四章 望んだ結末 7

 翌日、しんと冷え切った空気がサンとエリーの吐息を白く曇らせる。早朝ではあるが寒さの度合いだけでいうならまだ深夜のそれだった。そのせいもあってかここ広場は疎か、その付近に人気は無い。まさに好都合な展開だ。

「まさかエリーが付いて来たがるなんてね。どういう風の吹き回し?」

 エリーは黙りこくったまま、徒サンの後ろを付いて歩き続ける。

 結局、昨日サンはパメラと接触できなかった。ドナの喋った情報は虚偽という可能性もあるが他に接触する方法が無い以上、これに縋るしか手は無いのだ。サンは再び外れの墓地で待ち伏せ、パメラと接触しようという腹である。

「分かってるの? また人が死ぬかもしれないのよ?」

「分かってます。ちゃんと覚悟はしてますから」

「なら良いけど」

 嘲笑しながら揶揄するサンにエリーは半ば怒気の籠もった返答をする。

 その様子を見る限りまだ覚悟などできていまい。また泣き喚くのが目に見えている。だがサンは決して止めはしない。この女に現実を知らしめるには人の死を見せるのが手っ取り早いからだ。その瞬間を目にするのが楽しみで仕方ない。

「——あいつは」

 サンは足を止め遠くにいる人物を見据える。サンが向こうに気付いている様に敵もまたこっちに気付いているのだろう。丁度良い。今ここに邪魔は居ないのだ。ここで決着を付けないで何処で付けるというのか。

 ローラとエミリ。サンの怨敵をまさか見間違える筈がない。

「サン様? どうか、しましたか?」

 剣呑な雰囲気のサンが心配になったのかエリーは恐る恐るサンに触れる。

 どうやらエリーは気付いていないらしい。しかしそれも無理は無いだろう。意識して見なければ人物の判断などできようがないのだ。無関係のエリーにサンが足を止めた理由なぞ分かる筈がない。

 サンの手がエリーの矮躯な体を押し退ける。

「先に墓地に行ってて。後で私も行くから」

「え、はい。分かりました」

 只ならぬ事情だという事は察してくれたのか、エリーは足早にこの場を離れていく。ならばもう遠慮はいらないとサンは腰の双剣を放つ。

 人気が無かったため、近い道を行こうと広場を通った事が禍した。否、幸いした。広場を通らなければもうローラとエミリに出会う事など無かっただろう。これでまた一つクロエの恨みを晴らしてやる事ができそうだ。

 彼女等の気持ちも同じらしく、広場まで走ってきた。ローラとエミリはサンに対しての殺気を隠そうともしない。

「お前、刻印はどうした。魔女じゃ無かったのか?」

 開口一番に飛び出したローラの言葉にサンの喉からくつくつと嗤いが漏れ出す。こいつはサンの一番触れてはいけない所に触れてしまったのだ。

「消してくれたよ……クロエが。自分の命と引き替えにね」

 その言葉が余程衝撃だったのか、エミリが瞠目しローラは息を呑む。こいつらにはクロエがどんな気持ちで死んでいったか分かるまい。そしてサンの目的も当然知らないのだろう。でなければこんな冷え切った視線をサンに向けたりはしない。

 もはや語ることは何も無いだろう。広場に居る三人が言葉を発さなくなった途端、周囲にけたたましい金属音が響き渡る。ローラの首に放ったサンの斬撃が籠手によって防がれたのだ。

 だというのにサンの口角は不敵に釣り上がる。当然だろう。これぐらい防いでくるのは一年前の戦いで把握しているし、たった一太刀ではサンの攻めは終わらないのだ。

 ローラに反撃の隙など与えぬとばかりにサンは双剣で舞い続ける。そうしてサンの目論見通り、ローラは迫り来る刃を防いでは躱しと防戦一方だ。強化の魔法で籠手の無い左腕も盾の用を成している様だが、流石に首に刃が当たれば無傷という訳にはいくまい。そうして剣で攻め続ける中で、唐突にサンの蹴りが繰り出される。それにローラも意表を突かれたのか、防ぐ間も無く腹部に直撃したのだ。

