二章 堕落する騎士 4

 衣服が煤で汚れる事も火傷を負う事も度外視し、火の海の中を突っ走った。結果案外早くローラとエステルを発見できたエミリだが思わず言葉を失ってしまう。何しろあの強靭なローラが蹲りながら痙攣しているのだ。

 思えばローラとエステルの相性は最悪かもしれない。斧と素手の戦力差についてはローラには強化があるし、右腕の鎧もある。しかしエステルには雷属性の魔法があるのだ。クロエとローラから聞いた通り、エステルの手と斧には雷が纏わり付いている。接近戦しかできないローラには最悪の相手だろう。

 ローラもその事は事前に知っていたというのに一対一の戦いを挑んでしまった。感情が抑えきれなかったのだろうが愚行と言わざるを得ない。

「お前も来たのか。丁度良い、まとめて殺してやる」

 エステルの動きに注意しながらエミリは駆け足でローラに近付き、傷ついた身体に手を添えてやる。そんなに傷自体は重傷ではないらしく瞬く間に傷口は塞がり、麻痺していた身体も元に戻りゆらりとローラは立ち上がった。

 どうやらローラのエステルに対する怒りは大きいらしく、普段見せている大らかな顔など微塵も見せずただただ険しく怒りに満ちあふれている。

「まだ向かってくるか? まあいい。今日の私は気分がいいからな」

「村一つ焼き払ってか?」

 その返答にエステルは鼻先で笑い、それに挑発されたローラの顔が苦々しく歪む。エステルにとって村を焼くことなどなんともないらしい。

「こんな村なんてどうでもいい。重要なのはクロエだ。まさか本当にクロエを盗賊の仲間に仕立て上げる事ができるとは思ってなかったんだが、案外なんとかなるもんなんだな。おかげで胸がすいたぜ」

 胸がすく。その言葉がエミリの頭にも響き渡り、頭が真っ白になる。

 あれだけ人柄の良い人を貶めて胸がすくなどと嘯く人間が存在して良いのだろうか? ローラの一人で突っ込んだ気持ちも今なら理解できる。生まれて初めて抱くこの胸の中がざわつく感情をエミリはなんて呼べば良いのか分からなかった。

「二人ともそう怖い顔するな。これはある勇者サマの頼みでもあるんだ」

「勇者って……あの盗賊か?」

 盗賊の首領が所持していた紋章。クロエは偽造と決めつけそれをローラもエミリも疑りはしなかったがもし盗品、つまり本物だとしたならば——

 邪推は良くない。頭に過ぎった嫌な予感を忘れようと必死に務めたが、当然忘れることなどできずエミリは心中をかき乱され苛立ちが募るばかりだった。

「盗賊だと? ハハッ——口が過ぎるんじゃないのか? 紋章を所有する者が勇者という取り決めを女王陛下が作った以上、アイツも紛れもない勇者サマ。違うか?」

「ふざけるな!」

 エステルの薄ら笑いはローラが激昂した所で消える事はなかった。むしろその姿が滑稽とばかりに嘲笑する。

「私の仕事はまだ終わりじゃない。勇者サマの依頼は自分を除く全ての勇者の抹殺……つまりあと一人の勇者にも死んでもらわなくちゃならない」

「サン=ブラン・ノワール」

「話しすぎたな。おしゃべりはここまでにしよう」

 サン=ブラン——もう一人の勇者といえばもうこの人物しかいない。

 ぽつりとエミリの口から漏れだした言葉にエステルは笑みを消し、斧をローラに突き付けた。自分がしゃべり過ぎたという事を自覚しての事だろう。

「ローラさん、私が補助しますので前衛をお願いできますか?」

「ああ。まかせとけ」

 その時見たローラの微笑みにエミリは正直安心した。何しろ怒り狂ったローラの形相は普段見る顔とは違いすぎて味方と分かっていても僅かながら恐怖してしまうからだ。

「木っ端共が。クロエのいないお前等なんぞ相手にならねぇんだよ!」

 全身に雷を纏い、怒号と共にエステルは血に飢えた獣もかくやという勢いで疾走する。

 ここに終戦間近かと思われていたローラとエステルの因縁の対決がエミリを交えて、再び開戦された。




 思索を繰り返した結果、女王たるクリスティアはようやく自分の側に裏切り者がいるのではないかと勘付いた。

 クロエとサンに渡すつもりだった〝物〟が見つからないのはまだ分かる。この城があまりにも広いというのは自覚しているし、召使いのみならず兵士を動員してもなお見つからないというのは仕方の無い事だろう。見つからないままでは困るが時間がかかることはやむなしと考えるしか無い。

