三章 天使の慟哭 2

 盗賊に教会、この二つの勢力がクロエの動きを阻害していると分かった以上速やかに叩き潰さねばならない。ならば当然、潰しやすい所から潰すのが筋だろう。故にクロエは執行者に襲われた後も向かう場所を変える気は無かった。

 数日歩き続けワルフッドの領に入ったのはつい先の話だ。もう数分もしない内に中心の村に辿り着けることだろう。

「クロエさん。無茶だけはしないと約束していただけませんか?」

「ああ。無論だ。約束しよう」

 迷い無くクロエはエミリに返す。本当に無茶をするのは悪魔を殺すときのみだ。そんな事エミリに注意されるまでもなく心得ている。にも拘わらずエミリの顔から不安の色は消えない。緊張しているのだろうか。

「ここまで入って盗賊の一人も見かけないのはおかしくないか。クロエはどう思う?」

 言われてみればローラの言う通りだ。まだ太陽が顔を覗かせていない夜明けだとしても、ここが本当に盗賊の根城になっているのなら見回りがいないのはおかしい。ならば一番妥当な理由は——

「固まって村に潜んでいるのかもしれない……襲撃された際に総出で迎撃できるように」

 厳めしい表情をしながらローラは頷く。クロエの回答に納得がいったのかそれ以上問いかけてくることはなかった。

 もしくはその目的の村の入り口に辿り着いたからなのかもしれない。迷わずクロエは入っていき、それにローラとエミリも続いた。


 その村はクロエの予想した通り盗賊が一つに固まり密集していた。

 にも拘わらずその理由が分からず驚愕してしまう。その驚愕はローラとエミリも等しく同じだったに違いないだろう。

 皆死んでいるのだ。生き残りなど一人もおらず皆苦悶の表情を浮かべながら地に寝転がっている。その中で一番悲惨な死に方をしているであろう人物の顔にクロエは見覚えがあった。ルシー・アラン——昔クロエが捕らえた盗賊だ。その盗賊が何故ここで死んでいるのかクロエには見当も付かなかった。

「何でこいつがここに……」

「それは私が順を追って説明するよ——クロエ」

 近くの家から出てきた者達にクロエは更に困惑してしまう。

 その人物の内一人は他の誰でも無いサンだったからである。

 何故サンがこんな所にいるのかクロエにはまったく理解できないできなかった。

 そんなクロエの混乱を余所にサンは滲み出る歓喜を包み隠そうとすらせず、ふやけた笑みを浮かべる。

「サン……お前、その顔」

 絶望にクロエの顔は引き攣ってしまう。

 クロエはこの久しいサンとの再会に素直に喜べないでいる。何しろサンの頬には在ってはならない魔女の刻印が刻まれているのだから無理も無い。経緯こそ分からないが理由はどうあれ今のサンはいるだけで周囲に害を為す魔女でしか無いのだ。

 それを恥じる様子も見せないのだから断じて許せる話ではない。

 しかしそんな思いとは裏腹にクロエの手は震え素直に剣を抜けなかった。

 クロエの思い悩む表情もサンにとっては悦びでしかないのか、一向に弁解する様子も見せない。それどころか尚も笑みつづけるサンにクロエは歯を食いしばる。

 ふとサンは勿体振る様に自ら頬に指を這わせる。

「これは……後でいいや。先ず見てほしいのはこれよ」

 サンに投げつけられた新聞を受け取り広げる。そこに載っている内容に思わずクロエの目が見開く。

 そこにはテレーズが女王に処刑された記事が紙面一杯に飾られているのだ。

 女王がこの新聞の発行を止めていない所を見るとこれは真実なのだろう。何故テレーズが謀反など起こしたのか分からないが女王に刃向かった以上これは仕方の無い事だろう。

 サンが魔女に堕し、テレーズが謀反を起こし死去。その事実に今やクロエは掛け値無しの絶望を味わっていた。

 唯一の救いはクロエが盗賊であるという記事にローラとエミリの名が一切載っていない事だ。些細な事ではあるが今のクロエにはこれが不幸中の幸いだった。

「その中にある遺書を見て」

 冷え切ったサンの言葉で新聞の中にある遺書の存在にクロエは気付く。

「これは……いや、だが」

 思わずクロエの紙を持つ手に力が籠もる。

 その内容はとても遺書とは言い難かった。これは遺書などでは無く女王の有りもしない悪態を書き連ねたただの落書きと言っても過言では無い。しかしその筆跡を見る限りテレーズが書いた物である事は先ず間違いないだろう。これでテレーズが謀反を起こした事は紛れもない真実と考えて間違いない。何故忠臣であった彼女はこんな事をしたのだろうか……

