一章 勇者の証
一章 勇者の証 1
ありとあらゆる贅を凝らし、鮮やかでない箇所など何処にも無く見る者を圧倒し魅了する。クロエとサンが呼び出された場所はそういう所だ。
ここはヴィトゥ王国の中央にある城の中で王が許した人間のみが入ることができる場所――謁見の間である。
「急に呼び立ててしまって申し訳ありません。実はあなた達に折り入ってお願いしたいことがあるのです」
上座に座っているその人物こそがクロエとサンを呼び出した人物。クリスティア=ローズ・ブール、この国の女王に他ならない。
絢爛な衣装を身に飾り、透き通る様な金髪をまるで装飾品の様に下ろしている。その美しい容姿、気品はまさしく女王陛下という立場に相応しいものではなかろうか。クロエは日々そう思えてならなかった。
「は。それでご用とは?」
下座に屈している二人の人物、その内の一人がクロエ=アンジュ・クノーだ。鎧姿で肌は日に焼け褐色になり、髪は美しい金髪だが動きやすさを重視し短髪にしてある。その長身も相俟って、大人びて見える。
「急な事で驚かれるかもしれませんが、あなた達に悪魔の調査及び誅殺をお願いしたいのです」
「クリスティア様、悪魔や魔女に関しての荒事は教会の仕事なのでは?」
今までクロエの横でただ黙し、屈していたにも拘わらず不意に反応した人物、それがサン=ブラン・ノワールだ。彼女も鎧姿ではあるが脚と腕にしか着けていない。肩まである黒髪をそのまま下ろしているのと、その色白の肌、背丈の小ささだけを鑑みると普通の少女と何ら変わらない。
「はい。通常ならばそうなのですが、まだ被害は少なく目撃者もろくにいません。謂わば噂だけが蔓延している状態なのです。なので教会も本腰を入れてくれません。だからこそあなた達にこうして調査を頼んでいるのです。被害が拡大してからでは遅いのです」
要するにまだ被害は小規模らしい。
教会が片手間に対処するのも当然なのかもしれないが被害が大きくなってからじゃ遅いというのが分からない訳じゃないだろうに。クロエは落胆禁じ得なかった。
「そしてこれは
心苦しいですが、これも民が将来安穏に暮らすため、仕方のない事なのです」
女王はよっぽど悩ましいのか、そっと頭を抱える。よっぽど思い悩んで決めた事柄に違いない。しかし――否、だからこそクロエはその法に頼ろうなどとは微塵も思わなかった。
「陛下よ。申し訳ありませんが、私は如何なる理由があろうとも民を足蹴にする事はできません」
有り得ない事だ。民を救おうというのにそれを理由に民を踏み台にするなど断じて許される筈がないし、出来るわけがない。それにそんな事をしようものなら女王の顔に泥を塗ることになるのは目に見えている。
クロエが返答する様をサンは凝視していたのだが誰も見咎めはしなかった。
「やはりそうですか……そうですね……あなたに民を虐げる事などできる筈がありませんね」
「それでクリスティア様、悪魔が何処にいるのか大まかな場所だけでも分からないのですか?」
「分かりません。被害者の場所も区々です。ですからあなた達には国中を歩き回って貰うことになります」
不満こそ口に出さなかったが、返答を貰ったサンの顔は明らかに苦々しかった。何せ急に呼び出された上に国中を調査しろというのだから当然の反応だろう。
「この調査を行う人数は三人です。あなた達にヴィー騎士団の団長たる人物。
団長は一足先に出ました。あなた達も準備が整い次第、調査を始めて貰います。
部下の兵達は置いていった方が良いでしょう。大勢では動きにくくなりますしね。必要になれば連絡を下さい。すぐに向かわせます」
女王が横にいる兵士に指で合図を送ると、兵士は煌びやかな徽章をクロエとサンに手渡した。手にとって繁々と徽章を見つめるも、女王の意図が掴めないクロエはふと問いの言葉を漏らす。
「陛下、これは?」
「勇者の紋章。つまり今回の任に参加しているという証のような物です。それを着けていなければ先程話した法も適用されません。
その徽章を着けている間、あなた達は騎士団長でも副団長でもありません。一人の勇者として皆で協力しあい事を成し遂げて下さい」
「陛下。私達は団長殿の顔は疎か名前も知りません。それでは協力しようもない」
クロエとサン、騎士団の人間は勿論の事、騎士団長の事はほんの一握りの人間しか知らない。少なくともクロエ、サンはその人物像すら聞いた事が無い。いくら勇者の紋章があるとはいえクロエが不安がるのは仕方ないといえよう。
