二章 堕落する騎士 3

「皆に集まって貰ったのは他でも無い。女王陛下の使者の方から皆にお話があるそうだ」

 早朝にも拘わらず領主によってこの村の人間は一人残らず広場に集合させられ、待機していた。クロエ等もその例に漏れず待機していたのだがその使者の姿を見てから不安を抱かずにはいられなかった。

「今から私の読み上げることは全て女王陛下の言葉であり、この文も女王陛下手ずからしたためたものである。そう心して拝聴してほしい」

 壇上に立っている人物は腰に戦斧を携えており、頬に大きな古傷がある人物。エステル・セリーヌに他ならない。

彼女は傭兵である以上女王に雇われた可能性もあるのだが、以前の事があるためクロエ等は不安を拭い去る事ができなかった。

「予てより進めていた調査によりとても残念な事実が分かった。その調査とは騎士団の幹部の中に盗賊と内通している者がいるという疑いがあったため、その疑惑を拭い去るために行ったものだ。しかし調査を進めれば進める程ある一人の人物が浮かび上がり、我々はその人物を謀反者と判断しやむなく処刑に処することとした」

 周囲の反応とは対照的にエステルの口調は事務的といえた。

 村の人間が動揺するのも無理からぬ話だ。クロエが騎士団は潔白な者しかいないと広めてきただけにエステルの言葉はクロエを真っ向から否定するものだ。通常ならばエステルが批難されるのだろうが、女王の使者というだけに皆は信じざるを得ないのだろう。

 もし素直にエステルの言葉を信じるならば疑わしいのは団長だ。クロエは勿論サンもそんな事はしないだろうし消去法でいくならば団長しか有り得ない。

 しかしクロエはまだエステルの言葉を信じたわけでは無い。寧ろ疑うのならばエステルが本当に女王に雇われたか否かという所だろう。何しろ女王がこんな卑劣な奴を雇うということ自体がクロエにはまだ信じ切れないのだ。

「その人物はクロエ。他の誰でも無い副団長のクロエ=アンジュ・クノーだ。クロエのこれまでに成し遂げてきた偉業は全て盗賊と結託し捏造してきたものであるという事実が調査により明らかになった。よってクロエを——」

「そんなのいきなり言われて信用出来るわけないだろ!」

 ローラの一喝で周囲の動揺は収まり皆の鋭い視線は全てエステルの方に向けられた。しかしそれでも彼女は動揺する素振りさえ見せず、村人に見せつける様に先まで読み上げていた文を掲げる。

「これは女王の言葉だって言っただろう。この紙だって王宮にしかない高価な物なんだぞ」

 皆はその煌びやかな羊皮紙を前にしても頑としてエステルを信じようとせず、ひたすら抗議をしている——ただ一人を除いて。

「あれは……いや、でも」

 クロエが動揺しているのは偏にあの羊皮紙が原因だ。

 仮にあれがただの紙であり、エステルに濡れ衣を着せられたというだけであったならクロエは汗一つかくことはなかっただろう。ただ冷静にエステルを処刑し女王に事情を説明するのみだ。

 しかしエステルの言う通りあれは紛れもなく王宮にしか存在しない羊皮紙なのだ。その事実にクロエしか気づけず、クロエが一人で狼狽しているのはこの場では彼女しかその羊皮紙を目にした事がないからだ。

「そら、見てみな」

 羊皮紙を丸めて投げ寄越した時のエステルの勝ち誇った顔にクロエは憤りを感じながらもそれを受け取り広げた。

「筆跡も陛下のもの……陛下は本当に私を」

 クロエにとって最後の希望も絶たれた。よもや本当に女王が書いたものであると彼女は信じていなかったのだ。エステルが盗賊と結託し、羊皮紙を盗みクロエを貶めようとしているのだと思い込んでいた。しかしこれを女王手ずから書いたとなると先ずその考えは有り得ない。女王は本当にクロエを処刑しようとしている事になる。

 クロエが狼狽し、何の反論もしないことで周囲の村人の間に不穏な空気が流れ出している。その光景をエステルは何をするでもなくこれ見よがしに眺めていた。そんな無駄に時間を浪費するという行為がどれだけ自分達の首を絞めることになるかなど村人やクロエには知る由も無い。

「おい! 家が燃えてるぞ!」

 そんな村人の一声で場の空気は一変した。

 いつのまにかこの広場にも鼻に付く臭いとともに煙が漂い始め、景色を徐々に紅く染め始める。少なくともこの広場から見渡せる全ての家は燃えており、今から消しに行こうとも間に合わないだろう。

 しかし広場にいる何人かは希望を捨てきれず火を消しに向かった。が、そんな勇気ある者の行動に釣られず、領主を含む大半の人間は諦め呆然と火の海を眺めている。それほどまでに家の殆どは全焼し手の施しようがないのだ。

