二章 堕落する騎士
二章 堕落する騎士 1
「クロエがカルド領を盗賊から救ったという報告を領主から受けました。その後、東南のウール領に向かったそうです」
「はい——存じております。紙面に大きく飾られていましたので」
目映いばかりの美しさを放つ女王の自室に似合わない、どこか厳かで張り詰めた空気が室内を支配していた。その原因はこの二人、テレーズとクリスティアだ。
女王の報告を受ける様はいつも以上に静寂で能面のように無表情なため、普段より数倍勝る威圧感を放っている。常人なら気後れしている事だろう。
片やテレーズは、そんな雰囲気など何処吹く風でベッドに腰掛けている女王の足下に屈している。とても反旗を翻している身とは思えない、落ち着き払った冷静な態度といえる。
「テレーズはどう考えますか? このクロエの活躍」
「と、申しますと?」
「盗賊の討伐も結構ですが、悪魔の調査から逸脱しすぎるのはどうかと
テレーズの問いに女王は軽く嘆息し、誰に向けているのか口調をややきつくしながら語る女王にテレーズはにべもなく口を開く。
「よろしいのではないですか? クロエの性格からして困っている者は放っておけないでしょうし、何より片手間に一つの領を救ったのですから寧ろ褒めて然るべきなのでは?」
「今はそれどころでは無い筈。もっと手早く調査を進めていかなくては……いや、あなたに言っても詮無い事。申し訳ありません」
語調を荒くしながら語る最中にふと語気を整え、まるで無理に怒りを静めるように女王は話す。
「いえ、こちらこそ陛下の意思を汲めず申し訳ありませんでした」
テレーズは一瞥を送った後、深々と頭を下げ形式通りの謝罪をする。その合間にあろうことか鼻を鳴らし女王を嘲笑していたのだが、幸か不幸か女王がそれに気付くことは無かった。
「それともう一つ、どうやらクロエは剣闘祭の優勝者であるローラなる傭兵とカルドに住む……名前は分かりませんが魔法使いと共に調査を進めているようです」
「クロエの人徳があってこそですね……クロエのことですから強制はしていないでしょうし」
テレーズの返答が気に入らないのか、女王は大きく溜息を吐いた。
「確かに、調査の効率も上がるという利点だけを見れば仲間を集めるのも良いかもしれません。しかしそれは同時に無関係の民を危険に晒すという事でもあります。クロエのしている事は些か軽率に思えます」
まるでテレーズを諭すかのような優しくゆったりとした口調だがそれで収まるテレーズでは無い。端から見ても感情の起伏が読み取れない程静寂に彼女は反駁する。
「クロエの人選なら心配はいらないでしょう。それとも陛下は今までのクロエの功績をお忘れに?」
「いえ、そうではありませんが……少し言い過ぎたかもしれません」
「申し訳ありません。出過ぎた真似を」
然しもの女王も黙らざるを得なかった。
クロエの功績は確かに目を見張る物が有る。もはや異常と言っても過言では無い程の偉業を成し遂げいくつもの功績を残しているのだ。それを引き合いに出されたのでは女王とて反駁できはしなかった。
「サンの方は特に問題も無く調査を続けているそうです。これといった成果もありません。可も無く不可も無くと言ったところでしょうか」
「そうですか」
クロエからサンに話が変わった途端テレーズは先程とは打って変わり反駁も問いを投げかける事もしなくなった。ここが話の変わり目と踏んだのか女王は大きく話題を変える。寧ろテレーズをここに呼んだ一番の理由がこれかもしれない。
「頼んだ探し物はまだ見つかりませんか?」
「申し訳ありません。兵や召使いと共に探索しておりますが一向に見つかる気配は無く事態は難航しております」
女王に頭を垂れる姿は事情を知らない人間が見れば憐憫の情を催したかもしれない。彼女の演技はそれ程に巧みでそれこそ、長年の付き合いの筈の女王ですらテレーズの真意に気付く素振りすら見せなかった。
「分かりました。では引き続き探索をお願いします」
「——は。畏まりました」
何の咎めも無しに、頭を垂らしながらテレーズは安堵する。
未だに〝探し物〟は処分しきれず、今もテレーズの洋服の物入れに隠されたままである。探し物を所持したまま女王と対面するなど正気の沙汰とは思えないが、部屋に置いておくのもこの状況では賢い判断とは言えず、やむなくテレーズ自らが持ち歩いているのだ。
「テレーズ、下がっても良いですよ」
「——は。では失礼します」
女王の自室から出た後、テレーズは溜息を禁じ得なかった。
当然と言えるが、探し物の事での呼び出しが日に日に多くなってきているのだ。早急に処分すべきなのだろうが、どうしたらいいか分からず魔法使いではないその知識に乏しい我が身を何度呪ったか分からない。
後何回女王に嘘が通じるのか、それまでに処分できるのか、こんな時クロエならどうするのだろうか、テレーズの頭の中にいろんな事柄が入り交じり半ば錯乱しかかっていたがそれを表に出さぬよう努めて冷静に廊下を歩んだ。
