一章 勇者の証  6

「あんたわざと負けただろ」

「いや、そんなことは無い」

 クロエは知らぬが試合が終わってからの騒ぎは凄かった。

 何しろ騎士団の副団長が無名の一般人に負けたのだ。予め決まっていたなどと疑っていた人物もクロエが重態だと知った途端その疑念は消え去った。決まっていたのならそこまで傷を負う必要も無いからだ。クロエの敗因はサンとの戦いの傷を引き摺っていたからという事で各々は勝手に納得した。

 急いで意識が飛んでいるクロエを治癒したのだが中々目を覚まさず、結局目を覚ましたのはつい先、つまり皆が寝静まった真夜中だった。

 賞金は諦めて都市を出る準備をしようと考えていた矢先にこの娘に呼び出されて、今クロエとローラは街中を彷徨いている最中だ。当然辺りは不気味な程暗い闇に包まれており人という人は誰もいない。唯一の救いは月の明かりが淡く周囲を照らしていることぐらいか。

「あなたの名前を聞かせてほしい」

「ローラ。ローラ・カリエ」

 戦っている時からクロエはローラの名前を知りたいと思っていた。おそらく一七、八であろう年の娘があれだけの武術を使い、魔法すらも使うというのだから是非名前は訊いておきたかったのだ。

 運営に鎧を返した後なのだろう。右腕にのみ鎧を着けているという些か珍妙な格好だがそれが彼女の型なのだろうとクロエは納得し気にしなかった。

「ローラ、あなたは勘違いしている。私は本当に負けた」

「そんな訳ないだろ。確かにオレはあの金が欲しかった……正直に言うと助かったとさえ思ってる。でも、あんたもいるんだろ? クロエさん。一応あんたの事情は分かってるつもりだ。その金の使い道も」

 クロエはローラが申し訳なさそうな表情を曇らせる気持ちは分からないでも無かった。

 ローラの母親は何かしらの事情があり、危機に瀕しているというのは何も知らないクロエにも察せた。つまりローラはお金は必要だが、クロエの任を邪魔したと後ろめたい気持ちに狩られているのだろう。この場は説明せねば収まるまい。

「ローラ、あなたは何故勝てたと思う?」

「それはあんたが気を遣って」

「違う。私はあなたに翻弄され一度は負けそうになりながらも何とか盛り返したつもりだ。現にあなたが言いたいのはその事だろう?」

「もう一つだけ。最後のオレが捨て身の攻撃をした時、あんたは身構えていた。何故避けなかった?」

 クロエは驚き目を見張る。

 つくづく末恐ろしい娘だ。ここまで見られているとは思わなかった。ローラの眼力にしろ戦闘力にしろ一般人のそれと圧倒的にはかけ離れているといえる。

「その事も含めて、だ。私の参加した理由は何でも無い、ただこれから当たる任を円滑に進めるため資金の調達をしておきたかっただけだ。だが、あなたの参加理由は肉親を助けたい一心からだろう? 私が勝てる筈が無い」

「それとこれとは話が違う。話をずらさないでくれ」

 ローラは睨んでいるつもりかもしれないが、その双眸は淡く弱々しかった。クロエの話が的外れと業を煮やしているのだろう。クロエは微笑んで首を振る。

「何も勝敗を決める要因は実力だけじゃない。本人の調子、心情、当然のように志も充分に関係してくる。今回の事で言うなら、私はあなたの志に気圧され負けたということだ」

「——うん」

 やはりまだ納得しないのかローラの表情の陰りは晴れない。やはり施しを受けたみたいで後ろめたさがあるのだろうか。

「良かったら聞かせてくれないか。あなたの事情を」

「……ああ、母さんが病気なんだ。それを治すのに金がいるんだけどとてもオレの稼ぎじゃ足りないんだ。そこそこ有名な傭兵部隊で働いてるから稼ぎが少ないわけじゃないんだけど、治療費が高すぎて……もうオレには剣闘祭しか思い浮かばなかった……これが無いと母さんが死ぬのは分かってる……でも、あんたはどうするんだ? これが無いと民家を襲うしか——」