「申し訳ありませんが、団長の名前を教える事はできません。何せ団長には隠密に行動して貰う事が多々あります。名前が外に漏れてしまっては内密に動けなくなる恐れがあるのです。分かって下さい」
「しかし、いえ……無理な要求をしてしまい、申し訳ありませんでした」
すっとクロエは頭を垂らす。団長の名前を知れないのは痛いが、女王が無理という以上どうしようもない。それに何も悲観する事はないのだ。この錚々たる顔触れならばそんな事は瑣末な事だ。
ヴィー騎士団、この国の常備軍で入団しようと思うならかなり厳しい試験と実地、面接を合格しなければならない。従ってそこには凄まじい戦闘技術を持つ人間しかいない。そこの騎士団長たる人物と副団長たるクロエとサンが選出されたのだ。これ以上にない顔触れだろう。
「さっき教会はほとんど動いてくれないと言いましたが、南に位置する領地、フェンリル領には教会の方々が集まっておられます。時期に他の地にも手が回るでしょう。ともかくそこは調査しなくても大丈夫でしょう。
最近の教会は随分と様変わりしました。今回の悪魔の事に関しては言うに及ばず、魔女狩りにしてもそうです。少し前なら迷える人も魔女も別け隔てなく救っていたのですが今では皆が殉職する事を恐れて積極的に行いません。実行したとしても殺害するばかりで救おうとはしません。真の意味での聖職者なんて今はいないのかもしれませんね。――ああ、話が横に逸れましたね」
女王の言葉など聞こえないとばかりに徽章を嘗めるように見つめているサンとは違い、クロエは静かに聴き入っていた。
そこで女王は、はっと何か思い出したように手を叩き、嬉々と兵に命じる。
「最後に渡したい物があるのです。アレを持ってきて下さい」
端から見ても分かるほど歓喜している女王に、恐れながらと兵が耳打ちをする。途端に女王の顔が険しくなり、分かりましたとだけ返す。
「話は以上です。支度ができ次第速やかに調査を開始して下さい。期限は設けません。必ず成果を上げて下さい」
「陛下。申し上げたいことが」
「何ですか?」
女王はそれどころではなさそうなのは一目瞭然だったが、こればかりはとクロエは胸の内を吐き出す。
「恐れながら、陛下は近頃錬金術に熱中され他のことを疎かにしている節が見られます。またその錬金術のせいで税が嵩み、民が苦しんでいるという声も聞きます。どうか御自重ください」
「……分かりました。錬金術は必ずこの国の役に立つ筈なのですが……あなたがそこまで言うならしばらく控えましょう。税に関しても少し見直します」
正直クロエは錬金術に辟易していた。前に諫言した時は国の発展に繋がると言って取り合ってくれなかったのだ。女王がそう言い切る以上そうなのだろうが、如何せん金が掛かりすぎる。国が発展する前に民が重税で餓死しかねない。
それを今回は控えると明言してくれたのはありがたかった。これで少しは民の生活も楽になるだろう。
「もうよろしいですか? では頼みましたよ」
「「畏まりました。では失礼します」」
クロエとサンは女王に一礼をした後、謁見の間から退出する。その一連の流れの優雅さは流石騎士といった所だろうか。
しかし、そんな優雅な仕草にも今の女王は何も感じる余裕が無かった。――そう、焦っているのだ。
立ち上がり兵等に一喝する。
「城内をくまなく探して下さい! 何処かにある筈です!」
厳重に保管していた筈のクロエとサンに渡すはずだった物が紛失したらしい。
今回クロエ等に頼んだ任、恐らくは達成できるだろうが絶対とは言えない。しかしあれを渡せれば万全なのだ。
女王は内心悔しくて仕方なかった。
女王から命を受けてから次の日、クロエは女王に民衆に向けて演説をしたいという許可を貰いに行った所、二つ返事を貰った。そこから更に数日を要してこの都市ヴィトゥの広場に演説をする準備と民衆にクロエが演説をするという事を広告した。
そして現在、運良く天候に恵まれた彼女は広場にいる大勢の民衆を見渡せる位置――演説台の上にいる。まさに今から演説を始めようというところだ。
「皆もう噂や新聞で既に知っているかもしれないが、この国の何処かに不浄の象徴ともいえる存在、悪魔が潜んでいるかもしれない……いや、恐らく存在するだろう。現に被害者も出ている」
周囲が一気にざわめいた。何せあくまで噂でしかなかった存在をこうして公の場で本当に存在する可能性があると明言されたのだから無理からぬことだ。
周囲の動揺を肌で感じながら、更にクロエは続ける。
「そして皆が一番気になるのは、新たにできた法の事だと思う」
周囲の場が一気に張り詰めた。国中の人間がわざわざこの場に集まったのも、当事者からその話を聞くためというのが殆どだ。
