四章 望んだ結末 8

 道中一切会話がなく、エリーは息苦しくて仕方なかった。何しろサンは手にした石を延々と見つめるばかりで徒の一度たりともエリーを視界に収めないのである。とてもそんな状況では話しかけられない。

 そうしてサンの隠れ家に戻ってきた頃には完全に日は落ちきり、空は闇に染まりきっていた。最後まで会話を交わす事なくサンは扉を開け廃屋の中に入る。それに続きエリーも中に入った。

「え?」

 途端、サンの様子が変貌した。何やら慌ただしく周囲を見渡しているのだ。そしてその異変をエリーも嫌でも理解させられた——クロエの死体が無いのだ。

「クロエ様の遺体が……」

 エリーもサンと同様に廃屋の中を隈無く探すも見つからない。見つかる筈がないのだ。これだけ狭い廃屋にそうそう隠す場所なぞ無い。となれば答えは一つ、誰かが連れ去ったのだろう。

 不意に背後から耳を聾さんばかりの音に驚き、エリーは振り返る。何か手がかりでも掴んだのかそこにサンの姿は無かった。扉が開きっぱなしの所を見れば急いで出て行ったのが分かる。

「……これは」

 良く目を懲らせば先までサンが居た場所に羊皮紙が落ちている。物の価値にそれ程詳しくないエリーでもこの羊皮紙は高いというのは直感できた。これは見る限りでは書き置きだろうか。

 その内容は——


 人っ子一人いない漆黒の都市を一匹の狂犬が駆ける。

 罠だという事はサンも分かっている。分かっているがクロエの死体を拉致された以上行かざるを得ないのだ。羊皮紙に書いてあった内容は『クロエは預かりました』という簡素なものだった。羊皮紙に名前が書いてあったのもさることながら羊皮紙も城にしかない代物であり、狼藉者はクリスティアで先ず間違いない。

 城門まで辿り着くと共に強引に蹴破り突入する。それに反応して庭に配置されていた五人の騎士がサンを迎撃しようと向かってきた。もはやサンを敵としてしか見なしていないのだろう。

 それにサンは違和感を覚える。あまりに配置されている騎士の数が少ないのだ。普段なら城門の前にも配置されている筈だし、庭には倍以上の騎士が待ち構えている。それにサンが来ると分かっているのなら余計に配置するべきなのだ。これは一体どういう了見なのだろうか。

 結論こそ出ないがサンの足は止まらない。双剣を抜きものの数秒で騎士共を蹴散らし城への侵入を果たす。

「くそ、中に固まってたか」

 城内の広い通路には夥しい量の騎士が壁に沿って綺麗に並んでいるのだ。そしてサンを捕捉するや否や、愚直に突っ込んでくる。あまりの数に舌打ちをしながらもサンは懸命に抗い剣を振るう。

 もはやこの数は倒しきることなど不可能、付け加えるならここを抜けられるかどうかすら怪しいのだ。サンが目指すは本命である女王の自室。そこに続く通路に騎士を固めて配置しているのだろう。しかし手が無い訳ではない。もう手は打ってあるのだ。

 襲いかかる騎士の間を縫うように前進しながら、邪魔になる分だけを的確にサンは斬り殺す。しかしながら数が数だけにやはりサンの死角からの攻撃もあり、咄嗟に避け致命傷こそ避けてはいるが幾許か刃が掠り豪奢な絨毯に血飛沫を散らした。

 そんな不毛な事を続けているといきなり絨毯が炎上し、瞬く間に華美な通路はサンの憎しみによって焦がされていく。燃え方が尋常ではなくこのまま放置すれば城の一角は焼け落ちるのではないかという勢いである。サンは有りっ丈の魔力を注ぎ込んだのだ。

 驚きと畏怖のせいか騎士は動きを止める。当然だろう。これほどの火を前にしても何の反応も示さなければそれは人間では無い。思惑通りに事が運びサンは内心嘲笑う。そして一も二も無く火の道を駆ける。それに数人気づく者もいるがサンには追いつけないし、立ちはだかる者も数人いたが難無く斬り伏せる。

 これほどの火の中で満足に動けるのは火属性の魔法を扱えるサンのみなのだ。

 炎の中を走り抜けながら尚もサンは通路を放火していく。燃やせば燃やす程脱出時が楽になるだろうし、何よりクリスティアの城など潰してしまうべきなのだ。途中から全く騎士と遭遇しなくなった事に疑問を抱きもしたがそれでもサンの足は止まらない。

 走り続けた末、一際目立つ大きな扉を前にしてようやくサンの足は止まる。この先が女王の自室でありクロエとクリスティアがいる筈だからだ。その必要以上に大きい扉をサンは押し開ける。

「……クロエ」

 思わずサンの口から情けない声が漏れる。足を踏み入れるまでも無く、サンの双眸は部屋の床に打ち捨てられているクロエを視認したからだ。直ぐさま回収しようと駆け寄った途端クリスティアの意図をようやくサンは理解した。

 この部屋には当然クリスティアなぞおらず、いるのはサンとクロエに——壁に沿うように配置された夥しい数の弓兵だ。扉を潜らねば死角で見えない位置である。元よりこの状況を作り出す事こそがクリスティアの狙いだったのだろう。騎士共はもう弓を引き準備している以上、もう先んじて魔法を放つ事も逃げることも叶うまい。

 己に定められた命運を嘲笑うと同時にサンの総身に矢が突き刺さる。それも隙間など徹底的に残さぬとばかりに。声も上げす倒れたると同時にこの部屋も通路同様、魔力の炎によって包まれる。サンは生涯最後の魔法を放ったのだ。