「クロエさん、しっかりして下さい」

 紙を見つめながらまったく反応しなくなったクロエが心配になったのだろうか。エミリはクロエを揺するが全く反応がない。今クロエにはエミリやローラの事を気に掛ける余裕が無いのだ。

「サン……貴様、こんな愚にも付かない遺書を信じて魔女になったのか? 陛下を殺すために……」

「クロエ、それに書いてある事は全て真実よ」

 怒りに濁った双眸をサンに向けるが、動揺などせずただ愛おしそうにクロエを見つめ微笑むのみだった。

 それで動揺するような人物じゃ無い事はクロエも分かってはいるが、この怒りだけは伝えておかねばなるまい。いくらサンとはいえ魔女になり陛下を狙うとあれば生かしておく訳にはいかないのだ。

「随分楽しそうね、サン。この前のお前とは大違い」

 話を割ってまでサンに話しかける厚着の女性にクロエは視線を移す。

「貴様も……魔女なのか?」

 楽しげにサンに話しかける厚着の妖しげな女が魔女に見えて仕方なかった。

 もっというならクロエにとっては古びた布切れを羽織っている少女もまた魔女に見えて仕方ないのだ。魔女と共に行動しているから魔女というのは強引すぎるかもしれないが疑ってかかった方がいいだろう。

 そんな疑いを掛けられたのならば、怒るなり怯えるのが通常の反応だろうにこの女もまたサンと同じく楽しげに口角を歪める。

「そうよ。私も魔女。そしてサンを魔女にしたのも私よ」

「——貴様、貴様が……サンを」

 その言葉にサンに向けていたクロエの殺意は厚着の魔女に全て注ぐ。

 つまりサンはこの魔女に誑かされているだけで何の咎も無いのだ。ここであの女を殺せばサンも正気に戻る事だろう。

 クロエの迷いが消えるのと同時に手の震えも収まった。それに乗じ新聞と遺書を投げ捨て滑らかな動作で腰の剣を抜き取る。

 今のクロエにとって真に殺すべきは厚着の女であり、サンは魔女にされてしまった謂わば救うべき存在に成り代わったのだ。

 敵が定まり、クロエは厚着の魔女目掛けて疾駆するが眼前にサンが立ちはだかり辿り着くことはなかった。

「そこを退け、お前は騙されてるんだ」

「クロエ、クリスティアは正真正銘の人でなしよ」

 クロエは断腸の思いで剣を振り下ろすが、それを軽やかな足きでサンは流れるように避ける。

 それに触発されたのかサンも腰の双剣を抜き取り斬り掛かるがそんな愚直な斬撃がクロエに通用するはずも無く剣で弾き返す。

 これは以前の戦いの焼き回しだった。

 お互いがお互いの腕を把握し、実力が拮抗しているだけにクロエの剣がサンを切り裂くこともサンの双剣がクロエを突き刺すこともなく、ただ徒に剣戟の響きを周囲に反響させるのみだった。


 直ぐ目の前で行われている斬り合いにローラはこの状況を忘れる程に見入ってしまい、助勢できなかった。

 エミリもまた同じ思いだろう。

 クロエの戦いに水を差すのが躊躇われたというのもあるが、手を出せば逆にクロエを危機に晒す可能性もあるのだ。それだけ彼女等の戦いはローラの理解の埒外にある。

 強化したローラを上回らんばかりのサンの脚力、その奇抜な動きに決して翻弄される事なく的確に剣を振るうクロエの剣技。あのエステルがまるで相手にならなかったというのも今のローラなら理解出来る。

