二章 堕落する騎士 9
荒野で戦いを挑んだのは失敗だったと今更ながら後悔してしまう。何しろ見る者を威嚇する様に岩が林立しているのだ。二人が共に行動するのは会話から察して知れていた事なのだから、焦らずとも遮蔽物の無い平地で強襲をかけても良かったのかもしれない。
一時的にアイリーンはサンを追い詰めたものの、火の魔法で目眩ましをされた後まんまと気絶している魔女と共に姿を隠されたのだ。とはいえどれかの岩に隠れているのは自明なので虱潰しに探せば良いのかもしれないが、奇襲をかけられ接近戦に持ち込まれでもすればアイリーンの勝ち目は薄い。
自分が死なぬ事に関しては自信があるのだが、勝てるかどうかは別の話なのだ。
〝ここは慎重に行くべきか……〟
サンは魔女ではない——そんなことは百も承知だ。それでも教皇の命令とあっては必ず成し遂げなければならない。それが女王の傀儡に成り下がっている教皇の命令であったとしても、だ。不本意ではあるが今回の任では執行者ではなく女王の猟犬へと成り下がらなければならない。
屈辱に杖を握る手が震える。アイリーンは修羅の道たる執行者になったのは魔女を狩り尽くすためだ。断じて殺し屋を務めるためではない。自分の見える範囲の魔女や悪魔は徹底的に殲滅する。それがアイリーンの信条だ。悪魔とは不浄の象徴といえる。それに下った魔女も同じだ。そんな輩が神が創造した世界を闊歩するなど、断じて許せる話では無い。情状酌量の余地無く処刑にすべきなのだ。
その点で言うなら、サンの傍らにいた魔女を逃がす気は毛頭無い。サンを意識しすぎて取り逃がしこそしたが次に相見えた時が奴の最期だ。一度手合わせをして分かった事だがあの魔女はとりわけ弱い。少なくともアイリーンが過去に葬ってきた魔女の中で一番弱いと言っても過言じゃない。おそらく魔女になって日が浅くその力をもてあましていると言った所だろうか。その力を使いこなせぬ内に殺してしまうのが得策だろう。
しかし慌てることも無い。サン、延いてはその魔女の居場所は常にアイリーンは把握しているも同然なのだ。彼女は装飾品を着ける趣味が無いため、いつもは修道服の中にしまっているのだが『
盗賊と手を組むなど彼女の矜持が許さない——許さないのだが協力するしかないだろう。他ならぬ教皇の命令なのだ。己の矜持と教皇の命令を秤に掛けた場合、優先されるのは当然教皇の命令なのだから、素直に与えられる情報を利用し魔女と騎士共を駆逐していくのが賢明といえるだろう。
魔法でこの辺一帯を焼き払いたい衝動を抑えながら踵を返す。
理由こそ知らないが素直にアイリーンが退いてくれたのは僥倖だった。
岩の物陰からアイリーンの一部始終を監視していたサンはともかく胸を撫で下ろす。最悪死を覚悟して奇襲をかけることも辞さないつもりでいたが、戦わないで済むのならそれが一番良い。五重属性の魔法使いとまともに戦えばこちらもただでは済まないし、第一今は都市に急がねばならないのだ。決して執行者に拘ずらっている場合じゃない。
普段のサンならば決してアイリーンを許しはしない。魔女に勘違いされたからどうのという訳では無く、そんな勘違いを理由にサンを傷つけるなど断じて許せる話では無い。正面から勝てぬのなら不意を衝けば良い話である。必要に後ろを付け回し奴が隙を見せたとき首を刎ねれば良いのだ。
が、それはクロエが拘わっていなければの話である。クロエが関係していればそう事情は単純じゃない。サンにとってクロエは万事に対して優先される事柄だ。クロエが今どういう状況に陥っているのか考えるだけでも胸が切り裂かれる様に苛まれ、それを仕組んだ奴に殺意が沸き上がる。一刻も早く女王を問い詰め、この状況を解消しなければクロエはもといサンも死にかねない。
