一章 勇者の証  8

 夜に差し掛かり、森の風景は朝のそれと全く違っており何の予備知識もなければクロエもローラも道中迷子になっていたに違いない。しかし村を出る前に領主が渋々、粗方道を教えてくれたのでその心配はないだろう。

 盗賊が隠れ家の場所を吐いたのが日の暮れ辺りだ。どうやら頭と共に大人数の盗賊が洞窟に身を隠しているらしい。村で大方始末したと思い込んでいただけにクロエの動揺は大きかった。一体何人で構成された盗賊なのだろうか?

「クロエさん。あんまり落ち込むなって。村の人は、ああ言ってるけどクロエさんが来なかったらあの村は焼け落ちてたんだから。

 ちょっとあの時は気が動転してただけだし、子供を連れて帰ったらきっと謝って普通に接してくれるって」

「……私はそんなつもりはない」

 ローラが励まそうとしてくれているのは直ぐに分かった。クロエは落ち込んでいるつもりなど無かったが、心に反して素っ気なく返してしまう所を考えればやはりクロエは落ち込んでいるのかもしれない。

「クロエさんにそんなつもりは無くてもきっと歓迎してくれる……だからそんなに思い詰めない方が良いとオレは思う」

「そうだな……ありがとう」

 ローラがひっきりなしに話しかけてくれてるおかげで、幾分かクロエの心は軽くなったのかも知れない。少なくともそのおかげで思考が悪い方に行く事はどうにか食い止められたといえる。

 そんなつもりはない——果たして本当にそうなのだろうか。少なくとも子供を連れて帰らないといけない事に変わりは無いし、今回はまだ被害は少なくローラの言う通りこれは子供さえ救えれば落ち込むには値しない事なのかもしれない。

 そうこうしている内に洞窟の入り口前まで辿り着いたが、一人の女性と鉢合わせた。鞣し革で作られた鎧に戦斧を手にしている。それに合わせて頬にある大きな古傷からよほど戦い慣れた人物なのであろうとクロエは察せたがそれ以上は分からなかった。

 少なくともクロエの知り合いでは無い。騎士団にこんな人物はいないし何より鎧の仕様が全く違う。

 見たところローラの知り合いらしい。ローラの顔は険しく、相対する女性を睨んでいるし向こうの女性もローラを見つめ返している。ただならぬ関係だというのは二人の醸し出す張り詰めた空気で疑う余地も無かった。

「これは、冷酷な天使で名高いクロエ様。そんなお方がどうしてこんな無能と一緒に?」

 今度はクロエが顔を顰める番だった。その呼び名で呼ばれるのは甚だ気に入らないし何よりローラは無能では無いからだ。

「エステルさん。何でここに?」

 クロエが反駁する前にローラが割り込んだのだが、違和感があった。ローラの性格上言い返してもおかしくないのだがローラの表情は一切変わらず、依然として苦々しいもので怒りの感情を圧し殺している様に見える。

「何でって、仕事さ。お前もそうだろう?」

「誰に雇われたんですか?」

 ローラと違い、エステルと呼ばれた女性は余裕があるように見える。この緊迫した空気の中、始終薄ら笑いを浮かべているのだから余程肝が据わっているのか鈍いかのどちらかだ。

「それはお前等が一番分かってるんじゃないのか? 何処に行く気かは知らないが私はお前等の足止めを頼まれている……逃げ切るまでのな」

「そいつら盗賊ですよ? 分かってるんですか?」

「盗賊? いや、まあそうか。盗賊だろうと何だろうと金さえ貰えれば何でもする。それが私達のやり方だと最初に教えた筈だが?」

 エステルとの会話している最中ローラはずっと拳を握りしめ、歯噛みをしていた。

 そのローラの反応はクロエには痛い程分かる。悔しいのだろう。

 以前ローラは傭兵に務めていると言っていた。会話から察するに同じ傭兵部隊で働いている上司か何かだろう。だが、クロエは斬り捨てる事に何の躊躇いも無かった。盗賊と分かっていて手を貸すなど、有ってはならない事だ。

