二章 堕落する騎士 13

 苛立ちのあまり腰を掛けたまま力任せに眼前の長机を殴りつける。強化の制御の仕方など知らないルシーが殴るものだから当然机は崩壊するがそんな事は何の問題にもならない。所詮は盗品だ。気にすることじゃない、また盗めば良いのだ。

 ここ南西の領地、ワルフッドはルシーが女王に開放されてから占拠し数年掛けて盗品をかき集め根城としたのだ。領主諸共、人間は全て殺したのだが当然女王は黙認してくれている。それだけルシーは気に入られているのだろう。

 この領地には住める村がちらほらあったのだが、ルシーが住処として選んだのは一番環境の整っている中心地の領主が住んでいた村だ。領主の家をそのまま奪い調度品を設置していったのである。

 当然女王の自室を目にした後では見劣りもするが、ルシーの好みの物を恣に置いていっているのだから通常なら居心地は良いし気持ちも落ち着くのだ。にも拘わらずルシーが怒りを露わにしている原因はサンである。

 サンが都市に入ってからの行方が分からないのだ。部下の報告は『鳥に乗って飛んでいった』などという素っ頓狂なものでとても当てにならないし、都市に潜伏したままかと言えばそうでもない。女王が血眼になって捜し回っている以上、どこに隠れようとも都市に居れば直ぐさま見つかる筈なのだ。

 そもそも執行者は何をしていたのか。一度まともに接触しておきながら仕留め損ねるなど間抜けにも程がある。ルシーがその場に居ればそんな失態はさせなかっただろうに。ドナの無能さにはほとほと呆れるばかりだ。

 このままクロエを殺そうともサンを殺せなかったら女王の褒賞が貰えないかもしれない。少なくともそういう逃げ道を女王に与える事が堪らなく嫌なのだ。

 ルシーは立ち上がり近くにある棚を殴りつける。見るも無惨に砕け散るもルシーの心は晴れない。感情の赴くままに壁や窓、家具を殴りつけるが一向に気分が晴れることはなかった。

 そんなルシーがふと手を止めたのは手首にある鎖が震えたからだ。

「何だ?」

『ゲイルがクロエに接触し重傷を負わせましたが打ち損じました』

 鎖から聞こえる報告に怒りを煽られ、また一つの椅子が犠牲になる。少しでも執行者を頼りにしたルシーが愚かだったのかもしれない。重傷を負わせようとも生きているならどうとでもなるのだ。ルシーがそうであったようにクロエもまた這い上がって来る事だろう。

『クロエなのですが、数日もすればワルフッドに向かうとの事ですがいかがしますか?』

 これは朗報だ。クロエが何かを掴んだのか掴んでいないのかそんなことはどうでも良い。たった三人で盗賊の根城に乗り込んでくるなどとても正気の沙汰ではないのだ。ならば望み通りクロエ等を殺してやるのが筋だろう。今のルシーはこの上なく騎士共の血に飢えているのだ。

「全員をここに帰還させろ。全員だ。総戦力をもってクロエを潰す」

『了解しました』

 もはやサンが行方不明な以上、斥候させていても意味が無い。ならば総出でクロエを殺す事こそ賢明と言える筈だ。ルシーの気分は笑みを浮かべるまでに晴れるが、その笑みはとても普通では無く言うなれば悪鬼のそれだった。




 目的地に到着したため、サン等は〝鳥〟の上から飛び降りる。否、これを鳥と形容していいものなのだろうか。硬く鋭い嘴に鉤状の爪、美しい毛並みに大きく逞しい翼。これだけならば只の猛禽類なのだろうが、全長が優に人間を超える怪物を只の鳥と称して良い筈がない。言うなれば怪鳥だろうか。サン等はこの怪鳥に乗って都市の包囲網をかいくぐってきたのだ。

