一章 勇者の証  4

 彼女の機嫌は頗る最悪といえた。

「はぁ」 

 これから向かう所を考えると、廊下を進む足が鉄球でも付けたかのように重くなる。気分転換も兼ねて一旦足を止めて周りに目を配った。

 テレーズの指示を受けた数多の召使いや兵達が目まぐるしい程に動き回っている。城内全ての廊下、女王の自室を除いた全ての部屋、挙げ句は地下の倉庫や牢獄にまで足を運び探し物をしているのだ。

 城の内部は目の遣り所に困る程に華美な装飾品、絵画等を恣に配置しており、それこそ装飾過多といえた。そんな華やかな城だが地下はまったくそれとかけ離れた場所といえるだろう。地下には倉庫と牢獄が存在しそこには装飾品など一切存在せずただ明かりが壁に掛けられているのみだ。それが逆に威風を放っているのかもしれない。

 当然、委細を任せられた彼女が全体に目を配らせ監督しなければならないのだ。班を分け、それぞれに監督役となる人物を配置しているのだがそれでもやはり定期的に見回らなければならない。

 このだだっ広い城を何周も歩き回るのは流石の彼女も骨が折れた。それだけならば、まだいい。喩え一日中走り回れと命令されても彼女は弱音の一つも漏らすことはないだろう。しかし、そんな彼女でも耐え難い事はある。しかもその屈辱を何日も受けているというのだから彼女の虫の居所が悪いというのも仕方ないことだろう。

 彼女は罪人が大嫌いなのだ。

 彼女の嫌い方は尋常ではない。テレーズにしたら卑しく汚らしい者は目に入れることすら厭わしく耐え難い屈辱なのだ。牢獄に足を踏み入れる度に目眩がし、あまりの嫌悪感に何度も吐き気を催した事もある。

 そんな数日に渡る彼女の健闘も虚しく、未だに探し物は見つからない。いや、見つかろう筈がないのだ。それは彼女が一番理解している。

 早朝に女王からクロエ達の動向を聞かされた後、クロエ等に渡す筈だった贈呈品の捜索を再び命じられたのだ。女王の話によれば、数日前にサンは都市を発っており、西の領地に向けて目下一人で遠征中との事だ。砂漠の地という事もあってどうやら彼女は苛ついているらしく独り言が多いらしい。

 クロエはまだ都市に留まっている。街を彷徨いては、もめ事、問題を解決して回っているらしい。剣闘祭に出場するらしく、そこで金銭を整える算段なのだろう。

 以上が女王から聞いた話だ。

 クロエに執着しているサンが一緒に旅をしなかったのは意外だったが、何か理由があるのだろうか? 女王から内容こそ聞かなかったが何やらサンとクロエが出る前に揉めていたらしいが——

 ふと、見つからねぇよという兵士達の会話が耳に入りテレーズを思考から引きはがす。

「見つかりましたか?」

 テレーズの姿を見た途端、兵士達は口を閉じいいえと口籠もる。

「では、引き続き捜索をお願いします」

 淡泊にそれだけ命じると、テレーズは再び牢獄へ行くべく足を運ぶ。

 見つからねぇよ——その通りである。クロエとサンに渡る筈だった物は見つかる筈が無いのだ。

 何故なら、常日頃テレーズが持ち歩いているからである。

 盗み出すのは簡単だった。城の女王を含む人間の大多数は彼女を信頼しているため、疑う事すらしない。だったら盗んだ瞬間さえ押さえられなければ良いのだ。女王の側近たる彼女に身体検査などしようと思う者がいる筈もなく、見つかる心配は一切無い。

 心配といえば処理の方法だ。見た目はただの耳飾りだが、おそらく相当な魔力が備わっている事だろう。魔法を使えない彼女でもそれぐらいは容易に想定できる。女王があの忌々しい錬金術師に頼んでわざわざ作らせたのだから尚の事その可能性が高い。売るにしろ捨てるにしろその魔力が原因で足が付くかもしれず踏ん切りがつかないのだ。