「いや——」

 ローラの胸の内を聴き、クロエの方針は決まった。それと同時にクロエの心に妙な安心感が生まれる。断られたら断られたで仕方ないが、彼女の性格上それは無いと確信めいたものがクロエにはあった。

「任の資金は私の貯えで賄うよ。それと良かったら一緒に来てくれないか? あなたはかなりの達人だ。来てくれるならそれで充分剣闘祭に出た価値はある」

「え? 構わないけど、オレでいいのか?」

 胡乱げな顔をしつつも、身を乗り出すようにクロエとの距離を詰めるあたり喜悦しているのは間違いないだろう。

「ああ、ありがとう——これで任も大分捗る。明日その賞金を母親の所に配達してもらうといい。その後私達も任を始めよう。いいか?」

 その金を使うのに後ろめたさを感じているなら、働いて手に入れたと実感させると良い。ローラの気持ちに付け込むようで良い気はしなかったが、心強いのは事実だ。

 ローラの表情も気持ち晴れているようにも見えてクロエは安堵する。

「分かった。明日から頑張るよ」

「今日は私の家に泊まると良い。すぐ近くにある」

 クロエはローラを連れて自分の家に向かう。

 新たにできた仲間の心強さを考えると自然にクロエの歩調は軽快になった。




 当然ながら閑散とした風景だ。これなら仮に目を瞑って歩いても困りはしまい。一面には有り余る程の砂しかなく、見上げても闇が広がり満月が淡く輝いているのみだからだ。

 加えて吹き荒ぶ風のせいで一身に砂を浴び、おまけに体温と感覚を奪われるという始末に彼女は辟易としていた。指先が悴むという段階はとうに過ぎている。

 何度も経験しているとはいえ、この凍てつくような極寒の地に慣れることはなかった。現在は夜だが、昼間になれば裏と表が変わる様に太陽に燦燦と照らされて極暑の地へと変貌する。備えも無しに踏み込めば忽ち命を落としてしまうだろう一面が砂で埋め尽くされている土地——そう、砂漠だ。昼夜どちらも厳しい環境とはいえ、まだ夜の方が行動しやすいといえる。

 数日間に渡る遠征の後、ようやくサンは国の西側に位置するサクレ領、その中心地といえる村、サクレに辿り着いた。この国は領の要となる村や町に領の名前を与える風習があるのだ。都市とは正反対でこれといった大きな建築物も無く、建物といえば数件周りに布製の小屋が建っているぐらいだった。

 あまりの冷え込みにサンは道中延々と怨嗟の言葉を呟いていたのだが、村に着いてもそれは収まりそうにない。何しろ何も無いのだ。唯一、サクレに誇れるものがあるとしたらそれはオアシスが近くにあるぐらいか。

「こんなとこで何も分かる訳が無い」

 あまりの土地の醜悪さと寒さに悪態を吐きながら、一番大きな建物らしき物の前まで歩を進めた。おそらくここが領主の家だろう。月の光が煌々と輝く時間帯である事など気にもかけず、入り口の布を強引に押し退け中に入ったのだ。家主に断りさえ入れず。

 遠慮などする必要は微塵も無い。サンは勇者で領主は勇者に協力しなければならない立場の人間なのだ。寝ていようが関係ない。


「事情は分かりました」

 サンのした説明は甚く簡単だった。

 要約すると自分が勇者であることと、この領地から調査するから協力しろというたったこれだけのことだ。

 老人の顔が渋くなるのは咎めようが無いといえる。

「つまり、私が悪魔について知っていることを話せばよろしいのですね?」

「そうよ。後、寝床も欲しいの。どこかあるでしょう?」

 領主に気を遣うつもりなどサンには微塵も無かった。

 女王が作った法に頼ることになんの負い目も感じないし、何よりこんな死地もかくやという土地に身を置こうというのだから多少の願いは聞き入れて然るべきだ。反抗するならそれこそ斬り捨てるのも厭わないつもりである。