そういう誰に襲われてもおかしくない状況でこの仰臥している魔女を死なせずに済んだのは運が良かった。先の戦いでこそ早々に気絶したが、もっと手堅くいけばもっと善戦できた筈なのだ。これの教会に対する恨みはサンの予想を上回って余りあるという事なのだろう。
気付けば夜も更け、それに伴気温が下がり始めているのだろう。動き回ったせいで寒くはないのだがサンの吐く息が白く染まる。しかし魔女は寒かろうと思い、側に火を焚くとそれに気付いたのか思い瞼を開ける。
「……ぁ……あい、つ……は」
「帰った。まったく何があったか知らないけど無茶にも程があるわよ」
その言葉に何を感じたか魔女は乾いた笑いを漏らす。それはサンを馬鹿にするものではなくまるで己自信を嘲笑しているかのようだった。
「私という人間は魔女になっても何もできない。たかが教会の人間を一人殺す事もままならないなんてね……敵討ちなんて始めから無理な話だったのかもしれないわ」
「敵討ち?」
ちらりと魔女はサンを一瞥し、軽く嘆息する。
「そういえばお前も教会に濡れ衣を着せられていたね……良いわ、聞かせてあげる。私の両親は教会に殺されたの。魔女でも無かったというのに……あいつらはね魔女審判で誤審をしたのよ」
誤審——そんな事が有り得るのだろうか? 魔女審判はただ対象の体を隈無く見渡し刻印を探すだけの簡単な作業なのだ。誤審など起こり得よう筈がない。
「そもそも私達家族は魔法使いですらなかった。だというのに両親は教会の連中に連れて行かれたのよ。たまたま私は居合わせなくて連れて行かれずに済んだんだけどね、同じ村の人に事情を聞いたとき混乱して何も出来なかった。まあ私も幼かったから仕方なかったなかったんだけどね」
「それで魔女になったのか? 復讐のために」
相当な勇気が必要だったに違いない。悪魔との契約を見たことが無いサンではあるがどれほどの代償を払うかは聞き及んでいる。悪魔と契約した魔法使いは魔力量が格段に増大し、新たな魔法も使えるという。それこそ修練をまったくしていない魔法使いでも熟練の魔法使いに匹敵できる力を有せるという。何の魔法の素養もないただの一般人もその例に漏れず魔女になれば魔法を使えるようになる。それでも魔法使いから魔女になった者に及ばないのは言うまでも無い。
その力の代償として生殺与奪の権を悪魔に握られるのだ。故に何の前触れも無く魔女は命を落とすことがある。その恐怖は計り知れないだろう。
「いいえ。私が魔女になったのは両親を生き返らせたかったから。藁にも縋る思いで契約したけど結果これよ。手に入れた力は天気を操作するなんてくだらない力。
まあ、お前の言う通り復讐したい気持ちもある。両親を殺した奴を探し出して殺すなんて無理と分かっていてもね。それでも私は教会の人間を殺してやりたい」
淡々と話す魔女に次第に同情している自分にサンは驚く。クロエ以外にこんな気持ちを抱くなど今まで有り得なかったからだ。しかし疑問はない。この魔女の気持ちは痛い程良く分かるからだ。
「なら尚更都市に行くべきよ。何か他に手掛かりがあるだろうし。蘇生できるのは魔法使いだけじゃないかもしれない」
「どうしてそこまで私を——」
「お互い狙われてる身だしね。一人でも仲間がいた方が良いでしょ」
サンの微笑みをどう捕らえたのか魔女は鼻で笑い顔を逸らす。しかしその行為に不思議と悪意は感じられなかった。
「……分かった。これからお互いの目的のために都市に行こう。私はクローズ・カミュよ。しばらくの間よろしく」
「ええ、よろしく」
力なくゆるりとクローズは体を起こし、右手をサンに差し出す。当然それを拒むはずも無くサンはその手を固く握りしめる。
ここに勇者と魔女の同盟が結ばれる。これは紛れもない謀反であり裏切りだ——女王と、クロエに対する。
その事に思い至らないサンはクロエを救う事を夢見て、晴れやかな気持ちになった。
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