二章 堕落する騎士 6

「ありがとうエミリ。助かるよ」

「いえ、気になさらないで下さい」

 エミリに手を添えて貰った途端、何事も無かったかのようにローラの体は軽くなった。それどころか生傷が一つ残らず綺麗さっぱり無くなっている。これで再びエステルと戦えるというものだ。

「またか。お前は何回死ねば気が済むんだ?」

 先と違いエステルの表情からは狂気が消え去り、もはやうんざりしているのを隠そうともしない。そんな気怠そうな表情をしている。

「そう思うならオレをきっちり殺しきるんだな」

 文句を揶揄で返し、得意の接近戦に持ち込むべくローラはエステルとの距離をぐっと狭める。続けざまに渾身の力を込めた右で腹を殴ろうとするも、籠手は腹を抉ることは無く代わりにエステルの手の中に収まってしまう。

「がぁ!」

 突如ローラの全身が引きつると共に激痛が走りたまらずその場に膝を着いてしまう。掴まれた籠手から電流を流されたのだ。

「学習しない猿が」

 ごみでも捨てるかのように籠手を離し、エステルは斧に手を掛け何の躊躇いも無く振り下ろすがまたしても止めには至らない。響いたのは骨や肉の砕ける音ではなく甲高い金属音だった。脳天目掛けて振り下ろした斧はローラの籠手によって防がれたのだ。

 防いだ斧を振り払い、その時生じた僅かな隙をローラは見逃す筈もなく、痺れて動かぬ体を強化で無理矢理飛び跳ねさせエミリの元に戻る。

「クソッ」

 エステルの表情が歪むのも当然だろう。何せローラを追い詰めても追い詰めても決着が付かず全快して再び眼前に立ち塞がる。もうそれを何度も繰り返しているのだから。

「ありがとう。流石、魔法が本職なだけあるな」

「私にはこの程度しかできませんので」

 エミリに手を添えて貰った後、当然のように完治しローラは立ち上がる。

 もう何回治癒して貰ったか分からない。ローラはエステルと戦い傷つく度に治癒して貰っているのだ。ローラはエミリの回復という保証があるからこそ捨て身で戦い、エステルと刺し違える気でいたがどうも上手く行かない。これはエステルの体力が先に尽きるかエミリの魔力が先に尽きるかの持久戦といえるだろう。

 出方を窺っているしているローラを余所に、いきなりエステルは微笑んだ。いや、目を剥き歯を剥き出しているあの表情をとても微笑むなどと称すのは無理がある。

「戦う場所を変えよう。せっかく家が燃えてるんだからそれを利用しない手はないだろう?」

 夢遊病者のごとくエステルはふらふらと直ぐ隣の家のドアを蹴破り侵入した。無論その家も燃えており崩れ落ちるのも時間の問題だろう。そんな危険な場所で戦闘をするなど愚かしいにも程がある。故に直ぐさまローラは追いかけられなかった。

「どうする?」

「行くしか無いでしょうね。あのままだとあの人が逃げてしまいます」

「……そうだな。行くしか無いよな」

 エミリの返事にローラは微笑みを返す。彼女らしからぬ意外にも勇ましい返答が嬉しかったのだ。

 エステルを追い家内に入るが、中は想像以上に酷かった。

 あまりの光景にローラは言葉を失った。見渡す限りに炎しかなく、もはやここは家内ではなく炎の中だ。所々柱や屋根も焼けて崩れ落ち行く手を遮っている場所もあり、ほとほと戦闘に不向きな場所といえる。

 更には周囲の火や温度は勿論、飛び散る火の粉に身を焼かれるのだ。噎せ返る程煙も充満しており長時間ここにいれば命は無いだろう。いや、そんな悠長な話では無くもう一〇分も経たない内にここは焼け落るだろう。そうなれば皆瓦礫の下敷きになる。それはエミリもエステルも同じ事だ。

 だからこそここを選んだのだろう。長期戦では不利と判断し短期戦で一気に片を付ける腹でいるに違いない。エステルは部屋の隅で、先と違って余裕があるのか不敵に微笑んでいた。

