第6話 魔女

 希榛の世界は、毎日少しずつ作業をしてきたおかげで細部まで作り込まれてきた。最初は何も喋らなかった街の住人たちも、最近では希榛に話しかけるようになった。

「キハルさまも、ずいぶん馴染んできましたね」

 最初は触れもしなかった黒い椅子に、今では座ることができるようになった。

「さあ、今日はいよいよお食事をしてみましょう」

 この世界の食事は、栄養と満足感を計算されて作られた人工食料だ。壁に、固形食糧を生産する小型の調理器具と、飲料を出すサーバーが埋め込まれている。これはどの家にもある標準仕様で、サイボーグにも対応している。

 フィーユがサーバーで希榛の分の緑茶風飲料を注いで持ってきた。音声で好きな味に変更することができる。

 その隣の固形食糧調理器も、音声操作で好みの味の人工食料を自動調理することができる。見た目は電子レンジのようだ。

「今日は中華がいい。辛くない味付けで」

 出てきたのは、中華風スープの中に沈む麺のようなもので、それがパック詰めされているので椀に出して食べる。今では希榛も椀を持つことができるようになった。

「いただきます」

 これが、この世界での初めての食事だ。

 麺を啜ってみた。歯ごたえが弱い。コシがない。スープが薄い。

「どうですか?」

「まずい」

 緑茶も飲んでみた。やはり薄い。

『わざわざまずいもの作らなくても、もっとおいしいもの作りなよ……』

 モニタリングしている健吾からも、まずそうに見えたらしい。

「サイバーパンクといえば、味気ない人工食料と決まっている。主人公はいつも提供される偽物の食糧に文句を言いながら、金を稼げば本物の食事ができると思いを馳せるんだ」

 この世界に合わせ、違和感のない食糧事情にしようとすればこうなってしまう。

「そういうものでしょうか……。というか、ここはキハルさまの世界なのですから、偽物を食べる庶民に甘んじなくてもいいのでは?」

 何でも自分の思い通りになる世界で、わざわざ不便なことをする希榛が、フィーユには理解できないようだ。

「ここに王はいないし、何の脈絡もなく俺が特別な存在になるという設定は自分で納得できない。だからこれでいい。ともあれ食事はできた。成果としては上々だろ」

『なんだかよく分からない理屈だけど、おめでとう』

「そのことに関しては、とても嬉しいです。私ももっとキハルさまがこの世界を楽しめるようにサポートいたしますね!」

 フィーユが食器を自動調理器の中に入れると、食器はその中で分子レベルに分解され、汚れのないきれいな姿で再構築された。

「さて、食事という段階をクリアしたところで、他の世界にまた行く」

「テトラさまをお呼びになるのですか?」

 食事ができるほど馴染んだら呼ぶという約束だった。

「いや、今日はまた別の奴のところだ。《ハイデントゥーム》という世界に行く」

 フィーユはパネルを呼び出した。銀髪の女性が表示される。表示された名前は《ルシリア》。長い髪を紫色の大きなリボンでツインテールにし、紫色の大きな目の下には黒い線だけの複雑な蝶のタトゥーが入っている。実際の琴音より幼く、十六歳くらいにキャラメイクされていた。

『名前も姿も、現実とは全然違うねえ』

 Spiegelではむしろこのほうが普通なのかもしれない。姿も現実に近く、名前に至っては本名のままの希榛のほうが珍しいのだろう。

「こちらの世界ですね。準備できました。では行きますよ」



 希榛の拠点が消え、景色は夜。屋外の、森の中らしい。

 目の前には巨大な教会のような建物。全体は黒く、四つの尖塔に囲まれ、大きなドアの上には薔薇窓がある。入口にも壁にも精緻な彫刻が刻まれている。尖塔の上には天使の像がそれぞれ配置されていた。

「ここが主人の居場所なのか」

 ゴシック建築の教会のようだが屋敷なのかもしれない。見上げると、現実よりも巨大な金色の満月が西のほうに浮かんでいた。一回り小さいものもすぐ斜め右下に見えた。この世界には月が二つあるのかもしれない。希榛の世界と違って、ハイデントゥームの空気は澄んでいて、枯れた枝の隙間から満点の星空が見えた。