「エミリ! 危ない!」

「きゃ!」

 ローラがエミリを抱えて飛び退いた途端、すぐ後ろを馬鹿でかい鳥が土埃を立てながら低空飛行で通り過ぎる。

 その速さは尋常では無く目で追いかけるのが厳しいぐらいだ。通り過ぎざまにその鳥の背には二人の人物が乗っているのをローラは何とか視野に入れる事ができた。

 ローラとエミリが二人の斬り合いに見入っている間隙を衝いたのだろうがローラは間一髪で鳥の突進を咄嗟に察しエミリを抱え回避したのだ。

 あれに直撃していれば二人とも死なざるを得なかったに違いない。

「大丈夫か? エミリ」

 速やかに体を起こしローラはエミリも優しく起こしてやるが、エミリの視線はローラではなく空を向いていた。

 空を旋回しているあの巨体の鳥を眺めているのだろう。その表情はいつものおっとりとしたものとはかけ離れ、緊迫した面持ちだ。

「はい。しかしアレは拙いかもしれません」

「拙い?」

「はい。アレは明らかにこの世界の生物ではありません。異世界から呼び出した正真正銘の魔物です。つまりサン=ブランさんの側にいたどちらか一人が召喚士なのは先ず疑いの余地がありません」

 説明の意味が分からずローラは首を傾げる。

 魔法に疎いローラにエミリの焦燥する意味が分からないのだ。

 そんなローラにエミリは嘆息する暇すら惜しいのか口早に話す。

「あの魔物を消し去るには召喚士を斃すか、魔力切れを待つしかありません。しかしああやって魔物と共に行動されると、打つ手が無いかもしれません」

「いや、もう一個あるんじゃないのか?」

 次に困惑の色を浮かべるのはエミリの番だった。

 エミリに分からずローラは理解しているというその滅多に無い状況に、無意識にローラは勿体付けてしまう。

「あの鳥を殺せば、そんな面倒なことを考える事も無い。そうだろ?」

「馬鹿言わな——きゃ!」

 ローラがエミリを押し飛ばして間も無く、その場を鳥が掠め過ぎる。

 鳥の行く先を見据えることすらローラは放棄し尻餅をついているエミリに微笑みかける。

 何しろこの華奢な少女を安心させる事が何よりも大事に思えてならなかったからだ。

「大丈夫。エミリだけは絶対守るから」

「——ッ、知りません!」

 顔を真っ赤にしエミリがそっぽを向くのと同時にローラも鳥を見据える。その瞳は絶望とは程遠くやる気に満ちていた。

 エミリが生きている限りローラは負の感情と無縁にいられる事だろう。

 鳥の次の行動を察しローラが真横に飛び退いた途端、先までローラが居た場所が鳥の爪によって無残にも抉られてしまう。

 その破壊の程は凄まじくその勢いに乗った攻撃は強化だけでは防ぎきれまい。

「そのちょこまかした動き、サンを見てるみたいで楽しいよ」

 ローラの眼前に鳥が立ちはだかる。その大きな背から顔を覗かせ揶揄する厚着の魔女の顔は愉悦に歪んでいた。

 彼女もまたこのくだらない戦いを楽しんでいるのだろうか。

 そう思えばこそローラの顔はそんな愉悦とは正反対、怒りに歪んでしまう。

 クロエとエミリに仇なす彼女等が許せないのだ。

「お前等はクロエを追い詰めてそんなにも楽しいのか!」

 鳥に臆する事なく見上げて吼えるローラに厚着の魔女は失笑した。そんなこと言われるまでもないというばかりにローラに嘲笑を寄越す。

「勿論よ。それにこれは彼女の希望よ。旧友を虐め抜き、屈服させたいというサンの歪んだ意思」

 その言葉の意味をまるでローラは理解出来なかった。狂った魔女の思考をローラに理解出来る筈がない。そんな非道な事を平然と口にできるこいつらは生かしておいてはならない存在に違いないのだ。

「お前等は絶対に許さない!」

「別にお前に許して貰う必要は無いわ」

 クローズがそう小馬鹿にした途端、ローラの頭上に鳥の嘴が迫る。身を翻し避けた刹那、嘴が豆腐でも刺すかのように地に突き刺さった。ローラに戦慄する暇すら与えまいと何度も嘴に貫かれそうになるが危なげにローラは回避し続ける。

 嘴が一向にローラを貫けないのは偏に攻撃が単調だからだ。いくら凄まじい破壊力を秘めていようとも、そんな単純な攻撃がローラに通じる筈も無い。

 その事が分からぬのだから所詮鳥は鳥という事なのだろう。

 何度も嘴を回避しながらその攻撃を見極めローラは渾身の魔力を注ぎ身体を強化する。

 そんな事を鳥が察する筈も無くただ単調に嘴を振り下ろし続けた。

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