File-4 聖騎士候補のルカ

 フィラをいったん控え室で待たせて、ランティス、リサ、フェイルの三人は先に執務室へ入った。広い執務室の左右の壁は本棚で埋め尽くされ、奥には入り口と向かい合うように重厚な執務机が置かれている。部屋の主であるジュリアンは、執務室の隅に置かれた結界管理端末――見た目は表面に虹色に輝く幾何学模様の回路がびっしりと描き込まれた、直径三十センチほどの黒色の球体――に手をかざして難しい表情をしていたが、三人が入ってくるとすぐに顔を上げた。

「首尾は?」

 ジュリアンは執務机の上に置きっぱなしになっていた儀礼用の手袋を取上げ、手にはめながら短く問う。

「結界の応急処置が一段落ついたとこ。荒神あらがみ天魔てんまも対外結界に接するように張った小さい結界の中に押し込めたから、とりあえずの安全確保は終わったよ。あとはその結界内の荒神および天魔の始末と、破れた対外結界の修復作業、竜の保護かな」

 一歩進み出て早口で報告するリサに、ジュリアンは無表情で頷きを返した。

「わかった。それと、悪いが荒神と天魔の討伐には初年兵の中の使えそうな奴も連れて行ってくれ。少しでも実戦経験を積ませておきたい」

「了解。荒神に逃げ道作っといてあげたいから、結界の最終的な修復は討伐後でお願いね。追いつめすぎて変に凶暴化されたら怪我人出るかもしんないし」

 リサはちらりと結界管理端末に視線をやりながら言う。ジュリアンは無言で頷き、リサはランティスとフェイルを振り返った。

「他になんか言っとくことある? フィラちゃんに聞かれたらまずいことで」

「急ぎでは特になし」

「私もです」

 あっさりと答える二人に、ジュリアンだけが眉根を寄せる。

「フィラ……?」

「町の子。ピクニックで森まで出かけて、竜と会ったって言うから、連れて来ちゃった」

「ピクニックでなんで森まで……」

 うんざりと呟くジュリアンを無視して、リサは控え室へ続く扉を開き、ランティスは左右の壁を埋めている本棚からユリン周辺の地図を取り出して執務机の上に広げた。


 石壁がむき出しの殺風景な控え室で、落ち着かない気持ちのまま呼ばれるのを待っていたフィラは、執務室の扉が開く音に顔を上げた。

「お待たせ。入って入って」

 扉の向こうから、リサがにこやかに手招きしている。フィラはソファから立ち上がり、一瞬だけ胸を押さえて瞳を閉じた。

 妙に緊張している。舞台の上でピアノを弾き始めるときの、高揚した緊張感とは違う。どちらかというと、ケンカした友達に謝りに行くときのような。

 そこまで考えて、フィラは自分の思考にむっとしながら目を開けた。

 別に、謝らなければならないようなことなどしていないのに。

「どしたの?」

 思わず変な表情をしてしまったフィラに、リサが首をかしげる。

「い、いえ。何でもないです」

 フィラは無理矢理笑顔を浮かべて、執務室へ向かって歩き始めた。扉の向こうに、執務机に座ってこちらを見ている金髪の青年が見える。その両脇にランティスとフェイルが控えていたが、視界にも意識にもほとんど入ってこなかった。どうやら本当に領主だったらしい青年の不機嫌そうな視線に内心たじろぎながら、フィラは執務室へ足を踏み入れる。

「こちらがその竜と会って話したフィラちゃん」

 微妙な緊張感に気づいているのかいないのか、リサがのんきな声音でそう言った。

「先日はお世話になりました。……本当に領主様だったんですね」

「まだ疑ってたのか」

 普通に挨拶をした途端にジュリアンが不審そうな表情をしたものだから、ついつい余計な一言を付け加えてしまう。それに対するジュリアンの返答は、うんざりと呆れと不機嫌を足して三で割ったような感じだった。

「ええ、まあ……」

 ジュリアンはため息をつき、机の上で丸まりかけていた地図の端を伸ばし、羽根ペンが刺さったままの銀のペン立てを重しに置く。

「先に聞いておくが、雨には降られなかったんだな?」

「え? いえ、洞窟で雨宿りしていたので、ほとんど濡れたりはしませんでしたけど」

 質問の意図を理解しかねて、フィラは目を瞬かせた。

「なら良い。結界が破れたせいで入り込んだものだから、あまり性質の良い雨じゃないんだ」

 ――どういう意味だろう?

