[2]

 それは奴隷の列だった。

 人間ではない、人の形をした獣の性質を持つ獣人たちだ。彼らは薄汚いボロを着ており、それさえも服とは呼べず隠すところさえ隠れていない者も居る。彼らはとても汚かった。髪はボサボサで、肌は土気色。頬は痩せこけ、体から異臭を放っていた。糞尿のなんとも言えない臭いが、辺りに撒き散らされる。

 獣人の奴隷たちは首と手足に枷を付けられ、自由を奪われていた。多くの者は、その獣の耳と尾を持つが、十一人居る奴隷の中に一人だけ、獣頭を持つ者が居た。それは古代エジプト神話に描かれる神々のように、或いはそれに使える神官か。

 周りには人間が群がっていた。彼らから放たれる臭いに顔をしかめながらも、その愚かな姿を見て、下卑た笑みを浮かべている。

 男、男、男、女、女、女児、男児、男児、獣頭の男、女、男。この縦列が、ローブを羽織って素顔の見えない人物に牽かれて、通りを闊歩した。

 国際多種族共生憲法なぞ、この状況下では意味を成さないモノだった。世界が広大であるが故に、人権が、魂の価値が低くなった。それは金で買える価値にまで。尊さは損なわれ、人身売買は当たり前になった現状が世界には蔓延していた。

 彼ら奴隷たちは、社会の無責任さの上に、自らの手で――或いは他人の手で倒れたのだ。ある者は困窮した生活を一転させるが為に犯罪を犯し、ある者は子どもを奴隷として売り、ある者は既に奴隷としての身分で転売された。先進国ではあり得ない非常識ではあるが、その先進国へも輸出されているのだ。

 やがて、先頭に立つローブの人物が歩みを止めた。そこは広場だった。その中心には壇が用意されて居た。広場には重装備兵が何人も立っており、その数の三倍以上の衆人が集まっている。その手には小汚い紙幣の束を握りながら、ニヤニヤと舐めるような目付きをしていた。

 ローブの人物が、寄ってきた重装備兵に持っていた鎖を手渡すと、一人壇上に上がる。そして壇上に置かれていたワイヤレスマイクを手にして、もう片方の腕を大きく広げた。

「ようこそっ! 紳士淑女の皆さん! 一ヶ月に三回行われる奴隷オークションの時間がやってまいりましたよ! 今回は獣人を揃えてみましたぁっ! ――おい、壇上に上がらせろ」

 喜々した声を張って、広場に集まる衆人たちに挨拶をするローブの人物。マイクを通し、広場に設置されたスピーカーから聞こえるのは、少し高音な男の声だった。しかしそこから、ある程度の年齢は分析できた。声質から男は中年といったところだった。

 マイクを口元から逸らした男は、先ほど奴隷を繋ぐ鎖を持たせた重装備兵に、声を掛けて支持した。兵士は無言のまま頷き、鎖を引っ張る。獣人たちの体がぐっと引かれると、少し間を置いて、歩き出した。

 十一人の奴隷が壇上に立つと、広場を囲むアパートメントから軽装備の覆面兵が現れる。その兵士たちが、壇上に立つ奴隷たちの枷に繋がる鎖を解くと、今度は両手を背中へ持って行き、その手に手錠を掛けた。ローブの男は、その光景に革グローブをした手を揉む。

「さぁ皆さんっ! オークションの始まりです。さて、まずはこの獣人ですっ!」

 そう言いながら、手で壇の前方に連れてこられた獣人を指す。それは男の獣人だった。筋肉質であっただろうその体は、かつてのような筋肉は解けて、弱々しい雰囲気を放っている。

 一見すれば人間にしか見えない彼の頭からは、側頭部に生える耳とは別に、獣の耳が生えていた。それはネコ科の耳だった。背後からも尻尾が生えており、それを弱々しくニョロニョロと動かす。

「性別は、種族はハイピューマっ! 出身は西方大陸イェルゲンのロンバウス高原。今は弱っておりますが、様次第では屈強なハイピューマの戦士となります。その他にも肉体労働にもおすすめです」

 ハイピューマ族。

 幻想領域に於いて、大西洋上に浮かぶ北米大陸の1.5倍の面積を持つ『西方大陸・イェルゲン』の東部に広がるロンバウス高原で生活を営む獣人の一族。賭け闘技その界隈ではとても有名な戦闘種族の一つ。地球に生息するピューマの耳と尾を持つ。

