四章 望んだ結末 4

 元々ここに城が存在したなど誰が信じようか。今ここに存在するのは無残に破壊された古城の残骸だけだ。そして粉塵の中、それらに囲まれるようにクロエが棒立ちしている。

 こんな事になるなどクロエも予想していなかった。ただクロエは眼前の悪魔を滅ぼすべく怒りのままに暴れていただけなのだ。その過程で部屋や通路が焼けて崩壊するというのはままあったが、城そのものが倒壊するなど誰が予見し得ようか。恐らく古城という事もあり造りが脆くなっていたのと、クロエが無意識に城の要所を破壊していたというのが原因だろう。城が崩れだした時には死をも覚悟したものだがクロエの周囲の瓦礫だけが灰になっているあたり、城の崩壊さえもクロエを死に至らしめる事は不可能らしい。

 しかし、この過ぎた力もサンと対峙する時に当たっては制御せねばならないのだ。さもなければサンも殺してしまう事になる。

「ぅ……ぁ」

 そもそもサンと対峙できるのかどうか。もうクロエの視界は霞みだしているのだ。それ故にもう自分の死期が近いのも悟っている。一時間も持つまい。持って後一〇分かそこいらだろう。

「クロエ!」

「サ、ン」

 背後の呼び声に振り返るもクロエにはその姿がはっきりと見えなかった。かろうじて分かるのは二人いるという事ぐらいだった。それでも声でなんとか一人がサンと断定できたのだ。

 そういえばサンは空を移動しているとの事だった。成る程、ならばこの機会にここへ訪れるのは必然だったのかもしれない。何も無かった所にいきなり古城の残骸が現れたのだから不審に思わない方がどうかしている。

 理由はどうあれこれでクロエの役目は終わるのだ。女王の任を全うしサンを救う事ができる。達成感が表に出てしまい乾いた嗤いがクロエの口から漏れ出す。

「クロエ……これは、それに……」

 サンの表情がこの状況が察せないと訴えている。しかしそれを説明する時間はもうクロエには無い。だからこそ早くサンの下に辿り着かねばならないのだ。

 ふらりふらりと幽鬼じみた動きで瓦礫の山を越え、サンに近寄っていく。普段ならば直ぐに近寄れる距離でも今のクロエにとっては遠く険しい道のりだ。

「サン、捕らえるなら早くしたほうが良い。今のクロエは何か危ない」

「分かってる。シェリーは下がってて」

 サンの忠告にシェリーなる少女が後退していく。それはクロエにとっては好都合な展開だった。これで余計な横槍は入らないだろう。

「クロエ、何があったのかは知らないけど……後でちゃんと治してあげるから」

 そのサンの声の後にクロエ目掛けて四方八方から黒い稲妻が放たれるも、クロエは避けなかった。否、避けられないのだ。普段のクロエならばいざ知らず、今のクロエでは機敏な動きなど望めない。しかし幾条も放たれた黒い鎖はただクロエの体を通過するのみだった。それにクロエが捕らわれる事もなければ、足を止める事も無い。

「な、んで……」

 サンの驚愕をクロエは知る由も無い。闇属性の魔法とは、使用者の想像力で概ね威力が決まってしまうのだ。剣を想像して魔法を使用すれば相手の脳は斬られたと思い込み、棍棒を想像しようものなら叩かれたと思い込むという風に。

 詰まる所、サンの想像する鎖では今のクロエは止められないのだ。実物の鎖ならクロエが意識した途端に灰と帰すのだろうが、闇の魔法には実体など無い。故にただクロエを通り過ぎるのみなのだ。

「——ぁ……」

 戦う気が失せたのかクロエがサンの眼前に迫っても何も抵抗する素振りを見せなかった。ここまで来たのなら力を抑えねばなるまい。抑えねばあの執行者の様にサンが燃え尽きてしまう事になるのだ。そろりとクロエの右手がサンの頬に伸びる。