 再び彼女は思考から引き離された。酷い目眩と吐き気を催したからだ。そう、来たくもない牢獄の前まで来てしまったからに他ならない。

「はぁ」

 彼女の重い溜息は虚しく消える。

 いつも通りきちりと姿勢と服装を正し、嫌悪感など微塵も感じさせないまま彼女は牢獄へと足を踏み入れた。




 そこには老若男女それぞれが一四人存在しているが、皆共通して重苦しい甲冑姿だ。付け加えて皆一人一人が剣に槍、斧といった武器を携えている。しかし、その全てが危険には変わりないものの刃の部分を叩き潰してあり、ある程度安全面に気を遣った構造をしているといえた。

 皆は今か今かと自分の出番を心待ちにし、昼過ぎという時間帯に相応しい日の差す外の様子を忙しなく窺う。そして胸の熱くなる剣戟の響きに目と耳を傾けながら意気揚々としていた——そう、数刻前までは。

 一人の人物がある女性を見つけてしまい、それが口々に広がり今ではもう気付いていない人物は一人としておらず皆萎縮していた。何故ならその女性の胸部には煌びやかな徽章、勇者の証ともいえる紋章が付けられているのだから。

〝私はどうすればいいのだろう〟

 周囲の面々を一瞥した途端クロエの数日前にした筈の決意が、今になって揺らぎ始めていた。

 原因は前日と前々日、する事も無くただの気まぐれで人助けに奔走したことだろう。街を彷徨いているとやはり剣闘祭を楽しみにしている声が嫌でも耳に入る。その貰える賞金を夢見て鍛錬に励んでいる者も嫌でも目に入る。以前にも考えていた事だ。この者達の楽しみを奪ってでも資金は調達しなければならないのか? 当然、女王からの援助を心頼みにするなど甘えも甚だしいし、民家に押し入るなど以ての外だ。

 思い悩みながらも、クロエは競技場の待合室に佇立し自分の番まで待機している。そんな自分の薄情さに嫌気が差したが、心の奥底では何かと考えながらも諦めてしまっている自分がいることも理解していた。

 剣闘祭とは試合を重ねる毎に敗者を除外し、最後に残った二人で対決して勝った者を優勝者とする試合形式の大会だ。剣闘祭に参加したい人物は数いれど、本戦の前に予選がありここで多くの挑戦者が篩いにかけられる。予選も本戦と同じ試合形式でそれぞれ一六の区分毎に分けられそれぞれの勝者のみが本戦に出られるのだ。

 当然ながら刃物を使用する事はできず、鋭利な刃物にしろ鈍器にしろ自前の武器は使用できない。武器を使用する場合は運営側が提供するものを使用しなければならず、それら全ては刃が潰してある。それでも危険なのは変わりないため、鎧の着用は強制でこれは持ち込みでも構わない。無い者は運営側が提供している者を着用しなければならないのだ。

 試合には細かい決まり事は特になく、勝敗の付け方は簡単で気絶、降参もしくは審判自らが止めにかかる。これだけである。死亡者が出た場合は別の話で、おそらく剣闘祭はそこで閉幕してしまうだろう。

 優勝者には莫大な賞金が賜わされる。当然、殆どの出場者の狙いはこれだ。しかしこの催しの運営側、つまり主催者の女王の目的はただ国を盛り上げ金をばらまく事では無い。観戦し、めぼしい人間に当たりをつけ騎士団に勧誘するのと暇潰しである。剣劇が好きな女王にとってこれ以上の娯楽は無いのだ。

 皆が外で行われいる試合を真剣に眺めているのは、緊張を紛らわすためと孰れ戦うかも知れない相手の手の内を把握しておくためだろう。しかし、クロエは今行われている試合など一瞥するだけで充分だと断じた。把握する意味など微塵もない。

 何せ今外で行われている事は児戯に等しいのだから。

 児戯——そんな彼等を小馬鹿するような考えが頭に浮かび、自己嫌悪に陥ってしまう。

 クロエはそんな戦闘技術の乏しい彼等と相対し、叩きのめそうというのだ。幼稚というならクロエがそうだろう。大人げないにも程がある。もし批難されても弁解の余地もありはすまい。

