File-8 最初の決着

 フィラが団長執務室を訪れる少し前、ジュリアンはユリンを取り囲む結界のメンテナンス計画を立てていた。結界自体はずいぶん昔に形成されたものだ。それをユリンの町の変化に合わせて少しずつ修正しながら使っている。何人もの術者の手が入ったせいでずいぶん整合性を欠いているが、それでも原型を設計した者が天才的な魔術開発者だったことは見て取れる。原型を元に一から構築し直せば、国内でも五本の指に入るくらいの耐久性を獲得できるだろう。さすがにそこまで手を入れている暇はないが。

 何をどこまで直すかは、昨日までの会議で決めてあった。ジュリアンの仕事は、ダストたちが出した報告書と会議で作成した計画書を照らし合わせ、適切な結界の設計図を描き、メンテナンス作業を各団員に割り振ることだ。本来なら結界魔術を得意とする技術者がするべき仕事だが、いかんせん現在の聖騎士団で専門家を名乗れるほど結界魔術に通じているのは、団長であるジュリアン・レイただ一人だった。

 結界魔術の組み立ては、ルールの決まったパズルにも似て、時間はかかるが単調な作業だ。続けているといつの間にか余計なことを考え始めてしまう。

 聖騎士団内の問題から四年前の事件についてまで、幅広く重く暗いことばかり次々と考えていたジュリアンは、最終的に現在の懸案事項であるフィラ・ラピズラリの処置に関する悩みへと行き着いた。

 ダストに言われるまでもなく、フィラ・ラピズラリがフィア・ルカの親族であることが確認できた時点で、彼女の問題はほぼ解決したと考えても良かった。だが、彼女の中に封印されているものがジュリアンの求めるものである可能性が出てきてしまった以上、彼女を他者の目に触れさせるわけにはいかない。行方不明となっている目的のものについて、フィラの中にある封印に目をつけているのはジュリアンと少数の味方だけだ。

 ジュリアンとしては、フィラの中にあるものが『当たり』であることを願わないわけにはいかない。可能性は限りなく低いけれど、そうであれば、誰よりも早く目標を確保することができる。例えそのせいで彼女を傷つけ、利用することになったとしても。

 細かい数式を追っていたせいで、頭が痛くなってきた。ジュリアンは結界の図面から視線を上げ、目を閉じる。鈍痛を押し殺すように、額に右手の甲を当てて背もたれに寄り掛かった。暗い視界の中にダストの憐れむような表情が浮かび上がる。

 ――あなたはそれで良いのかしら?

 幻の唇がさっきのダストの台詞をなぞる。

 ――心より民を助け、人々のさいわいのために楯となり剣となることを誓った聖騎士が、何も知らない一般市民をそんな風に利用するなんて。

 ――当たり前だ。

 言外の揶揄すら切り捨てるように、ジュリアンは呟いた。何を犠牲にしても成し遂げなければならない目的が、自分にはある。犠牲となるものが罪のない少女だったとしても、ためらうわけにはいかない。

 そのためだけに自分は聖騎士団団長の座に着き、ここに存在しているのだから。

 ジュリアンは額から手を下ろし、瞳を開いた。

 隣の控え室に人が入ってきた気配がする。ジュリアンが姿勢を正した直後、執務室の扉が叩かれた。軽く二回のノック、少し間を開けてもう一回。部外者を連れているときの合図だ。ジュリアンは手早く積層表示モニターを消去し、キーボードの上に天板をスライドさせて機械的な部分を隠す。

「入れ」

 返事を待ちかまえていたように扉が開いた。

「失礼しまーす」

 扉を開いた張本人であるリサは、やけに楽しそうな表情で執務室を覗き込む。

「団長、フィラちゃんを一名、お連れしました!」

 おどけた口調とあまり会いたい気分ではない相手の名前に、ジュリアンは思わず顔をしかめた。リサはその様子を楽しそうに見つめながら、ためらいがちな歩調で扉の前に立ったフィラの背中を押す。結構強い力で押し込まれたらしいフィラはよろけながら入室し、次いで慌てて振り向くが、リサはそれより先に扉を閉めてしまった。

 フィラはこちらを振り向かない。気まずい沈黙が舞い降りる。

 緊張しきった背中にかける言葉を考えるのも面倒で、ジュリアンは黙ったままフィラを見つめた。何故よりにもよって今、自分を訪ねてくるのか。さっきまでの考え事のせいで、まともに彼女の話を聞ける気がしない。いつもそうだ。初めて出会ったそのときから。彼女相手に態度を取り繕う気にもなれない自分に、ジュリアンは呆れる。