「さて、一応着替えてから行こう」

 希榛は黒いダブルボタン式のロングコートに着替える。スタンドカラーになっていて、首元から腰のあたりまで銀色のボタンがついている。丈は膝下までだ。そして黒のズボンに先の尖った革靴。

 フィーユは黒いロング丈のワンピースだ。首回りから胸の上あたりにかけて白いフリルブラウスが見えるようになっている。袖口と裾に控えめにフリルギャザーがついていて、首元には青いカメオがつけられている。赤みのかかった薄茶色の髪は長くして、首の後ろの低い位置で、レースつきの白い髪飾りで二つ括りにしている。

『なんか、御曹司とシックなメイドさんって感じだねえ。いつも思うけど、すぐ服装を思いつけるよね希榛は。現実でもオシャレすればいいのに』

 この服も拠点の世界での服も真っ黒だが、現実より凝ったデザインの服だ。本物の服はかさばるし金もかかるが、ここではタダで、置き場所も考えなくていい。

「何か音がする……。音楽だな」

 中では演奏会でも開かれているのかと思ったが、聞こえてくるのはクラシックではない。

 大きな木の扉は思ったより重く、なかなか開かない。

「重い……」

「お手伝いします」

 フィーユが片手で押すと、拍子抜けするほど簡単に開いた。

 そこはライブ会場だった。オペラホールなのだが、中で開かれているのはメタルライブ。椅子は取り払われ、全てスタンディング席となっている。

 そこでは希榛より派手なゴシックの男女が腰からの激しいヘッドバンギングをしている。色とりどりに染められた髪。男はそれを逆立て、女は長く伸ばして振り乱している。耳にも口にも複数個のピアスが光る。腹に響く重い二本のギターが哭き叫び、ベースはチョッパーで鋭く斬り込んでくる。そして雷鳴と地震が同時に来たような細かく激しいドラムス。悪魔か死神に捧げるような演奏だ。人間に聴かせることを目的としていないかのようだ。

通常なら苦しくて立っていられないほどの音量なのだろうが、調整のおかげでなんとか見ることができている。

「大丈夫ですか、キハルさま」

「ああ……なんとか……」

 観客たちは、そこかしこでダイブをしている。盛り上がりどころで輪になって走るサークルモッシュに巻き込まれないように避けながら、希榛はステージを見る。

 そこに、いた。高森琴音――いやルシリアが。ルシリアはこのメタルバンドのボーカルだった。黒いフリルつきジャケットに紫色のネクタイ、大きな三角の襟には逆十字があしらわれ、黒と紫で三段フリルになった膝上丈のスカートをパニエで膨らませ、厚底の編み上げブーツを激しく踏み鳴らし、英語で歌い、叫んでいる。

 可憐な少女が発しているとは思えないような強烈なデスボイスのせいで、英語が多少分かる希榛でも全く歌詞が聞き取れない。ただなんとなく、放送禁止のスラングを多用しているのだということだけは分かった。

「何だ何だ」

『すごいねえ。熱狂的っていうか、カルト的人気ってやつ?』

 大学で話したときには低めで澄んでいた彼女の声は、骨太な歌と耳をつんざくようなシャウトを奏でている。

 振り上げられる拳と振り回されるタオル。飛ぶペットボトル。その雰囲気は、西洋の地獄そのもののように感じられる。

 希榛は、現実では一生縁のない世界だ、と思った。

 そして一曲が終わった。演奏が終わっても観客の熱気はそのままだ。次の曲で暴れたくてウズウズしている。

「今日もすごい盛り上がりだけど、まだまだ暴れ足りないわよね! だってまだ月は金色のままだもの。今日のみんなの叫びと私の歌が月を赤く染めるまで、あなたたちを帰さないわ!」