「ありがとう。助かったわ」

「いえ」

 サンの呼びかけにぼろい布きれを羽織った少女が素っ気なく返事をする。信じがたい事にこの幼い少女がこの怪鳥を召喚したのである。

 シェリー・カバネル——それがこの少女の名前だ。

 サンが意図して連れて来たのではない。クローズが獄中から連れ出したのだ。どうやら顔見知りらしいがその辺の事情はサンは詳しく知らないし知る必要も無いだろう。重要なのはシェリーが召喚術を扱うという点だ。召喚を扱えるなら移動にも困らぬだろうし、何より戦闘でも充分な成果を発揮してくれる事だろう。連れて行くのにサンは何の異論も無かった。

 サンは知る由も無い事だが、盗賊の追跡を振り切ったのもこの怪鳥のおかげだった。流石に執念深い盗賊でも空を飛ばれては追いかけようも無いのだ。

「良かったのクローズ? あなた賢者の石を欲しがってたのに爆破なんかしちゃって」

「あそこに石らしき物は無かった。あんな部屋一つでこの子が救えたんだから何の問題もないわ」

 サンが会話している内に何の前触れも無く怪鳥は霧散する。それに伴いクローズが先行しサンとシェリーは歩を進める。

 周囲には草木一本生えておらず、周囲には月の光さえも遮る程の濃霧が立ち込めている。更にはちらほら霞んで見える民家は悉く倒壊しており、とても人が住んでるとは思えない土地だ。サンもこの異様な空間では緊張せざるを得なかった。

 確かにクローズの言う通りあの部屋には石らしき物は無かった。クローズもサンも賢者の石を見たことが無いため憶測で判断するしかなかったのだが、クローズが駄々を捏ねなかった事が有り難かった。無いなら無いで完成すまで泳がせるという手もあったのだが、女王の一番のお気に入りであろうあそこを爆破せずにシェリーを脱獄させるのは至難の業だ。有効な陽動もせずシェリーを救い出すとクローズが喚こうものなら流石のサンもお手上げだったに違いない。

「サン——私が言うのもなんだけど、本当にいいの?」

「私は魔女になる——クロエを助けるためにね。この決意は揺るがないわ」

 クローズの呼びかけに答えるサンに何の躊躇いも無い。それこそ数日前までは悩んでこそいたが、もう決心は付いたのだ。クロエをみすみす死なせる羽目になるぐらいならばいっそ嫌われてしまおう、と。

「まあ、そう言うと思ったからここに連れてきたんだけどね……この国で一番サバトが行われているのはこの土地なのよ。サバトって知ってる?」

「まあ、知識としては」

 大勢の魔女が一つの場所に集まり悪魔を召喚し、称える儀式を通称サバトと呼ばれている。実際にサンは目にした事が無く眉唾物と思っていたのだが、この領地で行われていたのならば目にする筈も無い。

 この領地は以前サンが訪れようと考えていた北の領地レティだ。この薄気味悪さのせいで来訪者も少なく、領に住んでいる人間も極端に少ない。故に盗賊等の無頼の徒も好き好んで近寄らないのだろう。そのためサンもここに来る機会が無くこれが初めての来訪なのだ。確かにこの環境ならば人も少なく魔女も好きに動ける事だろう。

 しかしこの情報を教会が掴んでいないとは考えにくい。教会が動かないのはやはりクロエとサンを狩るのに戦力を裂いているためだろうか。

「この中よ」

 数分歩いた先に辿り着いたのはいつ壊れてもおかしくなさそうな、教会だった。

 経緯こそ分からないが恐らくはここの教会と魔女が争い、魔女が勝利した後に奪ったという所だろう。古びてはいるものの建て付けがしっかりしているのはやはり魔女が頻繁に通っているからだろうか。

 少なくともクローズの言う通りここでサバトが行われているのは間違いないだろう。何故なら室内から耳に纏わり付くような呪文が漏れ出しており、サンを苛んでいるからだ。

「私は外で待ってるからその子と一緒に入って。その子、中の連中と知り合いだから」

 サンが頷くとシェリーが側に寄り添ってくる。クローズの言いたいことはつまりサンが一人で入ろうとも魔女にはなれないという事だろう。そんなこと言われなくても自明だ。悪魔を狩る側のサンが一人で入ろうとも意味はない。ただ戦いに発展するだけだ。

