二章 堕落する騎士 10

 結果から言えばあれから数日を費やし、サン等は道中で盗賊や執行者に襲われる事も無く無事に都市に辿り着いた。クローズが門で構えている兵に疑われる事も無く都市の中に入れたのだがサンはある違和感を抱く。

 街並みは相変わらずどの領よりも栄えており砂漠や荒野で長らく暮らしてきたサンにとって懐かしくもあり、居心地が良いのだが唯一異なる点がある。それはサン等に向ける民衆の目だ。まるで卑しい者でも見つめるかの様な目を向けられて、サンの感じていた居心地の良さなぞ直ぐさま消し飛んでしまう。以前からクロエに比べればサンの人気など無いに等しいものだったがこれは極端すぎる。異常と言っても良い。

「お前相当嫌われてるみたいだな」

「別に気にすることでも無いよ。行こう」

 クローズから向けられる嘲笑は不思議と嫌な感じがしなかった。彼女なりの冗談なんだと察せたからかもしれない。ただ偶然出会っただけの魔女に相当入れ込んでるのだなと心中で自ら呆れてしまう。

 それと別に強がっている訳では無い。サン自身民主の評判など歯牙にも掛けていないため気にする必要はまったくないのだ。サンが苛ついているのは別の理由である。

 おそらくこの極端な民衆の変化は例の新聞のせいだろう。〝クロエが盗賊と結託しているならお前も盗賊と結託してるんじゃないのか?〟という偏見が普段のサンの評判も相俟って疑わずにはいられないのだろう。つまりこいつらは端からクロエを信じようとしていないのだ。散々助けて貰ったにも拘わらず、だ。

 道中進みながら民主と目が合う度にサンは睨み付ける——それこそ殺意を込めて。そうでもしないとクロエが報われない気がしたからだ。そうして歩き続けた末にようやく新聞を購入する。こればかりは運が良かったとしか言いようが無い。仮にサンが朝でなく夜に到着し更に雨でも降っていようものならとても新聞なぞ手に入れられなかったに違いないのだ。この晴天に感謝せねばなるまい。

「新聞なんかどうするんだ?」

「最近何があったか知るにはこれが一番誂え向きなのよ。ずっと歩きっぱなしだったから私達何も分からないでしょ? って、何これ……」

 新聞の内容に冷や汗が流れる。先まで軽口を叩いていたサンもこれには黙らずにはいられなかった。何か起きてはいまいかと新聞を眺めたは良いが、いの一番に目に入ったのはテレーズが死去したという見出しだ。

「テレー、ズ? 誰? 聞いた事ないけど」

 クローズが首を傾げるのも無理も無い。無法者として生きてきたクローズにとってテレーズなど知り得よう筈がないのだ。

「女王の側近。私やクロエが狙われて、次はテレーズ。これはもう偶然じゃない」

 記事の内容はあまりにも酷いものだった。テレーズは謀反を起こすも女王の計らいで牢屋に入れられる。しかし反省の色が見られないため処刑したというものだ。テレーズは犯罪者を忌み嫌っていたため、相当の苦痛を強いられたに違いない。そもそもテレーズは謀反を起こすような人物ではないし、この記事を信じるとするのならこの任の裏に何かあるのではなかろうか?

——これは素直に女王に会うべきでは無いかもしれない。

「これから城内を探索するけどあなたはどうする?」

「探索? 何でそんなまどろっこしい事を?」

「今、女王に対面するのは気が進まないのよ……何となく」

 探索などせずとも女王に直接会えば良い。そんな事クローズに言われずともサンも分かっている。しかし女王に会うべきではないとサンの勘が告げているのだ。根拠などありはしないただの直感なのだが、従わなければ徒では済まない。そんな気がするのだ。

「でも探索ってどうするの? サン、お前が城に入れば直ぐ女王に知れるんじゃないのか?」

「それは大丈夫。ちゃんと考えてあるから」


 相変わらず城の中は装飾過多と言って良い程に豪奢な者で飾られ尽くされており、光り物が好きなサンも流石に辟易してしまう。一方のクローズはこれほどの建物が見たこともないのだろう、見えない何かを追いかけるように四方八方を見渡しながら足を進めていた。初見の者は皆そうなるのは咎めようも無いところである。

「すごいな……一体どれだけの金をつぎ込んだらこうなるんだ?」

「静かにして。気付かれたら私もあなたも終わりよ」

「あ、ああ。ごめん」

 今サンにはクローズがどんな顔をしているのか分からない。またクローズも同じでサンの表情を読み取れはしないだろう。それは時々横を通りがかる兵士も例外では無く、旅に出たはずのサンを見かけようとも一瞥もくれない。果たしてサンの策は上手く行ったらしい。