 やせ細ったハイピューマ族の男は、虚ろな瞳を衆人に向けた。ローブの男が口にした『飼い主』という言葉に眉をピクリと動かしたのを、誰も知らない。

「……では、スタート価格は米ドル基準で五〇〇〇ドルからです。それでは買い手バイヤーの皆さん、入札開始です!」

 高らかに上げた右腕を振り下ろすと、銅鑼どらの重低音が響き渡る。すると、衆人――バイヤーたちは次々と入札ビットしていき、あっという間に金額は二万ドルにまで跳ね上がった。ここからは入札していくバイヤーの数が一気に減っていく。徐々に釣り上がって行くと、それに比例して入札数も落ちる。

「――現在の高値、三万千ドルです。あと十秒で落札とさせて頂きますが、如何でしょう?」

 静まり返るバイヤーたち。その中で一人、拍手をする女性がバイヤーをかき分けて前に出てきた。素顔の見えないローブの男だが、その口角は釣り上がっただろう。マイクを口元へ持っていき、ふざけるように女性を見て驚いた。

「おおっ! これはこれは、マダム・マリエ。貴女でしたか、落札者ウィナーは……っ! さぁ、壇上へ」

 女性はローブの男の顔見知りだったようで、随分と親しい態度を振舞っている。マダム・マリエと呼ばれた恰幅のいいノースリーブの白いドレスを着た中年の女性は、何も言わずに微笑みながら、男に促されて壇上へ上がる。

「……おい、マダム・マリエって『あの』マダム・マリエだよな……?」

 バイヤーたちがざわめく。

「ああ、有名な『狂戦士育成者バーサーカー・メイカー』だ……。あのハイピューマもあのひとの、兵隊おもちゃってわけか」

 バイヤーたちが口々に出す狂戦士育成者バーサーカーメイカーとは、文字通り、狂戦士を育成――作り出す者を指す言葉だ。国際多種族共生憲法上では、禁止されているが、既に各国の“狂化”歩兵部隊としてが行われている。その目的とは、一重に“強力な戦力を保有するため”である。

 狂戦士バーサーカーは、育成者メイカーの指示にしか従わない。敵に奪われることも無ければ、制御出来ない訳ではない。まさに超安全的な戦力として使い勝手が良いのである。しかしそれはあくまでも、軍事関係に関わることであり、一『奴隷使い』が持つ理由にはならないし、その戦力を使用する目的も無い。しかし裏社会アングラでは、掛け闘技があった。

 掛け闘技。所謂、金を賭けてリングの上で繰り広げられる無法的な白兵戦を観戦することである。そこには勿論、戦う存在が必要になってくる。そこで狂戦士育成者は、自ら育成した狂戦士を掛け闘技に投入し、莫大な資金を得ているのだ。ある都市伝説では、世界のどこかで行われる掛け闘技が、その時代を大きく左右すると言われている。

 もう一つは、狂戦士の販売である。壇上に立つマダム・マリエが手掛けた狂戦士の多くは奴隷である。奴隷は奴隷商によって服従術式が施されている。この服従術式こそが、奴隷の持ち主の変更を可能とし、奴隷を服従できる。このシステムを利用して、マダム・マリエは各国軍部に手掛けた狂戦士を販売し、たった五年で中堅国の国家予算規模の巨額の金を稼ぐに至ったという。

「さぁ皆さん皆さん、あの有名なマダム・マリエですっ! 彼女がハイピューマを落札しました。……ところでマダム・マリエ、このハイピューマ、如何いかがするのでしょうか?」

 ローブの男が楽しげに、マダム・マリエに質問をする。マイクを向けられたマダム・マリエは口元を隠しながら静かに笑うと、

「分かっているでしょう? わたくし一端いっぱし狂戦士育成者バーサーカーメイカーなのよ? そこは察して頂きたいわ。……けれど、このハイピューマはとても可愛い子ね、私、こういう子がタイプなのよ。当分は存分に味合わせて頂きますわ」

 バイヤーたちが顔を真っ青にして、マダム・マリエの発言に引いた。ローブの男ですら、困惑して二歩三歩、その場から離れる。当の本人は、色っぽくねっとり――いや、彼女の場合は不気味だ――とした声で、ハイピューマの上半身を指先で撫でている。

