四章 望んだ結末 6

 エリーに購入させてきた新聞を目にし、嘔吐きと共にサンの心中から激情が沸き上がる。昨日サンが策を立てるべく一日廃屋に籠もっている間にシェリーが殺されたのだ。

「サン様。大丈夫ですか?」

 エリーが心配になってサンに声をかけるのも無理は無い。何せサンの瞳からは涙が浮かび上がっておりいつ泣き出してもおかしくない状態なのだ。

「ぁ……ああ。大丈夫」

 涙を零さぬように目を瞑り、できるだけ平常を装うがサンの声は弱々しかった。

 一年前から分かっていた筈なのだ——囮に使う以上シェリーが死ぬという事は。

 それを命じた時はシェリーの命などどうでも良いと思っていた。否、そう思い込むように務めていたのだ。だというのに何故これほどに心が揺さぶられるのか。思い返せばクロエ以外の人間の死に悲しむのはこれが二回目だった。

 両親、親戚の死にすら涙しなかったサンが何故こんな接点なぞない女二人の死を悼まなければならないのか。二人の死はクロエの死の前には霞んでしまう。これだけはいかなる場合にも断言できる。しかし同時にこの二人がサンにとって掛け替えのない人物であったということも認めざるを得ないだろう。

 ならばクロエの蘇生は必ず達成させなければならない——二人の友人を喪ったのだから失敗など決して許されないのだ。

 シェリーとクローズの事を頭から取っ払いエリーを真っ直ぐ見据える。

「——今日はエリーにも手伝ってほしい事があるのよ」

「手伝い、ですか?」

「調べて分かった事なんだけどね、教皇がドナ・バローに変わってから魔女審判の誤審が圧倒的に増えてるのよ。

 知っての通り魔女審判はその人間の体を隈無く検査して魔女の刻印があるか調べるという簡単なもの。真っ当に審判する分にはそうそう誤審なんか出ない。しかもその誤審した人間の大方が女っていうんだからもう偶然じゃ済ませられないわ。男の誤審もちらほらあったんだけど、その人物と同じ性の女も誤審されていたのよ。必ずね」

 サンが話し終わってもエリーはぼんやりとしたままだ。この様子ではまだ自分のすべき事が理解出来ぬのだろう。

「……それであたしは何をすれば良いんですか?」

「難しい事じゃ無いわ。夜になったら教会の周りを彷徨いて欲しいのよ」


 教会の自室ですらドナの気が休まる事は無かった。ドナの安らぎを奪っているのは往生際の悪いサンと、傲慢なあの女王だ。あの女王が見せる人を見下す視線がドナの頭の中を去来する度に苛ついて仕方ないのである。

「木偶の分際で偉そうに」

 感情が高ぶるあまり、女王の悪態がドナの口を衝いて出てしまう。普段口に出来ない分言った時の快感は計り知れなかった。たとえこの部屋にドナしかいなくても、だ。

 サンとクロエの抹殺がこんなに長引いているのは明らかに女王が原因ではなかろうか。それを全てドナの責任にするのだからが質が悪いとしか言いようが無い。それどころか更に人員を割けというのだから救いようが無いのだ。

 それだけならばまだいい。まだ許容範囲だ。許せないのはドナの唯一の楽しみを奪おうとしている事である。

 教皇などという地位は堅苦しいばかりで何の旨みも在りはしない。そんな中で何とか見出した楽しみが魔女審判なのだ。普通に魔女審判をするのではない。楽しみとは、魔女審判に託けて女を慰み者にする事だ。そして口封じに魔女として殺すのである。

 女王は有ろう事かそれを控えろと言うのだ。確かに〝魔女〟の殺しすぎで少し世間が騒がしくなった事もあるが何の問題も無い。問題視する程では無いのだ。

「くそう」

 気分転換に月でも眺めようと立ち上がり窓際に寄った途端、ドナは瞠目する。

 ドナが目を惹いたのは月などでは無い。そんなちんけな物よりもっと重要で、価値のある者だ。何と半裸で外を彷徨いている少女がいるのである。まだ幼すぎる嫌いがあるが、見目麗しく全く気にならない——これは良い気分転換になりそうだ。


 夜の冷たい空気の中、エリーは半裸のまま教会とは反対の方向に走る。ドナが教会から出てきたら教会から離れろというサンの指示なのだ。そんな指示が無くともエリーはドナから逃げたに違いない。何故なら追ってくるドナの表情は不気味で空恐ろしいものがあるのだ。

「待ちなさいお嬢さん」

 しかしそんなエリーの逃走も虚しくあっさりドナに肩を掴まれてしまう。少女の足でそうそう男から逃げ切れるものではない。だが、ここから見れば教会は小さくサンの言い付けは守れている筈だ。