「寝床については後で空き家にご案内します。それと私の知っている事と申しますと、勇者様の知りたがっていることかどうかは分かりませんが心当たりがあります」

「言え」

 これ以上長い前置きは聞きたくなく、サンは先を促す。それに触発されたのか領主は軽く溜息を吐く。

「はい、どうも最近レティに魔女が多いという噂を聞きます。理由は分かりませんが、やはりこの事が関係しているのでは?」

「それだけ?」

「はい。私はもう——」

 期待はしていなかったとはいえ、この情報の少なさはあんまりだ。もうこの土地には何もないだろうが調べない訳にはいかない。理不尽さのあまりサンの頭に血が上りつつあった。

「じゃあもう疲れたし空き家に案内して。後は勝手に私が調べるから」

「はい。では後に付いてきて下さい」

 領主が立ち上がった時、何の前触れも無くサンはふと思い立った。益するところは何も無いだろうが無いよりは良いだろうと。

「新聞、何日分残してある?」


 結果として領主から貰った新聞はサンを釘付けにした。数日前の新聞でまだサンがここに着いていない時に起きてしまった事の記事だ。有る事無い事が記事にしてあるのが新聞の世の常とはいえ、これは嘘では無いだろう。民衆にとって身近な出来事の記事なのだ。しかもそれを紙面いっぱいに飾っているのだから嘘ならすぐ皆に知れてしまう。

 怒りに任せ、力一杯地面を殴りつけた。何度読み直してもその記事の内容が変わらないどころか、その原因が分からず彼女の心を苛み続けるからだ。

「武術を囓った程度でクロエに勝てる訳がない……有り得ない」

 領主に案内された空き家は、殺風景という他なかった。

 勇者を招き入れる部屋だとは到底思えず、それこそ勇者の権限で調度品を村人から没収しようかとも思った程だ。何しろこの小屋には寝るための布と机ぐらいしか家具がないのだから。

 しかし、新聞のを読み進めていく内にそんな不満はより大きな不満に塗り潰された。

 その記事の見出しはクロエが剣闘祭で敗退したというものだ。

 腸が煮えくり返りそうなのをどうにか歯を食いしばって抑えつつ、もう一度頭の中で書かれている内容を整理することにした。

 剣闘祭に参加したクロエは決勝戦まで何の淀みも無く勝ち進んだらしいが、これは当然だろう。俄仕込みの連中なんかにクロエが負ける道理も無い。これは書かなくても一二分に分かる事だ。

 一方、クロエの決勝の相手のローラ・カリエとかいう一〇代の女に至っては常に辛勝といった感じで勝ち進む度に傷を増やしていった。これは少しおかしい。男も参加している筈なのに互角な戦いになる筈が無いのだ。こいつは余人とは比にならない程の鍛錬を積み重ねていたとでもいうのだろうか。女が男に勝つ例などサンやクロエ、女性のみで構成されている騎士団が幾度となく証明しているのだから不可能ではないのだが。

 そして決勝戦。一方的にローラがクロエを殴りつけ重傷を負わせた上で優勝した。これは有り得ない。敗因は数日前に行われたサンとの試合にできた傷を引き摺っていた為とあるが、試合が終わった直後にお互いに治癒を受けているためこれもない。

 しかし、考えてもみればクロエが負ける可能性もあるのだ。ローラの優勝賞金の使い道は肉親の治療費とある。おそらくこの卑劣な女の虚言にクロエは誑かされ敗北させられてしまったのだろう。クロエはそういう甘い一面もあるのだ。

 それで納得してしまい最後の最後までサンは自分の憶測を疑う事はなかった。ローラが魔法を使えるという事実にサンが気付かなかったのは直接観ていないだけにどうしようもないだろう。

 おそらく会う事もないだろうと努めて意識せずにいたが胸中には顔も見知らぬローラなる女がちらつき、じわりじわりとサンを呵責し続けた。

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