「え、ええと……。本日は誠にありがとうございましたぁっ! それでは、あちらの方で手続きをお済ませぐださいませ……では、気を取り直して――続いての商品ですっ!」

 ローブの男は、凍ったオークション会場を溶かすために、仕切りなおした。

「……」

 その光景を、バイヤーの集団の中から眺めていた赤毛の女性が居た。凛々しい顔つきだが、どこか幼さを残した顔の眉間には浅いしわが出来ていた。睨むように。

 ポケットからスマホを取り出すと、メールアプリを起動させて素早い手付きで何やら書き込んでいる。手が止まった。彼女は書き込んだ内容に不備が無いか目で流し読みしていく。問題がないと認識した彼女は、送信ボタンを押してスマホをスリープ状態にしてポケットに戻す。

 顔を上げて、再び壇上の方を見た。しかし彼女の目にはローブの男も、マダム・マリエとハイピューマも見えていなかった。その目が捉えていたのは、獣頭人身である。屈強な体付きで身長は二メートルはある、ドールあかおおかみの獣頭を持つ男を彼女は見守っていた。

 首から下げた認識票ドッグタグが、きらりと光る。そこには『アレッシア・ファイアドロー』と刻印されていた。


  ■


 同時刻。

 オークションが行われている広場から、五〇〇メートル離れた所に建つ築三〇年ほどのアパートメントの一室に、四人の男女が居た。二階の角部屋で、三つある窓の一つ――オークション会場方面の窓を開け放っている。その窓辺に、オークション会場の方を眺める男が居た。歳は三、四十代ぐらいのがっちりとした体格の中年だ。彼はデジタル迷彩が施されたミリタリーブルゾンを羽織っている。

隊長ボス、潜入中のアレッシアからの報告、ハイピューマ族の獣人が落札されました」

 ボスと呼ばれた男の背後に立つワイヤーフレームのメガネを掛けた白人の青年が、タブレットを片手に報告する。男は青年の方を顔だけ向くと、口を開いた。

「落札者は?」

「……マダム・マリエ、裏社会では有名な狂戦士育成者バーサーカーメイカーですね」

「んなこと位分かっている。レックスの状態は?」

 薄く生えてきた顎ひげを弄りながら、男は体も青年の方を向いた。青年はメガネを指先で調節しながら、タブレットを覗く。

「問題ありません、バイヤーたちからは珍しげに見られている、と」

「獣頭人身だからな……よし、エイブ、屋上うえでイリスの観測手スポッターに就け」

「了解」

 男が手を軽く振りながら指示を出すと、青年は格式張った敬礼をして部屋を出て行った。それを見届けた後、部屋に残る二人の若い男女を視界に捉える。

 黒髪短髪で黒い瞳を持っている目鼻立ちがそこそこ良い少年と、きれいに長く伸びた茶髪をポニーテールにしている澄んだ黒い瞳を持つ少女を視界に捉えた。どちらも国籍は日本人で高校生だったか、と彼らの身分を思い出す男は、一つ咳払いをした。

「ナガト、チヒロ、出番だ。お前らは突入要員として、会場制圧を任せる」

「……えっ? 待って下さいよ、隊長ボス。俺ら二人でやるんですか?」

「馬鹿言うな、ナガト。現地入りする前にブリーフィングでも伝えただろ、この作戦は突入部隊――もとい、二三名の強襲部隊による会場制圧を行うとな。ちゃんとブリーフィングは聞いておけ」

 素っ頓狂な声を出した少年、鴉取長門あとりながとの疑問に正論で答えた男は、少女、十朱千尋とあけちひろに声を掛けた。

「お前も理解しているな? チヒロ」

この馬鹿ナガトと一緒にしないで下さいよ、隊長ボス。私はバッチリ理解してますから」

「ならば良し……さて、準備をしろ」

「「了解」」

 男が眉間に深いしわを作り、指示を出す。若い男女二人もまた、格式張った敬礼をすると、ベッドの上に置かれていた装備を取り上げて、装着する。

 長門の手には、ゴテゴテにカスタマイズされたP90とロングバレルのリボルバー拳銃を持っていた。対して千尋の手にはブルパップ型ライフが握られている。二人の年齢には不相応な格好に、小さく噴き出す男。「何が可笑しいんですか?」と聞いてくる千尋に「なんでもない」と答える男は、頭を振って気を取り直す。

