四章 望んだ結末 5

 クロエが死亡してから一年が経過した。サンにとってはまさに光陰矢の如しともいうべき早さである。

 クリスティアに錬金術を再開させる期間としてとりあえず一年は派手に行動しなかったのだが、当然サンがその期間本当に何もしなかった訳では無い。国中を彷徨いている騎士共の目をかいくぐりながら賢者の石や教会について調べていたのだ。

 変装は当然しているのだが、それだけではやはり切り抜けるのは難しい。故に一年前からずっとシェリーに囮をさせているのだ。シェリーが魔獣にまたがり都市の地や空を駆け巡っている隙にサンは調査をしていたのだった。そうしてシェリーが敵の目を引いてくれていた甲斐あって、サンは賢者の石の実物こそ見られなかったが全貌を知ることに成功したのだ。

 賢者の石は石と銘打ってはいるが、粉末状の物らしい。これが知れたのはサンにとっては値千金だ。何しろこの事を知らなければ城の錬金室を捜索するとなった時、以前と同じ様に〝石〟を捜す羽目になっていたことだろう。

 サンはクロエの死体の隠し場所と自らの身を隠す場所として、まったく人の近寄らない都市の廃屋を選択したのだ。一年前こそはその廃屋ならではの埃っぽさに嫌気が差していたものだが、もう慣れたものである。

「サン様、今日は出かけられないのですか?」

 横たわっているクロエの側に恭しく座りながら、少女はサンに恐る恐る問い掛ける。

「ああ、もう調べ物は済んだから良いのよ」

 そんな見て取れる少女の緊張もサンは解してやる事も、気を遣ってやる事もせずぶっきらぼうに返答した。そのサンの態度に気圧されたのか少女はそれっきり口を閉ざす。

 本来、この廃屋にはクロエとサンしか存在しなかった筈なのだが一週間前から年端も行かぬ少女が一人住み着いているのだ。

 エリー・ルネ——それが彼女の名だ。

 一週間前、サンがフェンリル領に赴いた時にたまたま見かけたので連れ去ってきたのである。一人で木刀を素振りしていたのだ。それだけならば何も注目に値しないのだが、よりにもよってその少女は勇者の紋章を身に付けていたのである。こればかりは断じて見過ごせないだろう。何故なら三つ存在する内二つはサンが破壊している。となればその紋章はクロエの所有している物以外に有り得ないからだ。

 一も二も無くエリーから事情を聞けばどうやらクロエから譲って貰ったらしい。普段は地面に埋め、隠しているとの事らしいのだ。その忌々しい紋章を付けて素振りをしたところで一体何の意味があるのかサンには甚だ理解出来なかった。問題はここからだ。

 何やらサンやクロエを尊敬しているだの騎士団に入団するのが夢だのと癇に障る事ばかり喋るので思わず連れ去ってしまったのだ——おめでたい娘に現実を見せつけたくて。

 強引に連れ去ったのではなくあくまで合意の上だ。クロエに会わせてやる、親には許可を貰ったの二言でエリーはすんなり付いてきた。しかし、当然というべきかエリーはクロエの死体を前にして数日は泣き喚いていたのだ。そしてクロエを生き返らせたいという意見ではお互い合意できるため、サンはエリーを補佐として扱き使っている。今頃は両親が血眼になってエリーを捜索しているだろうが領が違うだけに先ず見つかるまい。

「この前伺った陛下がクロエ様を殺したという話……あたしにはやはり信じられません。そしてサン様が追われているという事も」

 ぼそりと呟くエリーを怒気を含んだ眼差しで睥睨する。この女のおめでたさにはつくづく呆れさせられる。

「クリスティアが非情な人間だというのは誰もが知ってる事よ。法外な税の徴収の事、両親から聞いた事ない? クロエはねクリスティアがそういう人間だと分かっていながらも目を瞑っていたのよ。私もクロエに合わせて黙認したわ。でもね、流石にクロエも何度か進言したのよ。錬金術のために税を増やすのは止めろってね。

——だから殺されたわ。後々錬金術の邪魔になりそうだからって。私も同じ理由で追われてるのよ」

「クロエ様は……抵抗しなかったのですか?」

「ええ、最期までクリスティアに殺されるなんて疑ってすらいなかったわ。クロエはそういう人間よ。自分の信頼している人間が悪人な訳が無いってね。そこに付け込んだのよ……クリスティアは。

