一章 勇者の証  5

「両者とも準備はよろしいですか?」

 剣闘祭も順調に進み、日が沈みだし夕方に差し掛かろうとした頃にようやく決勝戦が開始されようとしている。対戦者が相対し、その間に審判がおり今正に戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

 剣闘祭に参加した者は勿論のこと、観戦している者でさえ決勝まで上がるだろうという人物の一人は予想していたに違いない。当然のようにクロエは決勝まで勝ち上がり、悠然と対戦相手を見据えている。やはりというべきかクロエには戦いの傷らしきものが一切なく疲れもまったく感じさせない。

 対するクロエの相手は、誰もが予想し得なかった人物だ。誰がこんな一七、八歳の女が勝ち上がると予想するだろう。結局ローラは決勝まで上り詰めたのだが、調子は最悪といえた。鎧も散々傷つき、体力もかなり消費してるだろう。クロエの姿を見て歯噛みするのも無理からぬ事だ。

「ちょっと待って」

 怪訝な顔をしながらクロエは開始の宣言を遮る。試合をろくに見ていなかったクロエには分からない事があるのだ。それは——

「貴女は徒手で戦うのか? 武器は使わないのか?」

 何かしら武器を使う戦闘に慣れ親しんでいるクロエにとって、それは殆ど未知に等しい戦い方であり確認せずにはいられなかったのだろう。

「まあな。オレはあんたみたいに剣や槍の心得なんて持ってないからな」

 クロエの問いがローラにとっては馬鹿にされてるように思えたのか、声音低く堅かった。

 それを察したのかクロエは軽く会釈をする。

「止めてすまなかった。さぁ、宣言を頼む」

「それでは始めて下さい!」

 クロエに促されて審判は開始の宣言をしたのだが、その声に被せるようにローラは何かを〝呟いた〟のだが誰もそれに気づきはしなかった。普段のクロエならば気付いたのかもしれないが何しろ油断していたのだ。それがここにきて初めて仇になったといえる。

 ローラがぐっと右腕を引き、誰から見ても分かるぐらい力を込めてクロエを殴りにかかるも、その一連の流れはクロエにとって充分すぎる程に予知できた。武器を使わない以上それしかないだろうと。

 当然の策として剣で受け止めるが、腕が痺れた途端体が浮き上がった。何が起こったのかクロエには一瞬理解できなかった。

 単純な話、威力が異常すぎたのだ。

 剣ごとクロエの体を吹き飛ばし砂地に叩き付けるのだから〝普通〟な筈が無い。

「うぐッ……ぅ」

 ゆらりとふらつきながらも何とかクロエは立ち上がれた。追い打ちをかけるべくローラは一気に接近し左右の拳で数発規則正しい動きで殴打しにかかるが、これは先程のように溜が無く、異常な威力がある訳ではないらしくどうにか剣で防ぎえた。

「ッ……あぐ」

 が、剣のと隙間を縫うように滑り込む拳には当然防御など間に合わず、クロエの腹に圧迫感と共に激痛が走る。が、やはり威力を抑え、速さを重視しているらしく体が吹き飛ぶことはなかった。

 とはいえやはり充分に威力があり、防ごうともクロエは手の痺れに何度も剣を手放しそうになる程だ。まともに貰ったのに関しては鎧の上からでもそれなりに衝撃があり、これを何度も食らえば戦意を削がれ戦意喪失する可能性もあるといえた。気をつけねばならないだろう。

 打ち込みの連打が終わり、ここぞとクロエが渾身の力で剣を振ろすと、けたたましい金属音と響き渡る。手には確かな手応えがあり相手の手傷に期待するのも無理は無いが、それは無駄に終わった。

 クロエの剣をローラは右腕一本で受け止めたのだ。しかもローラ自身が微動だにしていないのだから相当な筋肉の持ち主である事は間違いない。少なくとも彼女の体型で出せるような力でないのは確かだ。そこではたとローラの怪力の秘密をクロエは悟った。

 剣を引こうとした間際、不意にクロエの鼻先をもの凄い速さで掠めた爪先に戦慄を覚えながらも、半ば無意識にどうにか後ろに飛び退く。

 ほんの少し矛を交えただけだが、クロエにも少し分かった事がある。

 この名前さえ知らない少女は剣闘祭の参加者で飛び抜けて強いという事と、サンと似て非なる戦い方をするという事だ。この娘は接近戦を得意とし、相手の攻撃を避けることなど二の次で足を止めてひたすら攻め続ける。そして反撃された時の対処は持ち前の剛力で全て防ぎきり、迎撃し、ねじ伏せる。

「まさかとは思ったが、あなた魔法を?」

「ああ。そうでもしないと勝てないからな」

 自信の油断を悔やみ、クロエの眉間にしわが寄る。

 少し考えれば分かったことだ。この娘の体型では人一人吹き飛ばすなどどう考えても有り得ない。それを難無く実行してみせたのだから魔法を使ったとしか考えられないではないか。

