File-7 封印

「どうするのよ、あの子」

 城に帰着してすぐ、早朝の見回りの報告書を提出しながら、ダストは気怠げにそう言った。空中に投影されたいくつもの積層表示モニターが、ダストの無表情に整った美貌に奇妙な模様を浮かび上がらせている。

「何の話だ」

 積層表示モニターの一つが要求する、義理で聞いてやると言わんばかりの宗教行事関連の質問にほとんど生返事に近い返信をしながら、ジュリアンは短く問い返した。

「フィラ・ラピズラリって子の話。いくら人道的に問題があるとは言っても、フィア・ルカの親族ならいくらでもやりようがあるはずでしょう? いつまでここに閉じこめておくつもり?」

 ダストの返答と新たな質問に耳を傾けながら、今度来る視察団の一人――正確にはその秘書――から送られてきたメールをフェイルに回す。内容は『うちの先生が座る列車の席は当然S席ですよね?』といった程度の下らない質問だ。嫌がらせのようだが、実際八割方は嫌がらせだった。これからフェイルが、ジュリアンの回答である『Yes』を十五行くらいに引き延ばして返事を送る。

「少なくとも、彼女の魔力の中に封印されているものの正体を突き止めるまでは、ユリンにいてもらうしかないな」

 それで馬鹿馬鹿しい朝の儀式にとりあえずの終止符を打って、ジュリアンはようやくダストの報告書に手を伸ばした。右手で報告書を引き寄せながら左手でキーボードを操作し、リーヴェ・ルーヴからもたらされた情報と、ジュリアン自身が分析したフィラの魔力情報を呼び出す。

「リーヴェ・ルーヴに協力を仰いで、彼女の魔力を探ってもらった」

 ジュリアンは新たに出現したモニターをダストの方に移動させ、自身は報告書をめくり始めた。

「それが昨夜、ってわけ?」

「ああ。リーヴェ・ルーヴの解析と照合した結果、フィラ・ラピズラリの魔力の中に何かが封印されているのは間違いないと確信が持てた」

 話しながら報告書に目を走らせる。ダストの報告書は走り書きでも几帳面に書かれており、素っ気ないが必要な箇所は漏れなく強調されているので読みやすい。さっきまで処理していた中央省庁区からのメールとは段違いだ。

「彼女の記憶も一緒に封印されているのかもしれない。瞬間転移については、封印されている『何か』が、封印の中から彼女に干渉しているという可能性も考えられる」

「でも、誰が何のために何を封印したのかは結局不明なままなのね」

 報告書から顔を上げると、ダストがつついたモニターの文字が虹色に点滅しているのが見えた。

 魔力特性不明、魔力規模不明、属性不明。

「これ、いったい何なのかしらね? 神か、誰かの魔力か……あるいは私たちが求めている、『死せる神の器』か」

 顔をしかめたジュリアンを、ダストは明らかに状況を面白がっている表情で見つめる。

「あなたはその可能性があると思ってる。だから彼女をユリンに引き止めているんでしょう?」

「そうだな。今のところ勘でしかないが、例の占い師が接触しているのも気になる。もしも彼女の中に眠る『何か』がサーズウィア絡みなら、彼女を奴らに渡すわけにはいかない」

「その点、ユリンならフィラ・ラピズラリを泳がせておいても奴らに見つかる心配はないってわけね。なるほど、理屈は通っているわ」

 ダストはゆっくりと両腕を組み、挑発的な流し目を送ってきた。

「でも、あなたはそれで良いのかしら?」

「何が言いたい」

 再び報告書に視線を落としながら、ジュリアンは低く聞き返す。

「もしも予想が当たっていたとしたら、あなたを信用し始めているあの子を、あなたは危険に巻き込んで、その上手酷く利用することになるのよ。それは信頼を裏切る行為ではないのかしら?」

 ジュリアンは短くため息をつきながら、報告書のページを捲った。

「どうせ裏切るなら、信用など得ようとするなと言うのか?」

「その方が良いと思うわ。あの子のためにも、あなたのためにもね」

 冷笑の奥に潜んだダストの本心が、逆に痛い。

「……利用するのに、相手の信頼を得られなくてどうする」

 それでも、他の返答など思い浮かばなかった。

「あ、そ」

 ジュリアンが苦しげに絞り出した答えを、ダストは鼻で笑い飛ばす。

「ランティスに聞いた話だと、最初の出会い、最悪だったそうだけど。どう巻き返しを図ってるのかしら? わざと隙を見せる作戦?」

 ジュリアンは報告書のページを繰り、答えない。

 青風通り沿線、大地の果てまで異常なし。守人の遺跡近くに結界のほころびを発見、修正済み。原因不明。要調査。

「あなたがそんなに器用な人間だなんて、とても思えないわ」

 ダストは半分以上独り言のように呟き、踵を返した。ジュリアンはようやく報告書から顔を上げ、ダストを見る。いつも通り断固とした歩調で歩くダストの背中は、すべての言い訳を拒絶する壁だった。