「こんな時間になにをしているのか——」

 陽気に話していたドナの表情が青ざめていく。気付けばいつの間にかドナの背後にサンが棒立ちしているのだ。そのドナを見つめるサンの双眸は憤怒に濁っており、少なくともエリーの知るサンの表情ではなかった。

 それだけではない。エリーからは死角になって見えないがサンはドナの背中に剣を押しつけているのだ。ドナが青ざめるのも無理は無い。

「クロエと私を殺すのに何人の執行者を使っている? 教会総出で動いていないのは調べが付いてるわ」

「事情を知って、動いていたのはさ、三人だ。その内……二人は死んだ」

 その教皇の返答にエリーは聞き入ってしまう。サンの言っていた教会に追われているというのは事実だったのだ。となれば女王がクロエを殺したという話も真実なのだろうか。

「クリスティアが欲しがっている賢者の石。あれはどこにある?」

「わた、私は、知らない。パメラに、聞いてくれ!」

「そのパメラはどこで会える?」

 確か以前のサンの話によればパメラとは女王専属の錬金術師だったか。その二人の遣り取りを観察し続け、エリーは再度サンが恐ろしい人物だと思い知らされる。心の何処かでエリーはサンを見くびっていたのだ。

「彼女は、週に何回も……墓参りに行く奇癖がある。村外れの、墓地で待っていれば……会える」

「最後に、カミュという性に心当たりは無いか?」

「し、知らない。私は知らない」

 そのドナの言葉にサンの瞳はより一層冷たさを増す。怒りを感じているというのは端から見ているエリーでも難無く見て取れる。

「そう」

 その言葉は死の宣告だったのか、ドナは呻きを洩らしながら支えを失ったように何の抵抗も無くその場に倒れる。

 その背中からは止め処なく血が流れ、サンの手にしている剣からも血がしたたり落ちているのだ。そんな状況を見せつけられればエリーもドナが誰に何をされたのか理解せざるを得ない。

 その凄惨な光景と鼻につく血の臭いに脱力し、膝を着いてエリーは思わず口を抑える。

「何を泣いてるの? こいつはクロエの仇なのよ?」

 血に塗れた顔で薄ら笑いを浮かべるサンに、抗議したくても今のエリーは口を開く余裕などなかった。出るのは熱い涙と嗚咽する声だけだ。

 聞けば確かにドナはクロエの仇だろう。ならば何故エリーは涙を流し吐き気に襲われているのだろう。初めて死体を目の当たりにしたからだろうか。人殺しを目撃してしまったからだろうか。殺人鬼が目前にいるからだろうか。今の混乱したエリーには自分の感情すら分からない。

「クロエを救うというのはこういう事の連続よ。覚えておいて」

 一つだけエリーにも分かる事がある。それは騎士であるサンが言うのだからこれは正しいという事だけだ。ならば早々に慣れなければならない。クロエを救いたいならば、騎士になりたいならば——人殺しを許容しなければならない。

 そうしなければならないと思いつつも、エリーの涙は一向に止まらなかった。




 町外れの墓地にサンは向かったがエリーはとても付いて行く気がしなかったし、サンもエリーを求めなかったのだ。その間、留守番をするでもなくエリーは外に出向いたのだった。しかし行く当てなぞなく現在は広場にある長椅子に腰掛けている。

 普段はそんなに集中して見る事も無いのだが良く見てみると、この広場は中々に綺麗なのかもしれない。腰より低い石垣で円上に囲いを作り、中の広場の地面だけ鏡のように磨かれた白い大理石で敷き詰められているのだ。

 早朝ということもあり人が少ないのがエリーにとっては幸いだった。昨日の悪夢がちらつき、とても人と会話する気になれないのだ。

「——クロエ様」

 懐から紋章を取り出し眺める。これを見ているとクロエが助けてくれる気がするのだ。サンが人に見せない方が良いというので普段は懐に隠しているのだが、そんな言い付けを守る余裕は今のエリーには無い。

 あの場面ならクロエはドナを殺したのだろうか? クロエなら友人を救うために平気で人を殺すのだろうか? 聞けるものならクロエの返答を聞きたくて仕方なかった。

「なぁ、それどうしたんだ?」

 不意に聞こえた野太い声に、はっと上を向く。紋章を見つめすぎるあまりエリーは眼前の人物に気付かなかったのだ。癖のある短髪の赤毛でいかにも気が強そうな女性だった。右腕にのみ鎧を装着しているのが気掛かりだったが、そんなこと問ける筈も無い。