「な——」

 しかしローラは微動だにしない。その事態に今度はサンが意表を突かれる番だった。

 そうしてできたサンの隙をローラは見逃さない。腹に留まっているサンの足を引っ掴み何の躊躇もなくサンを投げ飛ばしたのだ。そんな不慮の出来事に受け身など取ることなど出来る筈も無くサンは無様に体を滑らせた。

「く……ッ」

 サンの血が白い地面を紅く汚す。投げられた際に口を切ったのだ。

 どうしてサンが血を流しているのか。そもそもこの戦いは無傷で済ませなければならない戦いであろうに。それだけの力量差がサンとローラにはある筈なのだ。しかしこの現状からもう認めざるを得ないだろう。ローラはどうやらこの一年で力を付けたらしい。

「どうした? もう終わりか?」

 そのローラの物言いにサンは怒りを感じるが起き上がらない。何せローラが不用意にもこちらに近付いてきているのだ。これは利用しない手はない。その甘い油断が命取りになるのだ。

「あ——」

 ぐらりとローラの体が傾ぎ倒れていく。ローラがサンの側に辿り着いたと同時に足掛けをしたのだ。起き上がるのと同時に。しかしローラが倒れきる事は無かった。サンが追い打ちをかけようとしたその刹那、器用に受け身を取り距離を稼いだのだ。

 苛立ちが募りに募り、サンの手に力が籠もり舌打ちをさせる。サンには時間が無いのだ。時間を掛ければそれだけここに人が集まる可能性が出てくるし、何より早く墓地に行かなければパメラを取り逃がすかもしれない。となれば躊躇している時ではない。目立つなどと言ってはいられないのだ。

 サンの手がローラに差し向けられると、向こうも勘付いたのか身構える。サンが行おうとしているのは魔法だ。広場が燃え盛れば人に見られるのは必至だが、そこはどうにかして逃げ切るしかないだろう。

——しかし、サンの手から魔法は放たれない。放とうとしたその瞬間、サンの視野に人物が映り思わず横を向いてしまったからだ。

「よう、楽しそうだな。私も混ぜてくれよ」

 その忌々しい声にローラとエミリも気付いたのかサンと同様にその人物を睨み据える。その反応も当然といえる。そこにいる人物は、細い剣を携えた長髪の執行者——他の誰でも無いゲイルその人なのだから。

「——執行者」

 ローラに向けている手を下ろし、サンはゲイルに剣を向ける。一旦ローラの処刑は見送るしか無いだろう。危険度にしてもそうだが、クロエの死の要因はこの執行者が大きい筈なのだ。それにローラもそのつもりなのだろう、サンに一瞥も寄越さない。お互いの当面の敵はゲイルなのだ。

「三対一か……良いぜ、来なよ」

 サンが駆け出すのと同時にゲイルは剣を抜く。が、ゲイルはサンの剣を受け止めない。幾重にも繰り出されるサンの斬撃をひらりひらりと身を翻し躱すばかりだ。こいつの風属性の魔法は健在らしい。そのゲイルの余裕の表情にサンも顔を顰める。

 闇の魔法が使えないのが悔しい。しかしそれは考えてはならない事だ。クロエが自分の命を賭して悪魔からサンの生殺与奪の権を取り返してくれた。だからそれは望んではならない。魔女にならずこの状況を突破し、クロエを救わねばならないのだ。

「がッ!」

 サンの肢体は吹き飛ばされ、広場の仕切りである石垣に背中を打ち付けたのだ。あまりの衝撃と激痛にサンは身を捩る。

 身を躍らせていたいただけのゲイルが、その戯れに飽きたとばかりにサンを手の平で突き飛ばしたのだ。見ればローラがゲイルに殴りかかっている。流石に同時に相手をするのは厳しいという事だろうか。