 サン等は城に入る前に変装をしたのだ。外にいる兵士二人を物陰に連れ込み気絶させ鎧を奪って着た。ただそれだけの事なのだ。しかし効果は絶大と言える。何せ鎧だけでは無く面もあるため誰も疑りすらしない。元着ていた鎧や服は外に放置したままだが物の一時間もかからぬだろうし問題はないだろう。

 歩けども歩けども切りが無い廊下をひたすら歩き続け、ようやくテレーズの自室に辿り着く。着慣れない鎧に些か疲労を覚えながら扉に手を掛け中に入る。

 部屋の装飾はここだけ別世界を思わせる程にさっぱりとしていた。やはり部屋には住んでいた者の性格が滲み出るものなのか、廊下にある輝きの半分すらこの部屋には無く唯々質素で落ち着いていた。

「ここを調べるのか?」

「そうよ。テレーズの死んだ理由が分かるかもしれないし。興味無いかもしれないけど我慢してね」

 クローズはこくりと頷き物盗りの如く部屋を漁り始める。サンもそれに続き部屋を捜索する。が、何も見つからなくても不思議はないなのだ。テレーズを殺したのなら女王が先に部屋を捜索している可能性が高い。

 だからこそ机の中にあった手紙らしき物を発見した時のサンの驚きは尋常では無かった。

「何か見つかったのか?」

 クローズもサンの異変に気付いたのかすかさず駆け寄る。これは明らかに遺書だ。こんな物を平気で放置しておくなどテレーズも切羽詰まっていたという事なのだろうか? 彼女ならもっと上手く隠しそうなものなのだが——処分されなかったのはそれこそ奇跡みたいなものだ。

「遺書……いきなり本命を見つける事になるなんてね」

 上手く行きすぎてそれこそサンは興奮していたのだが、それは直ぐに冷まされる事となる。何せ書いてある内容がサンの想像を遙かに上回っていたのだ。女王が何か隠しているのではと踏んではいたが、まさかここまでするとは予想できなかった。サンは女王の欲の深さを見誤っていたという事なのだろう。

 女王はクロエとサンを盗賊、教会を使役し謀殺しようとしている事。三人目の勇者は盗賊が務めているという事。それらは全て賢者の石を手に入れるためだといういう事。賢者の石は人命を蘇生に再生、また新たに作り出す事も可能らしいという事。遺書に書いてある事を掻い摘めばこういう内容が書き記されていた。

 俄には信じがたいがこれら書いてある事は全て真実だろう。真実として考えればクロエやサンの身の回りで起きていたことに筋が通るのだ。それ故にサンの女王に対しての憤りが限界を超えそうになるが、強引に思い止まらせる。ここで怒りに身を任せ女王を暗殺しようものなら返り討ちにあうのは目に見えているのだ。殺すにも方法を考えねばなるまい。

「賢者の石はここにあるの?」

 不意に背後から聞こえる低く冷え切った声にサンは戦慄が走る。そういえばクローズは両親を蘇生する方法を模索していたのだった。

「分からない。後で錬金室とかいう所でも漁ってみる? 遺書にも錬金術で作るものだって書いてあるし」

「ええ。お願い——あ、それとお前はこれからどうする? 女王が裏切ったのにまさかこのまま悪魔退治を続行する訳じゃないんでしょう?」

 何の迷いも無く頷く。無論そうなのだ。元から胡散臭い女王だっただけにもはや任を全うする理由なぞどこにもない。これからどうするかという問いについても考える必要は無いのだ。それは——

「クロエにこの事を伝える。伝えて無理にでもこの任を辞めさせる」

「ふーん。でもそれって——クロエ=アンジュと殺し合う事と同義じゃないの?」

「え?」

 クローズが何を言っているのか分からない。この事を伝えればクロエも女王を見限りサンに従ってくれる筈なのだ。そうでなければならない。

「だってそうでしょ? 私も端からしか見たこと無いから分からないけどクロエ=アンジュって相当女王を崇敬してる。そんな相手に『女王はクロエを殺すつもりだ』なんて言っても通じると思う?」

 通じる……とは言い切れない。クロエの女王に対する忠義は相当なものだ。下手をすればサンが裏切り者と罵られ斬り伏せられる可能性がある。業腹だがこれはクローズの言う通りだ。

「それだけじゃない。その遺書にも書いてある通りこれからは盗賊と教会の二つの組織を相手取らなくちゃいけない。そんな中クロエ=アンジュまで敵に回して勝機があると思うの?」

「何が、言いたい?」

「そう怒らないで。方法はある」

 その言葉にサンの溜飲が下がる。女王の狗共を鏖殺し尚且つクロエを救えるというそんな理想的な方法があるなら乗らない手は無い。答えを一刻も早く聞こうと体を乗り出すと、クローズは回りくどい説明も前置きも無くすっぱりと答えた。

「簡単な事よ。魔女になれば良い」

「魔……じょ?」

 魔女。その言葉がサンの頭の中に重くのしかかる。確かに魔女になれば盗賊など言うまでもなく執行者にも対抗できる力を手に入れられるだろう。しかしそれはクロエを裏切るという事ではないのだろうか?