「行って来い」

 その言葉を聞いた二人は、元気よく「はい」と返事を返して部屋を出て行った。


〈こちら『赤髭王バルバロッサ』、全部隊聞こえているか?〉

 耳に装備したインカムから、男――ボスの声が聞こえてくる。長門は返答ボタンを一度押して反応する。

〈……全部隊の確認が取れた。これより状況を開始する。合図があるまで待機せよ〉

 了解、と脳内で軽く返答した長門は、オークション会場の方に視線を送った。横から千尋が顔を出して覗く。それを一瞥するが、また視線をオークション会場に向けた。会場からは熱気が溢れており、そんなに楽しいのかと思ってしまう長門。

 東欧・新興国デルアド共和国。十二年前に圧政を強いてきた軍事政権を打倒した後に誕生した国家として数年前まで各国から注目を浴びていた。その勝利の革命の裏には、デルアド最大級の財閥『ジートコヴァ財閥』が資金援助と武力提供を行っていたからである。革命後は、ジートコヴァの傀儡政権として現政権が存在する。

 このジートコヴァ財閥は国土の1/4を私有地とし、それぞれに『サイト』と名付けた。国内外への発言権が強いジートコヴァ財閥の行動を、政府は黙認していた。そしてこの有様である。ジートコヴァのサイトは無法地帯と化し、そこでは非常識が常識と化している。今回の奴隷オークションもまた、ジートコヴァの裏事業の一環である。裏社会アングラとの繋がりを持つジートコヴァは周辺諸国にとっては大きな脅威となった。

 そしてそれまで傀儡政権と罵られたビュルフ政権は、超多国籍企業ブレイズ・マスター社の傭兵部門であるナベリウスへ、ジートコヴァ財閥の実態解明を依頼。その実態が国際憲法――つまり、国際多種族共生憲法に反していた場合は、武力介入を認めるとした。

 それが今回の作戦――長門や千尋の参加している作戦の経緯である。

 喧騒に塗れる、『サイト4』の中心地たるオークション会場。既に周辺区域は封鎖しており、長門たちの格好を見る人間は今のところ居ない。

「ねぇねぇ長門」

「んー?」

「奴隷の売買ってダメなんだよね、なんでジートコヴァはやっているの?」

「それさえも利潤にしたいからだよ。死の商人とは、まさにその通りだな。複合企業で、友敵関わらずにサービスを提供する」

〈お喋りはそこまでだ。長門、千尋。……全部隊、突入準備。10カウントで突入しろ〉

 10。

 長門は息を呑む。砂色の石畳をブーツの底で二度踏み込む。

 9。

 千尋が鼻から大きく息を吸って、ライフルを構える。

 8。

 盛夏の空は快晴で、とても暑い。二人はゆっくりと垂れてくる汗を手の甲で拭う。

 7。

 目視で身の回りを最終チェックする。P90のセーフティを解除し、リボルバーの装弾数を確認する。全六発入っている、問題ない。

 6。

 千尋が長門の背中に手を当てた。なんのつもりか問おうとも思わない長門は、ただその瞬間を待った。

 5。

 壁の陰から出て、素早く突入できるように準備する。

 4。

 3。

 2。

 長門は目を閉じて、いつもは信じていない神に、勝利と成功を祈る。

 1。

 0。――その時は来た。

 発砲音が突入の狼煙となり、長門たちもそれに応じるように、会場へ突入する。

 動くなっ! と隊員が声を荒げるが、バイヤーたちは我先に逃げんとして、広場は混乱に突き落とされる。

〈バイヤーどもを捕縛しろ。ブラボーチームは奴隷たちの保護、アルファチーム――長門と千尋は奴隷商を捕縛しろ。……これを機に、マダム・マリエもだ!〉

 赤髭王バルバロッサが感情的な声で指示を出す。それに答える間もなく、二人は広場中央に駆けた。壇上の上に立つ獣人たちを、長門たち同様に黒い戦闘服を着る武装した隊員が、拘束具を解除していく。その中で、ドールあかおおかみの獣頭人身だけ拘束具を外されずにいて、舌打ちをしているように見えた。