 ルシリアの煽りに、観客たちは雄叫びを挙げる。

「実はさっき、この会場に特別なお客様が迷い込んだわ」

 観客たちのざわめきが、先ほどとは異質のものとなる。そして急に、強烈なスポットライトが希榛の目を刺した。

「《生者》だ!」

「なに、生者だと!?」

「捧げろ!」

「生贄だ!」

 事態が飲み込めない希榛を、観客たちの腕が絡め捕り、持ち上げる。

「やめろ、何をするつもりだ」

「キハルさま!」

 希榛が暴れても、フィーユが観客たちの腕を掴んで止めようとしても収まらない。見る間にステージの上へと運ばれていく。

 だが痛くはない。これだけ乱暴に扱われているというのに引っ掻き傷ひとつつかないのだ。

 ステージの上へ投げ込まれ、観客たちは殺せ、殺せと口ぐちに喚く。うずくまる希榛にルシリアが悠然と近づいてくる。

 なんとか立ち上がった希榛の顎を、ルシリアは掴み上げた。そして侮蔑するような傲慢な笑みを浮かべる。

「わざわざこんな世界に来るなんて、変人もいたものね」

 すると目の前に急にフィーユが現れ、ルシリアの手を掴んだ。

「その手をお離しなさい、この世界のあるじよ。この方はわが主人です。他の体験者へ危害を加えることは、ルール違反のはず」

 フィーユが珍しく、怒りを露わにしている。恰好のせいか、主人の忠実なしもべのようだ。

「黙りなさい、付添人。ここでの振る舞いは私が決めるの。ここは私の理想の世界なのよ」

「高森……琴音……」

 希榛が顎を掴まれたまま絞り出すように言う。

「その名で呼ぶんじゃないわよ!!」

 ルシリアが突如激昂し、希榛を放り投げるようにして突き飛ばした。尻餅をつくと、フィーユが希榛を庇うように助け起こす。なおも攻撃しようとしてルシリアが近づき、拳を振り上げた瞬間、背の高い男がルシリアに後ろから抱き付き、止めた。

「そこまでにしとけ、お嬢」

「離しなさい、この下僕!」

 下僕と呼ばれた男は、首回りと袖にグレーのファーがついた革の黒コートを着ている。右胸に斜めに二本ファスナーがついている。スタッズが集合したようなベルトを腰に二本巻き、ベルトが何本も巻きついたデザインの黒いズボンを穿き、黒いブーツを履いている。

 何より特徴的なのは、黒い短髪に黒いオオカミの耳と、金色の目。そして牙のように尖った歯。

「悪いなお客さん。ここはこういう世界なんだ。お嬢のこと、他の世界の名前で呼んじゃいけねえよ」

「あんたは……」

「俺はシュタルク。そっちのねーちゃんと同じ、案内人さ。まあ今はお嬢の執事――というか、下僕だがな」

 オオカミ耳の男――シュタルクは希榛に恭しく一礼した。そして主人であるルシリアに、困ったような視線を向けた。

「腹の立つのは分かるが、迷い込んだお客さんにいきなり乱暴なことしちゃダメだろ」

「口答えするんじゃないわよ」

「はいはい」

 下僕というわりにはくだけた接し方だ。まるで兄と妹のような。

「何やってる! 早く殺せ!」

「シュタルク! そんな奴咬み殺しちまえ!」

 ステージの下では観客たちが野次を飛ばしている。一体どういう世界なのか、まだ掴めない。

「うるせえなあ……。お客さんを咬めるわけねえだろ」

 すると、ルシリアは中空から、大きな紫水晶が先端についた短い杖を取り出した。

「今日のライブはここで終わりよ。あんたたちがだらしないから、月も染められなかったじゃない。闇に還りなさい死人ども!」

 紫水晶が眩く輝くと、観客たちは一瞬で霧になって消えてしまった。

 オペラホールはさきほどまでの熱気が嘘のように静まり返る。後ろで演奏していたばすのバンドメンバーもいない。消えてしまったのだ。

『なんかこう、強烈な世界だねえ。ゴシックホラーアニメみたい』

 テトラの世界とは全く違う、幻想と狂気がちりばめられた世界だ。

「なあ、どういうことなんだ。俺は織部希榛。昨日会っただろ。外見も名前も現実に忠実だし、見間違えることもないはずだぞ」

「はあ?」

 ルシリアは心底見下すように希榛を睨みつけた。

「私は《ルシリア》。あんたとは初対面よ、キハル。何かの間違いじゃない?」

「お嬢みたいな奴と誰かを間違うなんて、それこそあり得ねえとは思うがなあ」

 希榛は混乱してしまったが、なんとか頭を順応させる。

 高森琴音という名前に反応したということは、本人であることは間違いない。だとすれば、昨日会ったばかりだがもう希榛のことを忘れてしまったか、情緒不安定なのか――あるいは、この世界は琴音の中で現実とは全く連続していない個別の世界として認識され、ルシリアという人格を高森琴音とは無関係の別人として扱っているということなのか。おそらくそうなのだ。

