二章 堕落する騎士 7

『これでクロエの評判は地に落ちたも同然かと。ウールの人間はもう誰もクロエを信用しておりませんし、新聞でこの事が出回ればもうクロエの味方に付く人間はいなくなる事は明白です』

「ああ、それで?」

 手首の鎖から鮮明に聞こえる淡々とした報告に笑いがこみ上げてくる。今回はどうやら上手く行ったらしく以前の轍を踏まずに済んだらしい。

『奪った金品はもう数日もすれば届けられます。それとエステルが死亡しました。全て役目をが終わった後だったのが不幸中の幸いかと思われます』

「そうか。ご苦労だったな。もうここに寄らずワルフッドに向かってくれ」

『了解しました。では失礼します』

 途端、装飾品から音声が途絶える。これはルシーの手首に付いている装飾品の一つ『精神連鎖アニマ・ウィンクルム』という錬金術で作成された物だ。見た目は只の鎖状の飾りだが同じ物を持った人物と事前に魔力で繋ぎ合わせておけば、ある程度距離があっても会話できるという盗賊に持ってこいの代物だ。

 先の部下の知らせによれば、クロエはもはや脅威ではないだろう。

 奪った物品については都市外なのでそれ程期待は出来ないが村一つにある金品をまるまる奪えたのでそれで良しとするしかない。

 そしてエステル——あれには事が全て終わった後に莫大な褒賞を渡す約束だっただけに勝手に死んでくれたのは有りがたい。エステルの役目は全て終わっているので無料で傭兵を雇えたようなものだ。

 そして最後にサン——部下の情報に寄れば北西の領地、デザータで調査をしているらしい。あれの始末も念のためしておきたいと考えてはいたが、もはやアレも脅威ではないだろう。死ぬのも時間の問題だ。

 これらの情報からルシーは本拠地のワルフッドに帰ろうと判断したのだ。

 この狭苦しい洞窟にうんざりしていたのもあるが、もはや盗れる物など何も無い。つまりサンとクロエに数人の見張りを付けておき、自分も含めた大半は本拠地に戻り有事に備えて体勢を整えておく。その方がずっと賢明なのだ。

「ハッ——クロエも終わりか」

 その場に居合わせられなかったのが残念でならないが、その光景を思い浮かべるだけで絶頂してしまいそうな程に昂ぶり、哄笑が止まりそうになかった。

 あの高みにいた天使を同じ地平に引き摺り下ろせたのだから無理もない。

 ルシーは俗に言う脱獄囚だ。以前クロエに捕まりずっと王宮の地下に幽閉されていた盗賊なのだ。その地下で拷問され痛めつけられる度にルシーはクロエに対し怨み辛みを募らせ、ずっと訪れる筈も無い復讐の機会を虎視眈々と狙っていた。ついに牢から出る機を得られ、しかも勇者になれた事で苦も無く村を襲う権限を得られたのだ。そしてかつての部下を牢から引っ張りだし、その果てに復讐を成功させたのだ。

 余談ではあるが、ルシーは魔法になど縁が無い存在である。その彼女がこうして魔法を駆使できるのはすべて彼女の手首に飾られた華美な装飾、錬金術によって生成された魔導具のおかげだ。故に今のルシーに敵などいない。

 捕まる前の話だが、ルシーは一時期その狡猾さと大胆さで国に名を轟かせた。その頭脳に加え新たに未知なる力、魔法も使えるとなればもはやルシーに敵う者などいよう筈がない。

〝今のあたしに出来ないことはない〟

 再び国に名を轟かせるのも時間の問題だろう。仮にその時までクロエが生き残れば奴は地位を失うだけでなく憤死するのではあるまいか? そう思えばこそルシーの興奮は収まる事がなかった。




 この領地を数日調査して分かった事と言えば、ここにエステル・セリーヌが統括する傭兵部隊があったという事と、魔女が一人隠れ潜んでいるという事だけの筈だったのだが、今朝の新聞を目にして新たな情報をサンは入手してしまった。

 その情報はサンを憤慨させるには充分すぎる情報といえる。否、これは情報などではない。紛れもない誤情報だ。

「ウールを襲撃したクロエは傷を負いながら逃走……ッ!」

 やり場のない怒りを領主の家の壁にぶつける。当然の代償として手から血が流れるがこんな痛みでは彼女の怒りは収まらない。

 この新聞に書いてあることが真実であるならクロエは濡れ衣を着せられた挙げ句、村人に襲われ傷を負いながら逃げ延びたという事になる。有って良い筈がない——他ならぬ、民衆に心血を注いできたクロエがその民衆に傷を負わされるなど有って良い筈がない。

