4.想いに残る歌声 Singing voice that remembered
救急車のサイレンがけたたましく鳴り響く。
救急車のハッチが開けられ、救急搬送入り口からストレッチャーは桜を載せ処置室へ運ばれる。
ドクター、血圧レベル低下。バイタル取れません。
「わかりますか? 病院です。わかりますか?」
看護師が桜の耳元で呼びかける。しかし桜からの反応は無い。
ストレッチャーは、第二処置室に入れられた。
僕はそのドアの前で立ち止まり、桜と引き離された。
いち、に、さん。処置ベッドに移され、すぐさま心電図と輸液のラインが施された。大きなオペレーションモニターに心電図の波形が表示される。
ハートラインの波形は小さく負規則な波形を表示している。
「ドクター、VFです」
「輸液全開、DC(除細動)100ジュール、チャージ。リドカイン十五ミリ投与」
チャージ完了!
ドクターが、パドルを両手に持ち。離れて! と注意を促す。
ドクン、意識のない体が一瞬はねた。
依然として心電図の波形は負規則で微弱な波形を表示している
ニフェカラント輸液投与。リドカイン再投入。DCチャージン250ジュール。
ドクターは看護師に次の指示を出す。
チャージ完了。
離れて! 再度ドクターがパドルを押し付けると、ドカン、と鈍い音と共に体が再びはねる。
「戻ってこい!」
ドクターは声を張り上げる。
ピー、ピー………ピコ、ピコッ。不規則の波形から、弱弱しいが規則正しい波形の反応がオペレーションモニターに表示された。
「ふう、何とか落ち着いたか………」
ドクターは、ふっと肩の力を抜いた。
「生食三号輸液続投、患者をICUへ、定時のバイタルチェックを忘れずに」
看護師への指示を出した。それと同時に、検査結果がモニターに表示される。
ドクターはそのデーターを眺めながら
「まだ、若いのに……… これからと言う時に」と一言つぶやいた。
ICUに新たなベッドが組み込まれた。
ガラス越しに見るそのベッドに横たわっているのは、彼女、桜………
その姿は、ただ眠っているかのように、何もなかったかのように。ただベッドに横たわっている。僕はなすすべもなく、その姿をガラス越しに見ていることしかで出来なかった。
ついさっき、僕はあの海岸で桜にプロポーズしたばかりだ。帰ろうとバイクに乗ったとき、桜は僕の目の前で倒れた。その時からさっきまでの記憶はあまりない。とっさに端末に触れ、気が付くと救急車が僕と桜をこの病院に運んでいた。
あれから、どれだけの時間が過ぎたんだろう。未だに僕の躰は桜のぬくもりを感じている。
「雫くん」
ふと、その声の方を見ると、桜のお父さんの姿があった。そして、何故? と、その時思ったが僕の上司でもあり、所長という立場の親父の姿があった。
「……… お父さん」
桜のお父さんは僕の肩にそっと手をやり、ベッドに横たわる桜の姿を眺めていた。そこへ、担当のドクターが桜の状態を説明に来た。
「えーと、倉塚桜さんのご親族の方は?」
お父さんが、振り向き「私です。私が父親です」
「そうですか。それと患者さんと一緒に来られたあなたは、どのようなご関係ですか?」
ドクターが僕のことを疑心そうに問う。
ただ何も考える事が出来ない今の僕に、刃を向けるようにドクターの目つきは厳しいものだった。
「患者さんの彼氏? それともマネージャさん? 彼女、歌手のあの、倉塚桜さんですよね」
「ぼ、僕は、さ、桜。倉塚桜の夫になるものです。ついさっき、プロポーズしたばかりです」
真っ白になった頭は何事もなく、口から出る言葉はこれからスキャンダルになると分かっていてもお構いなしの言葉が勝手に出てくる。
「え、プロポーズ? 夫? 彼女にはそんな
そう言ってドクターは、ちょっとしたジェラシーをごまかす様に頭をひとかきした。
そして研究所の所長である親父を見て
「あ、あなたは……… そうですか。了解しました皆さん、あちらの部屋にお越しください」
この病院は研究所の運営化にある病院だ。だが、所長の事を知る医者はごく限られえている。親父自身、その身分は隠された身分である。だがこの医者は親父、所長の顔を見てその存在の意味を知っているようだった。この医師も研究所の職員の一人なのかもしれない。
ドクターは僕らを小さな談話室のような部屋に招いた。しかし所長は同席せず、廊下の壁に身をよせ、腕を組んで僕らがその部屋に入って行く姿を見送った。
席につき僕は今日一日の桜との出来事を静かに話し始めた。
「そうか、桜にプロポーズをしてくれたんだ。ありがとう雫くん。桜は喜んでいたかね」
桜のお父さんはしみじみと、テーブルの一点を見つめながら話した。
「はい……… さ、桜は、僕の想いを受け入れてくれました。と、とても幸せだと言っていました」
「そうでしたか。桜は幸せでしたか……… ありがとう雫くん………」
お父さんの目からは一筋の涙がこぼれていた。
彼は何か覚悟を決めたように
「先生、桜の容態は……… どうなんですか? か、覚悟は出来ています」
覚悟は出来ています? どういう事なんだ。お父さんは何を口走っているんだ。
僕は覚悟という言葉を聞いて、まさかそんな、そんなこと考えてはいけない事だと腹の底から熱いものが湧き出てきた。
ドクターは電子カルテを見ながらゆっくりと話し始めた。
「そうですか……… 今、彼から今日の状況をお聞きしたのと、検査の結果を合わせると、一つの結果がはじき出されます。それは彼女の病状についてです」
僕は息をのんだ。まさか、そんな。さ、桜が………
「誠に残念ですが、倉塚桜さんは『デス・キラー病』であると思われます。タイプはおそらくⅢ型。あと数時間の後、意識が回復するでしょう。それが最後になります。今の医学技術では、解明が出来ない病気です。まことに残念ですが、もう少ししたら個室に移しますので、一緒にいてあげてください。そして…… 最後のお別れを………」
しばらくして、桜は個室に移された。
心電図のモニターも、点滴の管もすべて取はかられ、ベッドにただ寝ているかのような姿の桜があった。
僕はその姿をただ見つめていた。
個室のベットの横で僕は静かに桜のその顔を見つめている。握る手はいつもの桜の手のぬくもりが僕の手に伝わってくる。そっと呼びかけても、いくら桜の手を握っても、彼女は何も返さない。ただ静かに眠っている………
何も出来ない時間だけが、ただ過ぎ去っていく。
今日の出来事がまるで夢の様に僕の頭の中を駆け巡る。本当に今僕の目の前にいるのは桜なんだろうか? 僕は今悪い夢にうなされているんじゃないのか?
病室の窓から、新たな陽の光が差し込み始めた。
僕は桜の手を握り、眠っていた。
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