「す、すまん。この世界では、俺とお前は初対面だ」

「《お前》じゃない! ルシリア様よ!」

 ここはルシリアの世界だ。彼女が全ての頂点に立っているというわけだろう。

 何の脈絡もなく特別になることを嫌がった希榛と違い、ルシリアは堂々とこの世界の支配者として君臨しているようだ。全てを作った創造主としては、むしろそのほうが自然な振る舞いといえるのかもしれないが。

「まあまあお嬢。こいつはお嬢と同じ生きた人間だ。下僕の俺や死人どもと同じ扱いはできねえさ」

「その通りです、あるじルシリア」

 フィーユが凛とした声で口をはさむ。

「あなたがここの世界の主であるのと同じように、キハルさまはキハルさまの世界の主なのです。立場は対等です。不当に低く扱うことは、私が許しません」

 ルシリアは、ふっと傲慢に笑う。

「あら威勢のいいこと。対等だというなら、あなたはこのオオカミ男と同じ下僕の立場よ。下僕が他の世界の主に生意気な口をきいていいのかしら?」

 言い返そうとするフィーユを遮り、シュタルクが口を開いた。

「いい加減にしねえか。お客さんに失礼なことをしたのは事実だろうが。そして対等なのも、世界を超えた普遍の事実だ。謝んな、お嬢」

 シュタルクの金色の目は瞳孔が縦になっていて、歯は牙のようになっている。そんなシュタルクに睨まれると、獰猛なオオカミに睨まれるような、本能的な恐怖を感じてしまう。

「わ、分かったわよ……」

 予想外に怒った下僕に驚いたのか、ルシリアは渋々引き下がった。

「悪かったわね。あの名前で呼ばれてついかっとしちゃったのよ。もう二度とあの名前で呼ばないでくれる?」

「分かった。以後、気を付ける」

 希榛も少し頭を下げた。

「キハルさまが謝ることなどありませんよ」

「そう言うな、フィーユ。俺たちは喧嘩をしに来たんじゃないんだ。これから話を聞かせてもらわなきゃいけないんだから、この世界のルールには従うべきだろ」

「話を聞かせるって、何よ。どういうこと?」

 本当は、現実での琴音とのことから、どのようにして理想の自分になり得たのかということが訊きたいのだが、ここでは現実の話題は出しにくい。

「そうだな、まずはこの世界のことだ。ゴシックメタルがテーマなのは分かったが、もっと細かいことが知りたい」

「自分の世界づくりに活かしたいってわけ? 私の音楽に感銘を受けたのかしら。言っておくけど、さっきまで演奏してた曲は全てオリジナルよ。自動生成じゃないわ。誰にも真似なんてできないのよ」

 ふふん、とルシリアは得意げだ。

『どうでもいいけどさあ、この子と高森さんってキャラ違うよね。この子が理想の自分だって割には、現実に反映されてないような気がするんだけど』

 それは希榛もそう思っていた。高森琴音は、ルシリアのように傲慢で傍若無人ではない。しかし現実でこのままのキャラクターを演じていれば孤立することも予想されるので、単にここではやりたい放題、現実では少し抑え目にしているだけかもしれない。

「それなら、城にでも案内してゆっくり話してやればいいんじゃねえか? お客さんは自分の邸宅でもてなすのが基本だろ」

 シュタルクの提案で、希榛たちはルシリアの邸宅の前へ一瞬で移動した。



 そこは白い大きな城で、中央の四角い館に円柱状の塔が三つ囲むようについていた。チェスの駒のルークのような形の塔だ。ライトアップされて、それが大理石でできた四階建ての城だと分かる。

「お前、女王か何かか?」

「まあ実質的にはそうだけど、別に王族の血を引く本物の女王というわけじゃないわ。私は魔女として、この世界を支配しているのよ。侵略して乗っ取ったの」

 そういえばさきほど、紫水晶の杖を使っていた。あれは魔法だったのだ。

 ここは何でも理想の通りになる世界。その気になれば魔法や超能力を登場させることもできる。テトラも、現実には存在しない龍を作り出していたが、錬金術と科学技術が中心の世界だった。自分自身を、魔法使いや超能力者といった特殊な存在に設定するという発想は希榛にはなかった。

