一章 勇者の証 10
「娘を助けて頂いてありがとうございます」
「私は当然の事をしたまでだ」
クロエとローラ、助けた少女とその母親の周りには、草木も眠る真夜中というにも関わらず人集りができている。もはや誰も寝ている人物などおらず、皆が村の中央に集合しているのだ。
先程泣き崩れていた事など無かったかのようなその振る舞い、元から敵視などしていないかのようなその皆の歓迎をクロエは何の抵抗も無くそれらを受け入れていたのだが、ローラは形容のし難い妙な違和感を感じていた。
確かにこうなるとは考えていたのだが、何かが違うのだ。
村の戻って来てからクロエは偽の勇者の仕業だと説明し、皆は疑う事なく納得したのだろう。溜飲が下がったのかそれ以降クロエもローラも邪険に扱われることは無かった。しかし、誰一人として謝罪の言葉も寄越さず、皆はクロエの功績を〝褒め称える〟のみだ。これだけ称賛を送っているのだから謝罪など取るに足らない些事なのかもしれない。この盛り上がった状況で謝罪の言葉を述べるのは逆におかしいのかもしれない。
こういう事態に慣れていないローラにはいくら考えても是非など分からなかったが、胸にある何とも言えない蟠りのせいで皆の賛辞に手放しには喜べなかった。
「ねぇお母さん、しばらく勇者様を家に泊めてあげてよ」
「そうねぇ……クロエ様さえ良ければ構わないよ」
顎に手を当てて悩んでいる風にも見えたが、まるで娘がそう言い出すのを分かってていたかのように決断は早かった。
「本当に!?」
「エミリは本当にクロエ様の事が好きなんだねぇ……すいません。娘が最近騎士団に入れ込んでるようでして、宜しければしばらくの間泊まっていただけませんか?」
「有り難い。では調査が終わるまでの間、ぜひ」
目を輝かせている娘を尻目に一礼する女性にクロエは卑屈な態度を取らず、かといって傲岸にもならず、いつものように落ち着き払った凛々しい微笑みを返した。
「待って下さいキトリーさん!」
低く重々しい声を響かせたのは、老人——領主だ。
「せっかく勇者様が村を救って下さったんだ! 宴をしましょう! どうでしょう? 勇者様」
「ああ、構わないが」
「皆さん! 急いで準備をしましょう!」
クロエの返事に聞くや否や、領主は村全体に響き渡らんばかりの声で村人に呼号した。
それに反応して皆が手際よく動くのは領主の面目躍如といったところだろうか。
「クロエさん結構イける口なんだな」
「そういうあなたこそ、どれだけ飲めば気が済むんだ?」
静寂な夜を払わんばかりの焚き火の群れ、多勢の幸福感に満ちた哄笑。宴を始めてから皆は時間帯など気にせず、村の広場で馬鹿騒ぎをしている。
クロエとローラもその例に漏れず、二人とも地べたに腰を下ろし瓶に湛えられている酒を手元の杯に酌み浴びるように飲んでいた。
クロエもローラも背格好に似合わず、酒精を大量に体内に流し込んでいるにも拘わらず顔色が一切変わる気配を見せない。それどころかお互いに軽口を叩き合っている辺り、余程呑み慣れているという事だろうか。
始めて間もないというのに二人の空けた瓶の数は三口に到達していた。
「どうですか? 勇者様。満喫して頂けてますか?」
「丁度良い……領主、あなたに訊きたいことがある」
領主がのそりと歩み寄ってきた途端、クロエは緩んだ顔を引き締めて先まで呷っていた杯を横に退けた。
「悪魔のことについて何か知らないか?」
「いえ、私の領ではまだ被害が出ておりませんので——」
領主の返事にクロエは落胆ではなく安堵の表情を浮かべた。彼女にとっては悪魔に関する情報よりも民の安全の方が大事なのだ。
「そうか。それと盗賊の被害はどうだ? まさか襲われたのはこの村だけでは無いのだろう?」
「はい……それが幸いなことに、他の村の報告によれば被害は無く、襲われたのはこの村だけです。この領の中心地なだけに盗賊達もこの村さえ襲えれば、と判断しての事でしょう」
カルド領内に存在する数ある村の中でカルドだけを襲ったということらしいが、それはおかしい。勇者が国内を見回るというにも関わらずそんな領の中心地を襲うなど自ら捕まりに行くようなもの。
どうしても略奪したいなら、実入りは少なくなるが他人の目が付きにくい辺鄙な村を襲うのが堅いのではないか? そうでなくとも、このカルドを襲ってクロエ等の目を引き付けている最中に他の村を襲うべきではないのか?