 しかしそれが分かった所でクロエが未だ不利だということは本人が一番理解していた。何故ならこの娘の使う魔法は身体の強化、攻撃型ではなく補助型の魔法だ。全身の筋肉を強化し身体能力の上げるという至極単純な魔法なのだが、クロエも剣での近接戦を得意とする以上、相性的に不利なのだ。

 クロエがどれだけ剣を振るおうとも筋力差でまったく相手に通じず、接近を許したら最後その剣よりも重く速い、破壊力のある殴打がクロエを襲う事になるだろう。

「クロエさん、あんたは魔法を使わないのか?」

 訝しそうに訪ねるローラにクロエはかぶりを振る。

 確かに魔法を使えばこの戦局を一気に覆し、勝利する事も可能だろう。何しろローラは近づくことでしか戦うことができないのだから。

 しかしクロエは魔法を使うつもりなど毛頭ない。再びここを荒れ地にし女王やテレーズに迷惑をかけたくないのもあるが、やはり一般人であるこの娘に魔法を使うのは気が引けるのだ。相手が魔法を使おうが関係ない。剣のみでこの戦いに勝ちきらなければ騎士団としての面目が立たない。

「まあ、あんたが魔法を使おうが使うまいが関係ないさ。オレは勝たなくちゃいけないんだ!」

 砂塵を巻き上げ重く一歩足を踏み出す彼女に合わせて、クロエが剣を薙ぎ払う。

 この女を相手に受け身でいるのはあまりにも無謀というのがクロエの判断だ。ならば相手の動きに合わせて先んじて打撃を加えられれば或いは、という考えだがこれも無駄に終わってしまう。

 側面から襲ってきた剣を片腕で何事も無いかの如く受けきり、そのまま腕を剣に滑らせクロエとの距離を詰める。その動きははさながら滑走しているかのように速くクロエも気付くのが少し遅れてしまう。

〝しまった——〟

 気づいた時には既に遅く、クロエの腹に拳が突き立てられた。

 鎧さえも貫き穿つその威力に、クロエは悲鳴の前に息が詰まってしまい咳き込んでしまう。

 助走をつけた上での、真っ直ぐ打ち込まれた拳には人を殺せる威力にして有り余る。鎧が無ければクロエは重傷を負っていたのは間違いない。

 その怯みに付け込み、ローラは槍の刺突もかくやという殴打の連打を小刻みにクロエに浴びせかける。腹の一撃が響いたのか殴られるまま為す術も無く血反吐を砂にまき散らた。今クロエは殴られるための砂嚢と大差ないだろう。

 その試合風景に観客は見入られ、先の騒がしさと無縁な程に沈黙し静寂な空気に包まれていた。皆、この世の終わりでも眺めているかのように顔を青くしながら取り乱し、言葉を発せないでいる。

 何しろ皆が予想していた試合と正反対の模様が展開されているのだから無理も無い。

 皆としては正直な所、ものの数分でローラが打ちのめされクロエが優勝する図を想像していたのだ。それが皆の眼下で行われている試合の様子は、誉れ高い騎士団の副団長たるクロエが武器も待たない年端も行かぬ小娘に押され手足も出せない状態だ。下手に盛り上がれる筈も無い。

 それどころか、事前に打ち合わせがありこれは予め決まっていたことではないかと疑い始める者も出てきている始末だ。果てにはクロエの強さを疑い始める者もいた。観客席の皆は軽い混乱、錯乱状態にあるといっても過言では無い。

 血色のような日の光に照らされる中、クロエはひたすらに反撃は疎か悲鳴を発することもなく規則正しく殴られ続けた。ローラも無抵抗の相手を殴り続けるのは抵抗があるのか、苦しいのか怒っているのか判別しがたい表情を浮かべている。

 考えてみればクロエの参加した理由があまりにも軽すぎたのかも知れない。

 考えてみればこの娘の参加した理由があまりにも重すぎるのかも知れない。

 クロエはこの娘の事情など知らない。しかし切羽詰まっているというのは察することができた。いや、この必死な形相を見れば嫌でも思い知らされる。

 この娘の実力にしろ、賞金を求める理由にしろ、クロエは甘く見ていた。

 何の目的も無くただ金銭が欲しいだけという者がこんなにも悲愴な面持ちをする筈が無いのだ。

——それに比べてクロエはどうだ?

——確たる理由があるのか?

——調査に使う資金の調達など言い訳も甚だしいのではないか?

——こうして目的意識もはっきりとしないまま参加した結果こんな状況に陥ってしまったのではないか?

