二章 堕落する騎士 8

 考え得る限りこの国で一番華美で大きな城の中で、何不自由なく暮らしている少女がいた。少女は召使い達に腫れ物に触るかのように丁重に扱われ、一般人から見れば誰もが羨む様な生活をしながらも一転、大好きな両親には中々会えずしたくもない英才教育を日々させられていたのだ。

 その少女の趣味は大凡同年代の娘なら興味も示さないであろう剣劇だった。

 よく部屋を抜け出しては庭で剣の稽古をしている兵士達に声を掛け、その様子を見させて貰っていたりもしたものだ。その都度『君みたいな子が国を治めたら——』などと持て囃され意味こそ分からなかったが気持ちが良い事は確かだった。

 その日事件は起こった。

 何者かの裏切りにより少女の父親、国王は謀殺されたのだ。臣や民を家畜同然に扱い、横暴な政治をする暴君であったがために殺されたのである。その時の少女には全てを理解することはできなかったが〝父は裏切られた〟という一点のみは理解できた。

 後にその不忠者共は処刑され、時は経ち少女は一国を背負う女王へと祭り上げられる。政治のいろはも知らぬ少女はそれこそ何も分からずあたふたしていたが、ただ一つ——裏切りに対しては敏感に察知し厳しく罰してきたのだった。

 少女の名は現女王、クリスティア=ローズ・ブールである。


 クリスティアが厳しい顔でテレーズの自室に向かっているのは、最後の確認をするためである。今日は今朝からテレーズを側に置かず自室に待機させ、女王は一人で裏切り者の正体について考えたがテレーズ以外に犯人が思い浮かばなかった。

 そして今夜、自室で待機しているテレーズを問い糾し事の真相を明るみに晒そうという挙に出たのだ。

 何もわざわざ問う事などせずとも裏切り者がテレーズ以外に有り得ないというのなら一旦テレーズを処刑した上で事が上手く運ぶなら結果的に彼女が裏切り者だったということで一件落着だし、まだ何か良からぬ事が起こるのなら真犯人を調査する。という処方でも良いのだが、女王も彼女をむざむざ死なせるのは惜しいのだ。

 テレーズもまた貴族の出で、女王の側近となるためだけに教育され育ってきた人物だ。それ故に付き合いも長く色々助けてもらった。またそんな損得抜きでテレーズがまさか女王を裏切るなどと考えたくもないという事もまた事実なのだ。

 勘違いであって欲しい——そう何度も願いながら歩み続け、ようやくテレーズの自室の前まで辿り着いた。

 逸る気持ちを抑え、冷え切った扉の取っ手に手を伸ばす。


「テレーズ、少し宜しいですか?」

「陛下、こんな時間に何のご用でしょうか?」

 すっと椅子から立ち上がり女王を迎えるも、もはや跪きはしない。その必要はもうないのだから。その様子が癪にでも触ったのか、女王の双眸が鋭くなるもテレーズは表情を一切崩さない。

 そろそろテレーズの裏切りも気付かれる頃合いと踏んでいただけに女王の訪問に驚きも疑問もありはしなかった。寧ろドナの一件から悟られたと思っていただけに時間が経ちすぎている気がしないでも無い。それでもやはり時間は足りないのだが。

 遺書こそしたためたがまだ準備万端とは言えないのだが、しかしもう限界だろう。

「単刀直入に言います。教会に虚偽の言伝を伝えたのはあなたですね?」

「はい。その通りです」

 その言葉で女王の目が据わり、声が一段と低くなるのをテレーズは見逃しはしない。おそらく疑いが確信へと変わったのだろう。

「何故です? 長年忠義を尽くしてくれたあなたがどうしてわたくしを裏切るのです?」

 忠義——その言葉に思わず鼻で笑ってしまう。この女王にテレーズは一度たりとも忠義を尽くした覚えはない。

「簡単な事です。陛下、あなたはクロエとサンを殺すつもりだからです。私が何も知らないと思っているかもしれませんが、あなたの目論見は全て把握しています」

「そうですか。もう知っていましたか」

 涼しげに言うこの女にテレーズは憤りを感じ顔を顰める。こいつは自分のしてきた事に何の罪悪感もないのだろうか。もはや気品を高く保っていられよう筈も無かった。

「あろう事か数年前に盗賊を牢から解き放ち、今日までずっと〝騎士団長〟として暗躍させ勇者に任命した事、教皇を金で懐柔し執行者を使役している事、これらは全てクロエとサンを葬るためだという事——全て分かっています。

 わざわざ外で殺そうとするのも民衆から反感を買うのが怖く殉職に見せかけたいからでしょう? しかもクロエを盗賊の仲間などと情報を流布し、民衆の目を眩ませるあたり余程反乱が怖いんでしょうね」

 一度口を衝いて出てしまえば後はすんなりと出し切ってしまえた。こんな所で話した所で意味などないのだが、到底黙ってなどいられなかったのだ。

 クロエに話せれば一番理想的だったのだが、女王の目が光っている以上それはできない。他の人間に話したところで誰も信じまい。この事を知る人間がテレーズだけというのが悔しくてならなかった。

「そうです——孰れあなたには話すつもりでした。話した上で協力して貰えると思っていたのですがどうやらわたくしは心得違いをしていたようですね」

「あなたが何をしようが大抵の事には目を瞑る気でいました。しかしクロエを謀殺しようなどとそれだけは見逃せない!