 こんな事する人物にサンとて心当たりが無い訳じゃ無い。デザータに来る道中に何度も襲ってきた盗賊だ。クロエにとても敵いそうもないと踏んでそういう下種な手段に頼るという事も充分に有りうる。

 しかし、解せない事もある。いくら愚鈍とはいえ誰もクロエが濡れ衣を着せられていると疑いはしなかったのだろうか? それとも疑う余地がない程に巧妙な手口だったのだろうか? どちらにしろそれを見ていないサンに答えなど分からない。もう一つはクリスティアだ。あの女は平然とこんな新聞を出回っているにも拘わらず止めようとする素振りを一切見せない。女王が動いていようものならこの新聞がサンの手元に有る筈がない。

「有り得ない……これはクリスティアを問い詰める必要がある」

 あの済ました女王の顔を思い浮かべただけで、腸が煮えくり返りそうになる。思い返せばあれが無能な女王だというのは散々思い知らされてきた事だ。その尻拭いをいつもクロエやテレーズがしてきたのだが今回もそれなのだろうか? だとすれば今度はサンの出番だ。殴ってでも全ての新聞を回収させる。そしてどんな事をさせてでも事態を収拾させ誤解を解かさせる。意図的に見逃している可能性も捨てきれないが、理由は何でも良い。それこそ女王に訊けば済む話なのだ。

 これから向かう予定だった北の領地レティから都市に変更するまでは良い。しかし心配なのは何かあった場合一人で対処できるのかどうかだ。

「そういえばあいつ、まだここにいるのか?」

 戦闘においてのみ心強い人物をサンは知っている。以前のサンならその人物を何の理由もなしに都市に連れて行くのは躊躇しただろうが今のサンにそんなことは関係ない。何せクロエが危機に瀕しているのだ。クロエを救うためならば謀反を起こす事も辞さない。それがサンの意思なのだ。


「もしかしたらと思ったけど、まだここにいたなんてね」

「何の用? お互い干渉しない話じゃないの?」

 とりあえず前に魔女と戦闘した場所、いくつもの巨岩が林立している荒野へと真夜中に赴いたサンだったがどうやら思惑が当たったらしい。厚着の魔女はそこに立ち尽くしていた。

 当然と言えば当然なのだろうが、眉を顰めているところを見る限り魔女の機嫌は良くないため少し説明してやる必要がありそうだ。

「いきなりだけど都市に行く気は無い?」

「都市? ヴィトゥー?」

 目を剥く魔女にサンは内心ほくそ笑む。何しろ外部の人間、しかも無頼の者が都市に入れる訳が無いのだ。しかしどうしても入ろうと思うなら重役の人間が付き添うのが一番良い。その機会をこの魔女は逃すまい。サンには確信めいたものがあった。

「そう、ヴィトゥーよ。あなた教会に何かしら遺恨があるんじゃないの? あそこには教皇も住んでる」

「お前の言う通りよ……私は教会に恨みがある。都市にも入りたい。でもお前を信用できるかと言われれば、それは——できない」

 歯痒いのか魔女の声に怒気が籠もる。教会に恨みがあるのは以前の戦闘から理解はしていたがそれも余程の恨みらしい。だというのにこの話に乗らないのは彼女の決意の固さといったところだろうか。教会に復讐するまでは絶対に死ねないという意思の固さがサンにもひしひしと伝わる。

 ならば、サンが魔女を嵌める気が無いという事を信じさせれば良いという事だ。

「私は女王に用がある。あなたは教皇に用がある。私とあなたは同じ都市に用があるという事。つまり——」

「そこまでです。サン=ブラン・ノワールさん」

 見知らぬ凜とした声に振り返ってみれば、明らかに教会の人間であろう人物がそこにいた。当然、この魔女も反応しないわけが無く今にも食いつかんばかりに睨み付けている。

「教会の、人間……ッ!」

 その射貫く様な冷たい眼差しと硬い表情はこの透き通る声に似合っており、まるでその人物の性格を表しているかのようだった。愛嬌を感じさせる癖のある長髪もこの鋭い瞳のせいで台無しといえる。そして何より重要なのは十字架の首飾りに修道服をきている事だ。手にある得体の知れぬ白い杖は魔導具といったところだろうか。