「貴様!」

 クロエの怒号と共に羊皮紙が拉げる。

 事ここに至りようやくクロエは状況を理解した。羊皮紙に踊らされはしたもののどうやらエステルはまだ盗賊に雇われたままというのは間違いない。そこで盗賊にクロエを貶めろと命令されこんな暴挙に出たのだろう。羊皮紙と筆跡はおそらくは偽装したものに違いない。あそこまで真に迫っているのだからよほどの技師がいるのだろうが今はそれどころではないのだ。

 クロエ等も火を消しに向かおうとしたが、ここを離れさせまいと村人がじわりじわりとクロエ等を囲いつつあった。

「どうだ! これで分かっただろ! クロエが盗賊と組んでることが!」

 先とは別人の様に喚き散らすエステルを誰も咎めはしなかった。それどころか羊皮紙の一件もあり村人の疑惑の矛先がクロエ等に向きつつある。これは偽物と胸を張って言えるのはクロエ達のみでありそれも確たる証拠が無い以上、話したところで誰もこの状況では信じはしないだろう。

「クロエ、どうするんだよ」

「……クロエさん」

「大丈夫。きっと疑惑は晴れる……皆分かってくれる筈だ」

 ローラとエミリの心配を完全に払拭できないのがクロエには苦痛で仕方なかった。今まで守ってきた村人に疑われ、盗賊の仲間という汚名を着せられるかもしれないという状況に悔しくてどうにかなりそうだったが、救いもあった。

 仲間がそして女王は疑っていないというその事実のみが今のクロエの支えとなっている。

「カルドの一件もそうじゃないのか? 盗賊に襲わせ退治をしたフリ。良くできた話じゃないか!」

「それはあなた方が——」

「私はクロエの処刑も女王に任されてる。お前等はどっちに付くんだ?」

 エミリの悲痛な叫びもエステルの言葉に飲み込まれ、誰の耳にも届くことは無かった——否、届いていたところで誰も聞き入れはしなかっただろう。エステルがクロエに戦斧を差し向けるのと同時に村人の殺意の眼差しは全てクロエ等に注がれたのだから。

「違う! 私は——ッぐ」

 クロエの抗議を遮ったのは不意に体に付着した水滴と肌が切り裂かれる様な凍て付いた風だった。気付けば腕ごと体は輪で束ねられており、そこから棒が伸びていてそれを一人の活発そうな少女が掴んでいる。

 驚くべきはそれが全て氷でできているという点であろうか。

 それに続くように上から感じた殺気に体を捩ろうとしたところで、けたたましい金属音と共にエステルがクロエの背後に着地しローラとエミリが横に付き添う。クロエの頭上に迫った斧をローラが弾いてくれたのだろう。

「あくまで私の邪魔をするか。ローラ」

「エステルさん、今日であなたの傭兵部隊は終わりです。オレが今日ここで潰します」

 エステルに対してのローラの怒りが限界を超えたのだろう。クロエから見ても二人の相性が良くないのは一目瞭然であったし、何よりローラのその低い声と鋭利な眼光を見れば怒っているであろう事は誰でも分かる。

「ほぅ……ならお前から先に殺してやる。付いてこい」

 駆け出したエステルをすかさずローラは追いかける。その方向が燃え盛っている火の中と分かってはいても行かずにはいられないのだろう。

「クロエさん」

「エミリもローラの援護に向かってほしい。私は一人で大丈夫だから」

「……分かりました」

 身動きできない状態で大丈夫と言われた所で説得力など有りはしないだろう。だがエミリもローラの事が心配なのか、クロエに迷惑をかけたくないからなのか素直に向かってくれたのは有り難かった。これで落ち着いて眼前にいる二人の少女、ブーケ姉妹と領主等に説得ができるというものだ。

「聞いて欲しい! 私は盗賊なんかと繋がってはいない! 今こうして私達が争う事は奴等を喜ばすだけで何の意味もない!」

 クロエの訴えに村人の誰も答えることはしない。無論氷が溶けるなんて事も無く、返事をしたのは二人の魔法使いだった。

「クロエ=アンジュ。もうあんたが盗賊の片棒を担いでいるのはさっきの手紙と証言、この放火で決まったようなもんじゃないか! 見苦しい!」

「クノーさん。私も未だに信じ切れずにいますが、こんな状況を目の当たりにすれば信じない訳にはいきません」

 荒っぽい口調に身軽そうな短髪、尖った性格を表しているかのようでかといって冷たさを感じさせない吊り目が特徴の人物が妹のグレース・ブーケ。

 丁寧な口調で、まるで虫を殺せないかのようなあどけない顔つきをしているほうが姉のジゼル・ブーケ。

 この領の見回りをしているときに二人とは何度か会話したクロエではあったがまさかこうして牙を剥かれることになるなど夢にも思わなかった。話に聞いた通り彼女等は魔法で氷を操るらしい。クロエを拘束している物が何よりの証拠だ。