盗賊の不可解な行動にクロエは頭を悩ませた。
「そうか——宴の最中にすまなかった。私も明日から領内を調査する」
「お役に立てず申し訳ありません」
領主が立ち去るや否や、クロエは小さな溜息と共に杯の中身を一気に呷ぐ
「被害が少なくて良かったな」
「ん? ああ、だが性懲りも無くまた動くだろうな」
新たに酒を注ぎながらクロエは忌々しそうに返す。量は減らしたとはいえ、完全に潰えていない以上安心はできない。おそらく贋物だろうが、勇者の紋章を所持しているのだから尚更だ。
「でもクロエさん、この領内を調査して回るんだろ? なら被害もそうそう出ないと思うんだけどな」
「この領はもう大丈夫だろう。この村だけとはいえ一度襲われた以上皆は警戒するだろうし、そう簡単には襲えない。問題は他の領だ。何しろ私達を含めて誰も団長殿の顔を知らない。ローラが首領の顔を見てくれているから私達は盗賊か勇者かの判別はつくが、他の者はそうはいかない。勇者の可能性があるなら従わねばならないのだ……あの法のせいで」
クロエの頬に少し赤みが差す。怒りと相俟って酒の回りが早くなり、流石のクロエも酔ってきたのだろう。
「クロエさんも把握していないその人、どんな人なんだろうな」
「清廉潔白な人であるのは確かだ。何しろ陛下が選んだ方なんだからな」
顔も知らないその人物にクロエは憧れていた。
女王にその人の武勇を聞かされれば聞かされる程クロエの憧れは強くなり己も斯くありたいと強く願った。影響され必至に鍛錬にも励み少しでも団長に近づこうとした。その人が立派でなかろう筈がない。
「すいません。横、よろしいですか?」
「ああ、構わないが」
声のした方向にクロエは振り返ると、そこには先にローラが助けた少女とその母親が佇んでいた。クロエに促されるまま二人はすっと腰を下ろした。
「娘を助けて頂いてありがとうございます。この娘はエミリと申します——さぁ」
母親に背中を押されたエミリという少女は照れているのか紅潮し口籠もりながらも手元にある杯を呷る。そしてどうにか重い口を開いた。
「エミリ・キトリーと申します。宜しければ——その……勇者様と、旅をご一緒させて頂けませんか?」
「え?」
程よく酔いが回りかけていたクロエだが、エミリの言葉で冷水を頭から被ったかの如く一気に酔いが覚めた。
「この娘には幼少期の頃からずっと魔法の事について教えてきました。確かにこの娘の気性も魔法も戦いには向いておりませんが、必ずや勇者様のお役に立てる筈です……どうか」
素っ頓狂な声を上げるクロエにすかさず母親が弁明しにかかる。
しかしそれだけでは納得出来よう筈もない。いくら魔法を使えると言われたところで魔法の種類など吐いて捨てる程あるのだ。それを聞かねば連れて行きようもない。
「彼女は何の魔法を?」
「治癒に探知と、上げていけば切りがありませんが……特に私達キトリーの一族は占いを得意としております。その血を引いているエミリもまた占いを得意としております」
「占い?」
クロエが首を傾げるのも無理からぬ事だ。何しろ占いと言えば、何が視えるのか何処まで視えるのか、もっと言うならばその視えたものの是非も分からない。そんな悪い印象しかクロエには無いのだから。
「はい。私達は少し先の未来を見透せます。勿論見えないときも希にありますが今回の盗賊が大挙してくるのも分かっていました。如何せん気付いたのが遅すぎましたが」
「最後に。常に危険が付き纏うことになるだろう。本当に良いのか?」
そこで返ってきたのはとても柔らかい口調、エミリーの声だった。
「はい。構いません。その事は重々承知しておりますし、私は何よりクロエ様のお役に立ちたいのです」
「良いじゃないかクロエさん。オレ達は治癒使えないんだし、それにさっき腕治して貰ったけど大したものだった。連れて行っても問題ないと思うけど?」
「しかし——いや、分かった。あなた達がそこまで言うのなら……エミリ、とりあえずこの領の調査を手伝って欲しい。その期間で判断させて貰う」
反駁しようにもローラとエミリの眼光がそれを許してはくれなかった。
その言葉を待ってたとばかりにエミリーの顔が綻ぶ。その様子に母親は苦笑するがどことなく安心しているかのようにもクロエは思えた。
「はい! 頑張ります!」
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