「レックスっ!」

 長門がドールの獣頭人身に叫んで声を掛ける。それに気付いたドールの獣頭人身――レックス・フラウロスは、困り顔に苦笑を取って着けて長門を見た。

「おお、『荒ぶる者セト』か。済まないが、この“ブレスレット”を外してくれ」

 後ろに回された腕を上下させて、手錠をかちゃかちゃと揺らす。

 その頼みに、長門はレックスの背後から駆けてくる者の顔を見て、

「アレッシアが後ろに、アレッシア頼んだ」

「頼まれた――『封印を打ち砕く星シール・ブレイク』」

 赤毛の女性、アレッシアが壇上にひとっ飛びで上がり、レックスの手錠に手を掛けて、破壊系統魔法を詠唱した。すると、手錠は一人でに解錠してごとりと床に落ちる。

 手錠の外れたレックスは、両手の手首を少しばかり揉んだ後に、胸元ほどにあるアレッシアの頭を撫でた。

「ありがとうな、『首狩りの姫デュラハン』」

 その言葉に、アレッシアは白肌の顔を赤らめて、小声で「はい……」と答える。撫でる大きな手が頭から離れると、アレッシアは物欲しげな顔をしたが、レックスは見ていなかった。

 そのレックスはというと、口の端を釣り上げて牙を剥き出して笑っていた。その顔は凶悪という言葉そのものだった。拳を作って、拳同士を打ち付けるレックス。

「それじゃあ、オレもやるか――『傲慢な秩序を解き放たんビースト・オーダー』っ!」

 雄々しく天に向かって吼えるレックス。その双眸は焦茶色から、充血したような紅色の瞳になる。体に纏っていたボロ切れを脱ぎ捨てると、筋肉隆々の体があらわになる。その肉体には幾つもの傷跡が有り、それはレックスが歴戦の戦士である証であった。

 それだけではない、そのレックスの上半身に濃い赤色の太線が幾何学的な紋様が浮かび上がっている。その紋様は、生きているのか有機的な鼓動を打つ。上半身を這う紋様を指でなぞるレックスは、その場から大きく跳躍した。

 周りに居るジートコヴァの私兵が、レックスに銃口を向けるが、当のレックスはそれを諸共せずに私兵の頭をピンポイントに狙って殴り飛ばす。その私兵達は平等に首と胴体が切り離された。

「……相変わらずの怪力だな」

 長門はぽつりとそう呟いた。B級スプラッタ映画よりも凄惨な出来事が起こったから、そう思い口にするのは仕方のないことだった。

「もぅ、レックスのことばかり見てないっ! くだんの商人もマダム・マリエも逃げちゃうよぅ!」

 千尋の文句に焦りの表情を見せて、彼女が指差す方向に銃口を向けた。

 そこにはローブの男、マダム・マリエ、そして奴隷のハイピューマが建物に向かって逃げていった。長門は一瞬、誰を狙おうか悩み引き金トリガーを引き絞ることに躊躇いを見せるも、P90カスタムのロングバレルが空中で弧を描いて、マダム・マリエの背中からローブの男に標準を合わせる。

 引き金を絞るのは簡単だった。少し強めにしておいた引き金の重さを諸共せずに、長門は歯を食いしばって引き金を引く。5.7x28mm弾が銃口から何十発も飛び出す。あらゆる状況でも対応可能なようにカスタマイズされたP90は、屋外戦闘には不向きであった本体の弱点を解消している。

 初速・秒715メートルがローブの男を襲う。――が、その結果は長門と、その場に居た千尋を驚愕させるには十分であった。

 倒れないのである。一マガジンこと五十発をお見舞いしたはずが、ローブの男は平然と逃走中である。衝撃の事実に、「どうなってんだ!」と悪態を吐く長門。即時、再装填リロードして、未だ背を向けて逃げているローブの男の男を攻撃した。やはり結果は変わらなかった。

 ふと、男のローブに違和感を感じた。太陽光に何かが反射しているのだ。ローブの繊維ではない。ローブ全体を覆うそれは――

「防衛刻印か……!」

 防衛刻印。正確には刻印ではないが、あらゆる防衛魔法の術式を組み込んだ紋様クレストを対象に付与することから、防衛刻印と呼ばれている。つまり、いくら撃っても意味が無い。

