿が映し出されていた。

 彼は、その彼女を見て

 「ヒュー、歳の割りにはいいスタイルしてるなぁ」

 そうつぶやき、そのサーカスが行われている場所と時間を見た。

 「お、割と近いな、それにまだ間に合う」

 そして彼は、公演真っ最中のサーカスのテントに入った。

 ちょうど、一つの演技が終わり、次の演技の準備が始まった。

 「次が、空中ブランコか」

 霧﨑は、席に座り、上を見上げた。

 「高いなぁ。それに落下ネットは無か、大丈夫かよ」

 彼女の演技が始まると、霧﨑は食い入るようにその演技を見つめた。

 少女は、自由に空中ブランコをつなぎ渡り、観客を魅了した。

 その少女の身体能力は、人間離れしたものだった。

 まるで、彼女の背中に羽が生えた様に。それは、蝶が空中を羽ばたく姿を思い起こさせた。

 

 「………ようやく、見つけた」

 

 彼女の演技が終わると、霧﨑は外に出て、楽屋テントへと向かった。


 あの彼女をスカウトするためだ。  


 大型のトレーラーが二台並び、そのわきにライオンの檻、続いてチーターの檻、そして少し離れて大型の檻にクマが三頭うなだれるように入っていた。

 その前を通ると、奴らが垂れ流した糞尿が悪臭を放っていた。

 「これは酷い。処理くらいちゃんとやれよ」

 彼は鼻と口を手で覆い足早にその前を過ぎた。そして、楽屋らしいテントの入り口を目にした。

 その入口には『Staff only(関係者以外立ち入り禁止)』と書かれたボードが掲げられていた。

 「まっ、用事があると言う事は、関係者って言うことだよな」

 そう言って彼は、楽屋テントに入った。


 そこには、さっきまでピエロを演じていた奴が、鏡の前でメイクを落としていた。

 その男は鏡越しに、霧﨑の姿を見ると

 「あーダメダメ。ここは関係者意外立ち入り禁止だからね」

 その男はそう言って振り返り、霧﨑の方へシッシと手を掃った。そして

 「あ、もしかしてアンジェちゃんのサインが欲しいのかい。だったら、売店で買ってくれ。十五ドルだ」

 そう言って、また鏡に向かいメイクの落としにかかった。

 「ほう、アンジェちゃんて言うんだ、あの子」

 霧﨑は、顎に手をやり、にやつきながら、奥の入口に向かおうとした。

 「おい、あんた。さっきのが聞こえ無かったのか」

 男は立ち上がり、霧﨑の方へ手を出した。

 「そっちは、団長室だ。訳の分からん奴を行かせるわけにはいかない」

 そう言って、メイク台にあった投げナイフを握り、霧﨑の方へ向けた。

 霧﨑は平然として

 「ああ、そっちが団長室か。俺はその団長さんに用事があるんだが」

 「あんた、団長の知り合いかい」

 「いぃや。このサーカスを見に来たのは今日が初めてだ。団長にもあったことはない」

 「じゃぁ、なんの用事だい。それに今はその部屋に行かせる訳には行かないんだよ」

 その男が言い放つと同時に、その団長室から女の子の悲鳴が聞こえてきた。

 「やれやれ。そう言うことか」

 男は、ナイフを構え、その刃先を霧﨑に向け、下からナイフを振り上げた。

 霧﨑は何のためらいもなく、その男がナイフを握っている手の甲を殴り飛ばし、すかさずその腕を後ろに回して、その男の背中を蹴りつけた。顔を床につけている男の腕を六十度ほどひねり、少し持ち上げた。

 すると、男の肩から「ゴルウゥ」と鈍い音がした。

 霧﨑は、男の肩の関節を外したのだ。

 男は、痛さのあまり悲痛な叫びをはなった。

 それを見て、霧﨑は

 「ああ、帰りに気が向いたら、入れてやるよ。それまでここで大人しくしていな」

 そう言って、団長室のドアを開けた。

 そこは両脇に段ボールの箱が積み重ねらていて、人が通れるスペースが五メートルほど続いていた。

 空間が開けたそこに、団長らしい太った男と、部屋の隅で倒れ込んでいるあの少女がいた。

 その男は霧﨑の姿を見ると

 「なんだ、お前は」

 霧﨑に怒鳴りつけた。

 「なんだと言われても、何なんだが。あんたが団長さんかい」

 その団長は、霧﨑の近くに寄り、顔を近づけて

 「ああぁ。そうだが、俺になんか用かい」

 「そうだな。用がなけりゃ、こんなとこに来ないと思うんだけどな」

 そう言って、団長の後ろの隅でうずくまっている彼女に目をやった。

 彼女は、あの華やかな舞台の衣装とは違い、薄い白のTシャツと下着のみの姿だった。しかも、ブラジャーも付けておらず、その大きな胸の上から乳首がシャツを押し上げていた。

 それよりも、霧﨑は、腹部のあたりを薄く筋をなして染めている出血の後に目をやった。

 それは、ムチで思いっきり叩かれ、それで皮膚がこすれ腫れあがった後に、にじみ出る血の跡だった。

 霧﨑は、その事をよく知っていた。

 「なるほどな。商売上、顔は傷付けないってか。いや、見えるところはだな」

 その事は、彼女のわきに投げ置かれた、猛獣を飼いならすためのムチが語ってくれていた。

 「なんだ、お前は。児童保安局の役人か。俺はこいつと仕事のミーティングをしていただけだ。そうだなアンジェ」

 団長は、倒れ込んでいる彼女を威嚇するような目で同意を求めた。

 彼女は、それに小さくうなずいた。その顔は、泣きたいのを必死に歯をかみしめて耐えている様子だった。

 「俺は、そんなお堅い役人じゃないぜ。でも、確かに物は固いが・・・」

 「はあ、何を言っているんだお前は」

 団長は、苛立っていた。

 「いや、そうじゃなくて。実は、あんたに相談があってきたんだ」

 霧﨑は平然と何も臆することなく話をした。

 「まあ、その相談と言うのは、彼女のことなんだが」

 「アンジェの事だと。お前、こいつをどうしたいんだ」

 そして、団長はにやりとして

 「そうか、分かったぞ。なんだ、それなら早く言ってくれればいいもを」

 団長はさっきとは別人の様に

 「こいつの抱き心地は最高だぞ。歳はまだ若いが、一晩に何度も逝かせてくれる。妊娠は気にしなくても良いぞ。出来たら出来たでこっちで何とかするからな。まあ、その分の料金も加算しているがな」

 霧﨑は、その事を聞いて少し動揺した。

 「いや、そうじゃなくて、実はこの子を身受けしたいんだが」

 「おいおい、一晩だけじゃ足りないってかぁ。こんな客、初めてだな」

 団長は、目じりを下げ、だらしない顔付きで、手もみをして言った。

 「なあ、客人。こいつはうちの看板だ、この公演に穴を開けるわけにはいかん。どうだろう、公演が終わって十日ってのはどうだい。その間は、こいつに何をやってもいいぜ、殺さなければな」

 まったく話にならん。この団長は彼女の事を、金儲けの道具としか見ていないようだ。怒りが腹の中で煮えたぎってきた。

 そして霧﨑は、ある行動に出た。

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