 鎧から勇者の証たる紋章を剥ぎ、何の躊躇いも無くサンは踏み砕く。もはやこんな物を持っていた所でサンに益する所は何も無い。

「頼むわ。シェリー」

 シェリーに目配せをすると声も無く只、頷くだけだった。

 扉を押し開けるとそこはまさに異世界でサンの目を白黒させる。

 内装はとてもサンの知る教会とは程遠くとても禍々しい。一面闇で染め上げられており、まだ外の方が明るいのではなかろうか。それにどこからともなく鉄のような臭いが漂っており鼻につく。これは明らかに血の匂いだ。照明が蝋燭のみで周囲が鮮明に見通せないが、床に赤い線で魔方陣が描かれており、その周りを厚着の人間が数人で囲っているのは見て取れた。その中には男性の〝魔女〟も混じっており、一〇人程度の魔女がここに集結している事になる。

 外部の人間が入ってくるのがそんなに珍しいのか魔女共に動揺の色が見られるがそんな事を気に掛ける余裕は今のサンにない。

 事情の説明はこのシェリーが請け負ってくれる手筈だ。何も気にする必要は無い。

 これからこの魔方陣に悪魔が召喚されるのだろう。もはやサンに悪魔に対する恐怖も魔女になる事への躊躇いも無い。あるのはただ一つ——クロエに馳せる思いのみだ。


 サンが教会に入ってから一時間ばかりが経過しただろうか。その間クローズはずっと濃霧の中で立ち尽くしていた。

 もう中ではサンが魔女になっている頃合いだろうか。クローズはサンが蘇生系の魔法を使える様になって欲しいと願ってはいるのだが、魔法の種類は無数にある。その中からサンが都合良く蘇生を使える様になるなど先ず無いだろう。考えるだけ虚しいだけだ。

「私は……どうしたいんだろう」

 空に向かって呟くも当然答えなぞ返ってこない。

 両親を蘇らせたいのか教会に復讐がしたいのか、その一貫しない己の行動に嫌気が差し舌打ちをする。しかも今回に限っては騎士と共に行動するのはともかく、獄中の顔見知りを助けるなどという愚行はもはや目的を忘れていたとしか思えない。その時こそ何も意識せずにいられたが、今じゃクローズの胸中は自己嫌悪で満たされていた。

 サンを諭す資格などクローズには無かったのかもしれない。寧ろ真に諭されるべくはクローズの方だったのだろう。現に今クローズはどうすれば良いのか分からないのだ。このまま彼女等と旅を共した所で賢者の石は手に入らぬかもしれないし、かといって離れてもまた然り、だ。クローズは今袋小路に閉じ込められていた。

「何難しい顔してるのよ」

「サン……ブラン……お前、その顔」

 思索に耽るあまりクローズはサンとシェリーの接近に気付けなかったのだ。どうやら悪魔との契約は滞りなく済んだらしい。その証拠にサンの頬には魔女の証たる魔女の刻印がくっきりと刻まれている。

「目立つって言いたいんでしょう? 別に構わないわ。魔女だろうがそうでなかろうがどうせ狙われることに変わりはないんだし」

「そうね。確かにその通りだわ」

 とてもサンに気を裂いていられずクローズは生返事をしてしまう。魔女である事を周りに公言しても良い事など一つも無い。そう答えるべきだったのかもしれないが、受け答えが長くなるのは目に見えている。そんな事に時間を浪費するぐらいならこれからの方針を考えたかったのだ。

「今日初めて悪魔を目にしたわ」

「それで、どうだった?」

 だというのに、これほどまでに活気に溢れたサンの声にクローズが反応してしまうのは何故なのか? もしかすると引け目を感じているのかもしれない。元々魔女になる縁の無かったサンにその道を示したのは他ならぬクローズなのだ。