 教会に魔女狩りに本腰を入れろと命令した筈だというにも関わらず、クロエやサンに教会の人間が接触したという話をまったく聞かない。これがクリスティアに裏切り者がいるのではないかと勘付かせた一番の理由だ。

 女王からの厳命であるというのにまったく教会が動かないというのはまず考えられず、教会側にもそんな事をする理由など無いだろう。だとすればそもそも伝わっていないと考えるのが一番筋が通っている。

 付き合いの長さ故かクリスティアはそこまで考えが纏まっていながらも、謀反者が今も横にいるテレーズだとは露程も考えなかった。彼女の側に長年付き添ってくれていただけに信頼も厚いのだろう。しかしそれも時間の問題かもしれない。何故なら痺れをきらした女王がもう自ら動き出したのだから。

 謁見の間で腰を掛けている女王の元へいそいそと兵士が駆け寄り跪く。話を聞くまでも無くそれの意味するところを女王は察し一先ず安心した。どうやらその裏切り者も流石に急な女王の行動には対応しきれなかったらしい。

「陛下。ドナ殿がお越しになりました」 

「通して下さい」

 考えることも無く即座に返事をする。今訪れた人物こそ女王が待ちに待った人物なのだ。一体何を考える必要があろうか。

「——畏まりました。ではお通しします」

 一礼をし、謁見の間を後にした兵士を見て思わず落胆してしまう。

 まるで礼節がなっていないのだ。無礼とまでは言わないが不格好であることは間違いない。テレーズと比べれば雲泥の差で、見るに堪えないといっても過言では無い。本当に女王を敬う気持ちがあるのか疑わしい。

 普段の女王なら叱責をしてもおかしくないのだが、今から訪れるであろう人物の事を考えるとそんな瑣末事はどうでもよくなる。それ程までにドナは女王にとって重要な人物なのだ。

 そんな思考をしていると、まもなくもしない内に謁見の間の扉は恭しく叩かれた。早く対面したい今ではまどろっこしくて仕方なかったが自ら決めた規則だから仕方ない。逸る気持ちを抑えてテレーズに連れてくる様に指示をする。

 テレーズが女王の前まで連れてきたそこそこ歳の過ぎた男性こそ女王の心待ちにしていた人物であった。

「陛下。ドナ殿でございます」

「女王陛下のお呼びにかかり、参上しました」

 紹介の一連の流れが済むや否や、テレーズは女王の横に再び立ち尽くす。微動だにしない様はさながら彫像を連想させる。

 一方、テレーズの連れてきた男性は跪いたままだ。女王の返事をまっているのだろう。

 年相応に頭は薄く皺が顔にちらほら見受けらるが、双眸はいやに鋭く野心に満ち溢れているかのような一種の若さを感じさせる。肉塊を取って付けた様なでっぷりとした体付きと脂ぎった肌を見るにそこそこ贅沢な暮らしをしているという事だろう。黒い洋服に身を包み、魔を払う者——聖職者の証として首から十字架をぶら下げている。

 この容姿で〝何も無い〟人物であったなら女王は嫌悪し、城に上げるなどという暴挙は絶対にしなかったが皮肉なことにこの男は〝教皇〟なのだ。教会の頂点に君臨するこの男に事情を訊かねば始まらない。そう判断して城に招き入れたのだ。

「ドナ・バロー、あなたに訊きたいことがあります。わたくしの配下の者から魔女狩りに力を入れろという言伝が届いた筈です。にも拘わらずいくら時間が経てど一向にそうする気配が見られません。これはどういうことですか?」

 教会が怠慢で動かなかった。何てことは有り得ないと分かってはいても、自然と声に怒気が含まれるのは女王がそれ程までにこの問題を重要視していることの表れだ。だというのに教皇は事情が察せないのか呆けた表情を浮かべるばかりだった。

「恐れながら女王陛下。私はこのお城の使者に魔女狩りをするなと仰せつかったものですからそのようにしたまでのこと。魔女狩りに力を入れろなどと、私はただの一言も聞いておりません」