 男とマダム・マリエたちが、建物の中へ入っていく。大きく舌打ちする長門。

「これから男とマダム・マリエを追う! 千尋、来いっ!」

「うん!」

〈おい待て――〉

〈ナガト、頭下げて〉

 赤髭王バルバロッサの話に割って入ってきたのは、女性の声だった。その声には張りがなく、気怠そうな雰囲気を与えた。その女性の声に聞き覚えのあった長門は、咄嗟に頭を下げる。

「ぐあぁぁあああああぁぁっ!!」

 ローブの男の声が建物の中から聞こえる。頭を上げた長門は、その光景に絶句した。

 遠く、建物内に入って逃げたはずの男が、足を持ってもがき苦しんでいる。閉じられていたはずの鉄の扉が吹き飛ばされており、遠目からでも鉄の扉に穿たれたような穴が見れた。

 狙撃だ。その人物を長門は知っている。いや、これほどの狙撃の技術を持ちえている人物は、ナベリウスに一人しか居ない。

 イリス・ヴァルデンストレーム。ナベリウス陸上軍事部特殊作戦群――赤髭王バルバロッサ率いる部隊の狙撃兵だ。エルフの血が混ざっており、その髪色は淡い水色で長く伸ばしたストレートロング。緑眼の双眸には、相手を射竦めるほどの強烈な光を宿している。無気力で冷たい美貌を持つ少女だ。

 長門は後ろを向いて、建物の天辺の方にグッドサインを作ってみせると、千尋を引き連れて建物内に入る。

〈……グッ〉

 ぼそっと呟くイリスの声にニヤつく長門は、建物に進入すると同時に顔を引き締めた。

 長門たちの目の前に負傷した脚を抱えて悶える男が転がっている。苦痛の声が洩れていることに気付いていたが、長門は男の背中を蹴って、うつぶせにさせると、馬乗りになって男の両手を背中へ持っていて結束バンドで強く締める。

 なぜ防衛刻印を施したローブを羽織るこの男は、イリスの狙撃で負傷したのか。答えは簡単で、ローブから見える脚を狙ったからである。ローブに施された防衛刻印は、ローブが覆う部分のみ反応するようになっており、ローブの加護から外に出た脚は攻撃できたのだ。

「お、お前らぁ……誰に雇われた……政府かぁ……? 頼む、見逃してくれ……倍の金額を払う……!」

 よだれを垂らしながら命乞いをしてくる男に、長門は冷たい目を向けた。

「そうじゃねぇんだよ、鬼畜野郎。てめぇがこの国を害しているんだ――ひいては世界にも、だ」

「……犬、め」

「何とでも言え」

 長門は立ち上がると、今度は貫通銃創のある男の脚を強く蹴った。「うぐぅっ……!」と唸り声を聞き流し、インカムに手を当てる。

隊長ボス、対象――ヘイン・メイネスを確保。マダム・マリエは……尻もち付いて失禁してます」

〈よくやった。増援を送る、マダム・マリエも確保しろ。奴隷のハイピューマは保護してやれ〉

「了解」

「ほらオバサン、壁に手を付けて」

 長門は横目で千尋とマダム・マリエを見る。恰幅のいい――というか、ただのデブだと長門は視界に入れて思う――この女は、ヘイン・メイネスのことを目の前で見ていたためか、腰が抜けてガタガタと震えていた。マダム・マリエが腰を落とした乾いたコンクリートの床には、嫌な臭いを発する液体が黒く見えて広がっている。

 千尋はというと、若干顔をしかめながらも、その水溜りに入ってマダム・マリエに銃口を向けている。

「早くしてよ、マダム・マリエ」

「……っ、あ、“あるじが命じるっ! 敵を排除せよ”!! ――『Following Preset22』」

 牙を剥くように顔を歪めたマダム・マリエは、ハイピューマの奴隷に指を指して服従術式の命令コマンドの原始的なプリセットを唱えた。それは怒声のようにも聞き取れ、また必死さを周りに居る者に感じさせた。