砂漠から荒野に環境が変わり、遠征の疲労は薄くなったものの今度は別の理由でサンは辟易していた。
砂漠に比べればそこまで劣悪な環境でないため、こうして何も夜中に移動する必要は無いのだが夜中には必ずといって良い程頻繁に盗賊に襲われるようになったのだ。
明確な理由は分からないものの、恐らくはサンが単独で動いているこの機会に始末しておこうという腹なのだろう。しかし簡単にやられるサンでは無く、悉く殲滅していっているのだがいい加減疲労が溜まり始めているのだ。
「……やっと着いた」
北西のデザータ領の中心地といえる村、デザータに着いた途端サンの張り詰めていた精神が解け体中の筋肉という筋肉が弛緩した。
それもその筈、サンが最後に睡眠を取ったのは三日も前の話なのだ。昼間に盗賊が襲ってこないという確証も無いためおちおち安心して眠る事もできず、とうとうここ三日間においては一睡も出来なかった。
しかしこうして村に入ってしまった以上、盗賊もおいそれと手出しはできまい。サンがらしくも無く気を抜くのも仕方が無いといえる。
荒れ地の所々に建物がぽつりぽつりと並んでいる中、サンがいの一番に向かったのは領主の家と思しき一番大きな建物だ。
真夜中で恐らく領主は眠っているだろうが、サンは一切躊躇することなく戸を叩いた。
厳しい環境の中を延々と遠征を続けている最中に盗賊に襲われ、サンは疲弊しきっているのだ。その前に先ずサンは勇者なのだから民に気を遣う必要など微塵も無く、気を遣うべくは民の方なのだ。故に今しているサンの行いが非常識であろう筈が無い。
「はぁ、悪魔についてですか?」
サンは当然ながら家に押し入ることができた。
この領主たる老人は紋章を見るなり一も二も無く納得し、サンを家に招き入れたのだ。顔を見ればこの状況を嫌悪しているのは自明だがそんな些事をサンが斟酌する筈も無く、何事も無いかのように調査を進めている。
「そういえば最近気候がおかしいですねぇ……」
「気候?」
我が物顔で床に踏ん反りながらサンは続きを促した。天変地異が起きているのならばそれは充分に悪魔の仕業の可能性があるからだ。
「今日は大丈夫でしたが、最近この周辺で異常気象が多発しております。もしかすると、その悪魔の事と関わりがあるかもしれません」
「成る程ね……」
有り得る話だ。——否、確率で言うなら関わっているどころか、この領に悪魔が存在する可能性が濃厚だろう。この時期に都合良く天変地異が発生しているというのだから疑ってかかるのは当然だ。
「分かった……それは明日から調査していく。後は——新聞ない?」
「新聞ですか?」
「そう。一週間分ぐらいまとめて持ってきて」
「少し待っていて下さい」
重い腰を上げて家の奥に姿を消してから数分後、訝しげな顔をしながらも老人は新聞の束を持ってきた。それを労いの言葉も無しに引ったくり、日付の古い順にサンは新聞を読み進めていく。
「クロエ……盗賊を撃退……」
サンが目を留めたのは、数日前にカルドを盗賊から救ったという記事だ。内容はクロエと連れの一人が数十数百の盗賊をいとも簡単に蹴散らしたというものだった。連れの名前は記されておらず、顔写真も無い。しかしクロエが選んだ人物なのだからそうとうの腕の立つ人間なのだろうというのはサンにも容易に想像できた。
「盗賊か……」
クロエの活躍に頬を緩ませながらも、ある疑問がサンの頭を過ぎる。
以前、サンが盗賊に襲われたときも思ったことだが何故この騎士団が国を歩き回っている時に行動を起こすのか。
この時期に騎士団を諸共始末しようというにしては、あまりにも大胆すぎる。サンの襲撃はともかくクロエの方は納得いかない。本当に盗む事が目的だったというのならあまりにも偶然が過ぎる。この時期にクロエの調査する領をクロエが来る直前に襲ったというのは偶然では片付けられない。
クロエを襲うのが本命というのなら、あまりにも行動が軽率すぎる。何故白昼堂々と襲撃したのか。
盗賊の不可解な行動にサンは舌打ちをした。
「明日から調査をするためここを行動の拠点とする」
「はぁ、構いませんが」
眠たげに返事をする老人に、更に苛立ちを募らせたサンの双眸は鋭い刃物のように鋭く険しいものとなった。
「分かったのならさっさと出て行け……目障り」
その無情な言葉を吐く際にもサンの意中には老人の事など微塵も無く、クロエの事で頭が一杯だった。
数日間に渡ったカルド領の調査は結果として悪魔の情報を得られる事は無かったが、クロエにとって益となる事はあった。
一つは、エミリ・キトリーが仲間になった事だ。
クロエは魔法を使用できるが得意とはいえず、主に剣による接近戦を好む。ローラも同じく魔法は一つしか使えず得手どころかどちらかと言えば不得手なのだ。そんな二人にとってエミリのような魔法を使いこなせる者の存在は有り難い。