「ローラ、話している暇は無い。こうしている間にも盗賊は逃げる準備を着々と進めている筈だ」

「でもこの人は——」

「子供の救出はローラ、あなたに頼みたい。こいつの相手をしている間に逃げられては元も子もない。私がこいつを食い止めているからその内に頼む」

 先からローラの反応を見てればエステルを苦手しているのは明白だった。だったらクロエがこの傭兵を足止めしておけば良いだけの事。しかしすんなりとローラを行かせることができるのかどうか。

「分かった……直ぐ戻るから」

 不思議な事に駆け出したローラをエステルが止めようとしなかったのだ。ローラ一人なら問題ないと高を括っているのか、他に理由があるのか。何にせよこれで妄言を吐いた罪を償わせることができる。

「行かせて良かったのか? 雇い主が困るんじゃないのか?」

「クロエサマを足止めするだけで私は手一杯なんですよ。それにアレを行かせたぐらい何てことはないでしょうしね」

 甘く見ている。程度はどうあれこの傭兵はローラを甘く見てる。それにこんな傭兵にクロエは後れを取るなど微塵も考えられなかった。

「手一杯? 手に余るの間違いじゃないのか? 私と貴様の実力が拮抗している訳がないだろう」

 この時初めてエステルは表情の変化を見せた。眉間に皺を寄せてる辺り余程挑発に弱いのだろう。小気味良くなりクロエが含み笑いをすると、舌打ちと共に戦斧を木に勢いよく突きつけた。

「ただでは殺さない……瀕死の状態で都市まで引き摺り、愚民の前で処刑してやる」

「言いたい事はそれだけか? 外道」

 クロエは剣を腰から抜き、エステルは戦斧を木から引き抜く。こうしてクロエとエステルは森で戦いの火蓋を切って落とした。




 もうすぐ行き止まりまで辿り着くだろう。

 洞窟に入って直ぐにいた見張りの盗賊を始め、中にはそれこそ腐る程の盗賊がいたがローラにとっては何てことはなく全て蹴散らしてみせた。

 鼻につく洞窟独特の臭いに嫌気が差しながらも歩を進め続ける。その度に周囲に音が反響して敵に知れるのではないかと心配になったが、ここまで暴れて気付いていない訳がないだろうし、気にするだけ馬鹿らしい。

 村の人に聞いた話によれば、どうやらこの洞窟は二手に分かれているらしい。一方は行き止まりで一方は裏側に繋がっているとのことだ。ならば行く道は決まっている。こうして盗賊が残っている以上、行き止まりの所に首領と大多数の盗賊が隠れ潜んでいるに違いない。

「ッ」

 思わず息を飲んでしまったが思っていたより盗賊は少なかった。何十何百を想定していただけに拍子抜けしてしまった程だ。何しろ盗賊らしき人物は六人しかいないのだから。

「クロエじゃないのか……とするとお前はローラ・カリエか?」

「何でオレを——」

 座っている盗賊連中の一番後方に、黒い婦人服を羽織った少女を抱えて座している女——おそらく盗賊の首領であろう人物が発した言葉にローラは再び息を飲んだ。

 盗賊が剣闘祭を観戦出来るはずもなく、新聞にローラの事が書かれたとはいえ顔までは載っていない。ローラもこの人物とは面識がなく知っている筈がないのだ。しかもクロエと旅をしている事も知っているのだから驚かない方が無理である。

「お前に用は無い。私は勇者だ。そこを退け」

 盗賊全員がゆるりと立ち上がる。

 先に驚かされて尚もまたローラは先以上に驚かされてしまった。

 手首に似合わない華美な装飾品を付け、筋肉質で目つきの鋭い首領と思しき人物が自分は勇者と名乗ったからでもあるがその薄い服には見間違えようもない、クロエと同じ紋章が飾り付けてあるからだ。