 こんな綺麗な人間、そうはいないっていうのにね」

 話せば話す程サンの胸中に狂おしいまでの悲しみと憤りが去来する。そのサンの心中を察したのかエリーは黙ってしまう。納得した——訳ではあるまい。その苦々しい表情を見れば納得していないのは明白だ。

「まぁ、今すぐに理解しろとは言わない。孰れ分かる時が来るわ」

 頷きこそするもののエリーは内心否定している事だろう。決して分かる時など来ないと。だが今はそれでいい。後数日もすれば見せつけることができるだろう。クロエを殺した連中の醜悪さを……

「あ、それとクロエを生き返らせる算段が付いたわ。上手く行けば一週間もかからない。五日もあれば充分でしょうね。そうなればあなたも用無しだから帰してあげる」

 その言葉にエリーの顔が見て分かる程に明るくなる。その分かりやすい性格にサンは思わず鼻で嗤ってしまう。

「後五日……五日もすればクロエ様が生き返る……」

 エリーは冷たく動かないクロエを眺めながら譫言の様に呟き続けた。




 翌日、サンとエリーが廃屋に隠れ潜み平穏を味わっているのとは裏腹にシェリーは危険の真っ直中に身を投じていた。囮をしているのだ。一年前から一日も欠かさずシェリーはサンの身代わりを演じているのである。

 都市の上空を羽の生えた獅子、魔獣に跨がりながらシェリーは旋回しているのだ。その恐ろしい姿形からは想像できないぐらいに快適な乗り心地で、本来ならば涼やかな風と燦々と降り注ぐ日差しを楽しめたのかもしれないがとてもそんな気持ちにはなれない。

「サン……」

 下の絶望的な光景に、愛おしい人物の名を無意識にシェリーの口を衝いて出てしまう。夥しい数の騎士がシェリーの後を追ってきているのだ。空にいるかぎり手出しは出来ぬだろうが、このままでは降りられない。

 都市から出てしまうという手もあるのだがそれをしてしまうと騎士はシェリーを諦めてサンの捜索に当たってしまうかもしれないのだ。それは見過ごせない。

 何の前触れも無く魔獣の肢体が揺さぶられる。台風かくやという強風にシェリー共々身体を撫でられているのだ。眼下を見れば魔獣に追いつけない騎士共とは違い、一人だけ食い下がっている人物が居る。他の誰でもない。執行者のゲイルだ。

「くそ……」

 流石に凄腕の風使いといえど空は飛べまい。だが瞬間的な跳躍ならばここまで上がってくる可能性は充分にある。そうなった時果たしてシェリーに対処できるのかどうか。このまま空に居続けるならばそうなる公算が高いのだ。空にはゲイルの風の魔法を遮る物が一切無く、この条件ではゲイルに追いつかれてしまう。追いつけばゲイルはただ跳躍すれば良い。

 歯噛みしながらシェリーは降下していく。下で野次馬が次々に悲鳴を上げているがシェリーの知ったことでは無い。故に歯牙にも掛けない。地には都市だけに風を遮る建物が山程あるのだ。逃げ切れる確率はこちらの方が高い筈。

 魔獣が着地したその刹那、狙い澄ました様に執行者が身を躍らせ剣を振り下ろす。しかしそれを魔獣は機敏な動きで回避し再び距離を開けていく。初めてゲイルと接触しシェリーは戦慄すると共に絶対捕まってはならないと本能的に直感する。

 その回避した瞬間、ゲイルとシェリーの視線が交錯したのだ。そうしてシェリーの瞳に映ったのはこの魔獣以上に血に飢えた獣の眼光だった。こんな双眸をしている者が正常な人間である筈がない。

「放て!」

 そんな誰とも判別がつかない声に振り返ってシェリーが目にしたのは閃光の雨だった。それは本来なら考えられない速さで飛来してきた矢だ。

 いくら機敏な魔獣とはいえそれら全てを躱しきる事はできない。鏃が魔獣の足を背を抉ろうとも魔獣は決して足を止めず懸命に駆け続ける。シェリーに一本たりとも直撃していないのは偏にこの魔獣が羽で庇ってくれたからだ。