それこそ当初は断る気でいたクロエだったがカルド領の調査を共にしている内にその認識は改めさせられた。
彼女は占いのみならず他の補助魔法を難無く使いこなす。接近戦こそできないが彼女の魔法があればそんな事は些事だ。彼女は足手まといにならないどころかクロエ等には無いものを持っている。
故にクロエはエミリの加入を快く許可したのだ。
「クロエ、ここってもうウール領なのか?」
「森を抜けたしおそらくそうだろう」
二つ目はローラと親密になれた事だ。些細な事だが少なくともクロエには大事な事に思えた。これから共に調査していく上で連携は必ず必要になってくるからだ。
「後少しで領主が住んでおられる村に着く筈ですよ」
「ありがとう。エミリがこの周辺の地形に詳しくて助かる」
「——はい」
頬を染めながら微笑むエミリ。彼女とクロエの仲も相当深まったといえる。彼女から敬語は抜けないが、それは彼女の癖だとここ一緒に調査をしてクロエは理解した。
この領は一面に草が生えており、それこそ大草原といえる。
天候に恵まれこれだけ壮大な草原の中を気の合う仲間と悠々と歩を進める。こういうのも悪くないとクロエの口角も自然と釣り上がった。
「この村に領主がいらっしゃるかと」
「ああ、確かこの村だったな」
曖昧な記憶ながらクロエは見覚えがあった。草地の上に木の家や商店が建ち並んでいるここは間違いなく東南のウール領の中心地たるウールだ。一面を見渡す限り盗賊の襲った爪痕らしきものは無く、何事も無く多くの民が平穏に生活している事にクロエは安心する。
ヴィトゥには勿論の事劣るが、ウールはカルドよりも栄えた村だけに盗賊による被害を心配していたのだがどうやらクロエの杞憂だったらしい。
はたとそこでクロエは自分達が周りから注目されているのに気付いた。そんなクロエに挨拶をしに来たのか一人の老人が歩み寄ってきた。
「勇者様、ようこそおいで下さいました」
「あなたが領主か?」
「はい。左様でございます。立ち話もなんですからこちらへどうぞ」
クロエ等は領主たる老人に促されるまま、後ろに続いた。
「新聞によると、クロエ様はカルド領を盗賊からお救いになられたとか」
「ああ、この村が襲われなくて何よりだ」
クロエ等の連れてこられた場所は領主の家だった。長椅子にクロエを挟むようにローラとエミリが座り、その対面に机越しに老人が座っているという図だ。やはりというべきか調度品はそこそこの良品を使用しており、分相応の生活をしているといったところだろうか。
「いえ、この村も襲われました」
「え? どういう事だ?」
領主の顔は発した言葉の割に悔しさや哀しさなどは微塵も窺えず、どちらかと言えば喜んでいる風に感じこればかりはクロエは疎かローラとエミリも唖然とせざるを得なかった。
「新聞を見て驚きました。何しろこの村が襲われた同日にカルド領も襲われていたのですから。しかし幸いな事にこの村には優秀な魔法使いが二人在住しています。その二人のおかげで盗賊には何も盗られずに済みました。
更に僥倖な事に盗賊が自ら撤退してくれたのです。今にして考えてみれば勇者様が奮闘してくれたおかげでしょう。彼等、『カルド領が襲えないから退く』などと仲間内で話していた記憶があります」
「魔法使い……か」
「ウールの魔法使いって言えば、ジゼルとグレースの事だよな?」
「はい。ブーケ姉妹と言えばわたし達の村でも相当有名ですよ」
クロエも噂には聞いたことがある。ブーケ姉妹と言えば姉ジゼルと妹グレースの双子の事だ。二人の連係が凄まじく、まだ幼いながらも巧みに魔法で氷を操るらしい。
攻撃魔法の属性は火、水、土、風、雷、闇、光と〝氷〟の属性など存在しないのだが有り得ない話ではない。彼女等もまたクロエと同じく二重属性の魔法使いで氷を作り出しているのかもしれない。
見たことが無い以上クロエに子細は分からないのだが、本当に噂通りの強さなら盗賊が追い払われたのも納得出来る。クロエの顔は自然と柔らかくなった。
「最後に訊きたいのだが、悪魔について何か心当たりは無いか?」
「そうですねぇ……悪魔に関係あるのかどうかは分かりませんが、西南の領地ワルフッドに活気が無いという話は良く聞きます」
「西南の領地か……」
正直な所、情報が大雑把すぎて関係あるのか無いのかクロエには判断がつきかねるが、何も手がかりが無いため文句は言えない。それに南の領地は調べなくても良いと女王に命じられている以上どのみちクロエ等の次に向かう領地はワルフッドなのだからそこでじっくりと調査をすれば良い話なのだ。
「世話になったな領主……これから調査で領を回る。何かあれば直ぐ私に報告を」
「はい。分かりました」
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