 結局の所サンがローラに変わっただけで何も進展はしていなかった。ローラの拳は一発たりともゲイルに届きはしない。ローラの大振りの攻撃を難無く躱し、ゲイルの手にある鋭い剣が標準を定める。

「貰っ——くッ」

 ローラは死ぬだろうとサンが諦観していた時に異変は起きた。突き出されようとしたゲイルの腕が止まったのである。何と前線には出てこないであろうと思われたエミリがゲイルの腕にしがみついているのだ。

「くぅ……させ、ません」

 正にエミリは必死だった。しかし幾ら必死に食い下がろうともどうにもなるまい。それは端から見ているサンにも理解出来る。そしてサンの考え通り、数秒足らずで容易くエミリは振り払われてしまう。

「逃げろ! エミリ!」

「——う」

 悲鳴ではなくエミリの口から出たのは夥しい量の血液だった。ローラの叫びも虚しく、腕から振り払われると同時にエミリの胸は剣で貫かれたのだ。エミリが接近戦でゲイルに勝てる筈も無い。そして誰にも支えられる事も無くエミリの体は大理石の上に倒れる。

「うぅ……あぁ、あぁああ!」 

 余程相棒の死が悲しいのか、ローラは涙を惜しみなく流しながら獣か何かの様に咆哮をあげる。しかし崩れる事はせずエミリを殺害した数秒の隙を衝き、今度はローラがゲイルを羽交い締めにする。

「ッ……くそ、離せ!」

 外れぬ苛立ちからかゲイルの表情から余裕の色が消えていく。今度はそうそう振り払ったりはできないだろう。何しろ強化の魔法を使う人間だ。エミリの様に易々と振り解ける訳がない。

 これはゲイルの失点だ。直ぐに殺せずともエミリを振り払った後、ローラの相手をしていればこうはならなかっただろうに。ゲイルは慢心し目の前の殺人を優先したのだ。

 大理石から飛び起き、ゲイルの下へサンの足は駆ける。

 今ここでゲイルは確実に殺しておかねばならない。でなければこんな好機がもういつ訪れるか知れたものではないのだ。クロエを苦しめた執行者は一人たりとも生かしておくわけにはいかない。

「はぁ!」

 勢いに任せサンが振り下ろした剣は見事ゲイルを袈裟斬りにし、またしても大理石に紅い華を咲かせる。

「ぐ……ち、くしょう」

 死にゆくゲイルの怨嗟の声に何の興味を示す事も無くローラはその場にゲイルを放り投げる。そうしてエミリの側に崩れ落ち、噎び泣く。

「……エミ、リ」

 今のローラに敵であるサンが見えていないのだろうか。それならそれで構わない。事情はどうあれローラはサンに背を向けているのだ。このまま無防備のローラに近寄り首を刎ねれば済む話である。だというのにサンの足は一向に動かない。動かないどころか震えてすらいるのだ。

 そういえば、愛する人間の死体の側で泣き崩れる人間の姿にサンは見覚えがある。否、体験した事があるのだ。だからこそあの二人の光景を見れば見る程あの日の光景が脳内に再生され、本能的に目を背けてしまう。

 震える手で難儀こそするが、無意識の内にサンは剣を鞘にしまってしまう。

 ここでローラと戦う事は賢くないのだ。この広場にいつ人が集まってもおかしくないし、早く墓地に向かわなければパメラを逃がす可能性もある。それだけは避けねばならない。物事には優先順位がある。何事においても賢者の石を優先に考えねばならないし、クロエやサンの復讐など二の次である。

 生き返らせさえすればクロエは全て許してくれる筈なのだ。生き返らせさえすればサンのしてきた愚行を全てクロエは水に流してくれるに違いない。生き返らせさえすればサンの脳裏に焼き付いたあの光景も消えてくれる事だろう。

