四章 望んだ結末 3

「ここで待っていれば孰れ相見えると確信していました。クロエ=アンジュさん」

「ッ……執行者」

 クロエと鉢合わせした癖のある長髪の冷たい眼差しの人物は初対面だが、その修道服を見れば教会の人間である事は疑いの余地は無い。以前戦った執行者とは違い剣を所持していない代わりに杖を所持している。恐らく魔法を得意とする人物なのだろう。

「やり方が手緩いと前々から思っていましたがあの人の采配は本当に甘い。あの人の指示に従わずここに待機していたのはどうやら正解だったようですね」

 こいつが何を言っているのかは分からないが、戦わねばならないのは確実だ。しかし時間はかけられない。一気に決着を付けねば他の執行者もここに駆け付け兼ねないのだ。こうしてここに執行者が待ち構えている以上この先に何かあるのは間違いない。もはや己の体の事なぞ気にする必要はないだろう。

 すっとクロエは籠手の内側に隠し持っていた耳飾りを取り出す。

 ローラ達が調査に行っている間、予め箱から抜いておいたのだ。今頃はその事に気付いているだろうが関係ない。彼女等がここに辿り着く前に悪魔の死かクロエの死を以てして決着する事だろう。

 何の淀みも無く己の耳に耳飾りを着ける。

「もう恐らくクロエ=アンジュさんも事情は察してらっしゃるでしょうし、何も語る必要はありませんね」

 執行者が杖を構えたというのにクロエの体勢はふらふらと覚束ない。耳飾りから体内に流れてくる〝魔力〟に苦しめられているのだ。もはやこれは臓腑が焼かれているといっても過言では無い。火使いのクロエが熱に苦しんでいるのだからこの魔力の熱量は異常といって差し支えない。

 肺が焦がされ心臓が炙られありとあらゆる臓器が魔力の業火に晒され胃が沸騰し骨が軋みをあげ総身が燃やされ——

「ぐうぅ——」

 苦しさのあまりクロエの喉からは絶叫すら出ず、呻き声しか出ない。しかしいくら苦しかろうと体が傾ごうとも倒れる事だけはしなかった。

「何をしているのです?」

 見かねたのか執行者が歩み寄ってくるもクロエは依然構えられない。体内の魔力のせいで戦える状態ではないのだ。

「下手に苦しめても悪いので早めに済ませましょう」

 クロエの頭上に杖が振り上げられ、せめてもの抵抗をとクロエの手がその腕を掴む。その時異変は起きた。魔法など使用したつもりも余裕も無いのに、執行者の体が業火に包まれたのだ。

 その光景は酸鼻としか言いようが無かった。理由こそクロエの知るところではないが一向に執行者が死なないのだ。身が炎に焼かれ苦しんでこそいるものの、そうしてできた損傷は瞬く間に再生されるのである。しかし炎は消えないのだからその苦しみは相当なものに違いない。彼女は死にながら蘇生しているのだ。

 そんな無様な踊りも数分しか持たなかった。とうとう魔力が枯渇したのか執行者は声も上げなくなり地面に伏したのだ。そして炎が消えた時にはその面影を一切感じさせない灰へと変貌していたのだった。

「これが……陛下の渡したかったもの」

 鼻に付く嫌な臭いも、その無残な光景もまったく気にならない。

 クロエの意中にあるのは執行者を一瞬で殺せたという成果だけだ。この力があれば何も恐れる事はない。以前クロエを嘲笑った執行者も問題ではないのだ。

「ん?」

 その灰が風に舞いクロエの視線はその一点に注がれる。灰ではなく、その中に埋もれていた指輪に。半ば反射でその場に右手の籠手を捨て、指輪を嵌める。

 それが何なのか考えるまでも無い。以前ローラが話していた悪魔との契約を切る指輪に他ならないだろう。曰く、もう誰も所持していないとの事だったがどうやら調べ損ねたらしい。これで不可能と思われたサンの救出にも手が届く。

「早く……しないと」

 早くしなければクロエがこの執行者の二の舞いになるのは目に見えている。だからこそ休むこともせず、引き摺るように足を進める。

 何故こんな何も無い場所で執行者は待ち伏せをしていたのかまったく予想も付かないが、何かある筈なのだ。でなければこんな平地で待つ意味がない。

「な……なんだ、これは」

 そんな考察も虚しく数歩進んだ所でクロエは嫌でも理解させられる。今までそこには何も無かったというのに、クロエの眼前に突如として古城が出現したのだ。

 女王の城と比べるまでも無く古びており、人が住んでいるのかどうかも怪しい。少なくとも苔が生えている辺り誰も手入れはしていないのだろう。どうやら結界で目隠しをしていたらしい。誰の仕業なのかもはや考えるまでもないだろう。