「せいぜい信頼してもらえるように努力するのね。私は頭下げて頼まれでもしない限り、応援なんてしないから」

 背中越しに台詞を投げつけながら出入り口に至ったダストは、扉を開け放ちながら大きな動作で振り向く。艶やかな黒髪と両耳のピアスが一糸乱れず綺麗に揺れて、あるべき角度に収まった。ダストを飾る額縁のように、控え室に開いた大きな窓が見える。窓の向こうは冗談のように晴れ渡った青空だ。

「良い町じゃない。水も空気も色彩も綺麗。何もかもが美しいわ」

 ダストは青空を背景に挑戦的な笑顔を浮かべ、明るい声で言い放った。

「何のために、って考えるにはちょうど良い場所よね。あなたが何を取り戻そうとしているのか、この町は実感を与えてくれるわ。私にも、あなたにも。違う?」

 返事がないことなど分かり切っているだろうダストは、逆光気味の光の中、素早く跡形もなく笑顔を消した。

「一応言っておくけど、ほだされないようにね。いつまでもここにいられるわけじゃないんだから」

「……わかっている」

 聞き取れないほど低く答えたジュリアンに、ダストも口の中で何事かを呟いた。ジュリアンの耳に届かず、唇を読むことも許さなかったその台詞は「そうなるときは何を言っておいても無駄だとは思うけど」だった。

「失礼するわ」

 あらゆる感情を殺した無表情に向かって全く同じ表情で敬礼し、ダストは扉を閉める。控え室の窓からなだれ込んでいた光が遮られて、執務室はにわかに暗さを増したようだった。

 ジュリアンは息を吐きながら肩の力を抜き、フィラの魔力情報が表示されたモニターを見上げる。

 フィラの封印は時間と共に緩んでいるようだ。放っておけばいずれ解けるだろう。しかし、無理矢理解放しようとすれば、魔力の暴走、結果としてフィラの消滅ロストを引き起こす可能性がある。

「……当分は様子見、か」

 ジュリアンは呟き、魔力情報のモニターを片手で消去した。


「今日は集中力がありませんね」

 午後三時三十分。射撃練習が始まって三十分と経たないうちに、レイヴン・クロウはそう言ってフィラの手から拳銃を取り上げた。それまで練習内容の指示と悪い部分の指摘以外はほとんど口を出さなかったクロウの、初めての実力行使だった。

「何か用事があるなら、先に済ませてきては?」

 だだっ広くも閑散とした射撃練習場に、クロウの穏やかな声が響く。

「……すみません」

 一瞬呆然としていたフィラは、すぐに申し訳なさに襲われて頭を垂れた。ジュリアンに射撃訓練を命じられてから、クロウは暇を見つけてはフィラの指導に当たってくれていた。銃を持つ者の心構えから保管方法から責任まで、実技以外の部分も教科書や手製の資料を使って丁寧に教えてくれた。僧兵たちの訓練中、射撃場の一レーンだけをフィラのために確保しておいてくれたこともあった。

 クロウにだって時間がないことくらい、ちょっと様子を見ていればわかる。その中で指導をしてくれているのだから、こちらも短い指導時間の中でできる限り多くのことを吸収するべきだと思っているのに。

「そういう日もありますよ。気にしないで。初年兵相手だったら怒鳴ってますけどね」

 クロウは無自覚らしいさらりとした調子でフィラの傷をえぐる。しかし、クロウが怒鳴っているところなんて全然想像がつかない。

「ランティスさんが、ですけどね」

 と思っていたら、何とも反応しにくい一言が付け加えられた。

「僕は怒鳴ったりしませんよ。ランティスさんと違って、冷たい人間だから」

 うららかな春を連想させる笑顔で、クロウは言う。

「困るのは僕じゃない」

 クロウは弾丸をすべて抜いてから、フィラの拳銃を返してくれた。

「とは言っても、フィラさんなら僧兵と違って訓練スケジュールが遅れても困りませんね。続きは明日にしましょう。今日は上がってください」

「すみません、せっかくお時間取ってくださったのに」

 小さくなって落ち込むフィラに、クロウは目尻の力を緩めて頷いた。

「代わりに宿題を出します。今あなたが気になって気になって落ち着かないその原因を、ちゃんと解決してくること。できますか?」

「はい、先生」

 顔を上げて真っ直ぐ視線を合わせたフィラに、レイヴン・クロウの笑みは深くなる。

「では、行ってらっしゃい」

 クロウの満足げな笑みを背後に、フィラは荷物置き場のトートバッグへ拳銃を片付け、そのままバッグを肩にかけた。

 トートバッグの中には、午後のピアノ練習のために持ってきた楽譜と、あの日バルトロが酒場に忘れていったノートが入っていた。


 という経緯でクロウと約束を交わしたのは良いものの、許可なく団長執務室に押しかけて良いのかどうか。悩みながら回廊をうろうろしていたフィラを救ったのは、たまたま通りかかったリサだった。