「私が保護した二人も、運良く雨には降られなかったみたいよ」

「何よりだ。森が枯れないと良いけどな」

 フィラが考え込んでいるうちに、ジュリアンとリサはなんとなく不穏な雰囲気の会話を繰り広げる。

「一回くらいなら平気でしょ」

 リサは肩をすくめて、フィラに向き直った。

「んでさ、竜の居場所なんだけど、さっきの足跡を辿っていけば着けるんだよね? どの辺か地図で示せる?」

 フィラはリサに促されるままに執務机の前まで進み、地図を覗き込む。その向こうのジュリアンからは、なんとなく視線を外してしまう。それでも向こうがじっとこちらを観察しているのはわかってしまって、やっぱり妙に緊張した。

「私たちが会ったのはこの辺ね。んで、竜の通った跡は見た感じこっちの方に続いてたみたいだったんだけど」

 リサが調子よく言いながら地図上を指し示す。フィラはその指先を視線で追いかけ、だいたい合っているのを確かめて頷いた。

「竜の進んだ跡はだいたい直線を描いていたと思います。竜は風泣き山の麓の断崖に開いた洞窟の中にいました……この辺りだと思います」

「それって対外結界付近じゃねえか。人払いかけてあるはずなのに、なんで行けたんだ? また例のアレか? 気分悪くなったりとかしなかったか?」

 横から地図を覗き込んでいたランティスが顔を上げて眉根を寄せる。

「え? き、気分ですか? 別に特に……何も」

 気分が悪くなるって何なんだいったい、と不審に思ったせいで、つい口調がぶっきらぼうなものになってしまった。

「そうか、お前アレがないから……」

 ジュリアンが頭を抱えてうめく。

「アレって何ですか?」

「何でもない」

 ――嘘ばっかり。

 フィラは心の中だけでつっこみを入れた。思わせぶりなことばっかり言って、本当にこの人たちは何なんだ、と、フィラは内心腹立たしく思う。腹立たしさの向こうにどこか怯えた気持ちがあるのには、気付かないふりをした。

「……判断を誤ったかもしれんな」

 ジュリアンは背もたれに寄りかかり、両腕を組んでフィラを見上げる。ぎゅっと心臓が掴まれたような心地がするけれど、ジュリアンの瞳は言葉に反して穏やかで害意を感じさせない。

「今、何か不穏なこと考えてませんでした?」

 それで少しだけ緊張がほぐれたフィラが眉根を寄せて尋ねると、ジュリアンはふっと瞳を伏せた。

「いや。どうすれば後腐れなくお前を始末出来るか考えていただけだ」

 思わず黙り込むフィラに、ジュリアンはまたため息をつく。

「まあ、妙な転移能力があるうちは無理だな。これ以上寝覚めが悪くなっても困る」

(それは逃げるからですか。逃げるからなんですか!?)

 問いつめたい気持ちでいっぱいになりつつも、フィラは何とか感情を鎮めた。この青年の前では二度と取り乱したくなかった。なぜそんなことに意地になっているのかは、自分でもよく理解できなかったけれど。

「場所は了解した。竜の外見的な特徴は説明できるか?」

 フィラが何か言う前に、机の脇に控えていたフェイルが壁際の本棚から重そうな本を取り出して広げる。革の表紙に『新時代動物大図鑑』と金字で書かれたその本には、数ページに渡って様々な竜の姿が印刷されていた。

「どれか近いものを示していただければ」

 フェイルは図鑑を支えながら穏やかな声でそう言う。

「ええと……」

 赤や青や黄色の色鮮やかな南海の竜たち、オーロラのような色彩と大きな翼を持った幻想的な竜、岩山に擬態した巨大な地竜……。様々な形態の竜が所狭しと描かれ、その隙間に体長だの分布だのの説明が細々とした字で書かれている。でも、ざっと見た所ほとんどは推定だ。