「早く始めようぜローラ。こんな所にいちゃ体に悪いからな」

 事情は分かってはいてもローラは手を出さない。いや出せないのだ。その事実に悔しさで唇を噛み締める。

 先から相性の悪さは嫌という程思い知らされている。いくら時間に限りがあるとはいえ考えも無しに突っ込もうものなら先の二の舞になるのは目に見えている。ならエステルの攻撃を受けぬように慎重に戦うという手もあるがそんなことをすればおそらく決着が付く前にこの家は崩れるだろう。一体どうすれば——

 優しく肩を叩かれる感触にローラはふと後ろを振り返る。

「私に考えがあります。ほんの少しで構いませんのであの人の動きを止めてくれませんか?」

「え、ああ。分かった」

 思いもよらぬエミリの発言に思わず言葉に詰まってしまう。

 策が一向に思いつかなかっただけにエミリに考えがあるというのは有り難かった。恐らくエステルはローラが何の考えも無しに突っ込んでくると思い込んでいるのだろう。その策で意表を突けばもしかしたら勝てるかもしれない。

 真意を悟られぬようローラは前へ進む。エステルの顔に余裕の笑みが浮かんでいるのは勝てると確信しての事だろうか? もしそうだとしたら好都合だ。それをおくびにも出さずローラはエステルの目の前で足を止める。

「やっとその気になったか。心配するな直ぐ楽にしてやる」

 斧を振り上げるエステルに対し、ローラは一切防御の構えを取らない。そのまま何もしなければ脳天を割られるだけというのは理解しているが、かといって攻撃をする気もさらさら無い。代わりにローラの右手が向かった方向は壁だった。あろうことか焼けて脆くなった壁に手を突っ込み、掴んだ上で強引に壁を引き剥がしたのだ。直ぐさま身を翻したエステルとローラは崩れてきた壁や屋根に巻き込まれずに済んだが、二人の目の前にはごうごうと燃え盛る木材の山がある。

「ローラッ! お前ぇ!」

 エステルの反応は当然だろう。後ろに退路のあるローラは目の前が塞がれようが何ともないが部屋の隅にいたエステルは別だ。前後に退路は無く、身動きを取ろうと思うならまず眼前の瓦礫をどうにかしなければならない。時間が限られているというにも拘わらずだ。

 ローラの策は上手く行った。余程のことが無い限りこれで充分な時間稼ぎが出来るはずだ。一先ず安心し、策を聞きにエミリの元へ戻る。

「いいですか? このまま戦えばあなたの勝算は薄いです。今から話す事はその薄い勝算をほんの少し厚くするというものでしかありません。それでもやりますか?」

「今更やらないなんて言うわけ無いだろ。オレは策なんて一つも思いつかないんだし」

 ローラとエミリの会話を遮るように後ろで鈍い音共に木片が軋みを上げる。もう数分と立たずにエステルは出てきてしまうだろう。そんなこと始めから分かってはいたがローラの表情に焦りが見える。もはや一刻の猶予も無いのだ。

 その音にエミリも急かされたのか早々と話す。

「占います。以前に母から聞いていると思いますが私達一族は占いを得意としています。ローラさんに見えない動きも私なら見えるかもしれません」

「占い? いや、でも……いや、やろう。具体的になにをするんだ?」

 躊躇いこそしたが他ならぬエミリの占いだ。そこらにいる騙りとは違う正真正銘、魔法使いの占いなのだから信じてみる価値はあるというのがローラの判断だった。

 それこそ先から体験している治癒もそうとう水準が高いのだから、それよりも得意という占いに頼るのも充分有りな選択だろう。

「今からあの人の取る行動を占います。ローラさんは後で私の言う通りに動いてくれれば大丈夫です。

 占うには時間が掛かりますのでおそらくこれで倒しきれなかったら何の策も無しに戦うしかなくなるでしょうね」

「ああ。その時は覚悟した方が良い。オレもエミリも」

 頷くと共にエミリが腰から取り出したのは一点の曇りも無い綺麗に透き通った水晶玉だった。占いに使うのだろうというのは以前から理解していたつもりだが、いざ目の前にしてみるとその原理がよく分からない。