 頭を抱えながら覚束ない足取りでサンは広場を後にする。


 地が紅く染められる夕暮れ時、パメラは祖父が眠る墓地へと赴いていた。周囲には数多の墓が鎮座している。それらに目を奪われる事も無くパメラは足を動かし続けた。

 何やら今朝方ゲイルの死体が広場に打ち捨てられていたらしく、女王は外に出るべきではないとパメラを止めたのだがそれでもこうして押し切ったのだ。祖父の墓参りだけは決して欠かせないのである。

 早くに両親を亡くしたパメラは祖父に育てて貰ったのだ。そしてその過程で錬金術を教わったのである。あまり祖父自体が錬金術に精通していなかったため、それほど高度な事は教われなかったが何も不満は無かった。楽しかったのだ。唯一不満があるとすれば貧困だったという事だろうか。きっと祖父も不満だった事だろう。

 だからパメラは女王専属の錬金術師になったのだ。贅沢な暮らしがしたいがために女王に寄生したのだ。

 祖父の墓を目にした途端、パメラの顔が一気に青ざめる。

「何故……ここにおるんじゃ」

 祖父の墓に血に塗れた死神が座り込んでいるのだ。その死神とは言わずもがなサンの事である。その様子からゲイルを仕留めたのもこいつだろう。

「人殺しが墓参りか?」

 サンの言葉にパメラは戦慄してしまう。奴はここでパメラに報復する気なのだ。じりじりとパメラは後退するもサンの人睨みでぴたりと動きを止める。ある程度サンとの距離はあるが、仮にここでパメラが形振り構わず走ったところで逃げ切れまい。直ぐに追いつかれてしまうだろう。

「賢者の石の在処を教えて。隠してるんでしょう?」

 蛇のように鋭い視線がパメラを射貫く。想定していなかった訳では無い。クロエが死んだ以上サンが賢者の石を求めるというのは普通に考えられる事だ。故にパメラはサンと遭遇した際の事も事前に考えていたのだ。

 懐から取り出した石にサンの視線は釘付けになっていた。

「それをこっちに渡せ」

 ふてぶてしくサンの手の平がパメラに差し出される。ここまで持ってこいという事なのだろう。

 この様子ならばパメラがこの危機から脱するのも不可能では無い。内心ほくそ笑んでしまう。しかし直接渡すのは有り得ない。そんな事をしようものなら殺されてしまうのは明白だ。だとするならば一旦、サンをこの墓地から追い出すのが良いだろう。

 手中の石をサンに渡すことなく、地べたにそっと置く。

 そうして交渉しようとした時、サンの差し出した手の平はパメラに向けられる。その刹那、灼熱の炎にパメラの身が包まれた。

「ぐぁ……ああぁあ」

 身が骨が焼ける苦痛にとうとうパメラは絶えきれず、地面にのたうつ。その様子を眺めるサンの顔はまさしく悪魔のそれだった。

 有ろう事かサンは強行に出たのだ。目当ての物さえパメラから離れれば魔法で焼き尽くしてやると端から決めていたのだろう。迂闊だったとパメラは乱れる思考の中考える。サンが魔法を使える事など当然パメラは知っているのだ。これは石さえあればサンを掌握できると勘違いしたパメラの自業自得である。

 意識が途切れる瞬間までパメラの絶叫が止む事は無かった。

「これで、これでクロエ様が生き返るのですか?」

 サンが石を拾っている所に傍らの墓地の影からエリーが出てくる。どういう風の吹き回しなのかエリーは体こそ震えているものの、以前の様に泣き喚いたりしていない。

「そうよ。これを粉末にして飲ませれば良い筈よ」

 サンの視線はすぐにエリーから離れ、自分の手に収まっている石に注ぐ。エリーの心境の変化なぞこの際どうでも良い。これでようやくクロエが生き返るのだ。ようやく悲願が果たされるのだ。

 石を片手に忍び笑いをするサンの姿は端から見れば不気味だったに違いない。しかしそれを気にして遠慮するなど今のサンには有り得ない事だった。

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