 凝ったレリーフが施されたアーチの下の白い扉をシュタルクが開くと、エントランスだった。奥に大階段がある。絨毯は濃い紫色で、シャンデリアは黒い御影石。壁は灰色だった。

 階段を上がって右手の部屋に案内された。そこは、灰色の壁紙、黒い猫足のテーブルを囲むように黒い革張りの椅子が五脚配置されたモノトーンの応接室だった。フードを被った髑髏の死神の絵がかかっている。茨のレリーフが施された黒い暖炉では青い炎が輝いていて、全体的に少し肌寒い。

「おっと、もてなすときにはそれなりの恰好しねえとな」

 そう言うと、シュタルクは姿見を出して黒い燕尾服に着替えた。銀色の大きなカフスと、白いシャツの胸元にある黒いクロスのブローチが目立つ。姿見の周りはシルバーで、炎の形をしていて、頂点には口を開けたスカルがある。

「あの姿見もデザインできるのか」

 フィーユの出す姿見は、木製の枠の普通の四角い姿見だ。

「あのようなデザインは悪趣味だと思います」

 フィーユは頬を膨らませた。ルシリアに好意的ではないため、ゴシックなデザインもいいと思えないようだ。

「キハルさまは、あのような悪魔的なものがお好きなのですか? 主ルシリアの音楽も、調整なしではキハルさまには毒です」

「毒とは何よ、失礼な下僕ね」

 ルシリアも着替えていた。胸の上まである黒い編み上げコルセットに、不規則に波打つようにギャザーされた黒いワンピース。不規則な前面の下は四段の黒いフリルが層になっていて、丈は膝下まで。黒いフリルブラウスの袖口はフリルが花のように広がっていた。

『全員真っ黒だよ。まあゴシックってそういうものだけど』

 黒い服の集団が黒い家具に囲まれている。現実ではなかなか無いことだ。

「お客さんの飲み物の好みは? 紅茶かコーヒーか、普通か魔女風か」

 シュタルクは執事として、お茶を淹れてくれるらしい。

「俺は普通のコーヒー。フィーユは?」

 話を振られたフィーユはなぜか慌てている。

「あの、私もいただいてよろしいのですか?」

「招かれたのは俺たち二人だ」

 フィーユは顔を赤くしてしばし迷った。

「では……普通の紅茶を」

「はいよ。お嬢はいつものでいいな?」

「もちろん。早くなさい」

「はいはい」

 シュタルクが指を鳴らすと、それぞれの前に飲み物が現れた。

 希榛は白に黒いレース柄と薔薇がプリントされたコーヒーカップに入ったコーヒー、フィーユは同じ柄のティーカップに入った紅茶、そしてルシリアは黒に白で十字架とスカルがデザインされたカップでコーヒーを飲む。

「魔女風か」

「そうよ。死人の目玉を結晶化したものが入っているわ。魔力の補給にもいいし、おいしいの」

 確かに、ルシリアのコーヒーには赤い目玉のようなものが入っている。

『気持ち悪いねえ。ホラーにグロテスクはまあ切り離せないものだけどさ』

 健吾は素直な感想を言ったが、希榛は黙っていることにした。

「この世界を侵略して乗っ取った、と言っていたな。死人の国なのか? それとも、お前が人間を殺して死人にしたのか?」

 実際には、侵略したという設定で世界を作っているのだが、ここではルシリアというキャラクターと世界観に浸りきることが大切にされているのではないかと思い、希榛はルシリアに話を合わせつつ質問することにした。

「乗っ取ったときにはみんな死んでいたわ。もともと、このあたりは廃墟と墓地だったのよ。戦争でもあったのかしらね。そこに私が来て、国民を全員蘇らせたの。強制的に、全員に新しい名前を与え、もとあった都市機能を全て私好みに作りかえ、全く違う国にしたの」