 錬金術を否定されるのはそんなにも苦痛でしたか? 残念ながら私も同じ気持ちですよ。賢者の石などとそんな胡乱な物をあなたが求める度に何人の人間が倒れたと思うんです? 今回にしてもそうだ、一体どれだけの人間を苦しめれば気が済むんです?」

「賢者の石を手に入れるという悲願のためなら何でもします。たとえ国中の人間を焼き払う事になっても躊躇はしません。それ程までに賢者の石というのは尊い物なのです」

 こいつは人の命を何だと思っているのだろうか。少なくとも眉一つ動かさずそんな姦計を話せるあたりこの女王にとっては家畜程度の価値しかないのだろう。でなければこんなにも簡単に人を殺せる筈がない。

「そんな得体の知れない石のためにクロエを殺すのか!」

 石ころのためにクロエのような人物が死ぬなど、見過ごせる話ではない。吼えるテレーズに呆れたのか女王は溜息を吐く。

「クロエが何だと言うのです? 賢者の石を手に入れれば不老不死なれると聞きます。そしてそれを生成できる錬金術師は生命をも生成できるのです。などとあなたにこんな事を説いても無駄なんでしょうね。賢者の石を手に入れるのに障害になるものは全て排除します。クロエもサンも、そしてあなたも」

「この……暗君がッ!」

 暗君を絞殺すべく首に手を掛けようと手を伸ばす。クロエの事を思うのならばテレーズはここでこいつを殺しておかねばならない。さもなければ事情を知らないクロエはこいつを崇拝し続け、果てに殺される事となるのだから。

 そんな意気込みも虚しく、テレーズの自室に雪崩れ込んできた数人の兵士に取り押さえられ女王を殺し損ねてしまう。勝ち誇った表情を浮かべている女王に悔しさのあまり唇を血が滲む程噛み締める。

「この女、テレーズは乱心し女王を手に掛けようとした反逆者です」

「違う!——乱心しているのは、こいつだ」

 慎みをかなぐり捨て、吼えながら暴れようとも兵はテレーズを離そうとはしない。事情の知らない兵からしたら当然の処置なのだろうが、それでもこの兵も女王も憎くて仕方が無かった。

 唐突に女王の手がテレーズの服に触れ撫で回し、冷や汗が流れる。これだけは渡してはいけないのだ。それのもたらす効果などテレーズには想像も付かないが、それがクロエの死に繋がるのは疑う余地も無い。

 そんなテレーズの焦燥を嘲笑う様に女王の指は二つの耳飾りを摘み上げる。

「やはりあなたが隠し持っていましたか。これであなたを生かしておく理由が無くなりました。ですので今すぐにでも処刑しても良いのですが——とりあえず三日間、頭を冷やし自省してもらいましょうか。あなたの大好きな牢獄で、ですが」

「——くそ、こいつ!」

 体をいくら捩れども兵の腕からは脱出できず、ただ体に引き攣るような痛みが走るだけだった。それでも抵抗を止めないのはこの女王の薄ら笑いを消し去りたいからに他ならない。どうしてこんな性根の腐った人間が生き残りクロエが殺されねばならないのか。その理不尽さに涙を滲ませる。

「牢に連れて行って下さい」

 テレーズの抵抗など無いに等しいのか、兵士は引き摺るようにテレーズを連れて行く。

 処刑されるのは覚悟の内だが、まさかテレーズの最も忌み嫌う牢に長時間入れられるなど予想できようか。そんな悪辣な方法を執る女王に対して殺意が止まらなかったが、もはやどうしようもない。テレーズは何も成せずに散るのだろう。

 どうせ殺されるならクロエの手に掛かりたかったなどと考えたこともあったが今となってはそれも叶わぬ願いだ。


 テレーズはクリスティアに仕えるべく幼少期から教育を受け、皆が期待していた通り側近として務める事となるが当の本人は女王に忠義を尽くす気など微塵も無かった。それでもひたすら心を殺し、何年もの間女王の側近として十全に役目を果たしてきたのだ。

 そんなテレーズの目を惹いたのは、事前に決まっていた事として騎士団に入団してきたクロエ=アンジュ・クノーだった。彼女は自分が高貴である事を決して鼻に掛けることなく民衆とも別け隔てなく接し、更には女王の人間性を疑う事なく忠義を尽くしていたのだ。何より悪を決して許さないというテレーズと似た精神に一番目を惹かれていたのかもしれない。

 自分に無いクロエの純真さ、その清廉で潔白な行いに日々感服させられてテレーズは女王ではなくクロエのために城に留まり続けたと言っても過言では無い。しかしそんな己の気持ちをクロエに伝えられる筈も無く、テレーズはいつもと変わらず心を殺しながら女王に尽くしていたのだった。

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