 これは天罰なのかもしれない。自分の貯えで間に合わせれば良かったものを欲張り不用意に剣闘祭に参加し剰え油断していたクロエに対しての罰なのではないか? もし本当にこの仕打ちがクロエを罰するものなのだとしたら、彼女は神を恨まずにはいられなかった。

——本当に罰を与えるなら、何故クロエを早々に排斥しなかったのか。

 彼女にとっておそらく決定打のつもりであろう、高速で放たれた拳はクロエに当たることは無く風を切る音と共にクロエの頬を掠めただけに留まった。その異変に思わずローラは唖然としてしまう。

 先まで見切れずにいた筈のローラの拳を、クロエは軽く身を屈ませるだけで回避し損傷を最小限で抑えて見せたのだ。

 続く第二、第三の素早い攻撃もクロエはまるで見知っているかのようにただ上体を軽く揺らすだけで完全に避けきった。途端、ローラは低い呻き声を洩らし数歩後退してしまう。クロエの剣先が丁度胸部に激突したからだ。

 そう、クロエが初めて攻撃を加えられたのである。

「ッ……何で?」

 いくらローラが体を強化しているとはいえ、体が鋼鉄になるわけではない。当然剣で攻撃を食らえば痛みもあるし損傷もする。

 そこは良い。問題なのは何故クロエが攻撃を回避でき、更に反撃を加えられたかという事だ。あれだけ殴られれば戦意なぞ残っている訳が無いし、そもそも先までローラに手足も出せないでいたのだ。いくら考えてもローラには分からず、ただクロエを睨め付ける事しかできなかった。

「あなたの戦い方は初見で対処が困難だったが——もう惑わされない」

 口元の血を腕で拭いながら発せられたその言葉に、ローラは顔が青くなる。

 吶喊しながらクロエの所に突っ走り、腕を振りかぶってそれこそ殺さんとばかりに殴りにかかったがもはや掠りすらしなかった。それどころか、その拍子に剣ではなく手で押し返されのだ。

 その事実に屈辱を感じながらも絶望し、ローラの形相は怒っている様にも血の気が引いている様にも見える。

 結局の所クロエは骨の髄まで武人だったというだけことだろう。

 なすがままに殴られ続け、痛めつけられている最中にこの結末は自分が招いたものと自身を呪いながらも悉に見ていたのだ——ローラの動きという動き、一挙一動見逃さず観察しているうち次第に分かってきたのだ。この娘の戦い方とその癖が。

 武器が拳なのと身体強化のおかげで瞬発力が凄まじく、攻撃に出るまでの速度が速いのだ。しかもおまけに威力が凄まじく厄介だったがやはり穴があった。それはこの娘に染みついた癖だ。

 とりわけこの娘は相手を殴るとき、規則正しい周期的な動きをする癖がある。それに合わせて力を込めているのだろうがそれが仇となった。攻撃に移る瞬間さえ分かれば速かろうが遅かろうが問題ない。避けることなどクロエにとって造作もないのだ。

 そして一度出した拳を下げるのに当然僅かながら時間を要する。つまりこの規則さえ理解してしまえば攻撃を通すことも可能なのだ。一度目の攻撃を躱した瞬間にこそ機会がある。何せその時はもう本人は第二撃目を打つつもりでおり、先に出した手では防御に間に合わないのだ。

「オレは負けられないんだ!」

 必死の剣幕でローラは砂が巻き上がる程力強く蹴り上げ、玉砕覚悟でクロエに飛び込んだ。

 おそらくこの一撃で雌雄が決するだろう。もし当てる事ができたのなら、いくらクロエといえどただでは済むまい。もし避けられたのなら問答無用に反撃を加えられこの勢いも相俟ってローラはただでは済むまい。

 しかしこれは分の悪い勝負だとは思わなかった。いくらクロエが完全にローラの手の内を読んだとはいえ、先までの乱打がまったく効いていない訳が無い。むしろここに至ったなら長期戦に持ち込む方が不利に思える。見込みが甘かったと言わざるを得ない。あのまま勝てると微塵でも考えてしまったローラの完全な読み違いといえる。もっと早くに気付いていればこんな一か八かの賭けに出なくて済んだ筈だ。

 いや、端から死ぬ気で本気になっていたなら勝てたかも知れない。

 今更悔やんでも遅い事はローラも分かっている。しかし悔やまずにはいられなかった。これは遊びでも何でも無い、ローラが一歩間違えるだけで取り返しようも無い大切なものを失う羽目になるのだから。

 普段のローラならこの状況を楽しめたのかもしれない。体を動かすのが好きな彼女にとってクロエと一戦交える機会はそれこそ魔法を超える奇蹟に等しい。その剣術に感嘆し自分の武術がどこまで通用するか試したに違いないだろう。

 しかし、今はそんな楽しめる状況では無い。

 それは——

「オレが勝たないと母さんが死ぬんだ!!」

「えっ」

 ローラの全てが掛かっている拳がクロエに眼前に辿り着く直前、思いの丈を全て吐き出した。そしてその一言でクロエの命運は尽きた。

 ローラにとっては一か八かの賭けでも、クロエにとってその攻撃は何でも無いただの無謀な行動の筈だったのだ。現にローラが踏み込んだ瞬間から、今も尚拳が描くであろう軌道を読み切っていた。

 ならばその軌道から体をずらし、剣を添えるだけでいい。後は突進してきた勢いで剣に突っ込むことになり終わる筈だ。しかしそれができない。避けようとも反撃をしようとも体が動いてくれなかった。

 ローラにとってあの咆哮は気合いを入れるための言葉だったのかもしれないが、クロエにとってあの言葉は呪詛に等しい。決意を根底から溶かし崩す呪いの言葉。

〝私は出るべきではなかった〟

 最後の最後で心が折れた自分を恨みながらクロエの意識は飛ぶ様に消えた。

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