 もしあるとするならそれは事を成し遂げて初めて——

「クロエ様。出番ですので舞台の方へ」

 クロエの思考の悪循環を断ち切るように声が割って入ってくる。

 剣闘祭の裏方だ。こうして声をかけて回り、大会が円滑に進むように気を配っているのだろう。

「分かった」

 悩んでも仕方ない。本当に申し訳なく思うなら成果を出せば良いのだ。

 その悪魔はいくら大金を積もうとも始末できるものではない筈。でなければクロエやサンに頼まずとも、もっと賢い方法があるはずなのだ。

 クロエに賞金を渡して正解だったと思えるだけの結果を女王や民に指し示せば良い。

 決意を新たに舞台へとクロエは軽やかな足取りで向かった。


 クロエは攻撃をいなしては軽く反撃し、直ぐに決着を付けようとはしていないのか魔法は疎か決定打となりうる攻撃をする素振りを見せなかった。それでも徐々に相手は戦意を失いつつあるのだろう、攻める手が緩くなりつつある。

 仕方ないことかもしれないが、クロエの動きにサンとの試合に見せたキレのある動きは見られず、体力の消耗も期待できない。相手が降するのも時間の問題だろう。

 何より、なまじ本気を出さないものだから実力が張り合っていると勘違いして観客が盛り上がっているのが痛ましかった。クロエとしては相手を傷つけないように気を遣っているのかもしれないが、そのせいでその対戦相手の心が傷ついていくのだから皮肉も良い所である。

 もし己が問題なく勝ち進むと仮定したのなら——決勝まで上がると仮定するのならば、最後の最後で彼女の障害となる人物は十中八九クロエ=アンジュだろう。外で行われている試合は彼女をそう確信させる程に圧倒的だった。

「オレはクロエさんに勝てるのか」

 無意識に呟いていた。

 クロエの実力を推し量ろうにも、今行われている試合は何の参考にもならない。クロエが手を抜いているというのが明らかだからだ。ならば数日前に行われたサンとの試合を思い返した方が余程有意義だろう。しかしいくら思い返しても詮無いことだ。何故ならどれだけ思索しても自分の勝てる姿など想像できないのだから。

 彼女にとってこの事態は誤算だった。自分の力量ならば辛いながらも何とか優勝できる目論見だったが、騎士団の副団長に参加されたのではその考えも改めざるを得ない。彼女はやるせなくなり唇を噛む。

 ローラ・カリエは剣闘祭の参加者の一人だ。しかし他の参加者と違い、鎧が右腕の部分だけ傷だらけで浮いている。その部分のみ彼女が持ち込んだもので他の部分は借り受けた物だからだ。そして何より違うのは武器を何も所持していないことだろう。

 彼女は癖のある赤毛に大らかそうな垂れ目でどこにでもいそうな普通の少女だった。そんなまだ年端も行かないローラにはどうしても金が必要なのだ。それも端金じゃない、莫大で途方も無い金額が。

 彼女とて鍛えていない訳では無い。戦闘の経験でいうならそこいらの人間とでは比較にすらならない程ある。だからクロエにもある程度なら食い下がる事も或いは可能かも知れない。もし油断してくれるなら勝利する事も決してできないことではないだろう。だがクロエの性格上それは期待できはしまい。

 しかもサンとの戦闘で見せた魔法、あんなものを使われたならもはや勝ち目などあろう筈もない。会場を焼き尽くさんばかりの炎の塊、それを瞬時に消しうる程の大量の水、とてもローラ一人でどうこうできる相手ではない。

 まさか魔法は使用しないだろうが、絶対と言い切れないのが痛いところである。ローラも魔法は使えるといえば使えるのだ。しかし派手さはなく、とても魔法の炎、水をどうこうできるものではない。

 とはいえ、クロエがどれだけ強かろうが負けられないのだ。クロエの賞金の使い道などローラには分からないがそれでも自分の方が後が無く、賞金を欲していると断言できる自信があった。

 おそらく次回の剣闘祭までは持たないだろうし、普通に稼いでいる分には全くといって良い程足りない。

〝何を弱気になっているんだオレは……〟

 ローラの顔が一層苦々しく険しい表情になる。

 クロエの対策を考えるより先に、決勝まで進まなければ意味が無い。それまでに当然クロエも曲がり形にも戦うのだからそれを参考に対抗策を講じればいい話だ。

 沈みそうな心を鼓舞し、改めてクロエの試合を眺めることにした。

「勝たないと……次はもう無いかもしれないんだ」

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