 熱気のせいかサンの眉間に皺が刻まれる。

「くぅ……」

 するとサンの頬には何も無かったかの様に刻印が綺麗に消えていた。少し火傷してしまっているがそこは許して貰うしか無い。

「サン、私の……勝ち、だ」

 全てを達成できたという喜びに浸る間も無くクロエの頭に激痛が走る。それと共に全身の力が抜け、サンに倒れかかるもその体勢を維持できずそのまま地面に倒れ伏す。

 クロエを殺したのは耳飾りなのか、悪魔なのか。それの確たる証拠こそ無いがクロエは悪魔だど言い切れる。何しろ覚悟していた死に方と異なるのだ。灰になるものとばかり思っていただけにこれは耳飾りによる死に方ではないだろう。そして死にそうな今に燃え出さない辺り、この耳飾りは死にゆく人間には機能しないらしい。

 女王の任を果たし、友を救った代償に死ぬのだ。これほど理想的な死に方が存在するのだろうか。その幸福に痛みも薄れ、クロエはゆっくりと目を閉じる。

 サンが女王に忠義を尽くし、そのおかげで国が平和になる。最期にクロエが頭の中で思い浮かべたのはそんな絵だった。

「クロエ……あんまりだよ……」

 倒れているクロエの頬から魔女の刻印が薄れていくのを見て、流石にサンも状況を理解できた。方法こそ分からないがクロエはサンの変わりに魔女になり死んでいったのだ。そして死亡した者に刻印は残らない。つまりそれはクロエの死亡を意味する。

 そうと分かった途端、サンの目から涙が溢れ出す。

「クロエ、クロエ……起きてよ」

 理解はしていてもクロエの体を揺すらずにはいられなかった。もうそれが亡骸と分かっていても呼びかけずにはいられなかった。

 あんまりではないか。クロエを救うと決意し、いざ魔女になってみればそれが原因でクロエは死んでしまったのだ。

 そして最期に残した言葉が『サン、私の……勝ち、だ』である。何の話かサンは知らぬ訳ではない。サンが旅立つ前に約束した競争の事を言っているのだろう。恐らくサンがここに到着する以前に、悪魔と思しき何かを殺したのだ。でなければそんな事を口にしたりはしまい。

「……違う」

 嗚咽に喉を詰まらせながらも、掠れた声でサンは否定する。この任での勝者は間違いなくクリスティアだ。そしてクロエは間違いなく敗者だ。クリスティアは誰からも傷を負う事も無くクロエを始末できたのだからそう言う他ない。その事に気付かずクロエは死んでしまったのだ。こんな理不尽が罷り通って良い訳が無い。

 ならばどうするか。生き返らせるしか無い。

 賢者の石だ。賢者の石さえあればクロエは元通りになるに違いない。賢者の石があればクロエもサンも幸せになれることだろう。

「シェリー、私とクロエを運んで」

 涙に濡れた瞳を拭うこともせず、側に寄ってきたシェリーに言い放つ。

 やおら昇ってきた太陽が、クロエの死を祝福している様に思えてサンは堪らなく不快だった。




「錬金室の復旧にはどれだけの時間を要しますか?」

「ああ、半年と言った所かの」

「半年ですか……いや、そもそも賢者の石が半年後に完成したとしても——ッ」

 仮に賢者の石が今目の前にあっても女王の願いを叶えるのは難しい。その現実に外聞も気にせず舌打ちをしてしまう。

「まあ、殺されたものは仕方ないじゃろう。なぁ、ドナよ?」

「あ、ああ」

 普段ならばこの女王の自室ではパメラと女王の二人きりで密談するのだが、今日はドナも予め女王が呼んでおいたのだ。しかしその肝心のドナは適当に相槌を打つばかりで積極的に話に加わろうとしない。流石に気まずいのだろう。

 先日、フェンリル領の領主から受けた報告を思い出し、クリスティアは堪らず手で顔を覆い溜息を吐いてしまう。女王が受けた報告は、『私の領に見知らぬ瓦礫が山程ある』との事だった。すぐにその瓦礫は回収したものの、当然ながらその中にはエリクの死体が転がっていたのだ。