「ローラさん。問するより先ずこちらが名乗るべきじゃありませんか?」

「え、あ、ああ。そうだな」

 黒い婦人服を着た女性に窘められるとローラと呼ばれた人物はすごすごと下がる。

 そういえば、この女性とローラはどこかで見たことがあった様な気がするのだ。それがどこでだったかは全く思い出せないが、悪い人物でなかったのは確かである。

「私はエミリ・キトリーと申します。先程は失礼しました」

「いえ、そんな。止めて下さい。あたしは気にしてませんから」

 頭を下げるエミリにエリーは必死に手を振る。そんな二人の遣り取りなぞ何処吹く風でローラはエリーの横に腰を掛ける。

「オレはローラ・カリエって名前だ。あんたの名前も良かったら教えてくれないか?」

 ローラに続くようにエミリも腰を掛けた。その際エミリはローラを睨み付け、ローラは誤魔化すように笑う。その様子から察するに二人の仲は相当に良いらしい。

「エリー。エリー・ルネです」

 二人の視線は明らかにエリーの持つ紋章に釘付けになっている。ということはやはり、この紋章の持ち主——クロエの知人なのだろうか? 母の話によればクロエは二人の人物を強引に旅に連れていたとの事だった。無論、信じてはいない。しかし、仮に二人の仲間が居たとするならばこの人達ではなかろうか? エリーにはそんな気がしてならなかった。

「それで、エリー。その紋章どうしたの?」

 エリーに向けるローラの視線は先のような優しいものではなく、凜としていた。それ程までにこの紋章は重要なのだろうか。

「フェンリル領にいる時に、クロエ様に貰いました」

「クロエの居場所、知ってる?」

「……分かりません」

 返答に一瞬詰まるも何とかエリーは虚言を返す。言える訳が無いのだ——クロエはもう死んでいるなど。

「……そうだよな」

 エリーの返答を聞くや否や、何か思うところでもあったのかローラは乾いた笑い声を発する。が、それも直ぐに止みローラの視線は空を向く。たったそれだけの動作なのだがエリーにはローラが悲しんでいる様に見えてならなかった。

「変なこと訊いてごめんなさい。私達、クロエさんを探しているんです。一時は一緒に旅をしていたんですけど、急に一人で飛び出しちゃって——」

「教えてくれませんか? クロエ様がどんな人物だったのか」

 ぽつりと話すエミリの言葉にエリーは割って入る。やはり彼女達はエリーの思惑通りクロエの仲間だったらしい。ならばクロエがどんな人物であったか聞かねばならない。

 必死の形相のエリーに何を思ったかエミリはくすりと笑う。

「——今時珍しいですね。その口ぶりからしてクロエさんが盗賊という話は信じていないんでしょう?」

「はい。だからこそあたしは一緒にいた人から話を聞きたいんです」

「エリーさんが考える通り優しい人ですよ。私は村を盗賊に襲われたときに助けられました。聞けばローラさんも母を助けられたとか。少なくとも新聞に載っている様な人物ではありません——ねぇ、ローラさん」

 吐息をする様に話すエミリは哀愁が漂っていた。それを継いでローラが視線を空からエリーに移す。

「ああ、盗賊になるぐらいなら死を選ぶよ、クロエは。そんなクロエだが陛下がなれというなら迷わず盗賊になる。そんな愚直な奴でもあったな。

 そうやってオレの周りの奴に話したんだが誰も信じない。助けてくれた母さんでさえも——皆が口を揃えて言うのはお前は騙されている、だ。オレ等は自分の意思でクロエに付いていったのに。だからエリー。お前みたいにクロエを信じてくれる奴に出会えてオレは嬉しいよ」

 見ればローラの瞳は潤んでいる。それは怒りによるものなのか悲しみによるものなのかは分からない。分かるのはエリーと同様にローラもクロエの事が好きという事だけだ。でなければこんな必死に話せる筈が無い。その話を聞きエリーも少しクロエの事が理解できた気がする。

 話が終わった途端、横のエミリが腰を上げる。

「そろそろ行きましょうか。ローラさん」

 それに合わせるようにローラも立ち上がった。どうやらもう行くらしい。

「そうだな。エリー、オレ達はこの近くにある宿屋に泊まってるから何か分かったら教えてくれないか?」

「……はい。分かりました」

「ありがとう。じゃあな」

 振り返りざまに見せたローラの笑顔はとても無邪気で、嘘を吐いたエリーの胸が痛む。エリーからクロエの情報を二人に伝えに行く事はこれから先きっと無いだろう。何故ならもうクロエは死んでいるのだから。

「——ごめんなさい」

 その呟きはもう彼女達には届かない。己の卑怯さ加減に胸が抉られる気持ちになる。二人からクロエの事を聞けても、エリーからは決して話せないのだ。

 昨晩、仮にクロエがサンの立場であってもドナを殺しただろう。二人の話を聞いてエリーはそうとしか思えなかった。ドナの行動はきっとクロエは勿論、女王もきっと許容できまい。となれば殺すだろう。何の躊躇も無く。

 気付けばエリーは紋章を有らん限りの力で握りしめていた。

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