 シェリーが空から降りたのは好機と踏み、とうとう騎士共は弓矢を使用してきたらしい。それのみならず矢にゲイルの魔法を付加してきたのだ。あんなものを何発を撃たれればいくら魔獣といえども死んでしまうだろう。

 そこで再度背後を伺ってみれば、騎士共が弓を構えているばかりで肝心のゲイルがいないのだ。逃げ切れた訳ではないだろう——また良からぬ事を考えているのか。どちらにしろこれは逃げ切る好機だ。足の速いゲイルが居なければいかに魔獣が傷を負っていようとも振り切る事は容易い。ここぞとばかりに魔獣は身体を傾かせ、矢に射貫かれる前に建物の裏に逃げ込む。

 何度も小回りをして裏路地に回り込み、完全に騎士共がシェリーを見失ったであろう頃に魔獣は動きを止めシェリーはそこから降りる。

「これからお前一人で奴等を蹴散らして欲しい」

 魔獣の頭を感謝の念を込めて撫でる。何せそれは魔獣に死ねと命令しているも同然なのだ。しかしシェリーは一切躊躇わない。ゲイルが何処に潜んでいるか分からない以上、シェリーが表立って囮になるのは敵の思う壷だからだ。

「——ごめんね」

 一頻り魔獣の頭を撫でた後、シェリーは横の小汚い扉に手を伸ばす。シェリーを見つめる魔獣の瞳はとても血に飢えた獣のものではなく、自分の死を諦観している獣のそれだった。


 その中は薄暗く誰もいない。まったく人の営みを感じさせず閑散とした空気が充満している事から鑑みるに、ここは廃屋だろう。都市には取りつぶされずに残っている廃屋が山程存在しているのだ。ここもその一つである。

 この建物狭い癖に、部屋の中央を机で仕切りを作ってあるのだ。そして丁度シェリーのいる側には幾つも棚が置いてある。恐らくここは商店だった所だろうか。商品をこの棚に陳列していたのだろう。しかしここが何であろうと関係ない。人さえいなければいいのだ。

「サン、今何してるんだろ……ぅ」

 ふとシェリーの身体がぐらつき、机に手を突く。息苦しさと目眩に襲われたのだ。疲れているのだろうか。確かに毎日無茶はしているから疲れてはいるのだろう。しかし何故か身体は休息よりも酸素を求めているのだ。

 本能が赴くままに扉を開けようとするも開かない。というよりシェリーの体に力が入らないのだ。扉を開けようとするそんな些細な動作でシェリーは力尽き、扉を伝う様に横たわる。

 激しい頭痛がシェリーを深い闇にいざなう。

 このまま眠ってしまえば酸欠で死んでしまうのはシェリーも理解している。それでも抗う事すら今のシェリーにとっては億劫だった。クローズもこんな風に苦しんで死んだのだろうか。これは恩知らずなシェリーに対しての天罰なのかもしれない。シェリーを助けてくれたにも関わらずシェリーはクローズを見殺しにした罰……

 あまりの頭痛に涙で頬を濡らしながらシェリーは意識を手放した。


 何分経過しただろうか。もうこの中の召喚士は死んだ事だろう。廃屋の扉の前に佇みながらゲイルは想像に頬を緩ませる。

 魔獣に傷を負わせた後、追跡は騎士に任せてゲイルは屋根の上から俯瞰していたのだ。召喚士はサンの所に逃げるのでは無いかと期待したのだが、結果サンの所になぞ行かず廃屋の中に逃げ込んだのだった。

 一年間一度もたりとも召喚士はサンの所に行かなかったのだ。ならばこれ以上引き延ばしても無意味だろうと今日ようやくゲイルは殺害したのだった。

「あー、失敗したなぁ」

 よくよく考えてみればその殺し方に後悔を覚え、壁に後頭部を預ける。

 より苦しい死に方を選択してやろうと、ゲイルが選んだのは窒息死だ。ゲイルに居場所を知られていないだろうと思い込んでいる召喚士の隙を衝き、廃屋の中の酸素を抜いたのだ。風を操れるゲイルだからこそできる技である。

「この殺し方じゃ、苦しむ面が拝めない」

 その殺し方の欠点は一切相手と対面できない事だ。

 次にこの殺し方をやる時は、硝子張りの建物にでも押し込んで実行しなければならないだろう。さもなければゲイルが楽しめない。

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