「血なまぐさい、史上最悪の汚物よ」

 サンの物言いはクローズを鼻白ませるには充分すぎる衝撃があった。魔女の言葉はその契約した悪魔には全て筒抜けと言われているのだ。だからこそ皆は悪魔の機嫌を損ねぬよう言動には気をつける者が大半なのだが、どうやらサンは例外らしい。

 この女には躊躇いが微塵も感じられないのだ。

「良いの? そんな事言って? 下手したら殺されるのよ?」

 クローズが揶揄を飛ばずもサンの威勢が衰えることは無かった。

「陰口で腹を立てる程悪魔は狭量じゃないと信じたいわ——寧ろ楽しんでるんじゃないの? 悪魔を殺すと息巻いてた奴が魔女に堕ちるなんて道化以外の何者でもない。笑い話もいいところよ」

「魔女になった事後悔してるの?」

 取り返しの付かない事をし、彼女は自棄になっているのではないかともクローズは考えたが言って直ぐそれは無いと直感する。自棄になっている人間はあんなに双眸を輝かせたりはしない。

「いいえ、後悔は無いわ。クローズ、あなたに感謝しないとね。まさか魔女になるだけでこんな力が手に入るなんて思ってもみなかったもの。これでもう誰にも私の邪魔をさせない。邪魔する奴は執行者だろうが何だろうが、殺すわ」

「へぇ、よっぽど自信があるのね」

 サンに饒舌になるのも無理からぬ話である。魔女になったときに得る力はそれ程に増大で劇的なものなのだ。莫大な力を得た時の快感はクローズも体験しているためサンの気持ちは当然良く分かる。

「汚物とはいえ、そいつが持っている力が途方も無いという事は目の前に立っただけでも充分に理解出来たわ。殺すだなんて無理も甚だしい。仮にクリスティアに命令を受けた時に悪魔の正体を知っていれば私は一も二も無く断り、強引にでもクロエを引き留めたでしょうね。それほどまでにアレは強大だったわ。

 そんな奴の力の一部を借り受けている私が最強で無い筈がないでしょう?」

 まるでサンは我が子でも愛でるかのように禍々しい頬の印を撫でる。

 実際クローズも悪魔を目にした事があるため、悪魔が強大なのは嫌と言う程分かっているつもりだ。それでもとてもサンのようにクローズは己に自信が持てない。いや、そう言い切れるからこそのサン=ブランなのだろう。

「とにかく喜んで貰えたみたいで何よりよ」

「ところでクローズ——さっきあなたの考えていた事は大方、両親の事でしょう?」

 そのサンの囁くような言葉がクローズの耳を擽った途端、心臓が跳ね上がり口に重りでもぶら下がっているかのように全く開かなくなってしまう。それを良い事にサンは更に続ける。

「クロエの一件が済んだら次はクローズ、あなたの番よ。そのクリスティアが求めている賢者の石について調べるわ。まさか途中で抜けるなんて言わないわよね?」

 そのサンの顔はとても以前の思い悩んでいた彼女と同一人物とは思えず、自信と歓喜に満ちあふれていた。魔女になれた事で規格外の力を得られた事も一つの理由なのだろうが、恐らく一番の要因は目的のクロエに一歩近づけた事だろう。

「……勿論よ。途中で諦めるなんて有り得ない」

 何をクローズは思い違いをしていたのか。元々サンとはそういう約束で共に旅をしているのだ。途中でサンを見限るのはクローズの願いを見限るのと同義だろう。それだけ賢者の石から遠ざかるのだ。少しでもサンがクローズの願いを忘れているなどと考えてしまった己が情けない。

「次は南西の領地、ワルフッドに向かう。クロエが素直に調査を続けていれば最後に調査する場所はワルフッドよ。ここで待っていれば必ず会える。シェリー、お願い」

「うん」

 クローズは確信する。このサンと旅をしていれば必ず賢者の石は手に入るだろう。そしてクローズの両親は生き返り再び家族と共に暮らすのだ。いや、そういう結末を迎えるまで必ず手伝ってくれるに違いない。

 いつの間にかクローズの胸中にあった自己嫌悪は跡形も無く消え去っていた。

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