「……それはどういう意味です?」

 予想してたとはいえ少し言葉に詰まってしまった。この教皇に話が伝わるまでの間に何かしらの妨害があったのだと考えていたのだが、まさかこんな露骨で大胆に阻害されているなど誰が予想できようか。

「女王陛下の使者様が我が教会にお越しになられたので私が直接お話を拝聴いたしました。そして内容は先程申し上げた通りでございます」

「その使者というのはそこの側近ですか?」

 その当のテレーズは反駁するでもなく肯定する訳でもなかった。動揺どころか何の反応も示すこともなく、ただひたすら静寂に石像の如く立ち尽くしていた。

 ドナの言うことを信じるならば謀反者はテレーズしか有り得ない。女王はテレーズに頼んだのだから必然的に女王を謀ったのはテレーズという事になる。だからこそテレーズは焦って然るべきなのだがそんな様子は微塵もない。もう逃げられないと踏み腹を括ったのだろうか。

「いいえ、違います。名前は存じ上げませんが姿格好から騎士様かと思うのですが」

「申し訳ありません。陛下の探し物で手一杯でしたので、手が空いていた騎士の一人を代わりに向かわせました。まさかそのような虚言を吐くなど思いもせず……本当にどのようにお詫びをすれば良いのやら」

 先までとは別人かと思う程、真摯に跪き謝罪するテレーズに再び女王は真の謀反者が誰なのか分からなくなってしまった。順当に考えればそのテレーズの代わりに教会に行った騎士が疑わしいのだが動機が分からない。

 確かに女王であるが故にクリスティアはそれこそ様々な所から恨みを買っているのだが、この謀反でクロエやサンに被害が被るという事は一切考えなかったのだろうか。

 考えるまでも無くクロエは周りの騎士から厚い信頼を得ている。もっというなら先まで容疑者であったテレーズからも厚い信頼を得ている。故にクロエに及ぶ被害に目を瞑って女王に仇を為すなど考えにくい。

 これはもう一度最初から考え直さねばならない。

 女王はそう決意をするも無意識に片手で頭を抱え、溜息を吐かずにはいられなかった。

「立って下さいテレーズ。事情は把握しました。元はと言えばわたくしがクロエ達に渡す物を紛失したせいでもあります。

 それとドナ、今ここでわたくしが直にあなたに厳命します―魔女狩りをして下さい。それも徹底的にお願いします」

「は、畏まりました」

 返事と共に教皇は不敵な笑みを浮かべる。

 これで女王の心配は一つ減ったといえる。謀反者については追々調べていけば良い。ともかく今はすべき事をしたのだから何も余計な事で憂う必要はないのだ。

「以上です。では下がって下さい」

「はい。では失礼します」

 ドナが謁見の間を退出した後に女王が直ぐさま思い立ったのは事情聴取だ。追々調べていけば良いにしてもやはり来るべき時のために事前にある程度情報は把握しておくべきだし、しておかねば気が済まないのだ。

 ころころ変わる己の思考に混乱しながらも、できるだけ冷静を装いながらテレーズに話しかける。

「テレーズ、先程言っていたあなたの代わりに教会に行った人物。誰ですか?」

「忘れてしまいました。申し訳ありません。それと陛下、今探し物をしている者の様子を少し見て回りたいのですが少し空けてよろしいでしょうか?」

 この城に謀反者がいるかもしれないこの状況で女王の側を離れる程それは重要な事なのかと口を衝いて出そうになるが寸でのところで抑える。探し出して貰わねば困るし何よりテレーズが監督することは女王自ら頼んだことだ。だというのにそれを女王が妨害するのはおかしな話だ。

「——ええ、構いません。皆にあまり無理をしないよう伝えて下さい」

「お心遣い感謝します。では失礼します」

 テレーズが部屋を出た後、女王は自室に戻るでなく一人思案していた。

 テレーズが忘れたということ。あれは嘘だ。彼女はそんな無能ではないし、優秀であるのは常に側にいた女王が一番良く分かっている。だとすれば何かを隠していることになるのだが一体何を隠しているのか。

 その騎士を庇っているのか、子細な事までは良く分からないがその糸口を頼りに調査していけば自ずと謀反者の影も見えてくるだろう。

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