「どんなイメージだった?」

 リサが身を乗り出しながら尋ねる。

「水竜なら魚っぽいし、地竜なら岩っぽいし、火竜だったらマグマっぽいし、風竜だったら……風っぽいっていうか、普通の人は竜だと思わないかもしれないけど」

 ちらりとそちらを見ると、風の竜は土埃を巻き上げた竜巻が竜の形に集まったもののように見えた。その姿は確かにそもそも生き物だとも考えられそうにない。さっき出会った竜は、少なくともそんな感じではなかった。

「そうですね……洞窟の中はかなり暗かったんですけど、周囲の闇よりもさらに暗い感じで……」

「つーと……闇の竜か?」

 ランティスがまさかそんな、と疑っていそうな口調で呟く。

「その竜、ジュリアンに助けを求めてたらしいんだけど、闇の竜に知り合いっている?」

 フィラの隣で図鑑を覗き込んでいたリサが、ジュリアンに向かって顔を上げた。フェイルも図鑑を支えながらジュリアンに視線をやり、フィラを除く全員の視線が一人に集まる。

「知る限りではリーヴェ・ルーヴだけだな」

「って一番上位の竜じゃねえかよ。ホントお前変な方面に顔が広いな」

 ジュリアンは全員の視線を軽く受け流して簡潔に答え、ランティスはやれやれと肩をすくめた。

「成り行きで受けた恩を返したことがあるだけだ」

 ジュリアンは淡々と答えながら手を伸ばして図鑑のページを繰り、一匹の黒竜を指差す。

「この図はかなり前にリーヴェ・ルーヴが人前に姿を現したときの写真を元に描かれている。彼女で間違いないな?」

「はい、たぶん、そうだと思います」

 ジュリアンが指し示した、コウモリのそれに似た翼を持つ漆黒の竜を子細に眺めてから、フィラは深く頷いた。それを見たランティスがフェイルの手から図鑑を取り上げ、本棚に戻す。

「で、どうする? 竜の治療ができそうな奴に心当たりがあるのか? 治療部隊のシリイは人間専門だって言ってたよな」

「聖騎士団入団候補者名簿に載っていた治癒呪文の使い手に打診してみるつもりだ」

 ジュリアンが答えている間に、フェイルは本棚から書類ケースを取り出し、中から書類を数枚取り出してジュリアンに手渡した。

 ちらりと書類に目を走らせたジュリアンは、ふと眉根を寄せてフィラの顔を見つめる。

「な、何ですか?」

 たじろぐフィラには答えず、ジュリアンは書類をかざしてフィラと見比べ始めた。その行動にフェイルも疑問を感じたのか、横から書類を覗き込む。

「これは……」

「真っ先に思い出すべきだったな。失念していたが、似ていると思わないか?」

「写りが悪いので微妙なラインですが、確かに似ていますね」

「何がですか?」

 不審に思って尋ねたフィラに、ジュリアンは言葉では答えず、書類を折り線がつかない程度に緩く折り曲げて該当する部分だけを示した。書類に貼り付けられた写真には、フィラとよく似た少女が写っていた。その横の名前欄には、几帳面な文字で『Phia Luca』と書かれている。

「見覚えは?」

「……鏡の中でよく」

 書類の向こうのジュリアンが、すっと瞳を細めた。

「そういう意味じゃないんだが」

「親戚やご姉妹ということはありませんか?」

 横から助け船を出してくれたフェイルに、しかしフィラは思わずうつむいてしまう。

「……いえ。すみません、私、この町に来る前の記憶がないから……」

 フィラの左右に立つリサとランティスが、困惑したように顔を見合わせた。

「お前が覚えていないなら、フィア・ルカ本人に聞いてみればいいだけの話だ」

 書類を机の上に戻しながら、ジュリアンはどうでも良さそうな口調で言う。

「聞きたいことは以上だ。ご苦労だった」

 机の引き出しから別の書類を取り出しながら、やはりどうでも良さそうにジュリアンは宣言した。退室を促すその言葉に、けれどフィラは動かない。ジュリアンを完全には信用できない以上、このまま帰ってしまうなんてあまり良い気分ではなかった。それに、自分に似た少女のことも気になる。

 迷ったのは一瞬だった。無茶な要求を受け入れられる可能性は低いけれど、ジュリアンに良い印象を持たれているとは到底思えないのだし、評価が下がることを考えなくて良いのなら言うだけ言ってしまえと思う。