 敵も死にこんな火の海に留まる必要もなくなった騎士共は一斉に部屋を後にする。

「はぁ……馬鹿、が」

 死体の確認をする事もなく、一も二も無く即座に退散した騎士共をサンは嗤わずにはいられなかった。それが肺に激痛が走る行為だとしても。

「ク、ロエ……もって、きたよ」

 そうサンの死は悲観する事も無いのだ。こうしてサンの意識がありクロエの死体が側にあるのなら何の問題も無い。何の悔いも無いのだ。

 剣の柄と共に握り込んでいた石を震える手でどうにかクロエの喉に詰め込む。その時サンの表情は淡いながらもこれまでにない程、慈愛に満ち溢れた微笑みを浮かべていた。

 粉末でこそないもののこれだけ小粒の石ならば差し支え無いだろう。これでとうとうサンの悲願が達成する。後はクロエがここから逃げ切るのを願うのみだ。

 しかし死にゆくサンを愚弄する様にクロエは目を開けない。

「そ……んな」

 希望に満ちあふれていたサンの瞳は一点し、血涙で濁りきってしまう。ここに至りサンも認めざるを得なかった。パメラに掴まされたのは賢者の石などではなく只の小石だったのだと。

 泣き喚きたくてもサンはもう体も動かせず声も出せない。あんまりではなかろうか。一年間クロエの事だけを考え動き続けてきた。クローズとシェリーの屍を踏み台にしてここまで辿り着いた筈なのにサンが手にしたのは小石なのだ。クロエは救えないのだ。

 錬金術にクリスティア、果てはこの国を呪いながら意識を手放す。目も閉じず死んでいったサンの顔は先と比べようも無い程、醜く怨嗟に満ちていた。


 サンが城で暴れている時、エリーはローラと共に城の裏口前で女王が出てくるのを待ち構えていた。外から見ても城内が炎上しているのは見て取れる。出てくるのも時間の問題だろう。

 羊皮紙を読んでエリーは直ぐさまローラの借りている宿屋へと向かったのだ。そして事の説明と嘘を吐いていた事の謝罪をし、付いてきて貰う様頼み込んだのだが何やらローラは窶れており当初は断られたのだった。しかし頼み込んでいる内に了承してくれたのだ。仇がどうのと呟いていた辺り、ローラにも事情があるらしい。

 そして現在、裏口の前に待機しているのだ。城内に忍び込み女王の自室に乗り込むのはあまりに無謀というローラの案に従っての事である。

 エリーの手には剣があり、胸には紋章が付けてある。剣は何も武器を持たないエリーが庭に転がっていた騎士の死体から拝借した物だ。そして紋章——これはエリーの我が儘である。今日、この瞬間に限っては付けておかなくちゃいけない気がしたのだ。

「エリー、来るよ」

 凜としたローラの声がエリーの耳を擽った後、裏口の扉が開かれる。ローラの思惑通りそこから出てきたのは紛れもない女王であった。しかし当然というべきか女王は五人の騎士に囲まれている。

「クロエの息が掛かった者がまだいるのですか……」

 女王の整った顔立ちが憎悪に歪む。それに応える様に五人の騎士がエリーとローラに迫り来る。これで女王がクロエを殺したという事実は揺るがない。しかしエリーに驚きは無かった。再三とサンに聞かされ続けたからだ。

 剣を構えるも、ローラの手に遮られる。

「こいつらはオレに任せな」

 ローラの周りに五人の騎士が囲むも剣が一切ローラに当たらない。それどころか直ぐにその包囲網は崩されてしまう。もはやこの勝負の帰趨はエリーにも見えた。ならばする事は一つだろう。悠然とエリーは女王の下へ歩み寄る。

「ここまでしてあなたは賢者の石に何を願うのですか?」

 返事など期待していなかった。しかしエリーの問いにわなわなと女王の口が震え、激情に燃えた眼差しをエリーに向ける、

「この国から裏切りを無くしたい——あなた達の様な人間を消したいだけ……ッ」

 聞くに堪えずエリーの剣が女王の袈裟を切り裂く。サンの殺人を二回に渡って見せつけられたせいか斬るのに抵抗は無かった。抵抗は無かったが技術が足りなかった。そのせいか流血し、ふらふらながらも女王は倒れない。

「裏切ったのはあなたでしょう」

 再びエリーの手が剣を掲げるも、虚しく女王は倒れる。一応致命傷ではあったのだろう。

「け……きょく、おな、じ……まつ、ろ」

 その言葉を最後に女王は言葉を発しなくなった。女王が何の事を言っているのかエリーにはさっぱり分からなかったが思い違いをしたまま死んでいったのは確かだろう。でなければ、裏切りを恐れるあまりに自ら裏切りをするなどという矛盾は起こすまい。

 後味の悪い最後にエリーは顔を背けるも涙は出なかった。悲しさや人を殺したという恐怖は微塵も無かったからだ。

「終わったな……とっととここを離れよう、エリー。他の騎士が来ないとも限らない」

 五人の騎士も丁度始末し終えたのか、ローラがエリーに近寄る。ローラに応じる前にエリーは胸に生じた思いを呟く。

「あたしはもう賢者の石を追いません。そんな石のためにこれだけの犠牲が出るというのはクロエ様が望むところではないでしょうし」

「そうか……そうだな」

「はい」

 そのエリーの返事を最後に、二人は燃え盛る城を後にした。

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