「ここに……いるのか」

 唸る様に呟きながらクロエの手はその仰々しい扉に手が伸びる。


 女王の采配にエリク・ボビリエの胸中に不満が鬱積していた。

 もう彼は何年もこの小汚い城に閉じ込められている。そして毎日欠かさずさせられているのが魑魅魍魎の召喚だ。そのおかげでここ城の玄関のみならず、この城の隅々には怪物共が住み着いている。

 周囲に鎮座、あるいは浮遊している魑魅魍魎がエリクの目に入り、その事実を再確認させられるのだ。舌打ちをするも当然気分が晴れるわけもなかった。彼はこんな事をするために執行者になったのではない。周りの人間に尊敬され畏敬されるために執行者になったのだ。間違ってもこんな古城で魑魅魍魎を召喚し続けるためではない。

「な……」

 焦げ付く臭いとその出来事にエリクの思考は打ち切られた。

 結界で城を隠しているというのに、見つかったのみならず扉が焼け落ち灰になったのだから驚かずにはいられない。その狼藉者は短いながらもさらりとした綺麗な金髪に、甲冑を身に纏った女性だった。右手にのみ籠手が無いのは気がかりだがこの際どうでも良い。

 エリクも見覚えが無い訳ではなかった。名を確か——クロエ=アンジュ・クノーといっただろうか。

「な、何の用だ! 誰の許しを得てここにいる!?」

 エリクの一喝にクロエは応じる気配も見せない。ただ周囲にいる魑魅魍魎を見渡し睨み付けるだけだった。よく見ればその様子は尋常では無い。疲労しているのか息が荒く、目が虚ろだ。

 そういえば女王はクロエを殺害したがっていた。その為にエリクの他にもアイリーンとゲイルを使役していた筈だ。だとすれば今ここでクロエを殺害すればエリクはこのふざけた境遇から脱出できるのではないか? 何にせよここを見られたからには生かしておく訳にはいかないのだ。

「怯えて声も出せないのか? まあいい。貴様がここを知った以上、死ぬしかない」

 エリクが指でクロエを指すと、玄関にいる魑魅魍魎が一斉にクロエに襲いかかる。数は優に一〇〇を超えている。あの有様でこの数の怪物を相手にするのは不可能だろう。

「そん、な」

 驚愕の声はエリクのものだ。有り得ない。怪物の牙が爪がクロエの体を引き裂くものと疑っていなかっただけに、眼前の光景は悪夢でしか無かった。

 怪物共はクロエを傷つけることは疎か触れることすらできないのだ。何故なら近寄った途端、発火して燃え去っているからだ。それでも感情など無い魑魅魍魎は止まらないが無意味だ。クロエはただじっと立っているだけで良い。それだけでクロエの周囲には灰が積もっていくのだから。

「ひっ……」

 気付けばエリクの足は裏口に向かって駆けだしていた。

 あれではどちらが怪物か分からない。あんなものを相手にしていてはいくら命があっても足りはしないのだ。現にもう何匹の魑魅魍魎が屠られたことか。あれを殺そうという女王の頭はどうかしている。ともかくこの任は降りるしかないだろう。後に周囲からなんと詰られようと構わない。この執行者という肩書きも命あってのものだ。死んでしまっては意味が無い。

「っ——」

 妙な地響きと轟音が耳に付くが、エリクは決して振り返らないし立ち止まらない。その原因は考えるまでもなく魑魅魍魎とクロエだ。その勝者の事を考えてもエリクに悔しさなど微塵も感じない。あるのはただ恐怖のみだった。

「はぁっ——くそ——」

 この広い城が今は恨めしい。もう何分走り続けただろうか。未だエリクは目的地まで半分にすら辿り着いていないのだ。しかし泣き言など言ってはいられない。そんな暇こそあれば走る事に費やすべきだろう。

 逃げることに必死になっているエリクの知るところではないが、こうして走っている間にもクロエはゆっくりとだが魑魅魍魎を狩り尽くすべく城内を歩き回っているのだ。クロエ本人は魑魅魍魎だけを狙っているつもりでも当然その力を制御しきれる筈も無く、周囲に被害を撒き散らしながら、だが……

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