「あの、私も、竜の治療を見届けたいんですけど」

 ジュリアンは羽根ペンを取り上げた手を止め、真っ直ぐフィラの瞳を覗き込んだ。威圧するような視線を、フィラはほとんど意地だけで受け止める。無意識のうちに腹筋に力が入ってしまう。ぴりぴりとした緊張感が交錯する。

 先に視線を外したのはジュリアンの方だった。

「私たちはフィア・ルカが到着し次第出発する。早くて今日の深夜、遅ければ明日の午後になる。現時点では時間の確定は無理だ。ついて来るつもりがあるなら、保護者に城に泊まる許可を得て来い。こちらから迎えに行くことはしない」

「え!? あ、ありがとうございます!」

 まさか許可をもらえると思っていなかったので、フィラは思わず自分でも驚いてしまうほど勢いよく頭を下げてしまう。

 動揺しながら顔を上げると、勘違いじゃないかと疑ってしまうほど淡い微笑が、一瞬だけジュリアンの顔に浮んで消えるのが見えた。微笑み、というにはあまりにも苦い、どこか自嘲に満ちた笑み。

「フェイル、門まで送ってやってくれ。私は召喚状を書いておく」

 けれどその気配を確認する間もなく、ジュリアンはさっさと次の指示に移ってしまう。

「かしこまりました」

 フェイルが慇懃に頭を下げ、リサが「それじゃまたね」と手を振った。それで話は終わり、フェイルに伴われてフィラは執務室を辞す。まるで夢と現実の区別がつかなくなったときのような、あるいは狐につままれたような、奇妙な困惑が頭の中を支配していた。


「わがままに付き合うなんて、どういう風の吹き回しだ?」

 フィラとフェイルの足音が十分遠ざかるのを待って、ランティスがおもむろに口を開いた。

「別にさほど負担になるようなことでもない。助けを求められた相手が助かるかどうか知りたがるのも当然のことだしな」

 召喚状にペンを走らせながら、ジュリアンは素っ気なく答える。

「それだったら結果だけ知らせてもいいんじゃない? わざわざ連れて行かなくてもさ」

 リサが手帳に挟んだ簡易マップに竜の位置を書き写しながら小首をかしげた。

「本人が俺を信用しないと言っている。それに、フィア・ルカと引き合わせておきたいという事情もあるからな」

「フィア・ルカと?」

 ランティスが机に広げっぱなしだったフィア・ルカの履歴書に視線を落とす。

「フィラ・ラピズラリの身元を確定しておきたい。フィア・ルカとフィラが親族なのであれば、彼女の正体を探る上で手がかりになるだろう。フィラが記憶を取り戻したり、ユリンから出たいと思ったときにも対処がしやすいしな」

 ジュリアンは書き終わった書類に吸い取り紙を当て、さっきはフィラがいたせいで使えなかった机の横のスイッチをいくつか操作した。天板がスライドしてキーボードが現れ、積層表示のモニターがジュリアンを取り囲むように浮かび上がる。

「そう……だな。団員の家族だったら引き続き聖騎士団の保護下に置けるもんな」

 ランティスは腕を組み、難しい表情をしながら頷いた。

「フィアって子が聖騎士団に入ってくれるかどうかはまだわからないけどね」

 場所を写し終わったリサが手帳を閉じながら言う。

「それも理由の一つだ。フィア・ルカの治癒魔術は間違いなく一流だからな。入団を断られると困る」

 モニターの一つに召喚状を押しつけてスキャンさせながらジュリアンは頷いた。

「嬢ちゃんとミス・フィア・ルカが本当に親族だったら、入団してくれる可能性が上がる、とか考えてんのか?」

「ああ」

 召喚状を下ろし、フィア・ルカが所属する訓練所に最重要事項として送信する。ランティスがため息をついて天井を仰ぐ。

「嬢ちゃんはなんか牧歌的なのに、こっちはえらく計算高いっつうかなんつうか、殺伐としてんなあ……」

「悪かったな」

 ジュリアンはむっとした表情で呟きながら、積層モニター上の『送信完了』の文字を睨み付けた。

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