 長門は呆然と立っていたハイピューマに銃口を向ける。依然立ち尽くす奴隷に、マダム・マリエは怒声を浴びせた。それは奇声にしか聞こえず、何を喋っているのか聞き取れない。――不意に、奴隷の体を揺らぐ。長門は自然と身構える。P90を右手に、左手を伸ばして千尋に『拘束しろ』のハンドサインを送る。人差し指を下に向けて、その後に拳をグッと作った。目の端で頷いた千尋は、腰のウェストポーチから結束バンドを取り出して、マダム・マリエの両腕を締め上げる。

 その時だった。ハイピューマの男が床を蹴って、物凄い勢いで長門に襲い掛かる。咄嗟の攻撃に為す術無く押し倒された長門は、一瞬のパニックの後に引き金を引いた。排莢がその場にこぼれ落ちていく。ゼロ距離からの攻撃にダメージを負ったのか、血の垂れる腹を抱えながら小さく跳ねて長門から退く。

「こいつも攻撃が効いてない、のか……っ!」

 およそ二十発は撃ち込んであろうハイピューマの腹部はズタズタに穿たれているのが伺える。しかしその表情と体の動きから、そこまでのダメージでは無いことを知ると、長門は眉根を寄せてしまう。眼前に立つ獣人の奴隷、それは長門自身にとって第一の脅威となった。口から血を噴くハイピューマの男は、ファイティングポーズを取り、戦闘を続行させようとしている。

 厄介だ、と長門は感じた。いや、感じるほか無かった。確かに獣人は人間よりも高い身体能力を持つと言われているが、まさか鉛の高速弾幕に耐えるような個体は存在しない。恐らくは満身創痍であるにも関わらず戦おうとする姿勢を見るに、やはり『服従術式』が働いていることが伺えた。命令を遂行するまで倒れてはならない。服従術式は唱える者の性質を若干反映する。それを加味すれば、このハイピューマの獣人は狂戦士の前段階と言っても過言ではないだろう。だから、厄介なのだ。

「うおおぉぉぉおおおおおぉぉおおっっ!!!!」

 雄叫びを挙げると、突進してくる。しかしその猛進は鉛の弾幕に屈する。P90に装填されていた残り三十発を使いきって、再装填する。

 腕でガードをとったハイピューマの前腕には弾丸がめり込んで銃創を作り出す。両腕がだらりと垂れるも、今度は脚を振り回してきた。獣人の瞳には光はなく、ただ血の涙を流しているばかりだった。

 長門はその姿に、小さく舌打ちをする。生きる可能性があった者を結局は殺めなければならないという気持ちに呑まれそうになる。しかしそれさえも、長門は『これも戦争の一片だ』と言い聞かせて相殺させる。

 奮戦するハイピューマを前に、無慈悲にP90の引き金を引き絞る。リコイルが腕から全身に伝わり、これを現実であると再認識させる。

 そう。これは戦闘だ。己に課せられた義務の一つでしかない。しかしそれは全て現実で、二年前までPCのモニターに写っていた仮想世界とはわけが違う。違わなければ困る。

 ハイピューマと目が合った。長門は反射的に目を逸らす。しかし長門は男が何かを訴えようとしていたのを何となく理解していた。――“助けてくれ、こんなことしたくな”、と。

 しかし長門は引き金に掛ける指の力を抜かなかった。やらなければこちらがやられる、生存本能のようなものが長門の良心を食いちぎり、無機質な死を与える。

 ――その体感時間はものすごく長いものだった。スーパースローで流される映像を見ているように客観的だったが、長門はやはり自らの手で人を殺したのだ。目の前に無惨な姿となって倒れる半裸の獣人。目を剥き、口を広げて血を垂らす。獣のような死に様だ。

 この間約一分の戦闘である。

「……こちらアルファチーム・鴉取長門。敵対行動をとったハイピューマの獣人をやむなく射殺した。――が、ジートコヴァ社のヘイン・メイネス、及び狂戦士育成者バーサーカーメイカーであるマダム・マリエを捕縛した」

〈……そうか、しかしヘイン・メイネスとマダム・マリエを捕らえたとなれば、お前たちは大金星だ。二人は戻ってこい。後のことは増援に片付けるように言ってる〉

 そう言われていると、増援の四名が到着していた。「後は我々が行う」と言って、ヘイン・メイネスとマダム・マリエを連行していく。

「了解」

 長門は通信を切る。そして千尋の方を見てこう言った。

「――帰ろう」

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