民からすればそんな胡乱な存在の調査のために、訳も分からず侵されてしまうのかもしれないのだから当然だろう。
クロエは鎧に着けている徽章をここぞとばかりに指し示す。
「この紋章を着けている人物。つまり勇者は何をしても裁かれない……端的に言うならそういう法だ。
しかしこれは悪魔による被害を最小限の内に抑え、駆逐しようという陛下の苦渋の決断なのだ。そこは分かってほしい。税が嵩み、苦しいこの時に追い打ちをかけるかのようにできたこの法、皆にとっては忌々しく思えるかもしれない。しかしもう一度良く思い出してほしい。選ばれた勇者を。
私も含めて選出された者に皆が考えているような卑劣な手段に走れる者がいる筈が無い。皆も知っている筈だ! 選ばれた者の顔触れを! だから安心して待って欲しい! 私達の勝報を……国が救われたという快報を!!」
クロエの大声に呼応するように周囲の人間も歓声をあげる。さっきまでの張り詰めた空気はまるで嘘だったかのように霧散していた。
この瞬間、彼らの中に悪魔に対する恐怖も理不尽な法に対する不満も存在しない。誰もが手放しに目前の天使を信頼し褒め称えていた。
皆の熱い視線とは別に、まるで愁嘆場でも眺めているかのような哀愁に満ちた視線をクロエに送っている。そんな人物が民衆の中に溶け込んでいた。丁度、右肩の鎧の部分に勇者の徽章を着けている女性だ。
彼女の存在に気づいた者は、少し距離を置いているため、彼女の周りには若干不自然な空間がある。
サンである。彼女はこの演説を聴き、感心もしたし感動もしたが何よりも心配の念が先に立ったのだ。
彼女は昔からそうだ。何でも自分で背負い込み、まるで自分の責務であるかのように他人の尻拭いをする。それが女王の事となると尚のこと酷い。
今回の演説にしてもそうだ。わざわざクロエが新しい法について弁解する必要があったのだろうか? それこそ女王の仕事ではあるまいか?
サンは女王にそれほど敬愛の念は抱いていない。というよりも嫌忌の念さえ抱いている。
勿論、命令には従うし謀反を起こす気も更々ない。ただ気にくわないのだ。錬金術などという不可解なものに手を染め、クロエを悩ませているという事に。重税で民を圧迫する分には全く構わないが、クロエを苛ませるというのは度し難いという他ない。
サンが思い悩んでいる内にクロエの演説は終わった。周囲の歓声を一身に受けながら階段を下りるその姿はまさに勇者の風格が備わっている。
見惚れるのも束の間、サンは周囲の人間を弾くように退けながら一心不乱にクロエの元に駆けた。
小声で批難する声も聞こえたが、民衆の評判など彼女にとって微塵の価値も無い。それこそ溝に捨てる羽目になったとしてもサンは何の未練も示さないだろう。
「クロエ!」
クロエに辿り着いた時にはもう階段を下りきっていた。今から城に向かう手筈なのか広場の出口間際でどうにか呼び止める事に成功した。
「サン……いたならお前も演説台に上がれば良かったものを」
「そんな事より、クロエはいつぐらいにここを出るの?」
民衆の事など知ったことでは無い。サンにとって重要なのは最後にクロエと話す機会があるかどうかだ。
「どうかな……特には決めてないが、数日は残るつもりだ」
「ああ……良かった」
一日あれば事足りるのだが、この日に出発されるのでは手の打ちようがない。サンは安堵の溜息を吐く。
「そんなことを気にしてどうする?」
「しばらく顔を合わせることもないし、最後にどう?」
クロエと会話するにあたって、一番効率の良いのはこれだ。クロエは無類の決闘好きで戦いの中でなら本音の一つや二つを吐き出してくれるだろう。
サンはそれを期待して誘った。
「ああ……成る程、そういう事か。私もお前との力の差をはっきりさせたかった。このままずっとお互い同じ〝副団長〟じゃ納得いかないしな。最後に決着を着けよう」
民衆がどっと湧いた。何せ騎士団の副団長同士の決闘を観戦できるかもしれないのだ。興奮するのも無理からぬ事だろう。
クロエから並々ならぬ闘志を感じ、またそれに誘われる様にサンの燻る闘志にも完全に火が付いた。周りの声など気にならない。普段のサンならば雑音に苛立ちを募らせ、自分たちの決闘は見世物じゃないと一蹴していたことだろう。しかし今はそんなことは気にしてられないのだ。
何故なら気を抜こうものならクロエの闘志に押し潰されてしまいかねないのだから。
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