 魔女がいる場所に狙っていたかの様に現れ、見知らぬ人間にこれほどの殺意を向けられても平然としていられるこの剛胆さ。彼女は十中八九、執行者だろう。だとすれば狙いは当然この魔女だろう。

 執行者とは、教会に属している謂わば魔女狩りに特化した戦闘員だ。

 魔女と渡り合える人間しか属していないため、基本その執行者の強さは折り紙付きだといえる。執行者の役目は魔女と悪魔の繋がりを切る事なのだが、現在ではそんな酔狂な事は誰もしないため、文字通り魔女を狩るのが通例となっている。故にこの執行者の狙いも通例通りこの魔女以外に有り得ないのだ。

「私はアイリーン・フォレット、執行者です。そしてサン=ブランさん——あなたは魔女だ。よって処刑します」

「え!?」

 執行者の言葉はサンを驚愕させる。何しろ本物の魔女が横にいるだけに何故サンが魔女狩りの対象になるのだろうか? そもそも何故、魔女審判をしないのか? 執行者は魔女と思しき人物を触診し〝魔女の刻印〟を確認してからでなければ通常、魔女狩りは行わない筈なのだ。

 そんな混乱しているサンを差し置いて魔女が何を思ったか腹を抱えて笑いだす。

「ハッ! こいつらは——いつもこうだ——いつも誤審し無実の人間を殺す」

「あなたも魔女だという話を聞いています。今回私の任された命はサン=ブランの処刑ですが、あなたもついでに処刑しましょうか」

「私は魔女じゃない!」

 そう叫んでふとサンの頭に過ぎったのは今日の新聞だ。クロエもこうして嵌められ追い詰められたのではなかろうか。こうも同時期に勇者が嵌められたとなるともはや只の偶然で済ませて良い話ではないだろう。ともかく女王を問い詰めなければならない。

「弁解は聞きません。二人とも薄汚い悪魔に魂を売った魔女です」

 アイリーンと押し問答をしている内に、いつの間にか暗い周囲に更に陰りが生まれ始める。先まで雲一つ無い満月しかなかった筈の空に黒い雲が漂っているのだ。そのせいで月が隠れつつある。これは疑うまでも無くこの魔女の仕業だろう。

「こいつらに何を言っても無駄。殺すしかないよ」

 殺意を剥き出しに、低く唸る様に話す魔女を前にしても依然としてアイリーンは微動だにしない。余裕があるのか、何か策があるのか。いずれにしろ無闇に突っ込むべきではないだろう。

 とはいえ、戦うしか無いという点においてのみ魔女の言う通りだ。もはやこの執行者に話し合いを持ちかけるのは虚しいだけで意味が無い。教会ではない何者かに仕組まれた戦いであるならそいつの思う壺なのだろうが抵抗しなければサン達が死ぬだけなのだ。

「殺すしかないのは魔女の方ではありませんか?」

「え、あ……」

 魔女が反論するでなく驚愕に顔を歪ませるのも無理は無い。アイリーンのいる方向から疾風が吹き荒みサンの総身を擽った途端、荒野に月光が差し込んだのだ。そして瞬く間に立ち込めていた暗雲は四散し元の綺麗な満月が顔を覗かせる。おそらく強引に風の魔法で雲を追いやったのだろう。並の魔力量では先ず出来ぬ事だ。

 その荒技にサンも戦慄せずにはいられなかった。

 いくら執行者とはいえこの魔女の天候操作を簡単に攻略できまいと高を括っていたのだ。アイリーンについてどうやらサンは見誤っていたらしい。少なくともこの魔女では敵うまい。となればサン一人でどうにか斃す算段を立てねばならないのだ。

「って、おい!」

 そんな考えなど知る由も無い魔女は、サンの呼びかけに応じる筈も無く必死の形相でアイリーン目掛けて走り出す。もはや魔法が通じないと判断しての事だろうが無謀すぎるとしか言いようが無い。そんな事も分からぬ程、頭に血が上っているのだろうか?