 エミリはただ水晶玉を両手に抱えその中を見つめているだけなのだが、ローラの知る占いとは何かが決定的に違った。禍々しさというべきか呪的な何かをこの水晶からは感じられる。それを操っているエミリの周囲の温度が急激に下がっているのではないかという感覚に囚われすらもした。

 何度鳴り響いた事だろう。ばきりという木を叩き割る騒音を何度も耳にし、状況を確認しようと瓦礫の方に目をやると木材を貫通した斧が見えてしまっているのだ。もはやエステルが出てくるのも目前という所だ。

「エミリ! もう出てくるぞ!?」

「終わりました! 良いですか、これからあの人が襲ってきたら右に避けて下さい。次は屈んで、そして直ぐに左に躱して下さい。そこで反撃をお願いします」

 見えた結果を話すエミリは必死で、健気に思えた。間違っても先のような禍々しさは感じられず水晶もまた同じでどこか安堵してしまうローラがいる。戦闘中にそんな些事に気を止めるなど有ってはならない事だが、それを戒める心はローラの内に無かった。

「分かった。ありがとな」

「最後にこんな事言うのもなんですが、所詮占いは占いですのではずれる時ははずれます。ごめんなさい。最後の最後でこんな事言ってしまって」 

 いつ出てきても対応できるようにエミリに背を向け瓦礫の方を向いて構えるローラだが、その時のエミリの顔が沈んでいるというのは想像に難くない。故に言葉を返さずにはいられなかった。

「大丈夫。仮にそんな事になってもエミリだけは絶対に守るから安心して」

「そんな——」

 エミリの言葉を最後までローラは聞くことはできなかった。

 木材の断末魔の叫びに続くように砕け散った木片の中から疾駆してくる斧を持った死神の姿を見たと途端、ローラもまた死神目掛けて突っ走ったからだ。エステルの次に取る行動などローラには分からないが、しかしエミリの忠告通り右に体を翻す。

 途端、銀の煌めきが縦に一閃するのをローラは見逃さなかった。あのまま体を動かさねば左腕がごっそり切断されていたかもしれない。

「クソッ!」

 エステルの声に反応する事無く、間髪入れず屈んだローラの頭上を風を切る音共に斧が通り過ぎる。大振りをしたエステルの間隙を衝いて左に身を転がす。ふと右を見遣ると床に斧が突き刺さっていた。

 エミリの占いは悉く正解しており、終ぞエステルの斧はローラを一度も捕らえる事ができなかった。しかしローラは別の忠告も忘れはしない。『最後にこんな事言うのもなんですが、所詮占いは占いですのではずれる時ははずれます。ごめんなさい。最後の最後でこんな事言ってしまって』故にエミリが予見しきれなかったエステルの攻撃にも難無くローラは対応する事ができたのだ。

 右下から迫り来る斧を籠手で防ぎ、直ぐさま左でエステルの顔面を殴打する。流石に何の守りもない顔に強化された拳を叩き込まれてはエステルとて耐えきれなかったのか、その場に声を上げることなく仰臥する。おそらく気絶したのだろう。

 最後のは危なかった。斧が来ることはローラも予想し防げこそしたが、あとほんの少しでも反撃が遅れたら感電させられそこに寝転がっているのはローラの方だったかもしれないのだ。

「ここから早く出よう。いつ崩れてもおかしくない」

「その人は、良いんですか?」

 エミリは気遣ってくれているのかもしれない。こんな人間でもローラの恩人は恩人なのだ。何の取り柄もないローラを雇い入れ仕事を与えてくれた。だからといって今回のような事を繰り返す人間を助けて良いという事にはならないのだ。