「私を拘束する前に——火を消すのが先じゃ無いのか」

 彼女等が使う魔法は曲がり形にも火を消せるというのにも関わらず二人揃ってクロエを拘束するなどという愚行を犯している事に少なからずクロエは怒りを覚えた。

 そんなクロエの気持ちなど彼女等は斟酌する筈も無く、遠くで揺らいでいる業火をただ遠目に眺めるだけでその場から一歩も動く気配を見せない。

 火を消すことよりもクロエを取り押さえることの方が重要だとでもいうのだろうか。

「あんた等の目論見通り、もう……家はもう元に戻らない」

「誰も死ななかったのが唯一の救いです。私達はもう家が燃えた事によるの損失には目を瞑ることにしました。ここは主犯であるあなたを捕らえるだけで良しとするというのが私達の意思です」

 声を発すると共に肩を震えさせ、嗚咽する妹を庇うようにジゼルが補足した。その声には断固としたものを感じたが故に一つクロエには訊かなければならない事がある。今までの流れを見れば分かりきった事なのだが訊かずにはいられなかった。

「私を捕らえた後どうするつもりだ?」

「何も殺しまではしません。あなたが大人しく捕まって下されば話ぐらいは聞きます」

 ジゼルの申し出をクロエは即座に嘘だと判断した。彼女が嘘を言っているのではなく、ここで大人しく捕まろうものなら話をする間もなく村人にクロエは——否、クロエ達は容赦なく殲滅されるだろうと。それも優しいジゼルの意思などおかまいなしに。

「もういい。話し合いで解決しようとした私が愚かだった」

 みしりと軋む音にじりじり焼ける音。村が燃えている最中そんな些細な異変に気付けた者など一人もいない。しかし続けざまにクロエが煙に包まれたのだから皆異変に気付かざるを得なかった。

 この時、ブーケ姉妹は失念していたものを思い出す。確かクロエは自分達と同じ魔法使いで炎を自在に操れるのだと。

 気付いた時にはもう遅い。クロエを縛っていた氷は真っ二つに割れその場に崩れ落ちる。あまりの熱に蒸発する前に割れてしまったのだ。

 自慢の魔法がこうも簡単に突破された事にブーケ姉妹は驚きと怒り、それと同様に恐怖も抱いていた。今まで反抗する素振りも見せなかったクロエがついに牙を剥いたからだ。

 以前、剣闘祭で同格の副団長との戦いで見せたあの絶技が今度は自分達に襲いかかるのだと思えば恐怖せずにはいられなかった。

「あくまで抵抗しますか。大人しく捕まる気はないと」

「そうだ。私は捕まっている時間などない」

 クロエの返答にジゼルは歯噛みをし、静かに詠唱を済ませる。するとジゼルの足下からじわりじわりと水が湧き出し次第に広場全体に水が行き渡り水溜まりが完成した。再び氷が出てくるとクロエは思っていただけに拍子抜けしていると、村人がぞろぞろと広場から出て行くのと同時にグレースも詠唱を唱える。

「成る程。そういうことか」

 クロエがごちている内に先程体験した冷たい風が一面を吹き抜ける。唯一違うと言えば一度だけならず延々と吹き続けている点だろうか。当然というべきか瞬く間に広場一面が氷面と化し一気に彼女等にとって有利な環境へと変貌する。

 クロエの足が氷の中に埋もれてしまい再び熱を加え抜け出すも、やはりというべきかクロエの開けた氷面の穴はみるみる内に修復されてしまう。

 ブーケ姉妹が氷の魔法使いと謳われる所以がようやくクロエにも理解できた。単純明快それは姉が水属性の魔法使いであり、妹が風属性の魔法使いだからである。ローラやエミリの話しぶりや噂から二人が二人共、水と風の二重属性の魔法使いだと思い込んでいたがどうやらそうではないらしい。お互いが協力するが故の氷の魔法使い。国に名を轟かすブーケ姉妹なのだ。

「お姉ちゃん!」

「分かってる!」

 二人の掛け声から何か来ると察したクロエは先手必勝とばかりに疾駆するも、突如クロエを突き刺すかの如く氷面に現れた円錐状の氷柱に思わず足を止めてしまう。途端、足下からクロエを包み込む様に氷が伸びてくる。

「ッ……あ」

 ただ拘束するのは不可能と踏み、いっそ氷漬けにしてしまおうという腹なのだろう。体に熱を込め氷を溶かそうにも氷が分厚すぎて話にならないし、炎を直接出そうものならジゼルに消されるのは明白だ。

 ここで彼女はとうとう腰にある愛剣に手を伸ばしてしまう。

 剣で強引に足にへばりつく氷を削り脱出するも彼女は罪悪感で心が押し潰されそうになってしまう。罪の無い民には決して剣を向けまいと考えていたにも拘わらず、事情はどうあれ抜いてしまったのだ。

 剣を手にした事により姉妹や外野の村人の視線が強くなるのを感じながらも、クロエは剣を仕舞うことなく構える。

 魔法だけでどうこうできる相手ではないと判断してのことだ。クロエにとって魔法は補助的なものでしかなく、主武器はあくまで剣なのだ。それに比べ彼女等の主武器は魔法なのだろうから当然といえば当然だろう。

 ここに彼女等の死闘の幕が切って落とされた。

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