「なるほど、そういう意味での侵略か」

 かなりダークで変わった世界観だ。フィーユが隣で顔を強張らせている。少し怯えているのかもしれない。

「この国で生きてるのはお嬢と俺だけだ。俺は墓地で暮らすオオカミだったが、魔法で人間の姿にしてもらった。お嬢は何でもできる、一流の魔女だ」

「じゃあ、あのメタルライブも、そういう魔術的な意味があるんだな?」

 確か、月を赤く染めるなどと言っていた。観客の盛り上がりによってそれは左右されるらしく、さきほどはライブが中止になり失敗した。

「死人は魔力で動いているの。その魔力は、感情を強く揺さぶられることで高まり、維持されているわ。そして人の感情を最も早く、大きく揺さぶるのは音楽。盛り上がりやすい音楽を探していたら、メタルに行きついたのよ。なんだか死人たちとの相性もいいようだし。そういえばそっちの下僕が、私の音楽はキハルには毒だとか言っていたけれど、あなたも死人になればその良さが分かるかもしれないわよ」

 希榛には、現実でメタルの生演奏を聴くのはおそらく無理だろう。

「他の体験者を殺すことはできません。キハルさまは大きな音が苦手でいらっしゃるだけです」

 フィーユは挑発に乗らずあくまで事務的に返す。

「おい、なんで言うんだ」

「あっ……。ごめんなさい」

 ルシリアは、いいことを聞いたというような悪戯っぽい表情になっている。

「言っておくが、ここでは聞こえる音量にある程度の調整をかけてある。さっきのライブだって見ることができたんだからな」

 するとルシリアは露骨につまらなそうな顔になった。おおかた、大音量の魔法でも使うつもりだったのだろう。

「それと、まだ気になることがある。――ここには花がないな」

「この私を前にして華がないとは何よ」

 口で言うと正確に伝わらない。ここは華やかだが、違和感があるのだ。

「違う。植物の花だ。ゴジック趣味なら薔薇くらい咲いているものだと思ったが」

 ゴシックやロリータの世界観には薔薇がつきものだ。しかし、希榛がハイデントゥームに入ってから、花を一輪も見ていない。木が生い茂る森にすら全くなかった。

「花なんて汚らわしいもの、あるわけないじゃない」

 ルシリアは身震いしながら吐き捨てるように言った。

「しかし薔薇をあしらった装飾は見受けられますが」

 城や教会の外壁には、薔薇のレリーフや彫刻がいくつも施されていた。フィーユのティーカップの柄も薔薇だ。

「装飾や絵柄としてならいいけれど、生きた花は嫌いなのよ。変わってると思った? 世の中には花を嫌う女もいるの。死者と戯れる魔女だから、っていうのじゃないわよ。本当に嫌いなの」

 その気持ち自体はよく分からないが、とりあえず花がなかった理由は納得できた。

「質問はこれだけかしら?」

「いや、最後に一つ。これが最も重要だ」

 この質問について、希榛は回答をある程度予測している。そのうえでぶつけた。

「最後にログアウトしたのはいつだ?」

 ルシリアは、ふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らして答える。

「もう一週間以上、ずっとここにいるわよ」

「一週間、か……」

 思ったよりは長かった。

「だとすると、お前の体はどうなっていると思う?」

「さあね。長いログインのために、流動食供給装置と自動排泄装置はつけたけれど、衰弱していると思うわ。そのうち死ぬでしょうけどどうでもいい。この世界で最期を迎えられればいいと思っているのよ」



 流動食供給装置と自動排泄装置は、病気で動けなくなったときのための緊急手段だ。寝たきりの介護のための用品だが、今は一般人が自力で買える価格になっている。

「俺は最初、お前に昨日会ったと言ったが、あれは見間違いじゃない」

「何よ、私はずっとここにいたのよ。まさか私の部屋に入って、意識のない私を見たの?」

「いや、見たのは大学だ。俺は普通に、講義を受ける高森琴音に会ったんだ。現実の俺とお前は大学の同級生で、俺は高森琴音と教室で話し、お前とこの世界のことを聞いてここに来たんだ」

「……まさか」

 ルシリアは絶句した。

「お客さん、いい加減なこと言ってると咬むぜ? そんなことあるわけねえだろ」

 咬むなどと不穏なことを言うシュタルクに、フィーユはなぜか抗議することなく黙り込んだ。

「そろそろ帰る。また現実でな」

 フィーユにログアウトの意思を伝えると、フィーユは了承し、ルシリアとシュタルクに丁寧に挨拶をしてログアウトをさせてくれた。















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