 つまりそれの意味する所は今まで作った貯蓄が全て殺されたばかりかこれから貯蓄を作る事が難しいという事に他ならない。

「ドナ、あなたはわたくしにクロエとサンを殺しうる執行者を貸すと確かに約束した筈です。だというのにこの体たらくは何です? エリクが殺され、アイリーンも連絡が取れない以上やられたと考えて良いでしょう。残るはゲイル一人。サンを殺せるのですか?」

「当然です。残る敵がサンだけというのならばゲイルだけでも充分に事足りるでしょう。そうでなければとても執行者を名乗れません」

 その分かりきった返答に女王は鼻で嗤う。ドナがそう答えるしかないのは女王には手に取る様に分かった。ここで出来ないなどと答えようものなら女王はドナを何の迷いも無く処刑した事だろう。それが分からぬドナではあるまい。

「もう少し執行者を貸してくれると助かるのですが?」

「申し訳ありません。只でさえ執行者が三人も不在で教会が麻痺しているというのに、これ以上教会から人を抜けばどうなる事やら……陛下よ、どうかそれだけは」

「そうですか。ただしゲイルが死ねば否が応でも貸して貰いますよ?」

「——は、それは勿論でございます」

 いつもながらのドナの返答に女王は内心苛つかずにはいられなかった。この男は頑なに人員を寄越そうとしないのだ。教会がどうのという以前に自分の身を守るために違いないのだが、ともかく執行者をこれ以上増やすのは無理だろう。なれどもう一つの事柄だけは是が非でも約束させねばならない。

「それと、賢者の石が完成した際には召喚士を何人か借り受けますが良いですね?」

 いつも以上に鋭い女王の眼光に辟易しているのか、ドナは俯き一向に女王と目を合わそうとしない。

「——は、畏まりました」

 そのドナの了承を聞いてようやく女王はドナから視線を外す。これでやっと及第点なのだ。今すぐ女王の悲願は達成されないとはいえ、これで我慢するしかないだろう。

「そういう事ですのでパメラ。賢者の石の生成、頼みましたよ」

「まあ、気長に待っててくれ。あれは直ぐに出来上がる物じゃないのでな」

「陛下よ、どうしてまた召喚士が必要なので?」

 不意にドナが横から入った事で、元に戻りかけていた女王の瞳に再び翳りが生じる。この男は一体どこまで愚鈍なのか。ほとほとドナの無能さを感じ入りながら再度溜息が漏れてしまう。

「私が賢者の石に掛ける望みは全国民の人工化です。そうすれば裏切りや争いなど発生しようがありませんからね。

 しかしそうした場合に困るのが元からいる民衆の処理です。わたくしの所有する騎士達では当然手が足りませんし、何より後から自分達が殺されるなど納得しないでしょう? そこで役に立つのが召喚士です。手っ取り早く事を済ませようと思うのなら、数多くの魔物を召喚させるのが一番ですからね」

 女王の語りにドナは何も反応しない。いや、ただ顔を青くするばかりだった。しかしこの男が心配しているのは民衆ではないだろう。十中八九、自分の心配に違いない。こいつは聖職者の癖にそういう男なのだ。

「心配しなくてもここにいる二人は例外です。これからもお二人には世話になるでしょうしね」

 女王が満面の笑みえお浮かべると、安心したのかドナも溜息を漏らす。やはりこいつはそういう男なのだ。

「恐縮でございます。陛下よ」

 嘘である。女王にパメラはともかくドナを生かしておく気など毛頭無い。この男を生かしておいても女王に何の益も無いのだ。用が済めば殺すつもりである。何しろこの礼の言葉すら本心かどうか疑わしいのだ。

 見れば見る程ドナが醜悪に思え、女王は眉を顰める。

「それはそうとドナ。ここ数年の魔女審判の誤審率は目に余るものがあります。あなたが自分の立場を利用して何をしようがわたくしは口を挟む気はありません。しかし限度を弁えて貰わねば困ります」

「申し訳ありません。以後気をつけます」

 頭を垂れるその態度も、謝罪の言葉も全て嘘偽りに違いない。次の日にはまた無実の女性が魔女審判を受け、その口封じに殺される事だろう。その光景が容易に予見できるからこそ女王はドナを睨み据える。

〝この男を生かしておいても本当に碌なことがない……〟

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