「クロエ=アンジュを強引にでも辞めさせたいと思うのならこれほど良い方法も無いのも確かよ。何せクロエ=アンジュとお前が戦ってもどっちが絶対強いって、言い切れないんでしょう?」 

「ええ。だけど……いや、契約が怖い訳でも……魔女を蔑んでる訳でも無い……でも——」

「嫌われるのが怖い? でもね、同じ事よ。仮に魔女にならず強引に辞めさせる事に成功してもお前は絶対嫌われるわ。本当に嫌われたくないと思うのなら同時に無理矢理従わせる覚悟もする事ね。そうすれば万事上手くいくわ」

 聞くに値しないと自分に言い聞かせても聞き入ってしまう自分が憎らしくて堪らない。

 無理矢理従わせる? それはつまりクロエを痛めつけた上で屈服させサンの命令を遵守させるという事だろうか? それはサンの望む結末ではない。違う筈なのにこの心中に渦巻く黒い気持ちは何なのだろうか?

 邪念を振り払う様に頭を振る。それは有り得ない事なのだ。

「クロエは誰にも屈したりはしない! クロエはどんな窮地に追い詰められても敵に屈したことは只の一度たりとも無い。あなたの言ってる事は妄想よ」

「果たして本当にそうなのかしら? 窮地に追い詰められても毅然としていられるのは助かる見込みがあるからよ。そうでもなく毅然としていられる人物がいたとしたらそれは感情の無い人形か、死を覚悟した者だけ。

 クロエ=アンジュに助かるなどという希望を一切与えず、窮地に追い詰め嬲る。それをできる権利を持つのは何もお前だけじゃない」

「何?」

 クロエを痛めつけるなど決してサンはしない。しかし今の言葉は聞き捨てならなかった。彼女をそんな崖っぷちに追い詰められる人物などいよう筈が——

「女王もまたその状況を簡単に作り出せるのよ。民衆という拠り所が無くなったクロエ=アンジュから女王を取ったらどうなるか……考えるまでもないでしょう? 女王という拠り所を簡単に奪えるのは女王だけよ。良いの? クロエ=アンジュを最初に絶望させる人間が女王でも」

「違う!」

 反射的にサンの口から出てしまったこの〝違う〟は断じてクロエを最初に貶めるのは自分という意味のものではない。決してサンはクロエを貶めないという意味での〝違う〟の筈なのだ。

「私はそんな事……望んでない」

 ふとサンの脳裏に浮かんだのはクロエの苦しみ蹲る姿だ。そしてそれを見下ろす様にサンが立ち塞がっている。途端サンの総身が震え出す。この感情は一体何なのか見当も付かない。いや、これは怒りだ。こんな益体も無い事を考える己自信に対しての怒りだ。

「そう。じゃあ何でそんなに興奮してるの? 鼻息が荒いよ」

 クローズに指摘されはっと気付いてしまう。面の内側に水滴が付いているのだ。そんなにもサンの息に熱が籠もっていたのだろうか。更に動機も激しく、喉が異常に渇いている。これは明らかに劣情を催しているのではあるまいか?

「そ、れは……」

「ごめんごめん。別にお前を困らせたくて言ってる訳じゃ無いのよ。ただここまで連れてきてくれたお礼に自分の本心に気付かせてあげようと思っただけ。

 それと悩んでるところ悪いんだけどもう一つ連れて行って欲しい所があるから後で案内して」

「ああ……分かった」

 サンの言葉に力は無い。それでも許可には違いなくクローズは納得がいったのか扉を開け一人で出て行ってしまう。

 クロエを救い出したい。この気持ちに偽りはない。救い出した後に嫌われるというのならば救い出せる公算が大きい方を選ぶべきではないのか? たとえ己の命を危険に晒すような行為だとしても彼女を救い出せるのならばそれで……

 もう迷いはしない。クロエを救うためならばサンは悪魔に魂を差し出すことも厭わない。

 決意を固めたサンは軽く溜息を吐くと共に扉に手を掛ける。

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