 動きを止めていたフィラが、ぎこちない動作でゆっくりと振り向いた。臆病な小動物を思わせる黒目がちの瞳が、戸惑ったようにジュリアンを見る。

「何しに来た」

 目が合った瞬間にふくれあがった罪悪感からも目をそらすように、ジュリアンは手元の設計図に視線を落とした。

「用があるなら手短かにすませてくれ」

 簡単な数式を書き加えながら呟く。自分で嫌になるくらいあからさまに素っ気ない調子になってしまった。フィラにもそれは伝わったのだろう。むっとしたのか、フィラの気配から遠慮が消える。決然とした足取りで執務室の中央へ進み出たフィラは、トートバッグに片手をつっこみながら口を開いた。

「団長に、お渡ししたいものがあって」

 遠慮は消えたが、緊張はそのままだった。

「これ、バルトロさんのノートです」

 初めて出会ったときのような硬い口調で言いながら、フィラはバッグからノートを取り出す。仕方なく視線を上げたジュリアンの目の前に、革表紙の鍵付きのノートを突きつけながら、フィラの手はかすかに震えていた。

「飛行機の……設計図が書いてあるから……団長に預けた方が良いのかなって思って」

「ああ」

 受け取るために手を伸ばす動作が、自分でもわかるくらいぎこちない。フィラの緊張が移ったのかもしれない。

「……礼を言おう」

「別に……お礼、言われるようなことじゃないです。今まで、隠してた、わけですから」

 触れそうになった手をぱっと引っ込めて、フィラは何度かつかえそうになりながらも早口でそう言った。

「何故渡す気になった? 俺を信用する気にでもなったか?」

 あるはずなのに見つからなかった飛行機の設計図については、そろそろ強硬な手段に出なければならないはずだった。そうなる前に相手の方から解決手段に出てくれたのだから、本来ならばほっとするべきだ。そのはずなのに心のどこかが痛い。ダストとの会話を、まだ引きずっているせいかもしれない。

「違います、勘違いしないでください」

 自らの思考に沈みそうになったジュリアンの意識を、フィラの声が引っ張り上げた。

「団長のこと、信用できるかって言ったら、やっぱり私には、まだよくわからないことが多すぎるから。フィアは大丈夫だって言ってくれるけど、何か釈然としないって言うか……安心、しきれない気がして。だから……」

 目をそらしたまま、フィラはこちらにまで緊張が移ってきそうな調子でしゃべり続ける。

「渡す気になったのは……たぶん、団長は気付いてるんだろうなって思ったからです。飛行機の設計図が、ほかにあるはずだってこと。知ってましたよね? ずっと」

「……そうだな」

 革表紙に視線を落としながら、ジュリアンは小さく頷いた。

「私が持ってるだろうってことも」

「ああ」

「だから……だからです」

 断定的な口調に顔を上げると、フィラは真っ直ぐに挑戦的な視線をぶつけてくる。

「私、もう隠し事ありませんから。もう、やましいこと、何にもなしです」

 だからつまり何だと言うのか。面食らうジュリアンに、フィラは胸を張って言い放った。

「だからその点では、私の勝ちです!」

 意味不明だった。

 真意がさっぱり理解できないジュリアンを置いて、フィラは勢いよく踵を返し、大股でさっさと扉へ歩いていく。

「おい、ちょっと待て」

 思わず立ち上がるジュリアンには振り向きもせず、フィラは逃げるように扉を開き、出て行ってしまった。

「何なんだ、いったい」

 ジュリアンは呆然と椅子に腰掛け、執務机にノートを置いてから頭を抱える。

「いったい何の勝負なんだ……?」

 意味がわからないながらも、なぜだかわけのわからない敗北感に襲われてしまって、ジュリアンは深く深くため息をついた。

 まるで見透かされているようだ。

 フィラに対して隠し事があることも、やましいことを抱えていることも、それに対して中途半端な罪悪感を感じていることも、何もかも。


 廊下まで一気に走り出たフィラは、大きく息を吐いて胸を押さえる。リサの姿は見えなかった。送るだけ送って、さっさと持ち場に戻ってしまったらしい。仕事の途中だったのかもしれない。悪いことをしてしまった。

 ――そして。

 フィラは深く深くため息をつき、壁に向かってしゃがみ込んだ。

 ――なんでこうなっちゃうんだろう。

 ケンカを売りに来たのではなくて、恩を買いに来たはずだったのに。なぜ売り買い逆になるのか。いや、むしろそれ以前の問題なんだけど。

 ジュリアンの態度がやたら冷たかったせいもあるのだが、いざノートを渡そうとしたら、糸が切れた操り人形のように椅子に倒れ込んだバルトロの姿が脳裏にちらついてしまったのだ。湧き上がってきたのは、怒りではなくて何も出来なかった無力感と罪悪感だったけれど。

「だめだ……」

 冷たい石壁に額を押しつけて、フィラは呟き、目を閉じた。

(バルトロさんのところに行こう)

