四章 望んだ結末 2
「オレ達が調査して分かった事はこんな所だ」
ローラの報告が終わると、クロエは何ら疑問は無いのかこくりと頷く。変に追求されるのではないかと思っていただけに人知れず安堵する。
「事情は大体把握した。無理を言ってすまなかったな」
フェンリルでの調査を終えたローラとエミリは、数日かけてワルフッドの隠れ家に戻りクロエに調査で得られた情報を大まかに説明したのだが、そこに少し虚言を混ぜてしまったのだ。それこそローラは胃が痛くて仕方なかったが、クロエの運命を思えばしない訳にはいかなかった。
うっかり指輪の話こそしたが、もう誰も所持していないと嘘を吐いたのだ。
「流石に村には入れないだろうが、私も明日一番にフェンリルに向かう。そこまで教会の人間が彷徨いているというのが気になって仕方ない。あなた達には最後まで迷惑をかけたな。今までありがとう……そろそろ解散しよう」
涼しげに話すクロエの言葉にローラとエミリは瞠目する。あまりに唐突すぎやしないだろうか。驚きを通り越してローラは怒りさえ覚えてしまう。
「何で! ……そんな急に」
「勘なんだがフェンリルに重要な何かがある気がする。教会の人間が彷徨いてるのもあるしな。その何かに辿り着けば執行者も手加減はしないだろう。何もそこまで付き合う必要はない」
「嫌です! 私はクロエさんと離れたくありません!」
あんな占いの結果を見た後ではエミリが悲痛に顔を歪めクロエにしがみつくのも仕方の無い事だろう。ローラはその光景に、はっとし直ぐさま家内を見渡す。そして豪奢な箱を見つけ安堵の溜息を吐く。どうあってもクロエに箱を触れさせてはならない。いよいよとなったらクロエを殴ってでもローラは止めるつもりだ。
「すまないエミリ。勝手なのは分かっている。でも分かってくれ」
クロエの腹部に顔を埋めるエミリの頭を撫でながら、申し訳なさそうに話すもエミリは幼子の様に首を振るばかりだった。
当然だろう。ローラも依然納得していないのだ。
「フェンリルに何かあると思うのなら何でオレ等を頼ってくれない!? 一人で行くなんて無謀にも程がある! 絶対認めないからな!」
その悲痛な叫びもクロエには届かないのか淡い笑みを浮かべるばかりだ。
「すまない。言ってしまえばこれは私の意地なんだ。最後の最後くらい私の手で決めさせてくれないか?」
「死ぬかもしれないんだぞ?」
「サンが救えないのなら……せめてこの国だけは私の手で救いたいんだ」
いつの間にかクロエの表情に翳りが生じていた。そこまでクロエを追い詰めているのは他ならぬ自分なのだと自覚しているが故にローラの顔にも翳りが生まれる。
「そんな……」
反対の言葉を紡ごうとして、ふとローラは思い出す。エミリの占いの結果はローラがねじ曲げた筈なのだ。『クロエは魔女になって死ぬ』事ができない以上、ここでクロエを行かせても死ぬ事は先ず無いだろう。
「ローラ?」
途中で言葉を切ったローラを不審そうに見つめながらクロエは声をかけてくる。
ここまでクロエが食い下がってくるのならローラも腹を括るねばなるまい。どのみちこのまま引き留め続けて諦めてくれるクロエではないのだ。
「一つ約束して。何があっても絶対に死なないでくれ」
「ああ、約束しよう。私は生きて帰る」
そのクロエの言葉と表情には何の迷いも無い。
こんな気持ちの良い表情をする者を止める事などローラにはできなかった。それにクロエが決意した以上ローラやエミリが口出しできる事じゃ無い。その事はエミリも分かっている筈だ。分かっているからこそ、恥も外聞も無くクロエに抱きついているのかもしれない。何しろ普段の聡明なエミリでは考えられない事だ。
クロエの目を盗みローラは気付かれぬようにすっと箱を自分の体の影に隠す。一人でフェンリルに行くことは認められてもこれを使うのだけは断じて見過ごせないのだ。これでクロエの生存は盤石に違いない。
もう何時間平地を彷徨っているのだろうか。数日前にワルフッドを出てフェンリル領に辿り着いたのは良いがもう夜が明けようとしている。クロエがフェンリル領に着いたのは夜中だったにも拘わらずだ。いくら村に入らないとはいえ、日が出ようものなら探索は厳しくなるだろう。
「ん?」
ふとそこでクロエの目に入ったのは綺麗な小川の近くで木刀を素振りする少女だった。一〇代かそこいらぐらいの年端も行かぬ少女だ。小綺麗な布の服に、背中まである透き通る様な黒髪が印象的な少女だった。
足を止め、その少女を無意識に眺め続ける。何しろその健気な姿は昔の自分を見ている様で何か懐かしい気持ちにさせられるのだ。
「こんな朝早くから鍛錬かい?」
少女に誘われる様にクロエの足は彼女に近付いていき、思わず声をかけてしまう。
今クロエがどういう立場に居るのかは良く分かっている。それでも話しかけられずにはいられなかったのだ。邪険にされても構わない。それならそれで探索を再開すれば良い話なのだ。
「あ、クロエ様……次はこの領を調査なさるのですか?」
少女は驚き瞠目するも、クロエを避けている風には見えない。寧ろその表情は感激しているように見える。この子はクロエの事情を知らないでいるのだろうか?
