1.彼女の目覚め

 ドリーはがっくりと肩を落として

「そう、そうだったの。あなたは私の命を助けてくれた。そして、あなたは私の生きる道を与えてくれた」

「でもどうして、クロノスはあの事故の事を隠したの。パパとママが………」

「それはね、あなたのご両親があなたの為に、そうクロノスに命じていたの。ドリーには何も影響しない様にって」

「それじゃ、パパとママは私のために」

 ドリーの瞳からは大粒の涙がこぼれて来ていた。そして、その顔からはユリカへの嫌悪な表情は消え去り、あの十七年前の屈託のない幼い少女の目をしていた。

 イーリスが語りかける。

「もう間もなく、ユリカのスキャンが終了します」もうすぐ、ユリカが目覚める

 この日本での研究が一つの結果を出そうとしている。

 もうじき僕らの研究が形となる。夢物語のような研究が実際の別の人類を誕生させ様としている。そして、ユリカはドリーにとって、とても大切な人となっていた。そしてそれは、僕にも言える事だった。

 大学院院生だった僕をこの研究所へ呼んだのは、他ならぬドリーだった。僕の書いた論文を偶然、ドリーの元カレだった教授から渡され僕を引き抜いた。そして物理を専攻する僕は、この研究で『ユリカ』と出会った。

 まだ実際の体のないデーターだけの女性。僕はその彼女のフェイス、つまり顔をデザインする事になった。そのフェイスデザインをドリーは知っていたのか? それは僕にも分からない。でもユリカの存在を彼女は十七年前、この研究が始まったころからオーストラリアの地で既に知っていた。

 幼い時に起きた、あの悲惨な事故のときドリーは実際のユリカと出会っていたのだから………

「分かったわ雫。たとえ、私が間違った真実を信じていたとしても、私はユリカを消そうとした。その事実は変えられないわよね。だから、私は罰を受けなければならない。このプロジェクトのパーソナル・リサーチャーとしても………」

「うん、そうだねドリー。君は罰を受けなければならない。だから僕は、貴方にユリカのバックアップ全てを任せます。どうかユリカを守ってください。彼女の最後の日まで」

「……… どうして雫?」

「どうしてって、一番苦しんだのはドリーだよ。失った記憶が戻った時、貴方はすでにこのプロジェクトに参加していた。そう、自分の両親を殺したユリカと同じ名のプロジェクトに。でもあなたは、その研究を止めようとはしなかった。いずれ自分の親を殺そうとする研究を自ら没頭し取り組んでいった。だから、ユリカは今、誕生しようとしている。全てはあなたのおかげなんだよ、ドリー」

「雫……… 本当にいいの? 私は一度はユリカを憎んだ人よ。それなのにこれからもユリカに関われと言うの」ドリーは未だに信じられなかった。

「そう、ドリーにとってこれが人生を賭けた研究なんだから」

「もし、私が裏切ったら?」

 大丈夫、今ここに居るユリカが大丈夫だから、ドリーは決して裏切ったりはしてないよ。

「だって、私は誕生してから四十五年後のユリカなんだもの。あなた達のバックアップがあるからこそ存在し続けていられるのよ」

「そう、私はずうっとあなたのことを………」

「うん、そうよ。でも今、私をバックアップしているのは貴方じゃないわ」

 四十五年後、ユリカのバックアップオペレートを行っているのは、生涯をこの研究に捧げた天才女性科学者の血を受け継いだ双子の姉妹。彼女たちは自分の母親の意を受け継いでこの研究に携わっている。

 そして彼女たちのオペレーションルームには、ドリーを真ん中にして最後に撮った写真と、ドリーがずっと大切に持っていた『あの時、手にしたユリカからの手紙』が飾られている。

 その写真に写るドリーの表情は、とても朗らかで幸せな顔だった。あの事故を経験し自分の人生を失意の底から、本当に自分が幸せと感じる事が出来る人達と出会ったことに感慨しながらその後、静かに彼女は自分の生涯を閉じた。


 ユリカのその体に今、命が吹きこまれようとしている。

 

 ボディスキャン終了。データーインポート完了。

 ユリカバックアップシステム作動。

 バイオ・リンクアクチュエータ作動。

「ドクン」と、ユリカの心臓が大きな泡と共に動きはじめる

 イーリスが答える。

 ユリカの生体パルスを確認しました。バイオリンク、アクセス確認。フォーマット八百七十二項目終了。後残り千三百十六フォーマット待機………四百二十………166………53………10、9、8、7………2、1ホーマットコンプリート。

「もうすぐね」僕の横でユリカはつぶやいた。そして「私が目覚める前にここから離脱しないと」少しややこしい状況に僕は苦笑した。

「そうだねユリカ」

 ふとユリカの方を向くと、すでにその姿はなかった。

 現れた時と同じように、秒針の針が一つ動くとその先に流れる時間は当たり前のように、その存在がなかった如くの様に時が流れ始める。

 僕はすでにインフォースルームから退室していた。外からはこの室内を直接見る事は出来ない。全てはモニター越しにしか見られない場所。

 また、この研究に携わった研究者と医学者たちが、かたずをのんでユリカの姿を見つめている。

 この研究が始まってから何年の歳月が流れ過ぎたのだろう。

 多く犠牲の上に成り立った研究。人体細分化計画が始まってから、我々の人類の人体構造の解明は飛躍的に伸びた。この研究は医療と言う側面から見れば、不老不死のからだを創り上げる事が出来る研究ともいえるだろう。

 しかし我々人類は、死と言う限られた時間があるからこそ、その生きる事への意味を成すものだと思う。

 その死を迎えうつ事を前提に生きるという証を残し、この世を去る。今いるこの時空世界にも終わりがあるように、全てには始まりと終わりがある。

 だが、終わるからこそ初めて知りえる事もある。

 それは………『終末は始まりの序章』であることに。


 ユリカを包み込む大きな水の塊は、その球体の外側から崩れるように無数の水滴となって落ちていく。落ちていく………落ちていく。

 最後、ユリカの体はまばゆい光の絹の羽衣をまとうようにその体をゆっくりと降下し始めた。

 ことん ユリカの足が着地した。

 まとう光の羽衣はさらに柔らかい光を放ち、ユリカの体を包み込んだ。

 まばゆい光の粒子が飛び交う。

 ゆっくりとその頭を上げ、ユリカは初めての産声を上げる 

 その声は静かに、そしてあの桜の様な透き通るような綺麗な声だった。


 

 私はユリカ  S203216PL01

 

 僕は、ようやく出会う事が出来た。

 この現実の時間の流れの中で………あなたに。


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