 だから助ける気は毛頭無いし、わざわざ起こして苦しい思いをさせる事もないだろう。エステルを一瞥し今までの感謝の念を込めて黙礼する。

「もう大丈夫。行こう」

「はい」

 もうローラはそれ以上エステルについて思い煩う事も無く、焼け落ちゆく家を後にしエミリと共にクロエのいるであろう広場に向かった。




 広場の外にいる民衆からの罵声を一身に浴び、クロエは何をするでもなく溶けかかった氷の上でぜいぜいと肩を揺らしながら立ち尽くしていた。

 内容は盗賊だの人殺しだのと謂われのないものばかりだ。

 現に彼女の足下に転がっているジゼルとグレースも気を失っているだけなのだが、確かめもしないでそう決めつけてかかるのは彼等にとってもうクロエとは平気でそういう事をする人物になってしまっているからだろう。もはやクロエを嵌めた張本人を捕まえる事でしか誤解は解けぬだろうし、今ここで違うと声を張るだけの体力も残ってはいないのだ。

「ちが、う」

 疲弊しきっているクロエの口から出る言葉は小さく掠れたものしか出てこず、当然民衆からの罵詈雑言が止むことはない。その事実にクロエは先に増して悔しさと情けなさに苛まれる。

 問題はクロエに濡れ衣が着せられる事ではないのだ。勿論、それが悔しくないと言えば嘘になるのだが重要なのはそこではない。

 クロエは盗賊の仲間という虚偽の情報が国中に出回り、延いては騎士団の評判を落とす事にもなるし調査もしにくくなる。結果としてそれらは女王に迷惑をかける事になるのは必定だ。

 常に女王の為にと動いてきたクロエだが、今やその女王に迷惑をかけるかもしれぬ癌へと身を落としている自分に腹が立ち、情けなくまた悔しく思うのだ。そんなクロエの心中なぞ誰も斟酌してくれる事は無く、皆はひたすら罵倒し続ける。

 いっそ気絶してしまえたら思い悩む事も無く楽になるのだろうが、それはできない。クロエが必死に意識を繋ぎ止めているのは僅かでも気を失おうものなら殺されてしまいかねないからだ。今の民衆なら迷わずクロエを殺しにきてもおかしくない。

「クロエ!」

 背後から罵る声に混じって聞こえたローラの声に、のそりと振り返る。エミリとローラがこちらに向かってきている。エステルに殺されず健在している二人が今のクロエにとって唯一の朗報だった。

「クロエさん。大丈夫ですか?」

「ああ」


 そうは返事をするクロエだがエミリの目にも疲労困憊なのは見るからに明らかだった。故に治癒してあげたいのは山々なのだが、先の一戦でもう治癒できる程の魔力は残っていないのだ。今はクロエの体を支えてあげることしかできない。クロエの体を支え、周囲の言葉に耳を貸さずできるだけ目を遣らない様にした。でないと内に燻る感情を全て民衆に吐露してしまいかねないからだ。

 

 その異様な光景にローラは言葉が出なかった。火を消しに行ったのは最初の数人のみでここにいる人間は誰も火を消しに行こうともしない。確かに無駄なのかもしれないがクロエを罵る暇があればこそ一縷の望みに賭け、皆で火を消しに行っている方がまだ賢明なのではないのだろうか? そうまでしてクロエを貶めたいのだろうか? 以前にも似た感情を抱いた事があったがようやくその正体が掴めた。それは他ならぬ〝憎しみ〟だ。彼等が被害者なのは重々承知してはいるがそれでも憎しみを抱かずにはいられなかった。


「ローラ、エミ、リ……行こ、う。こん、な状態——では、とても、火を、消すどころじゃ、ない」

「分かった」

 何かローラの釈然としない表情が気になるクロエだがそれを問いかけるだけの気力はもはやない。

「分かりました」

 エミリとローラに支えられながらクロエはゆっくりと歩き出す。民衆の罵声が耳に付き離れる事がなかった。火を消す事ができなかったが何も考え無しという訳では無い。全てが終わり女王に進言さえすれば元通りになる筈なのだ。彼等も女王に宿の要求をし仮住まいに住むことになるだろう。そこに役目を終え、疑いを晴らした後にクロエが更に頼み込めば彼等の家は元通りになる筈だ。

 今考えねばならぬ事はエステルが保有していた羊皮紙だ。そして以前ローラから聞いた偽の紋章。作った人物はその技巧からして同じと考えるべきなのか。どちらにしろ必ず見つけ出して断罪しなければならない。

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