「ああ。でも村には入らないよ……今の私はとてもじゃないけど村に入れない」
「どうしてですか?」
「濡れ衣を着せられてるんだ……新聞で目にした事があるかもしれないが、私は盗賊の片棒を担いだ不埒者という事になっている。そんな私が村には行ったら民衆は混乱してしまうだろう?」
話している内にクロエは悔しいとも悲しいとも取れぬ気持ちに駆られてしまう。それに共鳴するように少女の表情から笑顔が消えて行く。彼女もまたクロエに失望してしまったのだろうか。
「あたしは信じてません!」
クロエの予想を外れる少女の響くような言葉に返答を忘れてしまう。その表情は怒れる者のそれだが、年齢のせいか如何せん威厳がなかった。
「母から何度もその話を聞かされました。それでも私は信じてません」
「そうか。ありがとう」
クロエは堪らなく嬉しかった。こんな疑いをかけられたクロエを一人でも信じてくれるのだ。これを喜ばずにいられようか。
「私は騎士になりたい。クロエ様と一緒に国を守りたいんです」
何の前触れも無く少女の口から発せられたその言葉に、今度はクロエが瞠目する番だった。どうやらこの少女はクロエと同じ道を歩もうとしているらしい。
「クロエ様みたいに剣を扱えるよう頑張ります。入団できるように毎日朝早く起きて努力します……だからクロエ様も頑張って下さい。私なんかが言えることじゃないですけどクロエ様ならこの国を救って下さると信じてます」
今にして思えばクロエはこれほど必死に鍛錬に励んでいただろうか。父に言われるがままに剣を振るっていたクロエと違い彼女は自ら剣を振るっている。その白く純真な想いはクロエには無かった。
クロエは剣を振る理由を疑問に思い、その手を鈍らせながらも騎士になれてしまったのだ。今も女王のためと言いながらも実は父のために奮闘しているのかもしれない。それならばこの勇者の紋章はこの少女にこそ相応しいだろう。
何の躊躇もなく鎧の紋章を取り、少女にクロエは差し出す。
「……これはあなたにあげよう。もう私には必要の無い物だ」
恐る恐る受け取りながら少女はクロエを見上げてくる。無理も無いだろう。初対面でこんな物を渡されては戸惑うのは必然だ。
「良いんですか?」
「ああ。この任が終わればその紋章には何の意味もなくなる。ああ、それと私から貰ったというのは両親には内緒にしておいた方が良い」
少女の小さな頭をクロエは撫でる。こんな外道共の血に塗れた手でするべきでは無いと思いながらも撫でずにはいられなかったのだ。
「その熱意があれば必ず入団できる。私が約束しよう」
「クロエ様……」
「私はもう行かなければならない。鍛錬、程々にな」
一頻り慣れない手つきで頭を撫でた後クロエは踵を返す。これほどに朝日が心地好いと感じたことがあっただろうか。これだけ幸先が良いのならばきっとこの任は上手く行くに違いない。
「クロエ様! 頑張って下さい!」
背後から聞こえる少女の声にクロエの頬は人知れず緩んでしまうのだった。
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