「殺して、やる——ぁッ」

 案の定、魔女はアイリーンの襟元を掴んだ刹那、びくりと体を痙攣させてその場に崩れ落ちる。不用意に近付けばそうなる事ぐらい予想して然るべきだろうに、この女は教会の人間に関しては自分を抑えきれないのだろう。

 おそらく魔女は魔法で返り討ちにあうだろうと予測していただけに、何に阻まれる事なく魔女がアイリーンに辿り着いた時には拍子抜けしたが結果は予想通りだったと言える。どうやらアイリーンの使う魔法は風だけではないらしい。おそらく魔女の倒れ方から察するに雷なのだろう。下手に接近戦に持ち込み、少しでも触れられればあの魔女の二の舞になるという事だ。

「早く楽にして差し上げないといけませんね。苦しませては申し訳ないですからね」

 俯せになっている魔女にアイリーンはそっと杖を近づける。失神している魔女に止めを刺す気なのだろう。サンも同時にアイリーンに手を向ける。ほんの数秒の出来事だが、サンにとっては阻止するのに充分な猶予があった。

「熾烈なる火炎の球を我が手に」

 アイリーンに尾を引きながら火球が迫るも彼女は避けるどころかそれに身動ぎ一つしなかった。否、避ける必要が無かったのだろう。火球は彼女に直撃した途端、燃え上がるどころかけたたましい音を立てながら蒸気を撒き散らし消えたのだ。当然、アイリーンは無傷で修道服に焦げ一つ無い。その事実に思わず舌打ちをしてしまう。

 唯一の救いは魔女に止めを刺さずこちらに注意を向けてくれた事か。

〝これで三重属性は確定か〟

 おそらく通じないだろうと踏んではいたが、幸いなことにサンの放った火球は図らずもアイリーンの能力の一部を暴き出す事に成功したのだ。サンは火球が直撃する寸前、アイリーンの眼前に薄い水の膜があったのを見逃さなかった。火球が膜にぶつかりお互いが蒸発して消えたのだ。

 風、雷、水。これだけもの魔法を十全に扱う者に対し、火と水の魔法しか持たぬサンが魔法を主とした勝負に勝てる道理が無い。となれば危険を承知の上で接近戦に持ち込むしかないだろう。

 もはや何の駆け引きも必要ない。相手に魔法を使わせる暇を与えず首を刎ねるだけだ。何の予備動作も無く、両手に剣を持ちアイリーンの元へ駆け寄り剣を振るう。

「くぅ」

 当然アイリーンは杖で防ぐも、たった一撃で苦悶の声を上げ足がふらふらで覚束ない。どうやらこの執行者は魔法に特化しすぎて接近戦はてんでできないらしい。二撃、三撃目でアイリーンはとうとう耐えきれなかったらしくその場に倒れ込む。

「貰った!——うぁ」

 その隙をサンが逃す筈も無く斬り伏せようと剣を構えた途端、世界が傾く。いや、傾いているのはサンの方だ。何の前触れもなく地面に亀裂が走りサンの片足がその谷間に挟まってしまったのだ。

「流石、サン=ブランさん。剣の腕は一流ですね」

 そう言うや否や、アイリーンはサンの顔面目掛けて杖を突き出す。不意に感じた熱気に顔を逸らすも頬に掠ってしまい鋭い痛みが走る。

 もはやこの勝負を続けるべきでは無いと考え、サンは魔女の体を抱えて後ろに飛び退き距離を空ける。

〝こいつ……まさか〟

「騎士団に所属している方が魔女を救うのですか?」

 アイリーンの揶揄も今のサンには届かない。サンは空いている片手でひりつく頬を触りながらこの執行者について思案する。

 結果から言うならばこの執行者は底が知れず、まともに戦うべき相手じゃ無い。

 先にサンの攻撃を邪魔した地面の亀裂、あれはどう考えても土の魔法による仕業だ。そしてもう一つは頬の傷について。直接見たわけじゃ無いがこの傷はおそらく火傷だろう。それはあの杖から感じた熱気で疑う余地も無い。つまりこの執行者は光と闇という例外をを除いた火、水、風、土、雷の全ての攻撃魔法、五重属性の魔法使いということになる。

 そんな数の魔法を扱う人物など少なくともサンは聞いたことが無い。それにまだ何を隠しているか知れたものではなく、ここは撤退した方が無難だろう。だが、この執行者がそう簡単に逃がしてくれるとも思えずその方法がサンにとって一番の難問といえた。

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