 ジュリアンのことをいろいろ考える前に。そうしなければ、一歩も前に進めない。そんな気がする。

 少し冷えた頭で考えて、フィラは立ち上がった。


 バルトロは最近、酒場にもあまり顔を出していなかった。バルトロの家に遊びに来るのも、あの日ジュリアンと出会って以来だ。

 光の神を奉じる教会の裏庭の隅っこで、フィラは呼吸を整える。バルトロの家の地下室へ通じる階段。最後に降りたのはいつだっただろう。ジュリアンと出会ったときは、途中の行程をすべてすっ飛ばして地下室へ瞬間移動してしまったから。

 行動を先送りしようとする思考を頭を振って振り払って、フィラは階段を降り始める。記憶にあるものよりずいぶん長い気がする急な階段を降りきると、バルトロの工房へ続く飾り気のない木製の扉が待っていた。勝手に入って良いと言われてはいるけれど、久しぶりだし状況も変わっているから、ノックをしようと手を上げる。その時、扉の向こうからかすかな話し声が聞こえてきた。分厚い木製の扉に遮られた声はくぐもって聞き取りづらかったが、間違いなくカイの声だ。出直すべきなのかもしれないが、今日のこのタイミングを逃したくないフィラは迷う。

 ノックをしようとした体勢のまま逡巡していると、目の前の扉が遠慮がちに開いた。

「フィラさん」

 思わず一歩引いたフィラに、扉を開けたカイが呼びかける。

「入ってください。話はもうすぐ終わりますので」

「え、あ、はい、すみません」

 どうしているってわかったんだろうと面食らいながら、フィラは頷いた。

 おずおずと入って一歩下がった位置で待ちの体勢に入ったフィラを置いて、カイとバルトロは話の続きを始める。

 途中から聞き始めたのでよく事情の飲み込めない部分もあったが、どうやらカイは白花の丘に立つ風見の風車の改良を、バルトロに依頼しに来たらしい。詳細はもう話し終わり、今は最終的な意思確認の途中だったようだ。カイに向かって頷くバルトロの表情は、やる気と生気に満ちている。久々にやりがいのある仕事だと、バルトロは満足そうに笑いながら言った。領主様の持ってくる仕事はどれもやりがいがある、私などをひいきにしてもらってとても感謝している、と、感謝の言葉は続く。満面の笑みでカイに語るバルトロを見ているうちに、フィラもなんだか笑い出したくなってきた。さっきまで心の中でうずくまっていたわだかまりがすっと解けていくような感覚。重苦しさを取り払われた胸が動悸を速める。バルトロは興奮気味に、感謝の言葉を語り続けている。

「それでは、フィラさんも待っていますので、私はそろそろ……」

 打ち合わせが一通り済んだところで、カイが暇を告げた。

「ええ、本当にありがとうございます。仕事を任せていただいて光栄ですと、領主様にもお伝えください」

「はい、必ず。長々とお邪魔してしまい、申し訳ありませんでした。失礼いたします」

 カイが礼儀正しく頭を下げて扉を出て行くと、バルトロは照れくさそうにフィラへと振り向いた。

「フィラ、待たせてすまなかった。久しぶりだね。何かあったのかい? ああ、今お茶を出そう」

「いえ、良いんです。今日は様子を見に伺っただけですから」

 奥へ入っていこうとするバルトロを仕草で引き止めて、フィラは微笑む。

「最近元気がないみたいだったからちょっと心配だったんです。でも、もう心配することなさそうですね」

 バルトロは照れ隠しのように頭を掻き、苦笑した。

「そうだね。今は毎日がとても充実しているんだよ。毎晩設計に没頭しているものだから、酒場にもなかなか顔を出せなくてね。今晩は顔を出すつもりだよ。心配させてすまなかった」

 謝られて逆に恐縮するフィラに、バルトロはふと真摯な表情を向ける。

「最近、何か大切なものを失ってしまったような喪失感に苛まれていたんだが、この間領主様がいらしてね」

「領主様が?」

 ジュリアンとバルトロというと、初めて出会ったときの緊迫したやりとりしか思い出せない。けれど今のバルトロは、ジュリアンに対して悪感情は全く抱いていないようだ。

「そうさ。光栄なことだろう? それで、まあきっかけは忘れてしまったが、その喪失感についてついお話ししてしまったんだよ。そうしたら『大丈夫、必ず取り戻せる』とお言葉をくださって。それから心の持ちようが変わったんだ」

 嬉しそうに語るバルトロの言葉を聞きながら、なんとなくだけれど、ジュリアンはわざとそういう方向に話を持って行ったんじゃないかと思う。

「たった一言に、何故あんなに力があったんだろうと不思議に思うよ。お若いのに大した方だ」

 バルトロは嬉しそうに、ジュリアンのことを褒め称える。

 フィラは改めて、悪い人ではないのかもしれない、と考える。

 人心掌握の手段なのかもしれない。何か裏があるのかもしれない。

 それでも、突き放したような態度の中に時折感じる彼の優しさや人間味を、信じることが出来るような気がする。

 フィラはそう考えながら、バルトロの話に耳を傾け続けた。

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