「やっほーフィラちゃん、どうしたの?」

 トートバッグを片手に、団長執務室へ通じる通路の前を行ったり来たりしていたフィラに、リサは気軽な調子で話しかける。

「あの」

 言いよどむフィラに、リサは「ん?」と小首を傾げた。

「……聞きにくいことなんですけど」

「私で答えられることなら答えるよ。フィラちゃんにはうちの団長がお世話になってるからねー。サービスしちゃうよー」

 ダストの評価と完璧に逆転した台詞に、思わず苦笑が漏れる。

「ダストさんのことなんですけど」

 途端、リサの笑顔が引きつった。

「う……それは確かに聞きにくかろう。私も答えにくい」

「やめといた方が良いですか?」

「いいえ!」

 リサは芝居がかった動作でわざとらしく首を横に振る。

「女に二言はなくってよ。答えます、答えますとも! 答えられることだったらね」

 おどけた調子に緊張が抜けて、フィラは微笑した。

「それじゃ、遠慮なく。ダストさんって、もしかして心配性で素直じゃない人だったりします?」

 リサはしかめ面を作り、あーとかうーとか唸る。

「思い当たる節がないでもないけど……なんで?」

「今朝、ダストさんに会ったんです」

「ええ!?」

 一番最初から説明し始めた途端、いきなりリサから驚愕の声が上がった。

「何か言われたの? 大丈夫だった? 怖いお姉さんだったでしょ?」

 ここまでひどい評価だといっそすがすがしい。フィラは苦笑しながら首を横に振る。

「大丈夫です。美人に凄まれたので迫力はありましたけど……。団長の代わりに……何と言うか……そう、恩を売りに来たみたいでした」

「恩を売りに……」

 リサは左手を口元に当て、遠い目をした。

「しかも、自分のじゃない恩を? それはまた何というか、確かに素直じゃないなあ」

 フィラはトートバッグを抱え直し、内心の緊張から目をそらして極力何でもないことのように口を開く。

「ですよね。それで、ちょっと買ってみようかなって思って」

 途端、リサの視線が近くへ戻ってきた。

「おお、勇気ある! 偉い、すごい!」

 リサは手袋を填めたままの手で、間の抜けた音の拍手を熱烈に送る。

「それで、買うのは団長の恩だから」

「なるほど、団長執務室に行きたいのね?」

「はい」

 語尾を奪って微笑んだリサに、フィラは勢いよく首肯した。

「よろしいよろしい。ならばこのリサさんが、自ら通行許可証となって案内して進ぜましょう」


 と言うやりとりを経て団長執務室隣の控え室までやって来たフィラは、胃が絞られるような緊張を覚えつつ、執務室の扉を叩くリサの背中を見つめていた。

「団長、フィラちゃんを一名、お連れしました!」

 ジュリアンの返事を待って扉を開けたリサはおどけた口調で宣言して、フィラへ向かって手招きする。

「それじゃ、がんばって」

 リサはウインクしながらフィラの背中を押し、執務室へと押し込んだ。心の準備が不十分だったフィラが慌てて振り向けば、リサは笑顔でひらひら手を振りながらあっさり扉を閉めてくれる。

 今すぐ扉に駆け寄って、開けてくれ! と拳で叩くべきシーンのような気がした。もしくは、背後から忍び寄る影に恐る恐る振り向いてみるとか。どちらにしろ死亡フラグだが。

 フィラは迷った末、どちらかというと後者に近い動きを採用した。

 ぎこちなく振り向いた先には、妖怪でも化け物でもなく、呆れた表情のジュリアン・レイがいた。当たり前だ。

「何しに来た」

 ジュリアンは呆れた視線を手元の書類に落とし、興味も関心もなさそうな冷たい声で言い放つ。

「用があるなら手短かにすませてくれ」

 いつも以上に素っ気ない態度と口調は、さっさと帰れと言わんばかりだった。瞬間的に、怯えと緊張が闘争心と負けん気に切り替わった。

 フィラは火をつけてくれたジュリアンの態度に、むしろ感謝の気持ちを捧げながら、遠慮のない歩調で執務室の中央へ進み出る。

「団長に、お渡ししたいものがあって」

 切り札を取り出す悪役の気分を味わいながら、フィラはトートバッグに片手を突っ込んだ。

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