「国民は勇者に絶対服従の筈、退かないなら殺してしまうぞ?」

「……お前が勇者な訳がない」

 ローラの声はあまりに力がなかった。そんな些事に盗賊が斟酌する筈も無く、女盗賊が無表情のまま残りの五人に手で指示をすると一斉にローラに襲いかかった。

「邪魔を、するな!」

 ほんの一瞬の出来事だった。叫ぶや否やローラは全身にありったけの魔力を巡らせ五人の盗賊を殴り倒したのだ。それこそ頭蓋、肋骨が砕けて残らず死んでいるだろうが、それこそローラにとっては些事に過ぎない。仕事で殺しは経験があるのだ。

「ほぉ……剣闘祭の優勝者だけあってやるじゃないか。あたしが直々に殺してやる」

〝何でこいつが勇者なんだ……ッ〟

 殺すしかない。ローラはそう判断した。

 聞きたい事は山程あるが、こいつが話すとは思えない。そして幸いなことに人質を手放し向こうも戦う気なのだ。

「死ね!」

「——ぐッ」

 残忍に微笑みながら手に取った得物で女盗賊が殴りかかってきたため、ローラは強化した腕で防ぐが激痛が走る。訳が分からないがともかく得物を弾き退ける。

 女盗賊の武器は柄の先端に棘が放射状に突き出た金属球が付いているだけという何てことのない武器だ。

 これなら強化した腕だけで防げると鎧のない左腕で防いだ途端、腕に激痛が走った。動かそうにも案の定腕の骨は折れており鈍痛がする。まるで〝生身の腕〟を殴られたような感覚がした所を鑑みれば、向こうも何らかの魔法を使っているのは明らかだ。

 再度得物で殴打してきたがそれを難無く躱し、強化した右腕で返しの反撃を女盗賊の腹に叩き込んでやるがそこでもやはり違和感があった。

「ッ……やるな」

「どういう事だ?」

 不可解な出来事に思わずローラは呟いてしまう。

 あんな薄い服装で咳き込むだけで済むはずがない。それこそ体を吹き飛ばすぐらいの力を込めた筈なのだが女盗賊は体を折り込んだだけだ。それこそまるで鎧と同じ〝鉄塊〟を殴ったような手応えだった。するとこれは——

「お前も強化の魔法を?」

「ハハッ……良く分かったな。同じ魔法を使うお前からしたら造作も無いことか?」

 途端、手の得物をまるで棒切れか何かのように片手で大雑把に振り回しローラを追い立てるがどうにか右腕で防ぐなり回避する事で凌げた。

 これは非常に不味い。同じ強化の魔法を使う以上この一発一発は致命傷に値する。動かない左腕が憎かったが、そう悲観的になる事もないのも事実だ。実力の面だけで見るならクロエは疎かローラでもどうにかなりそうなのだから。

 現に女盗賊の攻撃の合間に何発も右の拳を体に叩き付け、めり込ませる。

 これで最後と顔を強打するも、女盗賊が倒れる事はなかった。

「——エステルの話と違い強いじゃないか」

 首領が自らの頬に手を翳した途端、顔の傷が跡形もなく消えた。これは推し量るまでもない。悔しいがこいつは治癒の魔法までも使えるということだ。強化に治癒、他に何も無いと言い切れず思わず舌打ちしてしまう。

「クソッ! お前の魔力が底を突くまで殴り続けるしか無いってわけか」

「それも叶いそうに無いがな」 

 ここにきて女盗賊は人質の少女を盾にしたのだ。実力のみならローラが圧倒的に勝っているとはいえ、人質がいてはどうにもならない。ローラはこの洞窟に入って初めて絶望してしまう。

「卑怯だぞ! 人質なんか使いやがって」

「さて、どうする?」

〝どうしたら人質を救える?〟

 この状況をどうにか打破できないものかとローラは思索にふけるも、一つも良い手が思い浮かぶ事は無かった。

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